前途多難な異世界転生者
談話室では、山小屋事件のことを全く失念していた皇帝にキャロお嬢様が激怒した映像を見た寮生たちからすすり泣く声が上がった。
「皇帝が山小屋事件を覚えていなくても、犠牲になったぼくの両親も関係者たちもみんな懸命に生きていたことを、家族や同僚たちが覚えている。みんなの思いをぼくたちが繋いでいくから、ぼくたちの心の中で命が続いているんだ」
ぼくの言葉に、そうだね、と言いつつもケインの涙腺が決壊した。
「ほらほら、クレメント夫人が言っているように、復讐を果たすより、すべきことをする方をぼくは選択するよ」
クレメント夫人に宥められたキャロお嬢様が、首を洗って待っておけ、とも取れる発言をすると、涙していた寮生たちから笑いが起こった。
「ああ、ぼくが現場にいなくて良かったよ……」
拳を握りしめすぎて真っ白になっていた掌を開いて一息ついたウィルは天井を仰ぎ見た。
ウィルの砂鼠もみぃちゃんとみゃぁちゃんも、よく堪えたね、とウィルを労った。
みんながぼくのために憤ってくれたことで、ぼくの胸の奥で封印していた重苦しい感情にみんなの優しさがそっと寄り添ってくれているように感じた。
今後、山小屋事件を思い出すときに、初めて実家で入ったお風呂の温かさや、ジーン母さんのスープの味や、同じベッドで寝たケインの背中の熱や、部屋の片隅にいた兄貴の黒さが脳裏によぎるように、今日、みんながぼくのために感情を揺るがしたこの情景も思い浮かぶのだろう。
こうやって、悲しい記憶の上に愛された記憶が上書きされていくから、ぼくはこうして穏やかな心でいられるんだ。
水竜のお爺ちゃんとキュアはぼくを見て微笑んだ後、ぼくのスライムが変身した画面上の皇帝を凝視した。
“……あいつは嘘をついていないようだが、なんだかこう、陰気臭いというか、邪神の欠片が好みそうな雰囲気があるんだよな”
“……わかるよ。こう、悪しきものが寄ってくる危うい魔力の気配がするのに、無邪気な第三夫人がいるから抑えられているような感じがするよね”
水竜のお爺ちゃんとキュアは内情を知る面々にだけ、精霊言語で語り掛けた。
“……ご主人様。猛烈な負の思考をしがちな人物や、生まれつき魔力の多い人物が、邪神の欠片の魔術具を使用できる適合条件ではないか、と教会側で分析しています”
皇帝には両方の素質がある、というか、前世の皇帝が製作した魔術具だからそうなのか、邪神の欠片を扱う素質がそうなのか、そんなことを追及する前にすべての邪神の欠片を消滅させてしまいたい。
ぼくの思考を読んだシロは小さく頷いた。
『ええ、陛下にご自身の責務を全うしていただけるように、私も微力ながら力添えをいたしますわ』
第三夫人はキャロお嬢様の言葉を肯定するように力強く宣言すると、なにをするのか!と皇帝の護衛がギョッとした表情になった。
『私の死後、私の市民カードをキャロに託します。あなたの判断で、私の市民カードの破棄をする教会を決めてください。陛下の行い次第で、ガンガイル王国の王都ではない教会で破棄してもらうように手配していただければ、来世で陛下と再び会うことができなくなるでしょう』
高らかに宣言した第三夫人を皇帝は唖然とした表情で見上げ、キャロお嬢さまは拍手をし、それは仕方がない、と言いたげな表情を護衛や使用人たちがした。
『リア叔母様!名案です。私、留学するに当たって、交際範囲が世界中に広がりましたの。首都が美しいキリシア公国でもいいですし、お米が美味しい東方連合国もいいですね。ムスタッチャ諸島諸国は海産物が美味しいですし、南方地域も戦後復興が順調に進めばいい伝手がいくつかあります。雪が降らない地域も魅力的ですよね』
キャロお嬢様が帝国留学での旅路で親しくなった友人たちの顔を思い出しながら語ると、第三夫人は目を輝かせた。
『来世を選べるのでしたら、緑の一族もいいですわ。女性ばかりの環境で伸び伸びと育ってみたいですわ』
どんなに酷いところに嫁いでも、本人さえ望めば嫁ぎ先までカカシが救助に来てくれる緑の一族に転生したら、執念深い皇帝に発見されても逃げ切れることに気付いたキャロお嬢様とミーアが満面の笑みを見せた。
『来世のアメリアを人質にするのか!』
皇帝が頭を抱えると、女子寮監ワイルドが小さな声で言った。
『邪神の欠片を集める連中がこのまま世界の果てを目指して収集を続け、世界を護る結界を突破すれば、この世界は終末を迎え、来世などないでしょうね』
ディミトリーを使役していた時の世界の果てに向かいたくなる焦燥感を思い出したのか、皇帝はゴクンと生唾を飲み込んだ。
『……この世界が滅びる、というのか……』
小声でつぶやいた皇帝の言葉に、女子寮監ワイルドは頷いた。
『創造神の次なる手を私たちが想像することなどできませんが、この世界が緩やかに破滅に向かっていることは何度も転生している其方なら気付いてもおかしくないだろう?』
女子寮監ワイルドとは思えない口調になった、と気付いた時には、ぼくは寮の談話室にはいなかった。
……亜空間は時の狭間に存在しているのか、そこにいる間は時間が経過しない。
そんな認識でしかなかったが、ぼくがワイルド上級精霊に招待された亜空間は今までとは全く違う、繭型のカプセルの中だった。
どこまでも続く宇宙のような暗闇の中に最大半径が四畳半ほどの大きさの紡錘形のカプセルの中にぼくはいた。
円形の壁に手をつくとぼくの見たい映像が静止画で現れた。
寮の談話室では、ぼくのスライムが変身したスクリーンに向かって固唾をのんで状況を見守る寮生たちがいた。
隣に現れた映像は第三夫人の離宮で、高らかに宣言をした第三夫人をキャロお嬢様たちが賛同しているところで静止していた。
別の映像では太陽柱の前で逃走中のアリオの姿を必死に探すディミトリーの動画があった。
自我がなかったとはいえ大量殺人を犯したディミトリーは、贖罪感からなのか、自分をこうしてしまった秘密組織への復讐心からなのかわからないが、無数に輝く凍結した霧の結晶のように小さな画面をディミトリーは丁寧に見ながらメモを取っていた。
……クレメント夫人の言葉の通りだ。
命の価値はどう生きるかによって人間が判断するだけのものだ。
家族を殺された者にとってディミトリーは残虐な暗殺者で、ぼくが初めてワイルド上級精霊に亜空間に招待された時に復讐を願っていたなら、こうしてディミトリーはアリオを追うことはなかっただろう。
あの時ぼくがワイルド上級精霊に実行犯の処罰を願っていたなら、ディミトリーが他の殺人を行うこともなかったかもしれない。
だけど、皇帝には私設の暗殺部隊がいるのだから、ディミトリーがいなかったとしても、犠牲者がでたことには変わりない。
ディミトリーがいなかったら、齢十一歳のぼくが世界を救うために日常生活を放り出して、ぼくが逃走犯たちを追うことになったかもしれない。
いや、ディミトリーとノーラと出会うことがなかったら、皇帝に直接追及できるこんな未来はなかっただろう。
何が正しくて何が間違っているかなんてわからない。
ユナ母さんのスカートの中で生き延びてから、ジュエル父さんをはじめ、家族やハルトおじさんやイシマールさんたちに頼るばかりの人生だった。
ぼくはただ、大切な人たちと仲良く過ごしたい、という願いで行動してきたことで、ぼくを手伝ってくれる人たちが、ぼくが背負い込んでしまうかもしれなかった救世主の役割を、みんなで分かち合って来れた。
親の仇の一人であるディミトリーの映像が涙で滲んでぼやけると、ディミトリーの映像の隣に皇帝が招待された別の亜空間の映像が見えた。
『いや、わからない。この世界が緩やかに滅びに向かっている!?……というより、ここはどこだ!アメリアはどこだ!……あなたは、誰なのですか?』
皇帝は第三夫人の離宮の応接間から真っ白な亜空間にいつの間にか転移しており、目の前の女子寮監ワイルドがワイルド上級精霊になっていることで、人間の階級意識が抜けたのか、言葉遣いが変わった。
『お前をここに招待する気などさらさらなかったのだが、お前が自分の役回りを認識したようなので、個別に話す機会を設けてやった。まったく、何度生まれ変わっても、どうしようもない人間はどうしようもない』
真っ白な応接テーブルに皇帝と向かい合って座っているワイルド上級精霊がため息交じりにそう言うと、皇帝はワイルド上級精霊が人間ではないことに気付いたようで、目を見開いてワイルド上級精霊をまじまじと見た。
『どちらの神様でしょうか?』
『マヌケめ!私は神ではなく、ただの精霊だ。そもそも、お前は自分が神にお目通りがかなう人間だと思っているのか?』
呆れたようにワイルド上級精霊が言うと、キャロお嬢様たちの苦言が効いたのか、マヌケの自覚が出たのか、皇帝は項垂れた。
『……生まれ変わった記憶を保持し続ける自分は特別な人間だと勘違いしておりました』
自分の選民意識を告白した皇帝にワイルド上級精霊は鼻で笑った。
『お前の一番古い記憶の世界はなんだ?』
ワイルド上級精霊の質問に皇帝は首を傾げた。
『異世界の記憶はないのか!まったく……とんだマヌケだな!』
『ああ?いえ、あります。魔法のない世界で、科学知識が発達し、飛行機が空を飛び、原子力潜水艦で海底を航行できる世界でした。なにぶん、こちらの世界は魔力が主要なエネルギーなので異世界の知識は活かせませんね』
クレメント氏の話から、皇帝が転生者ではないか?と当初から疑っていたぼくは、皇帝が思い出したことに衝撃はなかったが、転生者が最高権力者でありながら帝国が発展していない現状の方が驚きだった。
『だからお前はマヌケなんだ。この世界では生きとし生けるものは死して天界の門を潜り、魂が練成され、再び地上で生を受ける。そこまでは理解しておるな』
ワイルド上級精霊の言葉に皇帝は頷いた。
『そこに異世界の魂が混ざり込むときは、この世界が疲弊した状態なのだ』
『……ええ、そうですね。私が初めてこの世界に来た時は、文字と言葉を失って混乱した世界で、ようやく新たな文字を教会が普及させるところでした。私はそこでうっかり古い言葉に近い発音をしそうになり、消し炭になる手前で舌がもつれて裁きの雷から少し外れ、ちょっと感電した時に前世の記憶を思い出しました』
ぼくが前世の記憶を思い出した時よりかなり生きにくい時代に皇帝は転生していたようだ。
『いや、新しい文字や魔法陣も出来上がっていたから、情勢としてはかなりましな方だったぞ。精霊使い狩りが流行し始めた頃で、それを止める一助となる魂かと思ったら、まったく何もしなかったな』
大きな溜息をついたワイルド上級精霊に、無理です!無理無理!と皇帝は首を横に振った。
『貴族の子弟として生まれていましたが、一介の人間に集団ヒステリーのようになった狂気集団を止められるはずがないじゃないですか!』
皇帝の言葉に残念な子を見るような目をワイルド上級精霊は向けた。
『まあな、一人では無理だろう。だが、お前は困難な世界に転生したと嘆くばかりで、本当に何もしなかったな。数回の魂の練成を経ればマシになるかと思いきや、女に入れ込んで、一人の女を追いかけることだけに持てる知識をフル活用した挙句、親友を裏切ったため、彼女と知り合うきっかけとなるはずだった親友の魂を見失い、教会に籠もると、世界を滅ぼす研究を始めたではないか』
転生前の皇帝が邪神の欠片に関わった期間の状況把握ができなかったワイルド上級精霊は、今日の面会で皇帝と直接対峙したことで、皇帝の思考から当時の状況を把握したようだ。
身も蓋もない言い方をされた皇帝は両手で頭を抱え込んだ。
『邪神の欠片に関わると、世界を破滅させねばならない、という妄執に取りつかれるのです。教会にあんなにたくさんの邪神の欠片を保管している方がどうかしている!』
『まあ、精霊使い狩りの元を正せば、邪神の欠片の魔力に魅せられた上級魔導士の一人が始めたことだから、教会内にたくさん保存されていたのだろう』
自分のせいばかりではない、と主張した皇帝に、最初の転生時に防げたかもしれない事態だ、とワイルド上級精霊が告げた。
『無茶苦茶ですよ!どんなに科学技術が発達した世界から転生したとしても、魔法知識なんかさっぱりないうえ、一個人の異世界の知識なんて大したことないんだ!この世界は混乱極まりない状況だったんだから、異世界転生した時点で前途多難すぎたんだよ!』
頭を抱えて真っ白な空を見上げて皇帝は叫んだが、ぼくが異世界転生を自覚した時点だって、どうにも前途多難だったよ!




