皇帝の決断
前前世の皇帝が親友を裏切ってまで領土を増やし、前前世の第三夫人の子どもたちに分割相続する土地を増やしても子育てに失敗した話に、談話室で見ていたぼくたちも、そうだな、とツッコミを入れていた。
「現世では第三夫人との間の子どもではなかったせいで、なおさら、お子様たちの教育に目がいかなかったのでしょうね」
オーレンハイム卿の突っ込みに、皇子たちのポンコツぶりを知っている在校生たちは失笑した。
「いや、足を引っ張り合う皇族や上位貴族たちを皇帝陛下がすべて抑え込めるものではないから、専門の機関を用意すべきだったんだ」
ハルトおじさんは、権力が皇帝に集中しすぎていて皇帝の処理能力を超えている、と指摘した。
任せられる仕事はすべて任せてしまっているガンガイル王国の国王は、国の護りの結界を維持することがメインの仕事で、政治的にはお飾りの国王だったりする。
「この後は、キャロお嬢様とクレメント夫人がどこまで切り込めるかが、見ものだな」
ハルトおじさんの言葉に寮長が頷いた。
皇帝が転生者であることを認め、かつて世界を破壊してもかまわないという破綻思想の上級魔導士になり、邪神の欠片の魔術具の制作者だったことが判明した。
魔術具の詳細についても聞き出したいところだが、まずは、ここまで追及できた時点で上出来だ。
キャロお嬢さまには、踏み込めたら踏み込んでほしいと言われている、一仕事があるのだ。
「それにしても皇帝陛下は前世で上級魔導士だったわりに、天界の門を潜った後の魂の練成について詳しくなかったようだな」
「魂の練成について説明できる司祭がいると思えませんし、教会儀式を担当する司祭ではなく研究所の上級魔導士だったのなら、なおさら詳しくないでしょうね」
オーレンハイム卿の疑問に、ウィルが大聖堂島の研究所の職員たちを思い出して説明した。
ハルトおじさんは、魔術具の研究以外はわりとポンコツなジェイ叔父さんを見て、そうだな、と頷いた。
「だいたいの神事が、文字と言葉と記号を失ってから先人たちが手探りで構築したものを、なぞっているだけですからね」
ぼくの指摘に洗礼式の踊りの検証を思い出した寮長が、そうだな、と頷いた。
画面上ではクレメント夫人にきつい言葉を掛けられて項垂れている皇帝に、キャロお嬢様が容赦なくここぞとばかりに強気な交渉に出ていた。
『私は王位継承権がありますが、まあ、女子に生まれてきたというだけでおそらく私が皇太子になることはないでしょう。現皇太子の長子が男児だ、ということだけではなく、妊娠出産を踏まえると、国の護りの結界を維持するために男性が優先されるから、本家に頼ることがあったとしても弟の方でしょう。ですが、そもそも妊娠出産を除外するのなら、リア叔母様には女王になる資質があったのです。帝国は女王の資質のある王女を娶りながら、ガンガイル王国にどのように利益をもたらしましたか?』
キャロお嬢様は王族代表としてこの場に居ることを皇帝に思い出させるかのように、淡々と事実を述べた後、国益の話を持ちだした。
『アメリアとの婚約内定の際、北方協定の順守の確約と、王女の婚姻にふさわしい額の結納金を贈呈の話がついていた』
『北方協定の遵守は当然のことです。結納金に至っては、騎士団派遣の対価の不足分の充填にあてられたようですわ。そうなった原因は、陛下の抜け駆けの婚姻により、王家が結納金受け取りを一時的に拒否していたことに乗じて、騎士団派遣の報酬に充填し、報酬金を着服した軍人がいるはずです。結納金の額を使い果たしたから、その後、滞納することになったようです。金額が一致していることをオスカー寮長、および、国王陛下甥のラインハルト殿下が経緯の説明を求める書簡をお送りしているはずですが……陛下の元に届いていないようですね』
事実上結納金が着服されていたことにも気付いていなかったのか、皇帝も第三夫人も青くなった。
「私共は本日のリア叔母様の面会を最優先したので、今後、追及の手を強める予定です。ご子息ばかりでなく、部下の規律もご確認ください』
誘拐婚の後始末がついていない、とキャロお嬢様は皇帝に直訴した。
『誠に申し訳ない。軍関係の不祥事を現在追及中だ。結納金については利息を付けて改めてお納めさせてもらうよう、国王陛下に書簡を送ろう』
戦争が長引いたことで、かさんだ軍事費に乗じて不正がはびこっていた結果、しわ寄せがガンガイル王国に押し付けられていたらしい。
それもこれも、皇帝が第三夫人を隠すように離宮に閉じ込めていたから、ガンガイル王国が軽んじられた結果だろう。
『私たちのお出迎えで、第三夫人が正妻であることを宮廷内に広く知らしめることができましたが、今朝ほど少しばかり嫌がらせのような予定変更を宮廷側からされました。第三夫人に御子が誕生しなかったことで国母ではない扱いに準じることは理解できますが、正妻らしい扱いを受けることを希望いたします』
キャロお嬢様はこれまでのガンガイル王国の扱いを盾に、第三夫人の自由の度合いを上げ、ついでに国益をあげる交渉をした。
『キャロライン姫のお言葉を真摯に受け止めよう。今後、公の場にアメリアを正妻として臨席させることを約束しよう。そして、皇太子決定後、アメリアの賛同があれば皇太子をアメリアの養子としよう。どの皇子が立太子となろうとも、アメリアが国母となるのならば国内の貴族の干渉は少なくなるだろう』
皇帝の大胆な決断に離宮の応接間にいる全員だけでなく、寮の談話室にいる全員が腰を抜かすほど驚いた。
『子育てに失敗した自覚はあるが、このところ子どもたちに任せていた仕事が滞りなく回るようになった。ああ、まともになった子どもたちは皆ガンガイル王国の留学生たちと深い親交があった者たちだ。だが、子どもたちは皆、母方の親族の脛に傷がある。のし上がる中で皆、清廉潔白とはいいがたい所業があるのだ』
毒饅頭を贈り合う宮廷の裏礼儀作法が罷り通っていたのだから、突けばみんな埃だらけなのだろう。
『陛下の御子を私の子だと思うことはできますが、ご夫人たちは別です。離宮の使用人たちがどれほど苦心して私を守ってくださっていたかは知っています。ご夫人たちには罪に見あった処遇を求めますし、ご自身の母の処罰を求めた私を受け入れられないような方は養子にできません』
第三夫人の要求に皇帝は頷いた。
『ああ、それは今、候補に残っている皇子たちは母方の実家と距離を置く行動をしている者たちばかりなので受け入れられるだろう。問題は、私は夫人たちを迎えるにあたって、国土全域に皇室の魔力が行き渡るように配慮して娶ったので、夫人たちの実家に処罰を科すと国土全域の要所な領地の魔力低下につながってしまうのだ。罪の重さではなく、領地のバランスを考慮して順次、処罰を行なうことにする』
皇帝の発言に第三夫人は頷いたけれど、皇帝がそれなりの年月を妻としていた他の夫人たちに愛情も国を護る同志としての友愛の欠片もないような口ぶりをしたことに、自分に憎悪が集中した理由を見出し複雑な表情をした。
『君にそんな表情をさせたくなくて、何もかもから遠ざけていた』
皇帝の言葉にカチンときたように左眉をあげた第三夫人は、これで済んだと思うなよ、と言いたげに皇帝を見つめた。
『現世での行いを正すには当然ですが、陛下には前世の行いの後始末をきちんと行う、魂の責任がありますわ!』
第三夫人の言葉にキャロお嬢様とクレメント夫人と女子寮監ワイルドが頷いた。
『ラウンドール王国は滅びているし、こうして現世でクレメント夫人とお会いしても詫びのしようがな……』
『陛下!それは前前世のお話です!クレメントがこうして穏やかに陛下と向き合ってくださる胆力に感謝すべきであって、償いをしようがないことです。陛下の今後の生き方で、当時のクレメントの真の願いをかなえて差し上げるしかできませんわ』
第三夫人の言葉にクレメント夫人は深く頷いた。
『当時のクレメントの真の願い……王国民の繫栄か……』
失われた王国の国民をどうするのか、と言いたげな表情になった皇帝はすぐに思い至ったようでハッとした。
『帝国側の旧ラウンドール王国領の繁栄か!』
クレメント夫人は頷いた。
『帝国側の領地もラウンドール一族の末裔たちです。ガンガイル王国のラウンドール公爵領とあまりにも土地の魔力量が違い過ぎ、領民の暮らしが貧しすぎます』
クレメント夫人の指摘に皇帝は頷いた。
『私たちの前前世の子孫たちの暮らす土地ですよ。陛下は愛情をもっと広く向けてくださいな。それで、私への愛情が減ってしまうことなんてありませんわ。愛は増えるものなのです』
第三夫人の言葉にキャロお嬢様が頷いた。
『ご夫人を多く持たれる陛下のお立場上、愛が増えるという言葉は別の意味も持ちかねませんが、御子や国民を慈しむ気持ちは妻への愛を減らすものではなく、ただただ愛情の種類が増えるだけだ、と考えています』
夫人だらけでハーレムのような宮殿で増える愛とは、複雑な男女間の愛の話になりそうなところを、キャロお嬢様が別物だと説明した。
『前前世の過ちの償いは、帝国全土の魔力を整えることで解決するでしょう』
女子寮監ワイルドの言葉に皇帝が頷いた。
『では、前世の話に移りましょう。あってはならない力を利用する魔術具を前世の陛下が制作したのなら、陛下が消滅させなくてはならないでしょうに!』
第三夫人が力強く発言すると、そうだな、と皇帝が頷いた。
『それについては教皇猊下が積極的に動いておられます。三つほど転移魔法さえ可能にする魔術具を破壊したはずです』
キャロお嬢様は光影の武器について伏せて、すべては教皇の采配の元、魔術具が破壊されたかのように語った。
『三つか!三つすべて破壊されたのなら、おそらく前世に私が製作した魔術具は、すべて破壊されたことになるはずだ!』
もう片付いているじゃないか、と皇帝が喜ぶと、アドニスと女子寮監ワイルドが首を傾げた。
『それで全てならば、私はあんな苦しみを受けるはずがなかったのです』
前世の皇帝の死後も邪神の欠片の魔術具の研究が継続していることをアドニスが指摘をすると、皇帝は頭を抱えた。
『たしかに、魔術具として完成させたのは三つだが、研究途中の物もいくつかあった。邪神の欠片については、正直、思い出せないことの方が多くてわからないのだ。何か思い出せば、教皇猊下に報告して魔術具の破壊に協力しよう』
思い出せない、という皇帝の言葉にアドニスが頷いた。
辺境伯領城で保護しているキールを思い出したのか、キャロお嬢様はしばし遠い目をして考え込んだ。
『皇帝陛下。いくつか質問があるのですが、宜しいでしょうか?』
ほぼ無礼講なこの場であらたまってキャロお嬢様が尋ねたので、多少の不敬な発言どころではない質問なのだろう、と皇帝は気付いたのか真顔で頷いた。
『ガンガイル王国側も、正直、王家がしっかりしていると言えない時期があり、他国の干渉を受けていたことが判明しました。ですが、王家の失態であることは変わりないので、内密に処理されました。……皇帝陛下は東の魔女を利用してガンガイル王家に干渉したことがありますよね?』
キャロお嬢様の質問は打ち合わせになかったことのようで、離宮の応接間の全員はもとより、談話室で視聴している全員が椅子から落ちそうになるほど驚いた。




