君の名前
麗しの上級精霊が現れた。
その美しい顔は無表情で、お怒りなのが気配でわかる。
「ミジンコの栄養素になりたいやつがいるようだな」
そんな脅しをされていたのか。
「脅しじゃなくて実行してやるぞ」
上級精霊には魔力ボディースーツでは効果がないようだ。思考が駄々洩れなのだろうか?
「抑えはある程度効いておる。私には無効なだけだ」
それならいいや。
マナさんの精霊でも強そうなのに、上級精霊ならば無敵だろう。
「私が強いことと、お前の思考が漏れていることは関係がないだろう」
敵対状態ではない、上級精霊が無敵だったなら、ぼくがアホみたいなことを考えていたとしても、敵に知らせることもあり得ないから、問題はない。
「信頼されているという事か」
この亜空間に来ると、絶対的な安全が保障されているから、ここに来る時に起こっているトラブルくらいは何とかなるかなと、安心するんだ。
…もはや依存しているのかな。
「確かに、こんなに頻繁にここへ招待することになるとは思っていなかった。それもこれも、そこにいる中級精霊のしでかしたことなのだ。落とし前はつけてやらねばなるまい」
まあ、それはそうなんだけど、ミジンコの栄養素にされるのは可哀相だ。
「猫とスライムはそう思ってないないようだぞ」
みぃちゃんとスライムは、ぼくが精霊に甘いと抗議している。
「普通の精霊が中級精霊に昇格することは、よくある事なのですか?」
せっかく出世したのにミジンコの栄養素になるのは、罰としてきつすぎる。
「中級精霊はそれほど珍しいものでない。お前は自分が殺されかけた自覚がなさすぎる。その年で魔力枯渇を起こしたら大概死ぬぞ」
ミジンコの栄養素にされても仕方がないか。
“……そんな殺生な”
ほんのり光る塊が出現した。
中級精霊は人魂なのか?
「正体を晒さないで誤魔化しているのに、命乞いはするのか」
人魂ではない?
“……笑わないでくださいね”
人魂のような光は大きさを変えずに人の形になった。
大人の掌くらいの身長だ。
よくある女児玩具の着せ替え人形より小さい少女だった。
羽があったら妖精だな。
「妖精じゃないわ。精霊よ」
妖精型になれば普通に喋れるのか。
「このまま成長しなければ妖精になるぞ。だが、その前にミジンコの栄養素になるだけだ」
いったん頭を整理しよう。
「このフワフワ漂っている、埃よりも小さなウイルスみたいなものが、精霊の素で…」
「精霊素はウイルスではないぞ」
考え事は声に出した方がまとまりやすいので、口に出すと、マナさんに止められた。
小ささを表現しただけだ。
精霊の赤ちゃんが、ウイルスのように他生物の細胞を利用して自己複製していたらコワイ。
「うんと小さいのが精霊素……。精霊素って何ですか?」
「その名の通り精霊の素だ。まだ意思も持たないが、カイルの周りの精霊たちにつられてやってきた。これが集まって、やがては精霊となる」
精霊たちが色とりどりにぱっと光って、ここに居るよと教えてくれる。
みぃちゃんとスライムも、嫌っている精霊ではないので穏やかに見つめている。
面白いのが、精霊たちの兄貴への反応だ。
精霊素は、兄貴がいるのにまるで何も無いように、兄貴をすり抜けて漂っている。
精霊たちの反応は個体差があり、ほとんどが兄貴に気がつかないで通り抜けるのだが、気がついておろおろするものも数体いる。
「同じ精霊でも能力には違いがある。十分に育った精霊が集まって中級精霊となる。だが、そこの中級精霊には、経験も能力も十分でない精霊が紛れ込んでおる」
「お許しください。このものたちが成長している間にカイルが老衰してしまいます」
「老衰も何もカイルはまだ幼児だ。カイルの成長に合わせて成長すればよかっただけだ。あわてて町中の精霊たちを集めてまで、急いで中級精霊になる必要はなかったはずだ」
「カイルとかかわりのある精霊になれる機会なので、町中の精霊たちも見逃せませんでした」
あれ?
ぼくのせいなのか。
「まさかこんな幼子に契約を迫る気だったのか!」
上級精霊の気配に殺気が宿る。
「いいえ。滅相もございません。ただ、お側で見守りたかっただけです」
「カイルは私のお手付きだ。余計な事はせんでいい」
お手付きって、なんだろう。
スライムと一緒に祝福をもらったことだろうか。
「ああ、そうだ。お前のスライムはお前の魔力に染まりきっておる。お前の手足同然だ」
祝福があるという事は、庇護下にあるという事なのかな。
「まあ、似たようなものだ」
スライムがとても喜んでいる。
ぼくも上級精霊には精神的に頼ってしまっているので、庇護下にあるのは嬉しい。
みぃちゃんは憮然としている。
「猫はそもそも精霊たちにも好かれている。猫は猫らしくあればいいのだ」
なんだか、みぃちゃんへの評価がカッコイイ。
猫は孤高であれ、という事かな。
「お前の兄貴もそのままでいい。小さな精霊が認識できるほどに育っておるから、いずれ実力が伴えば実体化もできよう」
「……やはり、もう一人おるんじゃな」
「カカシは己の常識を捨て去れば、それを認識できるようになるだろう。わからなくても何も問題はない」
問題ないと言われても、家族に兄貴の存在を認識してほしかった。
兄貴が成長して実体化できれば家族も認識できるようになるのかな。
「実体化が、できればあり得るだろう」
これは希望が持てるぞ。
兄貴も喜んでいる。
「さて、頭の整理はついたようだね。この中級精霊に適切な罰をくだそう」
「おっ…お、お許しください!」
美少女になった妖精型の中級精霊が、体を震わせて命乞いをしている絵面は、美しすぎる上級精霊の厳しい姿勢と相まって、魔王の裁きを待ついたいけな妖精のように見える。
悪役は上級精霊ではない。
厳罰は必要でも、ミジンコの栄養素ではキツ過ぎる。
落としどころはどこだろう。
「この中級精霊が誕生して良かった点は何でしょう?」
「街中の精霊たちが集まったことで、この地を目指す精霊や精霊素が増えたことだ。深淵の森からも精霊素が集まって来ているので、死霊系魔獣が十数年ほどは減るだろう」
それは人々が暮らしやすくなるという事かな。
「精霊にとっても暮らしやすくなる。死霊系魔獣の激減は生きとし生けるものにとって、良い事しかない」
それは喜ばしい事だ。
「この中級精霊が誕生したことで悪い点は何でしょう?」
「カイルのためにという建前で、暴走しかねないことだ。普通の精霊だった時でさえ、迷惑行為を行なったのに、より力を持った中級精霊となったのだから迷惑行為では済まない規模になるだろう」
領都が吹き飛ぶような事もできるのかな。
「できるぞ」
この小さな妖精もどきが核爆弾級に危険な上、自制心がないなんてヤバい案件だ。
「ようやく危険度合いが認識できたようだな」
厳罰は避けられないのか。
「この中級精霊が、今後、成し得なくてはいけない仕事のようなものはないのですか?」
「世界の理に則って、魔力を適切に流していくことだ。それは人や魔獣が行使する魔法だけではなく、地脈に沿った魔力の流れを整えることだ。マナの精霊はこの仕事で十分な実績をあげている」
マナさんの精霊に教わればいいのか!
“…断る!!”
強めの思念が送られてきた。
駄目か。
断固拒否なのか。
命の恩人に、命を危険にさらされる、という事態を引き起こされると、恩赦を願っていいのかわからなくなる。
「処罰を気の毒に思うのなら、多少なりとも考えてやっていい」
「…!…上級精霊様!!」
美少女妖精型中級精霊が感動に震えている。
やったー!
蜘蛛の糸が来たぁー。
「寓話か何かか?まあ、いいだろう。お前は生まれたてに弱いからな」
みぃちゃんたちを保護した事かな。
「うむ。カイルが保護者になればいい」
………どういうことでしょう?
町一つ吹っ飛ばせる中級精霊では、子猫の保護者になるのとは違うぞ!!
とてもじゃないけど、今のぼくには制御できない。
「カイルの言葉一つで御せるようにできるぞ」
“「使役契約ですか!!」”
マナさんの精霊とマナさんが焦っている。
「使役契約なぞせんでもできるぞ」
“「!!」”
「下僕にすればよいのだ」
げっ…下僕にするって、ぼくがいじめっ子の親玉みたいじゃないか!
「はははははは。相変わらず発想が面白い。ツッコミどころが違うだろ。精霊に性別はないが、通常は自分が気に入った人物の同性を選ぶものだ。カイルが大人になった時、その姿では、未来の嫁に誤解を招きかねない。そういうところも、迷惑行為に他ならないのを、この中級精霊は理解しておらん。どうせその姿でもう固定化されてしまったのだろう」
ミライノヨメ……。
上級精霊はそんな先々のことまで心配していたんだ。
……そうだ、美少女妖精型ならば、下僕ではなく、下女だ。
…下女って、洗濯女の事だよね。洗濯機があるから別にいなくてもいいかな。
「下僕、下女と言ってもただの召使といったところだ。お前の親も貴族になっておるんだから、本来ならば何人か雇っていてもおかしくないのだが、全部魔術具ですませているから、居ないだけだ」
マナさんの精霊とマナさんが肩を撫でおろした。
この落としどころはかなり無難なもので、どうやら一件落着となりそうだ。
「この中級精霊の名付け親になればいいのだ。親の言う事には逆らえないし、親に不利益なことはできない。カイルが死ぬまで続く関係だ。一歩間違えばカイルが死んでしまうようなことをしでかした精霊の罰には、カイルの一生を下人として支えることになればちょうど良い」
美少女妖精型の精霊もこくこく頷いている。
ご褒美になっている、とみぃちゃんとスライムが抗議をしているが、下人はペットより格下だよと思念を送ると賛成してくれた。
「ぼくが名付け親になります」
上級精霊は満足したように頷くと、ぼくと美少女妖精型の精霊を別の亜空間に連れ出した。
「お前の付けた名がこの精霊の真名となる」
マナ?真名⁉…漢字ですか?
「前世の知識が邪魔をしておる。精霊たちにとっての真名とは、最初につけられた名前のことだ。これから先どんな精霊に進化したとしても真名は変わらない。今後、誰と契約をすることとなっても、この名を使用するのだ。普段は別の名で呼んでも構わない。中級精霊ならば名を取られるようなことはないが、主以外に気軽に呼ばれると気分を害する精霊もいるから、そこのところは本人に聞きなさい」
そう言うと、上級精霊は消えてしまった。
ぼくは命の恩人でもあり、うっかり殺されかけた精霊と、はじめて二人きりで向かい合うことになった。
「ごめんなさい」
「ありがとう」
二人同時に話した言葉は、お互いの本心なのがわかった。
和解が成立した。
「「よろしくお願いします」」
ぼくたちはこれから、ぼくが死ぬまで一緒に過ごすことになるのだ。
仲良くやっていかないといけない。
それから、名前を決めるために好きな花は何かとか、好みの遊びは何かなど、聞き取りをしてから、名前を決めた。
「君の名前は■■■■■■だ」
「私の名前は■■■■■■です」
お互いに名前を言ったとき、美少女妖精型の精霊からやわらかな光が発せられ、徐々にその光は強くなり、カッとまばゆい閃光になった。そして、その光が落ち着いた時、名づけの儀式が終わったんだとわかった。
普段呼ぶニックネームはシロになった。
ぼくにはしっぽをちぎれんばかりに振っている犬のようなイメージが強かったからこうなった。
おまけ ~わたしのなまえ~
上級精霊様は涼しい顔で激怒されていた。
……ミジンコの栄養素になるのは時間の問題……。
正体を現すことを大概の中級精霊は嫌がるわ。
だって、とても小さいから侮られるのよ。
小さいものが全て妖精ではないのよ。
小さいけれど立派な精霊なのよ。
まあ、そのまま妖精になる子もいるけどね。
…笑われないような、精霊の姿は……。
ああ、カイルの好みの見た目にしなくては。
カイルが綺麗と評価する顔は……。
上級精霊様が一位っぽいけれど、似せるなんて、烏滸がましいわ。
ジェニエ、ジーン、ユナ、キャロ……。
全部合わせて混ぜてしまえ!
私、可愛い精霊のビジュアルになったかしら。
えっ!
未来のカイルのお嫁さんに誤解されるビジュアルですって!!
そうね。キャロを混ぜてしまったせいで、少々幼顔になってしまったわ。
“ご主人様にロリコン疑惑をもたらすつもりか!”
スライムが激おこになってしまった。
通常は同性になるものですって。
だって…カイルの好みになりたかったんだもん!
名付け親になってくれるのなら、カイルと生涯を共にできるじゃない!!
“罰になっていないよ!それじゃあ、ご褒美じゃん!!”
ふふふふふ。
名付けの前に私の好みを聞いてくれるなんて、カイルはやっぱりいい子ね。
名付けの儀式は荘厳な光に包まれて、とても幸せだったわ。
えっ!
なんでしょう。
白い、もこもこの犬のイメージが湧いてきます。
命令に忠実な犬になれと言うのですね。
わかりました。
どんな命令にも「わん」と一言できく、忠犬になってみせましょう。




