キャロお嬢様の口撃
離宮の応接間にキャロお嬢様たちが通されると中には皇帝と第三夫人が着席していた。キャロお嬢様を見た第三夫人は皇帝の存在を忘れたかのように満面の笑みで立ち上がると、キャロお嬢様は目で第三夫人を制し皇帝に向かって微笑んだ。
『お初にお目にかかります。ガンガイル王国ガンガイル領孫娘のキャロラインと申します。本日、大叔母アメリアとの面会をお許しいただき、たいへん感謝しております。皇帝陛下、アメリア大叔母様』
スカートを摘まんで優雅に一礼してから、つらつらと自己紹介をし始めたキャロお嬢様は、第三夫人を大叔母と呼んで称号をつけなかった。
『まあ、キャロライン。ご丁寧なあいさつをありがとう。でも、お手紙で何度もやり取りをしていたので、初対面な気がしませんわ。リアと呼んでください。大叔母様なんて言われると、お婆ちゃんになった気がするもの。私もキャロと呼んでもかまわないかしら?』
何度も内密で面会していた第三夫人は自分には小芝居ができないと踏んだのか、はなから気さくに接する手段にでて、キャロお嬢様をハグした。
『ええ、リア叔母様。お元気そうで一安心しました』
『キャロはお姉様の面影があって懐かしいわ』
『私はお婆様にリア叔母様に似ている、とよく言われます』
まあ、と言った第三夫人がキャロお嬢様を更にギュッと抱き寄せると、第三夫人を独占し続けていた皇帝の表情が優しくほころんだ。
今まで第三夫人の身内の誰にも会わせなかった皇帝が、第三夫人が姪孫を強く抱きしめているのを、微笑ましく見るなんて、寮内の誰も想像できなかったので、食い入るように画面を見ていたぼくたちはポカンとした。
『キャロライン姫のドレスは君が魔法学校の実習で訪れた湖畔の宿舎を抜け出して栗の木の上で本を読んでいた時のドレスに似ているね』
『まあ、私の少女時代のドレスに似ているけれど……魔法学校の実習先では制服を着用していましたわ。……湖畔の実習の時はまだ陛下はガンガイル王国に留学されていなかったはずではありませんか?』
『ハハハ、そうだったかい?私は早めにガンガイル王国に入国して……君を見つけて……眺めていたよ』
第三夫人の突っ込みに、皇帝がしどろもどろになって回想した。
『湖畔の実習とは、お婆様が湖に落ちそうになったあれですか?』
『私はキャロのように飛び級はしていませんから、その次の年に行きましたわ』
「時間軸がおかしいですね。野外実習を行うのは中級魔法学校の課程ですよね。キャロライン嬢のドレスはアメリア王女の物を作り直しているのですよ。飛び級していないのでしたらサイズ的に野外実習に行く学年にしては小さすぎます」
ケインの指摘に、オーレンハイム卿夫人が頷いた。
「そうですわ。元のドレスはキャロライン嬢がお召しになるには少し小さくて、一旦ほどいてから布を増やして大きく作り直しています。そもそも、夏のドレスを着る時期なんて魔法学校は休校期間ですもの。この話はおかしいです」
「公式記録では皇帝陛下がガンガイル王国に短期留学したのは中級魔法学校の二年目だったはずで、辺境伯領夫人の帝国留学の準備を進めていた時期だ。皇帝陛下がアメリア伯母上を攫ってしまったことで、辺境伯領夫人の当時の皇太子との婚約内定が立ち消えになり、アメリア大叔母上が現皇帝と婚約が内定したため、留学もアメリア大叔母上がすることになったんだ。明らかに、密入国してアメリア大叔母上を見初めたんだな」
談話室で映像を見ていた全員が頷いた、と思いきや、ウィルは黙って画面の中のクレメント夫人を凝視していた。
幼いころの第三夫人の面影があるキャロお嬢様と第三夫人が楽しそうにガンガイル王国の王族の話をしている様子を、顔をほころばせて見ている皇帝を見るクレメント夫人は、無表情ながら怒りで目元が痙攣を起こしそうになっていた。
クレメント夫人と並び立つ女子寮監ワイルドがクレメント夫人の静かな殺気を緩和しているようで、皇帝の横に控えている女性護衛は、そんなクレメント夫人に警戒していなかった。
“……ご主人様。ワイルド上級精霊によってクレメントの殺気は、はしゃぎすぎる姫を心配するばあやの眼差し、に転換されています”
離宮の応接室の雰囲気が和やかなのは上級精霊のお陰なのか。
「まあ、うん十年前に当時、帝国の第二皇子で第一皇子を排して現皇帝にのし上がった陛下が密入国をしていた、なんて、皇帝即位の派兵が南進ではなく北進を画策していたのではないか、と考えたら、空恐ろしいですね」
「アメリア王女に一目ぼれしてくれてよかった、と言いたくなってしまいますね」
寮長とオーレンハイム卿の言葉に寮生たちは頷いた。
実際は、北進を検討していたというより、ガンガイル王国で生まれ変わっている第三夫人を探していたのだろう。
『リア叔母様は帝都に留学されてもガンガイル王国寮に入寮されなかったと聞きましたが、帝都のガンガイル王国寮は素敵な寮ですので残念です』
キャロお嬢様は大胆にも婚約が内定していたとはいえ、魔法学校時代から囲い込んだ皇帝を暗に批判した。
席についたキャロお嬢様たちにお茶を用意していた使用人たちの手がカタカタと震えると、すかさずミーアとアドニスが交代した。
『フフ。ちょっとした事情があったのです。私はキャロのおじい様と内定していた婚約を破談にして帝国留学をしましたから、棟が分かれているとはいえ、ガンガイル王国寮に入寮するわけにはいかなかったのです』
第三夫人は皇帝を見遣ってそう言うと、キャロお嬢様はなおも食い下がった。
『そうでしたか。私はまだ何も内定していないので思慮が及びませんでしたわ。ですが、お婆様はリア叔母様の花嫁衣装の布まで用意していたのに一時帰国さえなかったことを、いまだに嘆いています。今日の献上品の中にその布が含まれていますから、何か衣装を仕立ててくださいませ』
キャロお嬢様はそう言うと、平然としてミーアが入れたお茶を口にした。
『ええ、そうですね。お姉様の見立ててくださった布で何か記念になる衣装を仕立ててみたいですわ』
第三夫人が嬉しそうに話すと、そうだな、と皇帝は気分を害した様子もなく、ただ、第三夫人が喜んでいる姿を嬉しそうに見ていた。
アドニスはそんな皇帝のそばにくると、本日のお菓子です、と午前中に届けたケーキを淡々と説明した。
『ガンガイル王国で大評判で、帝都でも好評を博している元飛竜騎士のパティシエ、イシマールを招き、特別に制作していただきました。本日のご面会を記念して、七大神にちなんだケーキをご用意いたしました。闇の神のチーズケーキ、光の神のクラッシュゼリー、火の神のベリーケーキ、空の神のムースケーキ、風の神の綿あめのボールケーキ、水の神の水羊羹、土の神の木の実タルトです。お召し上がり方は……』
第三皇子夫妻の面影と両方の髪色を引き継いでいるアドニスが一つ一つのケーキの説明をしているのに、皇帝はアドニスに注意を止めることがない。
二色の髪色の子どもが第三皇子夫妻に誕生したことを皇帝が知らないはずがない。
まして、死んだと思っていたその子が生きていて皇籍をどうするのか、という話を第三皇子は皇帝に相談しているはずで、現在ガンガイル王国寮にいることを知らないはずがない。
それなのに、アドニスを全く気にかけないのはどういうことなのだろう。
確かに、今日はキャロお嬢様もミーアも髪色の違うエクステをつけているが、我が子によく似た孫に気が付かないなんておかしい。
「ミーアやアドニスが空気みたいに存在感なく振舞えているのは従者として大正解なのですが、この場合は何とも言えず、複雑な胸中になります」
女子寮監の言葉に、祖父に気付いてもらえないアドニスの心境を思いやる寮生たちは頷いた。
「……皇帝陛下は第三夫人に関わること以外、まったく興味がない状態なのでしょうね」
こんな重たい愛は嫌だな、とオーレンハイム卿が呟くと、オーレンハイム卿夫人とお婆も頷いた。
お菓子を口にして、美味しい、と顔を見合わせる老夫婦に微笑みかけたキャロお嬢様の口撃はやまなかった。
『本日、私の付き添いをしてくださっていますのは、幼馴染のミーアとガンガイル王国寮に身を寄せていらっしゃいますアドニスと申します』
キャロお嬢様が突如として付き添いの少女の紹介を始めると、いやおうなしに皇帝はアドニスの顔を見ることになった。
そうか、と言っただけでケーキに視線を落とした皇帝にキャロお嬢様の頬が引きつった。
『こうして皇帝陛下にお目通りが叶うことになりましたので、我が寮の客人をご紹介させてくださいませ。第三皇子殿下長女のシシリア姫です。死亡扱いになっているシシリア姫の名を名乗ることなく、我が寮に身を寄せていらっしゃいますが、公式に宮廷を訪れる機会を待つより、いち早く陛下にご紹介させていただきたく、このような形をとらせていただきました』
皇帝は再び視線をアドニスに向けたが表情は何一つ変わることがなかった。
『そうか、其方がシシリアか。其方が希望すれば皇籍を復帰させても良いが、希望していないと聞いている。好きにしたらよい』
『そういうところが、気に入らないのです!』
素っ気ない口調の皇帝に切れたのは、キャロお嬢様でもアドニスでもなく第三夫人の方だった。
『陛下が皇帝に即位されれば、複数の夫人を娶ることになるのは王女として生まれた私は全く気にならない、と何度も言っているではありませんか。複数の夫人たちと仲良くする気はありませんが、お子さんたちは別です。あなたの子どもたちは私の子どもたちと同然です。その孫なのですから、シシリア姫、いえ、アドニスは私の孫です!』
夫婦喧嘩が始まるのかと思いきや、盛大なのろけ話の後、アドニスを孫宣言した第三夫人に離宮の応接室にいる全員が驚愕の眼差しを向けた。
アドニスに視線を向けた第三夫人は、大変な目に遭ったのでしょうね、とアドニスに手を差し伸べた。
狼狽えるアドニスにキャロお嬢様が、さあ、お手をお取りください、と声を掛けた。
血のつながりがある祖父に無視され続けていたのに、血縁関係のない第三夫人に思いがけず優しい言葉を掛けられたアドニスは目に涙が滲んでいた。
『これからアドニスが幸せになるために私も微力ながら力添えをしますね』
アドニスの手を握る手にもう片方の手を添えた第三夫人に、ありがとうございます、とアドニスが感激に震える声で言った。
『帝国の常識は存じ上げませんが、ガンガイル王国では実子も側室の子も平等に受け入れることを王妃の器として求められます。そうはいっても、できない方がいるのも事実です。そうですね、リア叔母様のおっしゃるように、愛する人の子どもを愛せばいいのですわね。だから、ガンガイル王国王家は恋愛結婚を推奨するのでしょうね』
キャロお嬢様の言葉に第三夫人が頷き、厳しい目で皇帝を見た。
『恋愛結婚が推奨されるガンガイル王国王家では婚約内定、というのは家と家の約束があります、ということを明確に社交界に示すだけであって、本人の希望が優先されるのです。私を攫わなくても両親を説得できると何度も説明したのに、さっさと実力行使に出るから、結婚前に姉妹で恋バナをする機会さえなく、読書にはけ口を求めるようになったのですよ!』
『いや、幼少期から礼儀作法の授業を抜け出して木登りをして隠れて読書をするくらい本好きだったじゃないか!』
『読書も好きですが姉妹の語らいも大好きでした!私のことを勝手に決めてかからないでくださいまし!』
犬も食わない夫婦喧嘩が再び勃発するとキャロお嬢様が便乗した。
『リア叔母様は少し外出した方がいいのです!離宮のお外にお出かけにならないから、ご気分がすぐれない日々が続くのでしょう。本日、リア叔母様にお披露目するお芝居は、劇団さそり座の新作とは少し違う脚本をノーラ女史に書き下ろしていただきました。ですから、ノーラ叔母様と一緒に観劇したいので、劇団さそり座の新作の脚本は私も読んでいません』
読んでいたはずなのにしれっとした顔でキャロお嬢さまは言い切った。
『まあ!それは素敵ね!楽しみですわ!絶対行きます!』
内密に外出している第三夫人は何の抵抗感もなくキャロお嬢様の誘いに即答した。
皇帝が首を横に振ると、第三夫人は屈託のない笑顔で爆弾発言をした。
『陛下がそんな頑な態度をされるのでしたら、わたくし、実家に帰らせていただきます!』
通常の夫婦喧嘩ならよく出てくる言葉だろうが、この夫婦でその言葉が出ると、どうなってしまうのだろう!?




