面会までの道のり
キャロお嬢様と第三夫人の面会日は午後のお茶の時間に離宮を訪問する予定なのに、当日の朝から寮は大騒ぎだった。
面会の成功を祈願して早朝から祠巡りを何周もする寮生たちや、寮の中庭の精霊神の像に祈り続ける寮生たちは、本館に漂う緊張感に耐えられないから外に出ているのか、と思うほど寮内はピリピリしていた。
数々の献上品は検査を受けるため午前中のうちに宮廷内に届けるため寮生たちも手伝っていた。
キャロお嬢様が持参する予定だった手土産のケーキまで午前中のうちに納品してほしいと急遽、注文が入り、イシマールさんが寮の厨房で慌てて仕上げをする手伝いを飾り細工が得意なぼくとケインとウィルでする羽目になった。
「どうしてこう、嫌がらせのように事前の打ち合わせと違う指示を当日に出すんだろう」
ケインが眉を顰めると、ハルトおじさんが笑った。
「私が交渉した役人はガンガイル王国王族として丁重に扱ってくれたが、その下の下に面白く思わない人物が混ざっているからだろう。叱責の手紙を送っておいたよ」
対外国には争いを避ける傾向があったガンガイル王国は、今までは多少な不躾な対応をされても強く抗議して揉めるのを避けていた。
そんな対応だったから北の端っこの国として軽んじられていた。
帝国の流儀なら殴られたら殴り返さなければ服従したことになる。
完全独立国で、かつて帝国との戦争で勝利した歴史を持ちながら、言い返さないガンガイル王国を属国か何かだと勘違いしていた貴族たちの中に、いまだ意識改革ができない連中がいるのだろう。
今回の面談は細かい交渉までハルトおじさんが介入して目を光らせているので、寮長の抗議、ハルトおじさんの抗議、本国から正式な遺憾の意、と段階を踏んで交渉に臨んでいたが、当日に急遽変更を要求してきたことで第一段階を飛ばすようだ。
そんな騒動も面会に行くキャロお嬢様やクレメント氏の準備を妨げることなく、支度を終えて談話室に現れた二人は、下に芝居用の衣装を着用していることを感じさせないすらりと細身に見えるのに豪華なふくらみのあるドレスを着こなしていた。
「二人ともとても似合っています。上半身が体のラインに沿っていて腰のあたりから膨らむデザインなので、クレメント夫人は丸みのある骨格のような錯覚をしてしまいますね」
ケインの率直な感想に、先にクレメント氏を褒めるのか!とキャロお嬢様に睨まれた。
いや、だって、クレメント氏の立ち居振る舞いは、ジョージが男装の女性かと勘違いするほど女性らしい所作になっていたが、あくまで外見は男性そのものだったのだ。
それが、お姫様の帝国留学を心配した婆やが遠い異国までついてきた老貴婦人の雰囲気を完璧に醸しているのだから、真っ先に驚愕の言葉が出るのは仕方がない。
女子寮監はまじまじとクレメント夫人の化粧を見て感心している。
ミーアが目力で、キャロお嬢様を褒めろ、とケインに訴えた。
「キャロお嬢様のドレスは腰が膨らむように骨組みになる物が何か入っているようだけど……」
「ぼくたちの祖母の時代に流行った夏のドレスの型を取り入れつつ現代的で、キャロライン嬢の今日の髪形の雰囲気によくあっています。とても綺麗ですよ」
褒めろ、と圧がかかっているのにもかかわらず、ケインが軽量型のドレスの構造について質問しそうになったので、いたたまれなくなったウィルが口を挟んだ。
「そうでしょう。アメリア大叔母様の少女時代のドレスに手を加えましたの。髪型も当時の大叔母様に寄せましたのよ。それでも、時代遅れにならないようにレースや色遣いに気を使いましたのよ」
「ドレスに合わせた今日の髪色も素敵ですよ」
褒めるべきポイントを押さえたウィルの返しにキャロお嬢様は満面の笑みを見せ、ミーアは残念な子を見るようにケインを見た。
父さんは母さんが外出着に着替えた時は必ずべた褒めしているのに、なぜケインはそこを影響されなかったのだろう。
“……魔術具すれすれの魔法陣を施されたドレスだから、これはさすがの父さんもそっちに目が行ってしまうかもしれないよ”
この状況を面白がりながらも兄貴が指摘したように、ドレスを膨らませる骨組みにかなりたくさんの魔法陣が施されている気配がする。
「アドニスとミーアも色違いのお揃いのデザインで、それぞれの顔色を明るく見せる配色がとても似合っていますよ。髪色にお互いの色を混ぜているのもよく似合います」
誉め言葉がつらつらと出てくるウィルをぼくとケインはあんぐりと口を開けて見つめた。
“……ご主人様。磁器人形のように美しい幼児だったウィルは、ラウンドール公爵夫人に着せ替え人形のように着飾らせられて、たくさんのお茶会に引っ張り出された経験から、ご婦人たちの外出着を褒める要所を的確に押さえることにたけています”
冷笑の貴公子と呼ばれていた頃のウィルの逸話をシロが暴露すると、ぼくとケインは顔を見合わせて、経験値が違う、と頷いた。
「では、参りましょうか」
存在感を消していた女子寮監に扮したワイルドが、出発の時間だと告げると、その美貌を抑えるためにあえてくすんだグレーを基調にしたドレスにしたのでは、と思わせるほど控えめな指導員らしい装いなのにもかかわらず、絶世の美女になっていた。
女装の上級精霊の姿に、ない目をハートにした雰囲気を醸し出しているぼくのスライムに、後は頼みましたよ、と女子寮監ワイルドが声を掛けると、ぼくのスライムは喜びに体を小刻みに震わせた。
本物の女子寮監もうっとりとした目で女子寮監ワイルドに話しかけた。
「お嬢様方をよろしくお願いします」
頭を下げた女子寮監に続いて寮長とハルトおじさんまで頭を下げた。
アリスの馬車に乗り込むキャロお嬢さまたちを見送ると、ぼくたちは談話室に集合し、女子寮監ワイルドが精霊言語で送ってくる映像を見る態勢を整えた。
今日の面会に水竜の魔獣カードの発売がかかっていることを知っている市民たちは、おなじみのアリスの馬車を、まるで凱旋パレードを見に来たかのように通りの両側で待ち構えており、馬車に向かって手を振った。
王族スマイルを浮かべたキャロお嬢様が、お洒落なレースの手袋に包まれた手をゆっくりと振ると、高貴なお姫様が一般市民に手を振ってくれた!と市民たちの中には感極まって涙を浮かべる人もいた。
その高貴なお姫様は毎朝、男装で祠巡りのために走り込んでいるのだが、装いが違うと気付かないようだ。
午前中にハルトおじさんが喝を入れたのが功を奏したのか、アリスの馬車が宮殿の正門に向かう直線に入った段階で、正門前にずらりと並ぶ衛兵たちの姿が見えた。
「最上級の出迎えを受けているな」
ハルトおじさんの言葉に、卒業記念パーティーで宮殿に行った時とは比べものにならない衛兵の数にぼくたちは頷いた。
「衛兵が多すぎて、馬車でそのまま離宮に向かうルートまでわかりますね」
パレードの終着点のような出迎えに、はあ、とぼくたちは息を吐いた。
「なるほど。ガンガイル王国の威光を示すかのように献上品を積んだ馬車が何台も続くとでも考えて、先に納品しろと注文を付けたのでしょう」
「収納の魔術具で持っていくから一台で十分なのに、あほか!」
寮長の言葉に頷きながら呆れたようにハルトおじさんが言った。
献上品のほとんどが、嫁入り道具を持たせられなかったガンガイル王家から、第三夫人への贈り物で、離宮で取り出しやすいように目録順に収納するのに手間がかかっただけだ。
アリスの馬車が正門に入るなり敬礼の姿勢をとる衛兵たちが、まるで馬車の速度に合わせて波のように動いていく姿は、実に壮観だった。
「友好国の姫君を迎え入れるにしても派手な演出ですね」
「キャロお嬢様は王位継承権のある王族で、まだ決まっていない次期皇太子の最有力妃候補だからでしょうか?」
寮生たちの質問にハルトおじさんは首を傾げた。
「どうだろう。それにしては大袈裟だ。南方戦争終結後、北に攻め入る意思はない、ということの表明なのか?」
ここまで派手に出迎えられたら、いくら戦争好きの皇帝とはいえ、南の次に北に攻め入ることがないことを明言しているとも取れなくもない。
「現皇帝陛下がまだ皇太子でもなかった時代に、ガンガイル王国王家に報告もなく、ほとんどだまし討ちのようにアメリア王女殿下と秘密裏に結婚式を挙げた代償として、ここまで派手な出迎えの演出にしたのでしょうかね」
しみじみと兄貴が言うと、ハルトおじさんが額をピシャリと叩いて言った。
「それじゃあまるで、本人不在のご成婚パレードのようなものになるじゃないか!」
「御子を授からなかったから第三夫人に格下げされていますが、教会で結婚式を挙げたのはアメリア第三夫人しかいない、ということを宮廷内に誇示しているのでしょうかねぇ」
寮長の推測に、他の夫人たちは結婚式を挙げていないのね!と女子寮生たちが驚いた。
「そうですわ。他の夫人たちのご成婚の披露宴を大々的にした話は聞いたことがありますが、結婚式の話は全く聞いたことがありません」
オーレンハイム卿夫人が帝国社交界で小耳に挟んだことがない、ということは本当に行われなかったのだろう。
「そうだな。ガンガイル王国でも、国王陛下の神前結婚式は妃殿下の時だけで、側室を娶る時は披露宴しかしないな」
神々の前で永遠の愛を誓うのは本妻だけらしい。
「まあ、では、この大袈裟なお出迎えで、アメリア第三夫人が事実上の正妻だと皇帝陛下がお示しになったということになるではありませんか!」
オーレンハイム卿夫人が華やいだ声で言うと、それで嫌がらせを受けたのか、とハルトおじさんと寮長が顔を見合わせた。
アリスの馬車が宮廷敷地内を進むと、衛兵たちの次に職員たちの敬礼の列が離宮の手前の馬車の停留所まで続いていた。
「これはさぞかし他の夫人たちは歯がゆい思いをしているだろうな」
ぼそりと呟いたハルトおじさんの言葉に、ぼくたち全員が頷いた。
離宮の停車場で待ち受けていた従業員たちが馬車が停車すると一斉に傅くと、馬車に向かって恭しく一礼した衛兵が扉に駆け寄った。
素早く下車した御者が衛兵の動線を遮り、馬車の扉に手をかざすだけで扉が開いた。
ミーアとアドニスが先に降り、キャロお嬢様をエスコートするようにアドニスが手を差し出した。
アドニスの手をとって下車したキャロお嬢様の背後にオーレンハイム夫人と女子寮監ワイルドが控えた。
傅く従業員の奥から一人の女性が立ち上がると、寮長とハルトおじさんが画面上の女性に指をさした。
「このご婦人は離宮の執事です」
第三夫人の離宮では執事から庭師まですべて女性だ、と寮長が説明した。
離宮の執事に先導されてキャロルたちは離宮の敷地内へと歩き出した。
「いよいよ御対面かと思うと、手に汗が出てくる」
ハルトおじさんの言葉にぼくたちは頷いた。




