増える課題
「声に出さなければ大丈夫だと油断せず、新入生の挨拶の草稿は訓練所で考案することにしてくれよ」
寮内のいたるところで魔法が発動すると大迷惑だ、と寮長は念を押した。
無詠唱魔法なんて無理、と言いかけたケインは、光影の武器を無詠唱で出現させるぼくとぼくのスライムを見て口を閉ざした。
あれは邪神の欠片がそばにあるとほぼ強制的に出現できるものなので無詠唱魔法を自在に使いこなすこととはちょっと違う。
わかりました、と新入生たちが元気よく返事をすると寮長は、頼んだぞ、とケインにさらに念を押した。
就寝時間の直前まで訓練所の使用許可を寮長から取り付けるたケインは、協力してよね、と言ってぼくを見た。
可愛い弟の頼みとあれば断れない。
ジト目でケインとぼくを見るウィルの圧力に押されたぼくは、初級魔導士に合格した兄貴とウィルとボリスで新入生の面倒を見る、という方向に話を持っていった。
「それで、芝居の猛特訓をするキャロお嬢様とクレメント氏にミーアが付き合うことにして、他の新入生たちと今年の新入生の挨拶を考えることになったのね。予測できた事態とはいえ、また慌ただしいことになったのね」
キール王子のための回復薬を調合するため辺境伯寮に帰っていたお婆が、オムライス祭りの後の顛末を聞いて笑った。
ぼくたちは就寝時間ギリギリまで研究所で聖典から引用する言葉集めをしていたが、キャロお嬢様は第三夫人への返信の手紙を書く都合もあって早々に自室にこもってしまったこともあって、朝食の席でクレメント氏と綿密な打ち合わせをしていた。
「それで、キール王子のお加減はどうなっているのですか?」
ウィルはぼくたちと入れ替わるように辺境伯領に戻っていたお婆にキール王子の状況を尋ねた。
「ジーンの魔術具で身体強化の魔力使用量を強制的に抑えた後に服用する回復薬もキール王子の現状に最適なものを用意できたので、少ない負担でリハビリできています。精神安定のために、しばらくの間、三つ子たちが領城に泊り込んでキール王子と不死鳥の貴公子の仲を取り持つことになりましたし、エリザベス姫も滞在を延長なさって、アリサと過ごすそうです」
エリザベスが辺境伯領に長期滞在することになったことにウィルが満面の笑みになった。
「オムライス祭りの検証で洗礼式の踊りが魔法行使に影響があるとわかる前でしたが、教会内の隠れ魔法陣が洗礼式の踊りで作動することに興味を持たれたラウンドール公爵夫妻の意向もあって、エリザベス姫の滞在の延長が決まったのです。王太子殿下のご子息は辺境伯領に婿入りするのではないか、という噂が社交界の一部で囁かれているため予定通り帰京なさいました」
次世代の皇太子の決定に嘴を挟みたい国内貴族の噂話のせいで予定変更ができなかったが、ハロハロは息子の洗礼式を王都の教会で踊り付きで実施する意向があるようで、帝都で講習会を開くことを画策しているらしい、とお婆は続けた。
「学習館の子どもたちを帝都に招待して、子どもたち同士交流することを検討しているらしいのですが、国内の有力貴族が快く思っていないようなので、難航しているらしいです」
帝国南部で名をあげたハロハロだが、ガンガイル王国国内全域での支持をまだ得ていないようで、躍進に辺境伯領に頼り切りな印象があり、洗礼式で辺境伯領の風習を持ち込むことに有力貴族の抵抗があるようだった。
ほんの数年前までアホな王太子だったハロハロの人望は、まだそう簡単には上がらないようだ。
デイジーがガンガイル王国に入国拒否されるのは、まだ国内で馬鹿になる飴が使用された問題の尾ひれが残っているのだから致し方ない。
「帝都の教会のことはわかりませんが、ラウンドール公爵領の領都の教会は大広間に魔法陣があるかどうかも怪しいので、エリザベスが踊りを覚えて帰っても教会が光るかどうかはわかりませんね」
ラウンドール公爵領都はラウンドール王国が戦争に敗北して領地が分断され、ガンガイル王国に併合されてから遷都した領都なので、教会に古い魔法陣がないかもしれない、とウィルは考えていた。
「教会の設計者次第ではないかな?飛竜の里の教会では王族の司祭が新しい教会を作っていたけど、洗礼式で光った話は聞いていないよね?」
「辺境伯領以外で洗礼式に子どもたちが踊る話はないじゃないか!」
兄貴の疑問にウィルが即答した。
「試してみたら光るかもしれない、ということかい?」
「飛竜の里の司祭が用途は知らなくても教会にあるべき魔法陣と認識して施している可能性はあるよね」
ケインと兄貴のやり取りに従者ワイルドが頷いた。
ということは、飛竜の里の教会に隠し魔法陣があるのだろう。
「キール王子の容体がよくなったら、飛竜の里の教会で子どもたちに洗礼式の踊りの練習をさせてもらいましょうか?」
ぼくたちと親しい人しかいない飛竜の里では融通が利くだろうとお婆が提案した。
「ラウンドール公爵領の今年の洗礼式には間に合わないだろうけれど、飛竜の里の司祭が洗礼式の魔法陣を描けるのなら、ラウンドール公爵領都の教会に魔法陣がなかったとしたら描いてほしいところだなぁ」
自領の発展を願うウィルは教会に魔法陣がなくても新設できる可能性があることに期待を寄せた。
「あらまあ、エリザベス姫への過剰な期待になりますから、そんなに焦らないでくださいね」
一年で洗礼式の踊りを覚えるだけで大変なのに新設した魔法陣を光らせなくてはならないプレッシャーをかけるな、とお婆はウィルに念を押した。
「そうですね。ぼくは帝都の屋敷に司祭を呼びつけて一人でぬくぬくと洗礼式をしたのですから、エリザベスに期待しすぎてもいけませんね」
食堂にいたラウンドール公爵領出身の寮生たちはウィルが納得したことに安堵したように胸をなでおろした。
「辺境伯寮生たちの支援がなければ、帝都の魔法学校で寮生たち全員が躍進することは難しかったでしょう」
「ラウンドール公爵領ではエリザベス姫以外、辺境伯領の子どもたちと交流がない状態で、集団で踊るとはいえ魔法陣を起動させるのは大変なことですよ」
ボリスの友人のラウンドール公爵領出身者とラウンドール公爵家の分家のケニーが、しみじみと言った。
「オムライス祭りで俺がアーロンを呼んだのは、魔力量に差がある状態で洗礼式の踊りをすると魔力枯渇を起こして失神寸前になるからなんだよねぇ」
ボリスが打ち明けると、ぼくと洗礼式の踊りで光の神役になった寮生が恥ずかしそうに頷いた。
「毎年、洗礼式の踊りをしている辺境伯領でもそんな事故が起こるなら、初めて洗礼式の踊りをする教会では司祭に経験者がいた方がいいのか……」
ウィルの言葉に辺境伯領出身者たちは頷いた。
「洗礼式の踊りの時は保護者は大広間に入れないので、何かあったら処置のできる教会関係者がいないと大騒ぎになるよ。ぼくの時は女神役で恥ずかしかったことと、光の神に選ばれた誇らしさで最初は興奮していたんだけど、そのうち姿勢を保つことが辛くなって……」
洗礼式で光の神役で倒れた寮生が、気力だけで踊り続けた自分の体験談を赤裸々に語りだした。
ウィルだけでなく寮長とハルトおじさんも、貴重な体験談だ、と聞き入った。
「カイル兄さんの洗礼式の鐘の音が特段大きかった記憶がなかったけど、闇の神役になった、ということはそれなりに大きな鐘の音だったのかな?」
辺境伯領の司祭が配役のバランスを間違えたのはそれほど鐘の音に差がなかったからではないか?とケインが尋ねたが、ぼくは鐘の音の違いを覚えていなかった。
「みんなとそれほど差はなかったんじゃないかな?」
ぼくの発言に同級生たちが首を横に振った。
「水晶の光り方はわからなかったけれど、鐘の音が一番大きかったのはカイルだったから、カイルが闇の神役だろうとみんな予想していたよ」
「あの、ジュエルさんの養子とはいえ、山奥の田舎の農夫の息子のカイルの魔力量が貴族の子どもたちよりずば抜けて多い、と司祭たちが判断できなかったから人数調整を間違えたんだと思うよ」
同級生の発言を聞いたボリスの推測に居合わせた全員が頷いた。
「実際、キャロお嬢様とケインの年は、光と闇の神の役をやったキャロお嬢様とケイン以外の残りの五つの神の役の子どもたちは複数人で一つの神の役を担当することになったもん」
ケインの同級生の言葉に、そうか!とウィルは合点がいったようで掌を拳でパンと叩いた。
「洗礼式の踊りの場に子どもたちと教会関係者以外出入り禁止なのは、子どもの身分や出自に関わらず当時の魔力量で配役が決まるから、身分や地位や金に物を言わせて保護者が配役に介入しないようにしているのか!」
「うーん。そうだよね。保護者が会場にいたらどうしても忖度せざる得ない子どももいるだろうね」
「……保護者が会場にいなくても忖度したくなることもあるだろうね」
寮長とハルトおじさんは気まずそうに顔を見合わせた。
不死鳥の貴公子と三つ子たちの洗礼式では誰が闇の神役になるのか、気になる所だが、辺境伯領主エドモンドも次期領主セオドアも強要はしないだろうけれど、司祭たちには頭痛の種だろう。
「洗礼式の踊りが廃れた理由がなんとなくわかってきた。エリザベスが光の神の役に選ばれなかったら、七歳の時の魔力量なんて気にするな、と励ましても本人はそうとう気にするだろうな。いや、本人以上に騒ぐ連中がいそうだな」
ウィルは自領で洗礼式の踊りが受け入れられないかもしれない理由に気付いて溜息をついた。
「洗礼式の魔力量なんて本来、人生に影響するようなものじゃないはずなのですよ。ジュエルもジャニスもジェイも平民の子どもらしい、カランカランとした軽い鐘の音でしたが、上級魔法学校に進学できる魔力量に成長しましたわ。まあ、ジャニスはパン屋になりたかったから初級魔法学校だけで、その後は商業科に進学しましたわね」
寮生たちはお婆の話に聞き入りながらジェイ叔父さんを見て、うんうん、と頷いた。
ジェイ叔父さんは光る苔の洞窟の水を飲んで魔力量を増やしたけれど、帝国留学して上級魔法学校に進学できる魔力量は自力で身につけたものだ。
「すべての神の役を複数人でバランスをとると、洗礼式で鐘さえ鳴らせば忖度が必要な子どもでも、忖度だとバレずに七大神の役を踊れるんじゃないかな?」
主役がたくさんいる学芸会の劇みたいだが、魔法陣に魔力奉納をする全体の魔力量は変わらないのだから、神々はお許しになるような気がする。
「待て!七大神の役の子どもと眷属神役の子どもが同じ神の役をすると、魔力の多い子につられてたくさんの魔力を奉納することになり、魔力の少ない子が魔力枯渇を起こしかねない!」
ハルトおじさんがぼくの案に待ったをかけた。
「騎士課程の留学生たちで検証してみたらどうでしょう?魔力枯渇寸前の訓練を受けたことがあるから、自分の限界が来る前兆を理解しているので、多少のことは大丈夫ですよ」
ボリスの提案にハルトおじさんが含みのある笑みを見せた。
「うむ。面白そうだな。飛竜の里の教会で検証できるように調整してみよう」
新入生の挨拶を考案しない寮生たちは手が空いている、と決め込んだハルトおじさんは寮生たちを内密に帰国させて検証しようと企んだ。
ボリスは言い出しっぺということで、洗礼式の踊りの検証の方に行くことが決まり、一時帰国を喜びつつも、新学期前の課題が増えた、とこぼした。
自業自得なボリスの愚痴に寮生たちから笑い声が起こった。




