ハントの報告
教会の正面玄関には早朝礼拝用の祭壇の隣にオムライス祭りの臨時屋台の用意がしてあった。
今年のオムライス祭りは教会が取り仕切るのでぼくたちが準備に奔走する必要がないし、孤児院の改装が済んでいるのでスライムハウスを作る予定もない。
それでも関係者として裏口から入れてもらい早朝礼拝を終わらせたぼくたちは、一旦寮に帰ってから出直すことにした。
「帝都での鎮魂の儀式で都市型瘴気が分解された、という憲兵の報告が上がっているらしいですね」
朝食の席にやってきたオーレンハイム卿が最新の情報を寮長とハルトおじさんに報告した。
「ガンガイル王国では各地の教会で一斉に鎮魂の儀式を行ったので、国内各地の地方都市ばかりではなく森の方角からも精霊たちがさまよえる魂たちを天界の門にいざなうように飛翔した、という速報が各地の騎士団から上がっている。山間部の死霊系魔獣の弱体化につながるのでは、という見方も出ている」
本国からの報告をハルトおじさんがすると、従者ワイルドが頷いた。
「裸で逃亡中のヘンタイは消息を絶ったままだが、奴が人里離れた教会跡地に逃亡していても死霊系魔獣が弱体化しているなら生き延びている可能性が高い、と辺境伯領騎士団では判断し、引き続き重点的に捜索をするそうだ」
寮長が一晩明けた辺境伯領の報告を端的にした。
「辺境伯領の小さな招待客たちは、領城の露天風呂から鎮魂の儀式の精霊たちの飛翔をご覧になったようだ。今日の予定は、昨日の騒動で中止になった噴水広場での朝市の見学が追加されたらしい」
初めて辺境伯領を訪れたエリザベスが領都の観光を楽しめることになったことに、ウィルは笑顔になった。
「三つ子たちは領城に宿泊して、クロイとアオイはキール王子と同じ部屋で、アリサはエリザベス嬢と同じ部屋でお泊り会をしたようだよ」
ハルトおじさんは三つ子たちが領城に泊まることになったと小声で説明すると、ぼくとケインはクロイとアオイが不安定なキールの補助に回ってくれたことに安堵した。
「さて、今年のオムライス祭りは、ガンガイル王国は共同後援という形になり、主たる後援は宮廷がメインとなるので、皇族がご臨席されるのだが……」
寮長が言い淀んでいるということは、予定者以外の皇族が来ることもある、ということだろう。
それはいつものことだ、とぼくたちが顔を見合わせていると、食堂のおばちゃんが困惑した表情で寮長のところに来た。
「ご用聞きの業者の入り口に、ハントと名のる第三皇子殿下のそっくりさんがいらしているのですが、お通ししてもよろしいですか?」
第三皇子は帝都入りしたら真っ先に寮に来るだろう、とぼくたちも予想していたが、出入りの業者の通用門に押し掛けてくるとは考えていなかった。
「お通ししてよい、というか、私が出迎えよう。殿下は、いや、ハントはアドニスと一緒に食事がしたいだけだろう」
寮長はそう言って立ち上がると、キャロお嬢様と並んで焼き魚定食を食べているアドニスに、ハントさんが来ている、と声を掛けた。
席をズレようと腰を上げたキャロお嬢様に、隣にいてください、とアドニスが言った。
「リリアナさんとはだいぶ親しくなれましたが、ハントさんは、ちょっと熱量が凄いというか、なんというか、圧が凄いのです」
キャロお嬢様とミーアは顔を見合わせて、わかりますわ、と同時に言った。
父親の暑苦しい愛情が娘たちには時に鬱陶しいこともあるのだろうか?
いや、この場合は相手がハントだからだろう。
商人の服装で現れたハントは食堂内のアドニスを見るなりとろけるような優しい目をしてにんまり笑った。
アドニスが帝都入りしても南方で働いていたハントが帝都で寛ぐアドニスをようやく見れた嬉しさでだらしない笑顔になるのも理解はできる。
だが、父と会うのがまだ二回目のアドニスの表情が硬かったのは、ちょっと緊張しているのであって、ハントのだらしない笑顔が気持ち悪いと思ったからではないはずだ。
「南方から急いで転移してきたのでろくな土産もないのだが、食堂に飾る花でもと思い、南方の花をいくつか貰ってきました」
ハントは商人の格好をさせた護衛に花を持たせており、護衛が荷物を持っていたら護衛にならないだろう、と魔獣たちが精霊言語で突っ込んでいた。
「お急ぎで、ということは昨晩の帝都の鎮魂の儀式をご覧になられなかったのですか?」
ハルトおじさんがさり気なくアドニスがよく見える席にハントを誘導しながら尋ねた。
「ええ。今朝、転移魔法で戻りました。帝都では鎮魂の儀式の後の上映会が素晴らしかったようですね。私は滞在先の教会で鎮魂の儀式を見守りました」
ハントは自分の滞在先の教会に押し掛けて鎮魂の儀式を執り行うように現地の司祭に直談判して、南方の地で鎮魂の儀式を行ったようだった。
「激戦地帯の焼かれた町でぽつんと教会だけ残っていました。司祭は撤退した地域でしたが、復興の物流の拠点となる地域にする予定なので、教会側に無理を言って司祭を派遣してもらっていたのです」
南方地域の復興には物流事情に詳しい第五皇子が立案した復興計画が採用され、第三皇子は第五皇子の案の支持を明確に表明し、現地での細かい調整に本当に奔走していたようだ。
真面目に働いたハントにスライムたちは、よくやったね、というかのようにお茶を勧めると、ありがとう、とハントもスライムたちに認められたのが嬉しかったのか微笑んだ。
こわばった表情のままもぐもぐと朝食を食べ勧めていたアドニスはスライムたちと打ち解けている父の姿を見て頬を緩めた。
「帝都の鎮魂の儀式で精霊たちが瘴気を分解する様子が確認されたそうですが、激戦の跡地は壮絶でした。それだけ多くの犠牲者たちが瘴気や死霊系魔獣に取り込まれていたということなのでしょう。私は教会の外の祭壇で魔力奉納をしていましたから、廃墟の町の様子がよく見えました。日没を迎えて薄暗くなっていた地上が、湧き出てきた精霊たちに埋め尽くされ光の霧の層に包まれました」
ハントは言葉を区切ると、感慨深げに深く息を吐いた。
「私が町の結界を張り直したばかりだったのに、夜間、湧き上がる瘴気を抑えきれていなかったのでしょう。霧状の精霊たちが湧き上がる瘴気を包み込むと、そこだけ光が濃くなり、光がばらばらに千切れると、クルクルと舞い上がるように飛翔しました。それが、そこらじゅうで起こるので、多くの飛翔する光の粒が天高く舞い上がると、一筋の光の川のようになって天高く昇って行ったのです。言葉で言い表せないほど荘厳な光景でした」
ハントの後ろに立っていた護衛も小さく頷いた。
亡くなった人の多さが帝都とは比べものにならないほど多いから、ぼくたちの想像を超える光の量だったのだろう。
ぼくたちは無言でハントの話に聞き入った。
「廃墟の町の中心部で鎮魂の儀式に臨んだ私たちは、自分たちが見た物こそ史上最高の光景だと感じたのですが、町の端で警戒に当たっていた兵士たちは、もっと荘厳な光景を目撃していました。廃墟の町のいたるところで精霊たちによって瘴気が分解されていくのを俯瞰で見ていたら、後方の警戒を怠ってしまうので原野に目を向けると、真っ暗な地平線に立ち上がる光の竜巻のようなものがあちこちから立ち上がっていたらしいです」
ガンガイル王国でも、町の外の森の死霊系魔獣まで分解されたのではないか、と報告されていたが、長年、平和が続いているガンガイル王国と戦争跡地では比較にならない規模だったのだろう。
「緑の一族の族長が南方視察に行かれていますから、族長も鎮魂の儀式をされたのでしょうね」
ハルトおじさんの言葉に、ハントは頷いた。
「ええ、竜巻のような精霊が発生した方向に緑の一族の族長と今年帰国なさるガンガイル王国留学生一行がいましたよ」
ガンガイル王国の留学生たちは帰国時の影響力もすさまじい、とハントは笑った。
チョコレート農場の予定地の視察に行ったクリスたちはともかくとして、マナさんと念願だった祖国の地を踏んだマテルがいたのだから、それ相当なことが起こったのだろう。
「ええ、ガンガイル王国でも鎮魂の儀式を行って同様な目撃例がありましたよ」
ハルトおじさんは規模が違うとは言わずに、留学生たちの手柄のように言った。
「いずれにせよ、鎮魂の儀式の後の瘴気や死霊系魔獣の詳しい報告が楽しみですね」
寮長が話題を本筋に戻すと、ハントは頷いた。
「ええ、復興の最大の難関は、荒れた土地で発生する瘴気への対応でしたから、計画を前倒しにできる見通しが立ち、こうして一時的にですが帝都に戻ることができました」
ハントはアドニスを見遣って微笑んだ。
「昨晩の帝都の上空で上映された映像はアドニスが魔法で立体映像にしたものを魔術具で拡大したのですよ」
詠唱魔法の素晴らしさを寮長が語ると、新型魔術具に目がなかったはずのハントは魔術具の箇所ではなくアドニスの詠唱魔法の話の箇所で目をとろけさせて聞き入った。
「談話室に小さな模型がありますよ。試験映像がありますからご覧になられますか?」
ジェイ叔父が上映会用に制作した帝都の模型がまだ残っている、と話すとハントは首を縦に何度も振った。
「音声もあった方がいいですよね。調整にちょっとお時間をください」
音響を担当したケインが慌ててご飯を掻きこむと、かまわない、とハントは掌を広げてケインを制した。
ハントの視線はアドニスに向いており、キャロお嬢様たちと歓談しながらゆっくりと食事を楽しむアドニスをハントは眺めていたいらしい。
「こうしてこの場に居られるだけで、とても幸せなんだ。この時間をゆっくり味わいたい」
噛みしめるように漏らしたハントの言葉にぼくたちは小さく頷いた。
一人ぼっちで苦痛に耐えていた娘が、友人と共に美味しい食事を食べている姿を見る幸せを噛みしめているハントが健気に思えたのか、魔獣たちまで目を潤ませた。




