鎮魂の儀式
「カイルたちの祈りはジョシュアを消しかねないほど神々を動かした、ということで、前代未聞の事態が起こっている」
真っ白な亜空間の床で大の字に寝そべって安堵したぼくに、よかったね、と兄貴とケインと喜び合っていると、ワイルド上級精霊が不穏当な発言をした。
斜め上を見た兄貴が目を見開いたままで表情が固まると、妖精姿のシロが首を傾げていた。
「さまよえる魂ながら進化したジョシュア兄さんと同じような状態の魂の事例がいくつも誕生したということでしょうか?」
ケインの発想だと、家族に愛されていたため天界の門を潜りそびれた魂たちが兄貴のように実体化できるようになった、となるが、兄貴のように上手に実体化できなかったら幽霊だらけになってしまうではないか!
「ご主人様。発想が飛び過ぎです。まあ、ジョシュアが幽霊かどうかはさておいて、ジョシュアいう前例があるのですから前代未聞ではありません」
シロの言葉に魔獣たちが頷いた。
前代未聞とはかつてないことだから兄貴という事例があるのなら、確かに前代未聞ではない。
「相変わらずカイルは面白い発想をするな。なに、もったいつけるつもりではなかったのだが、現時点で起こっている事象はまだ途中なので確実な出来事ではないから、言い淀んだ。ジョシュアにとってのカイルのように強く引き留める存在がない、死霊系魔獣や邪気に囚われてしまった不遇の魂が、死霊系魔獣や邪気から分離して天界の門を潜れそうな状況になっているんだ」
ぼくとケインと魔獣たちはあんぐりと口を開けたまま、視線をワイルド上級精霊からシロに移すと、シロは頷き、兄貴に移すと、兄貴も頷いた。
「それが上手くいけば帝都周辺の死霊系魔獣や邪気は吸収した魂を失い弱体化するということでしょうか?」
「おそらくそうなるだろう」
ケインの疑問にワイルド上級精霊は即答した。
「今回の件はどこまで余波が広がるか、わかりかねます」
太陽柱に急遽現れた映像が膨大で追いきれない、とシロは首を傾げた。
「帝都と同時刻に大聖堂島やガンガイル王国の教会で鎮魂の儀式を行っているせいかもしれないね。急激に映像が増えている。とくに辺境伯領の教会ではアリオの出没から、死霊系魔獣や瘴気を引き寄せる邪神の影響で亡くなった人々への鎮魂を込めて儀式を行うことで邪神の欠片の影響力を弱めようとしている」
教会側も手をこまねいているだけでなく、邪神の欠片に吸収されそうな死霊系魔獣や瘴気を弱体化させ元を断つ行動に出た、と兄貴が説明した。
「無尽蔵に教会から魔力を引き出して転移していたアリオが転移できなくなってしまった理由が、辺境伯領内の教会で鎮魂の儀式の準備で魔力を使用したから、教会の魔力を流用できなくなったから……なんてね」
「うむ。あながち、その推測は間違いではなさそうなんだ。アリオは正午の礼拝の時間帯の教会に転移していない」
思い付きで言った一言に、ワイルド上級精霊は肯定した。
「アリオは封じられている魔法陣や絵姿から魔力を引き出していても、上書きされている魔法陣や絵姿に魔力奉納をしていると封印が強化されるのかもしれないですね」
ケインの言葉に、そうか、とぼくたちは頷いた。
「ねえ、アリオがどこの教会に転移しても、お尋ね者として絵姿が回覧されているのはさることながら、全裸で逃走しているから不審者として目立つでしょう?見つからないなんて変よねぇ」
「アリオは今どこにいるのかしら?」
全裸で転移したらチラッとでも目撃されたらどんな小芝居をしても誤魔化しが効かないのにどこに隠れたのか、とみぃちゃんとみゃぁちゃんが首を傾げた。
「邪神の欠片も精霊のように亜空間を作り出せるのかもしれないよ」
ぼくのスライムの発言にワイルド上級精霊と兄貴とシロは眉を顰めた。
「無いとは言い切れないが、おそらく難しいだろう。神々のお住いの世界と亜空間は全く違うもので、亜空間とは時間の流れの狭間にぶら下がっているに過ぎない。邪神はそんなまどろっこしいことをしないだろう。さりとて、邪神に協力する精霊は存在しないから、現状では亜空間上にアリオが存在しているとは考えられない」
ワイルド上級精霊の説明に、そうなのですね、とぼくのスライムは頷いた。
「光影の鉄の処女からすんでのところで逃走したアリオが噴水広場に転移したように、現在は建物さえない教会跡地に転移している可能性もありますよね」
アリオがあの時、ギリギリのところを転移したから領城の敷地を抜け出すのに精いっぱいだったとしたら、鎮魂の儀式の準備のため突如、魔力を引き出せなくなったとしたら、きっと中途半端なところに落とされている可能性がある、とぼくが指摘すると、ワイルド上級精霊は頷いて辺境伯領の地図を広げた。
アリオが最後に目撃された教会の周辺に地殻変動の層があった。
「……ああ。可能性としてあり得るな。ここにかつて町があった」
ワイルド上級精霊は現在は大きめの川になっている場所を指さした。
全裸で川に流されるアリオを想像したぼくたちは吹き出しそうになったが、アリオに同情の余地はなく、咳払いをして気持ちを切り替えた。
「この情報はマルクに伝えておこう。礼拝室付近で常に魔力奉納をしておけばアリオの侵入を防げるかもしれないことの伝達は月白に任せよう」
ワイルド上級精霊の言葉にシロが頷いた。
「教会での対策が有効で、辺境伯領内からアリオを脱出させなければ、アリオは邪神の力を引き出せなくなるでしょうね」
土地の魔力も護りの結界もじゅうぶん強固な辺境伯領内なら邪神の欠片が浮いてくる気配がないので、教会での転移を防ぐことができればアリオは邪神の力を得られない、とシロは踏んだようだ。
「川沿いに隣の領に行かれると厄介だね」
キュアが地図を覗き込んで言うと、ケインは首を横に振った。
「この先は滝があるからキュアみたいに飛べないと川下りはできないよ」
地形の高低差がありすぎる、とケインが指摘すると、ワイルド上級精霊は頷いた。
「王家の本家の辺境伯領が辺境伯領と言われる所以は、あまりに奥地だからだ。アリオの姿が太陽柱にまだ現れないのは現在アリオが邪神の影響力のある場所から移動していないからだろう。もしくは、辺境伯領には地中を移動する死霊系魔獣がいるので、すでに死霊系魔獣にやられている可能性も、なくはない」
ワイルド上級精霊の指摘に、ぼくたちは動く魔獣沼の伝説を思い出し額を叩いた。
「こういったことは辺境伯領騎士団に任せるのが筋だよ」
「アリオを発見したら、今度こそ光影の鉄の処女に閉じ込めてやるわ!」
マルクさんに分身を預けているぼくのスライムが胸を膨らませて鼻息を荒くした。
「まあ、亜空間を出ると、死霊系魔獣や瘴気の分裂が始まる。先が見えないからどうなるかは、出たとこ勝負だよ」
ワイルド上級精霊が快活に笑うと、真っ白な部屋が光り、亜空間から転移する気配がした。
露天風呂の展望デッキの上に出現した精霊たちは、ぼくたちの聖典の暗唱を喜ぶかのように激しく点滅し空高く舞い上がっていた。
ケインと兄貴も舞い上がる精霊たちを見上げて祝詞を唱えていた。
地上のさまよえる魂や死霊系魔獣や瘴気に吸収されてしまった魂も、禍々しきものから分離して天界の門に辿りつけますように。
そして、愛する人や親しい人を失った人々の胸に悲しみの先の希望の灯がともりますように……。
ぼくの胸に込み上げてきた熱い思いを込めて暗唱すると精霊たちの輝きが増した。
兄貴が消えてしまうのでは、と兄貴を見ると、兄貴の体は透明に透けることなくケインとぼくを見た兄貴は、大丈夫だ、と微笑んだ。
闇の章から光の章へと暗唱を続けると、帝都全体が昼の光に包まれたかのように精霊たちが明るく輝いた。
西の空の端の僅かな茜色が夜の闇に押されて消え入りそうな大空に、高く舞い上がっていく精霊たちの輝きの筋が天界の門を現すかのように一点に向かっている。
命が巡りまた新たな命として地上に誕生するために、悲しい別れの先に希望を見出して魂たちが空に昇って行くように見えた。
荘厳な景色の中、光の神の章を暗唱し終えるころ、精霊たちが上昇し終えた帝都の町は、鎮魂の祈りの提灯の灯が中央広場から五つの神の祠の広場に向けて移動していた。
ぼくのスライムがやり遂げたように頷くと内緒話の結界を解除した。
「……凄まじい量の精霊たちが出現しましたね」
目に涙の痕があったが晴れやかに微笑んだイシマールさんの言葉に、屋台のおっちゃんや食堂のおばちゃんたちが笑顔で頷いた。
「そうですね。つい聖典の暗唱を始めてしまいましたが、カイルのスライムに助けられました」
キャロお嬢様がぼくのスライムに結界の礼を言うと、どういたしまして、とぼくのスライムはお辞儀をした。
今夜の鎮魂の儀式が帝都に及ぼす影響は夜が明けてから徐々に判明することになるのだが、ぼくたちはただ今起こった出来事に興奮していた。
「まあ、どうしましょう。あんな素晴らしい光景の後に上映会だなんて、なんだかお目汚しをするようで変な汗が出そうです」
感動が落ち着いたキャロお嬢様は急に重圧を感じたようで両手をすり合わせて眉を顰めた。
「お目汚しなんてことはありませんわ。鎮魂の儀式が終わり不幸な魂を鎮めてもなお、現実社会には問題が山積していますわ。それを提示する上映会ですもの!」
オーレンハイム卿夫人が息巻くと、キャロお嬢様は苦笑した。
皇帝の第三夫人との面会の確約を取るための大掛かりな陽動作戦の始まりに、帝都の空に注目が集まったのは好条件だ。
中央広場から提灯の灯が全て移動してしてからが本番だ。
ぼくたちは午前中に身代わり人形たちが仕掛けていた広域魔法の魔術具の操作の準備に入った。
まずは事前に録音していた音声を七大神の神の祠の広場と寮の展望デッキと見晴らしのいい城壁周辺に流す予定だ。
第三夫人の離宮には事前にスピーカーを差し入れしてある。
「始めるよ!」
広域魔法魔術具の操作盤の前に座ったぼくが声を掛けると、キャロお嬢様が頷いた。
三、二、一、とケインが指を折ってカウントダウンを終えると、ぼくは操作盤のスイッチを入れた。




