アリオの逃走先
美味しいお菓子と外国の話に盛り上がるお茶会に参加している幼児たちは、ぼくたちが初めて会った時より格段に成長していた。
キールが今日いきなりこの場に送り込まれていたなら、きっと浮いてしまっただろう。
いや、邪神の欠片を埋め込まれた木彫りの猫を子どもたちに配布するよう命じられていただろうことから鑑みて、キールの言動はアリオの暗示でコントロールされていたかもしれない。
キールは今後、体調を回復させながら記憶を取り戻したら精神的成長も促されるだろう。
中庭の片隅でそんなことを考えていると、裏庭で別行動になったぼくたちの護衛役だった新米騎士の一人が中庭の警備の騎士に止められて、ぼくたちを恨めしそうに見ていた。
逃走中のアリオの件で何か進展があったのかもしれない、と考えたぼくたちは中庭を後にし、新米騎士のもとに行った。
領城の騎士の詰所に案内されたぼくたちを見たマルクさんは、おや、と左眉をあげた。
「もうお茶会がお開きになったのかい?」
新米騎士はぼくたちを呼び出すのはお茶会の後だったことに今気付いたようで、マルクさんの言葉に顔色が変わった。
「お茶会は和やかに進行中でしたが、こっちが気になったので様子を見に来ました」
まもなく帰国するクリスの先輩になるだろう騎士に恩を売っておくのもいいかと思い、気を利かせた発言をすると、マルクさんにはお見通しだったようで、新米騎士を睨んだ。
「そんなに急ぐ話ではなかったんだ」
いい話ではないから、予定通りお茶会を見守ってからでよかったんだ、とマルクさんは渋い表情で言った。
「逃走中のアリオが数か所の教会で目撃された報告を受けた。キール王子の証言から推測すると、一回の転移では移動距離が少ないので、連続で転移しているから同時多発的に目撃されているようだ」
全裸の男が教会の礼拝室の前に突如として現れて消えた、という目撃情報が教会の連絡網で回っているらしく、複数箇所で同様の報告があるとのことだった。
「連続で転移して領都から遠ざかるのならわかるが、出没する教会がばらばらで、奴が追手を巻くためにあえて不規則に転移しているのか、それとも、奴も転移先を制御できないのか、よくわからない状態なんだ」
現時点で目撃情報があった場所を地図に落とし込んでいくと、そもそも教会の少ない領都の北側を除き東西南のどちらかに偏ることもなく不規則に目撃されていた。
辺境伯領の地理は稲作を拡大しようとした時に候補地を探すために勉強したきりだったが、覚えている。
北部に転移しないのは教会が少ないこともあるだろうけれど、人口が少ないうえ、司祭が在住していない教会も多い……。
あれ?
教会からお尋ね者になっているアリオは、逃走先に教会関係者がいない方が好都合のはずではないか!
辺境伯領都は肥大化することで、国土を増やしたガンガイル王国の護りの結界を支えているが、遷都した歴史はない。
領都以北の教会は小さいけれど建国時に建設された歴史的建造物で、魔法陣も神々の絵姿も上書きされた物のはずで、下に封印されている古代の神々の絵姿を利用して邪神の力を引き出し転移できるだろう。
「どうしたの?」
辺境伯領の地図を見て考え込んでいたぼくにウィルが声を掛けた。
「人知れず逃走して形勢を立て直すなら、北に逃げた方がいいんじゃないかと考えていたのです。北に行けない理由があるはずですよね」
ぼくの言葉に参謀補佐ワイルドと兄貴は頷いた。
「うん。騎士団でもその意見が出たのだが、領都の北側は鉱山の下町か農村しかなく、アリオが赴任した記録がないのでそんなところに隠し資金もないだろうから……そうか!不規則に見える転移先にも規則性があるかもしれないのか!」
マルクさんが身を乗り出して地図を覗き込むと、参謀補佐ワイルドが報告順ではなくアリオの目撃された時間ごとに番号を振った。
ほぼ同時刻に目撃されている場合は同一番号が記された。
「……無作為に見えますね」
不規則に番号が書かれた地図を前に頭を抱えたウィルにケインが唸る横で、ぼくとイザークはじっと地図を睨んでいた。
辺境伯領はそもそも歴史が古く歴史的建造物だらけだが、近年開拓された土地には教会そのものがない。
村人たちは教会に登録が必要な際に近隣の町に出向き、死者が出た時は村で火葬をし、後日届け出を出す事が習慣になっている。
領都の北側は教会は少ない上に、北の果ては北の砦の守りがあり辺境伯領主エドモンドの護りが堅くなるのだ。
「教区の広さにおける人口規模はどうなっていますか?」
辺境伯領の地図では教会の教区がわかりにくい、とケインがこぼすと、ぼくは一つの可能性に気が付いた。
「市町村の境界と教会の教区は別ですから、教区の人口規模と常駐する司祭の数次第で魔力奉納の際に集まる魔力の量に差が出ますよね?」
何気なく口にしたぼくの発言は居合わせた全員の注目を集めた。
「教会に足を運べない農村部の人口は定時礼拝に参加できないから、教区が広すぎる教会は除外して考える必要があるな」
「ハンスさんのような特異な例もあるかもしれませんが、町としての人口規模がそこそこあり、在住する教会関係者の人数が多い教会を炙りだしてみた方がいいのでしょうね」
マルクさんが人口規模だけでは教会に集まる一般市民の魔力量を比較できない、と指摘すると、ウィルはさらなる例外があることを指摘しつつ教会側の資料を分析すべきだ、と言った。
「……その解析も有効でしょうが……少し気になる点があるのです」
地図をじっと見ていたイザークが自信なさげに言うと、続けてくれ、とマルクさんが促した。
「辺境伯領の歴史はガンガイル王国の歴史そのものです。ガンガイル王国の建国王が都を開いたその地が、現在の噴水広場ですよね?」
イザークの疑問にぼくたちは頷いた。
現在の市内中心部は光と闇の神の祠と祠の正面にある教会だが、建国の際に領城があった場所は噴水広場で、領城や教会は領都が拡張するたびに移築している。
「全裸のアリオが噴水広場に転移したのは、古い護りの結界から魔力を引き出していたからでしょうか?」
兄貴の疑問にぼくたちはハッとした。
「ガンガイル王国の歴史を紐解こう!」
ガンガイル王国の建国は古代、全世界で戦争が勃発していた最中、北方の英雄が東西南北の有志たちと共闘して世界を安寧に導いた、とガンガイル王国の正史ではされているが、帝国の世界史では東西南北のそれぞれの地域の豪族がその地を制したとされている。
なにぶん、言葉と文字を失う前の古代の歴史なんて、現代では神話と扱いが変わらない。
言葉と文字と魔法陣を失った時代もさることながら、精霊使い狩りが行なわれた時代にも多くの書物が焚書の憂き目にあい、正史なんてものは後世の為政者たちによって都合よく書き換えられている、とぼくたちは認識している。
それでも初等教育をガンガイル王国で受けているぼくたちは、長期にわたって王朝が変わっていないので、世界の北側の歴史については魔本も太鼓判を押すほど正確に学んでいると自負している。
「アリオが転移した町は古代からそれなりの人口規模があり、歴史的有名人を輩出した地域ですね」
「いや、この地域の名称はここの領主の領地返納により、分家の名前が現代に残っているから歴史上の名称とズレている」
アリオの逃走経路に一定の法則があるようだ、とウィルが感慨深げにつぶやくと、マルクさんは歴史と名称にずれがあることを指摘した。
この推測も違うのか、と騎士たちの表情に落胆の色が見えたが、ケインは大発見をしたかのように膝を叩いて目を輝かせた。
「地殻変動を考慮していません!」
そうだった!
この世界は安寧の時代が続き人口爆発が起こると、世界そのものが拡張していたのだ。
「大地震による、土地の膨張も考慮しなければならなかったな」
マルクさんの言葉にケインが地殻変動を起こしたと思われる地域に斜線を入れた。
ほう、と地図を覗き込んだ面々は声が漏れた。
アリオの転移先と、地方の人口規模と、歴史的に魔力が多い人物を輩出した箇所のずれが、地殻変動の記した地域だったことが目に見えてわかった。
「アリオが転移に使用する魔力を教会に集められた魔力から借用しているのなら、それなりの規模の教会にしか転移できないようですね」
参謀補佐ワイルドが断定するとマルクさんは頷いた。
「アリオが転移できる場所を絞り込むことができる!」
八方ふさがりだったアリオの捜索に活路を見出したマルクさんの表情が晴れたが、イザークは浮かない表情のままだった。
「……古代魔法陣や古代の神々の絵姿に魔力供給をすると、即、神罰が下ってしまうのに、アリオはそこから魔力を引き出して転移しているのですよね?」
イザークの疑問は邪神の欠片の魔術具を使用できる人物には神罰が下らないのではないか?ということでもあり、ぼくたちは絶句した。
「……アリオがどの程度の魔力を保持する上級魔導士なのかはわからないが、これほど転移を繰り返すことを一人の人間の魔力で行っているとは考えにくい」
マルクさんの言葉に参謀補佐ワイルドと兄貴が頷いた。
「邪神の欠片の魔術具を利用できる人物に神罰が起こらないかどうかの検証なら、大聖堂島にいくらでも試験体がいますね」
既に拘束されているゾーイやサントスのことを参謀補佐ワイルドが匂わせた。
奴らは死刑に相当する悪事を働いたと思うが人体実験をしていいとは思えない。
“……カイルは優しいな。儂はあいつらなど消し炭になってもかまわないと思うぞ”
水竜のお爺ちゃんは究極の極刑だ、と主張した。
「あいつらは何か違うんだよねぇ。邪神の欠片が浄化されたら、邪神の欠片を使用していた期間の記憶が曖昧になるでしょう?でも、教会で拘束されている連中ときたら、邪神の欠片が消滅した後も変わっていないじゃない。気持ち悪いのよねぇ」
ぼくのスライムの感想にぼくたちは頷いた。
ディミトリーやアドニスやキールとゾーイやサントスとの違いは自主的に邪神の欠片の魔術具を使用したことだろう。
「……邪神を信仰する人物に邪神が加護を与えている?」
ぼくの発言に参謀補佐ワイルドは嫌そうに眉間の皺を深くした。
「邪神は創造神によって消滅させられたのです。加護などはなく、悪霊の残骸に引き寄せられているだけでしょう」
瘴気や死霊系魔獣を引き付ける邪神の欠片は参謀補佐ワイルドの言うように悪霊の残骸と表現した方が相応しい。
アリオに神罰が下らないのは魂を邪神に渡してしまったからとしか思えなかった。
「……検証は教皇猊下に任せよう。子どもが気にすることではない」
マルクさんは暗くなったぼくたちに声を掛けた。
「午後からは帝都でオムライス祭りの前夜祭を楽しむといい。ああ、カイルのスライムの分身を残しておいてくれると助かる」
マルクさんはアリオを追い詰めた時を想定してぼくのスライムに頼んだ。
「アリオを発見したら教会の建物から離してしまえば、後は物理的に殴ることも可能だ。引きずり出すために光影の魔力を頼らせてくれ」
マルクさんの言葉に頷いたぼくのスライムは、ポンと分身を出現させてマルクさんの肩の上に分身を乗せた。




