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不審者の気配

 湯上りのクレメント氏は青髭の痕がすっかりなくなり艶々の肌になっていた。

 男湯と女湯のどっちに入ったのだろう?誰もが疑問に思ったが口にしなかったのに、男湯ですよ、とクレメント氏が自己申告した。

 ほどなくして談話室にやってきた女子たちはお婆の新作の美容品を堪能したようで、香りがどうだ、艶がどうだ、とまだ余韻に浸っているようでワイワイ話していた。

 職員に扮しているはずの第三皇子夫人も艶々の頬をしているので、アドニスと一緒に大浴場のスパと最新の美容液を使用したエステを楽しんだことが明白だった。

「ガンガイル王国の寮の生活水準が帝国とは違う、とマリア姫やデイジー姫が再三口にするのが理解できます。こんなお風呂に毎日入れるなんて夢のようです!」

 アドニスがうっとりして言うと、自分たちが贅沢をしている自覚がある、とキャロお嬢様とミーアも頷いた。

「湯を沸かす魔力量もさることながら、ガンガイル王国寮の水は大聖堂島で湧き上がっている聖水のように軟らかい上質な水です」

 小さいオスカー殿下が大浴場の水質について語ると、水竜のお爺ちゃんも頷いた。

 “……良い地脈から水をくみ上げているから、ここの水はいい水だ!湯加減も選べていい風呂だったよ”

 カカカカカ、と笑いながら水竜のお爺ちゃんが精霊言語で寮の風呂を褒めると、寮長は満面の笑みで頷いた。

「昨年、ガンガイル王国留学生一行が滞在した先で土壌改良の魔術具を販売した地域と帝国が買い上げた土壌改良の魔術具を購入した地域の収穫量の差が宮廷で話題になっていますね。留学生一行が魔術具を直接販売した地域の方が収穫量が多いのは、地域住民の祠巡りの熱の入れ方が違うのかも知れないが、井戸を掘ってお風呂を作っていた違いもあるのでは、と言われているらしい」

 ぼくたちが滞在した教会で風呂を作っていたことで定時礼拝前の沐浴の質が上がりその地域の魔力が上がった、という説がまことしやかに流布されているらしい。

「冷たい水で沐浴したくない教会関係者の策略ですかね」

 ハルトおじさんが茶化すように言うと、デイジーは頷いた。

「その噂で領主が教会のために資金を出す余裕があるか、教会側が新体制に即対応できる柔軟性があるかの二通りの見方ができるらしいですわ」

 小さいオスカー殿下とアーロンを引き連れてぼくたちと点対象の移動で旅をして、定時礼拝や祠巡りの大切さを布教してきたデイジーは、ハルトおじさんに自分たちが訪れた地で仕入れた情報を流した。

「井戸を掘ってくれ、という依頼はなかったのですか?」

「小さいオスカー殿下にそんな注文をできる厚かましい領主はいませんでしたわ」

 皇族が自身の派閥に関係なく魔力奉納をする事が前代未聞なので、訪問先の教会関係者や領主たちはガンガイル王国留学生一行のような施しを、第七皇子一行から受けたいと思いつつも口にすることはなかったらしい。

「なるほど、領主からの支援が得られない地域では神学校の設立も資金不足で遅れるだろう。地域格差がますます広がりそうですね」

 ハルトおじさんの分析に、小さいオスカー殿下は残念そうに頷いた。

「私は残りの休暇は母方の実家の領地に足を運ぶ予定です。資金力のある領地ではないですが、できる限りのことをするように説得したいですね」

 お金を掛けずに支援したいと小さいオスカー殿下が悩むと、給湯機だけならそこまで高くない、と商会の人たちが助言をした。

「知恵を捻れば改善策はいくらでも出せるのです。それでもやらない地域はやらない理由があるのでしょう」

 世界が変わらない方がいいと考える連中がいるようですね、と含みを持たせた言い方をハルトおじさんがすると、従者ワイルドが頷いた。

 食堂の準備ができましたよ、と食堂のおばちゃんが談話室まで声を掛けに来てくれると、難しい話はおしまいになった。

「今日は特別メニューの豚骨ラーメンです!」

 匂いがきついので寮の食堂ではめったに出ない豚骨ラーメンにぼくたちは、ヤッターと声をあげた。


 アドニスが匂いのきつい得体のしれないスープに入った麵を箸で摘まんで啜る姿を第三皇子夫人が壁際でそっと見守っていると、食堂のおばちゃんが小さいカップに注いだ味噌塩醤油のスープを第三皇子夫人に味見させていた。

「音を立てて食べるのはみっともないと思われるかもしれませんが、ラーメンは庶民の食べ物ですからズズっと啜って味と香りと……喉越しを楽しむ食べ物です」

 三口で麺を食べきり替え玉を要求するデイジーを見た食堂のおばちゃんは喉越しを強調したが、それは蕎麦の食べ方だ。

 第三皇子夫人は豚骨の匂いに顔面を硬直させたが、スープを口に含むとハッとした表情になり、食堂のおばちゃんを見た。

「こんなに豊かな味のスープを初めて口にしました!」

「手間暇と時間を惜しみなく使って仕込んだあの人が作った絶品のスープですからね」

 食堂のおばちゃんは厨房の奥を指さし元屋台のおっちゃんを第三皇子夫人に紹介した。

 南方戦線に長期派遣されていた期間に起こったおっちゃんやおっちゃんの妹さんの悲劇を話しているようで第三皇子夫人の目に涙が浮かんでいた。

「こうして終戦を迎えてこのラーメンを食べると、感慨深いものがありますね」

 小さいオスカー殿下がおっちゃんの人生を振り返りながら塩とんこつのスープを飲み干すと、マテルも最後の一滴まで味わいながら頷いた。

「戦争なんてなければ、と何度も考えたことがあったけれど、戦争がなければこの味は誕生しなかったのか……」

 悲劇から人生を立て直す姿勢が素晴らしい、としみじみとマテルが言うと、ハルトおじさんが微笑んだ。

「小さいオスカー殿下と並んでラーメンを啜るマテルは、もうすでに新しい人生の一歩踏み出しているじゃないか」

 ハルトおじさんの言葉に自然と笑ったマテルにぼくたちは安堵した。


 夕食が終わり、小さいオスカー殿下やマリアやデイジーやアーロンが帰ってしまうと寮は急に静かになった。

 食堂のおばちゃんたちと仲良くなった第三皇子夫人は、アドニスに見送られても涙を見せることなく職員たちの馬車で貴族街に帰っていった。

「明日は帝都の早朝礼拝に参加するから早く休みましょう」

 キャロお嬢様がアドニスに声を掛けて女子寮に戻ってしまうと、ハルトおじさんはニヤリと笑い、ジェイ叔父さんとベンさんと屋台のおっちゃんを連れて酒瓶を持って寮長室に向かった。

「絶対何か企んでいるよね」

 ぼくの言葉に曖昧に笑った従者ワイルドはおつまみセットの載ったワゴンを押して寮長室に向かった。

 ぼくたちが首を傾げつつ自室に戻ると、ぼくとケインの部屋なのにウィルもついてきた。

「ずっと一緒に寝泊まりしていたのに、ぼくだけ一人部屋だと寂しいんだよ!ジョシュアもいるじゃないか!」

 ぼくとケインのベッドを寄せると真ん中に寝ようとしたウィルの上に、邪魔だ!みぃちゃんとみゃぁちゃんが乗った。

「赤ちゃんじゃないんだから一人で寝なさいよ!」

 “……寂しいなら儂が添い寝してやろうかい?”

 キュアの突っ込みに水竜のお爺ちゃんが悪ノリすると、今晩は出かけないの?とスライムたちが水竜のお爺ちゃんに尋ねた。

 “……今晩はウィルが寝付いてから、帝都の散策をするよ。旧市街地の結界跡が気になるんでね”

 水竜のお爺ちゃんは行き詰っているアリオの捜索ではなく、ぼくたちが花壇を植えた遷都前の七大神の祠の跡地を見に行くことにしたらしい。

「あたいも行く!」

 ぼくのスライムが蜜蜂サイズの分身を水竜のお爺ちゃんの頭の上に乗せると、みぃちゃんとみゃぁちゃんとキュアも、行きたい!と言い出した。

 “……お前さんたちは寮の警戒を怠らないでいてくれ。まあ、結界がしっかりしているから鼠一匹入り込まないだろうけれど、寮の敷地の外側に何かいる気配がするんだ”

 鼠一匹と水竜のお爺ちゃん精霊言語で言われるとウィルの砂鼠が、チュー、と鳴いた。

「見回りがてら、追いかけっこして遊ぼうかい?」

 みぃちゃんがウィルの砂鼠に誘いかけると砂鼠とみゃぁちゃんが頷いた。

「わたしも何かしたいな!」

 キュアがベッドの上でジタバタするとみぃちゃんとみゃぁちゃんは首を横に振った。

「猫が鼠を追いかけるのは普通だけれど、飛竜が参加したら不自然だよ」

 “……赤ちゃんはたっぷり睡眠を取りなさい”

 水龍のお爺ちゃんに赤ちゃん扱いされたキュアはほっぺを膨らませたが、寝室の警備隊長だね、と兄貴に言われると満足そうに頷いた。

「寮の外の気配って、アリスの馬車をつけてきた気配のことかい?」

 滑空場から帝都に戻る時は広域魔法魔術具講座の受講生たちの馬車に合わせてゆっくり走ったので、日が沈む前に帝都に入ろうとする馬車のちょっとした渋滞に引っ掛かった。

 アリスの馬車が馴染みの門番に顔パスで通過した後、執拗に追いかけてきた馬車を気にしたウィルの言葉に兄貴は首を横に振った。

「あれは小さいオスカー殿下の護衛がようやく追いついただけだよ」

 東方連合国チームの移動は馬車ではなく身体強化で行い、必要な時だけ馬車の手配をしていたせいで、第八夫人がつけた護衛はついていけず、諦めて帝都のそばで小さいオスカー殿下を待ち構えて、帝都に帰る際に帳尻を合わせただけだ、と兄貴が暴露すると、魔獣たちはゲラゲラと笑った。

「東の魔女のデイジー姫と一緒にいれば護衛は必要ないけれど、帝都に戻って来たら体裁を整える必要があるのか」

 皇族らしくしなければいけない小さいオスカー殿下の事情にウィルも苦笑をした。

「それじゃあ、今、寮の外にいる怪しい気配とは何なんだい?」

 ケインの疑問に水竜のお爺ちゃんはニヤっと笑った。

 “……夜中にうろつく人物なんて憲兵以外は不審者だよ”

「魔獣に脅されても苦情は出ないってことだね」

 みぃちゃんのスライムがそう言うと、みぃちゃんとみゃぁちゃんとウィルの砂鼠が頷いた。

「魔獣たちのパトロールの結果を知りたいから、今晩は一緒に寝ようよ」

 部屋に戻っても気になって眠れない、とウィルが主張すると、仕方ないね、とぼくのスライムはぼくとケインのベッドを引き離してウィルのスライムにベッドに変身するように勧めた。

 不審者の気配のどさくさに紛れてウィルはぼくたちの部屋に居座ることになってしまった。

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