亜空間へようこそ
卵型の結界の中は亜空間だった。
あれは見せかけだったのか。
「じいじは自分が精霊たちに気に入られている事への自覚がなさすぎる」
「あれ?この前は、精霊に好かれているのは子どもたちだって言っていたでしょう」
「こんな爺さんを跡取りにするなんて無謀だから言わんかっただけじゃ」
領主様は、ここが亜空間か、などと言って床をペタペタ触っている。
この人は領主の座を退いても血縁もない部族の長は無理だろう。
「気に入られているからといって、何か特別なことが起こったことはないぞ」
テーブルとイスが三脚現れたので、ぼくたちは着席した。
「お前さんが無自覚だっただけじゃ。若かりし頃、一目ぼれした日に、その女の子のハンカチがお前さんのそばに落ちたじゃろ。そんなことは、そうそうあるものじゃない」
そんなことは起こらないとは……言い切れないかな。
「お前さんの親が決めた婚約者が、『真実の愛』とやらに目覚めて、お前の惚れた女の子の婚約者候補の帝国の皇子と、駆け落ち騒動を起こすことなんて、あり得ないじゃろ」
それは確かにあり得ない。
「聞き捨てならない登場人物がいるのですが」
帝国はぼくの両親の事件の元凶だ。
「我が家は王都の王家と代々交互に長子を嫁か婿に出すことになっておる。わしは王家の次女の姫と結婚して、王都の騎士団に所属することが内定しておった。だが、学園で長女の姫様という、未来の嫁と出会ってしまった。ふたりは一目で恋に落ちたのだ」
「嫁の方は一目ぼれではないぞ。精霊たちが手を回して、お前がカッコよく見えるように演出しておったではないか」
「そんなことはない。わしが彼女の帽子を奪った烏をやっつけたのも、湖に落ちそうになった彼女を救ったのも、精霊たちのお蔭なのか?」
お姫様がなぜ湖に落ちそうな状況になるのかな。護衛の騎士がマヌケなのか?
「どこからどう見ても、そんな状況にはならんじゃろう。まあ、彼女が最終的におまえに惚れたのは精霊たちの干渉のせいではないから、頑張ったんじゃな」
恋愛結婚できて良かったね、じゃなくて、どうして帝国の皇子が出てくるのだ。
「帝国は属国の姫を定期的に要求してくる。それで、長女の姫様の方が皇太子との婚約が内定しておった。それを邪魔しに来た第二皇子が元婚約者を見初めてしまって連れ出そうとしたのだ」
だから駆け落ちのようなものに仕立てたのか。
「まあ、恋愛小説のようにシナリオが作られて、醜聞を抑え込むことになったのだ。わしらはお蔭で結婚が認められて、王太子の邪魔をせぬように、ここの領主におさまったのだ」
「それだと交互に婚姻関係を結ぶ順番が崩れたのですか?」
キャロお嬢様が王家から婿をとるのか?
「いや、わしの妹が第二王子に嫁いだ。それがハルトおじさんの母だよ」
ええっ!
ハルトおじさんって王族なのか?
「びっくりしたか。あいつはわしより王位継承順位が高いぞ。殿下と呼ばれるのが嫌いなので、知らなかったふりをしてやっておくれ」
領主様も王位継承権があるのか。そうだね、交互に婚姻関係にあるのだから、当然か。
従妹同士で結婚を繰り返すのってどうなんだろう。
「お前の説明がおかしいから、カイルが混乱しておる。側室や養子もいるから、王家には時々別の血が入っておる。だが、血が濃いのは明白だ」
側室がいるんですね。
「そこまでして建国王の血筋を維持しておるのじゃ。だから、このじいじも精霊に好かれる素質があるのじゃ」
「キャロお嬢様は王家にお嫁に行かれる順番なのですね」
「このじいじを鍛えておけば、いずれ王都に行くあの嬢ちゃんに適切な教育が行われるだろうから、こうしてわざわざ亜空間に呼んだのじゃ」
「ぼくが居る必要はないじゃないか!」
「どうせカイルにも教えなくてはいけない事なんだから、二人まとめて教えた方がいいじゃろ」
そういえば、マナさんはめんどくさがり屋さんだった。
「キャロはどうなるのかわからんのだ。キャロの相手は、おそらく王太子のところに、これから生まれてくる子が最有力だ。春に生まれてくるのは王子なのだ。三才も年下ではキャロがかわいそうだろう」
「はい!質問があります。生まれてもいない赤ちゃんが男の子だと、なぜわかるのですか?」
出生前診断の方法が何かあるのかな?
「夢で見たんだ。うちの息子のところも春に生まれてくる子は男の子だから、妃候補はキャロになってしまう。だが、あんな奴にキャロをやりたくない」
領主様は予知夢を見ることができるのかな。
それとも精霊が関与しているのか?
「その夢では、太陽の熱や、木立から吹く風の香り、触れた人の温かさ、話す声や内容が本当の出来事のようなのですか?」
精霊のいたずらの時の白昼夢のようなものかな。
「ああ、孫をこの手に抱いた。温かくて乳臭かった」
「名前を呼んだんじゃろ?」
「……いや、元気な男の子だと呼びかけた」
ありそうな未来は見せることができても、わからないことは見せられないのかな。
「夢に干渉しておったのか。精霊たちは嘘をつくことはないが、契約しておらん精霊たちは自分たちに都合のいいことしか言わない。未来は確定しておらん。定まっていない未来の中から自分たちの好みの未来を見せておるだけじゃ」
「はい!質問があります。精霊たちが人間の政治に関与することは、ほとんどないはずです。領主様の夢に干渉して起こり得る未来を提示していくと、政治に関与していることになります。いいのでしょうか?」
「どんな未来を見せようとも、政策を決定しているのは領主自身なのだ。直接政治に関与してはおらん。じいじの嫁にじいじをカッコよく見せることはできたが、恋に落ちたのは、彼女の意志だ。精霊が強いたわけではない」
うちの精霊も好き勝手にやったけれど、ぼくに精霊言語を取得させることはできなかった。
結局はスライムが成し遂げてしまった。
「なるほど。領都を広げて繫栄する夢を見て、実際に広げた方がいい機会がやって来た。国の結界を支えるために、いずれ成さねばならない事であったのだ。事前準備が至らなかった故に、失策となってしまった。だが、次の夢では、広げた土地は活用され、酒も、醤油も醸造所があって、人口も増えていた。王家に物申せる、規模の経済力があったのだ」
精霊たちが誘導しているじゃないか。
「じいじの恋を応援したのは、彼女だったらお前さんは王都で上位になり過ぎ、帰郷を選択することになるからじゃ。精霊たちがこの地を好んでおるから、お前さんとここに居たかっただけじゃ。同じように嬢ちゃんを王都に嫁がせたくないから干渉しておるのじゃろう」
ああ、自分たちに都合のいいように導くといっても、この程度の思考なのか。
「だからちょっと精霊の干渉を逃れる練習をしよう。自分の夢に自分でツッコミを入れるのじゃ」
ノリツッコミを一人でやれ、と言うのか。
「カイル。領都が広がって、新たな産業ができ、人口が増える未来を夢で見たとしたら、どう対処をする?」
いきなりぼくから実演するのか!
領主様から期待のこもった眼差しがくる。
「精霊たちは嘘がつけないけど隠し事はする、という前提を忘れない事ですね」
「ほう、それで?」
やっぱり実演しなくてはいけないのか。
「領都を広げることで、充実していく街を堪能した後に、かかった費用を何年かけて回収するのか、具体的な数字を聞き出してみるのはどうでしょうか」
嘘のつけない精霊たちには、具体的な数字など出せないだろう。
「嘘がつけないから出鱈目な数字は提示しないけど、必ず成功しそうな酒蔵あたりを提示してくるじゃろう」
「衛生管理の方法とか、ここでも黒字になるための期間や醸造量などの数字でもいいかも知れません」
「なるほど、具体的な数字は答えにくいものだ」
領主様も納得したようだ。
「悪くないけど、手数は多い方がいい。じいじも何か考えろ」
「考えるのは文官の仕事だ。わしの仕事は幾つかの案の中から決定することだ」
部下が優秀ならそれでいいのだろうが、夢の中に文官はいない。
「ああ、いいね。どんどん未来を提示させてみろ。失敗も成功もどんどん見せてもらえばいい。そこから何を選ぶかがお前の仕事じゃ」
そういうのもありなんだ。
領政がそんなので決まっていいのか?
「とにかく、精霊たちはいつもそばに居る。そのことを意識することが、精霊たちにいいように使われなくなる第一歩だ」
自分の決断が、知らないうちに、居ると思っていないものに導かれている。
そのことに為政者が、気がつかないなんてまずいだろ。
「夢の導きと言って、領主の引継ぎの伝達事項にあったのだ」
「建国王から何代目かまでは精霊と契約があったのじゃろう。契約している精霊は契約者の意に反することはしない。精霊使いでもないのに精霊からの恩恵を受けようとしても、精霊にもてあそばれるだけじゃ。だが、精霊使いになれる素養を十分高めた時には、だいたい老人になっておるもんじゃ。いくら不老不死でも契約精霊の能力を越える事態に遭遇したら死ぬもんじゃ。そうして大事なことが失伝していったんじゃろう」
「それならば、わしが精霊使いになればいいのか!」
そっちを目指すのですか!
「領主を引退してから目指すんじゃな。精霊言語を取得するだけで、発狂するものもおる。責任のない立場じゃないと、周囲が迷惑をこうむる」
発狂する?
精霊言語ってそんなに危険なものなのですか!
「そんなに危ない事なのか?」
領主様も、ご先祖様ができたことだからそこまで危険だと思っていなかったのだろう。
「カイルの教育を急いでいなかったのはそのせいじゃ。素質があっても、大量に押し寄せる情報を巧く処理ができなければ、能力に心を壊されてしまう」
「わしはその点は大丈夫だ。だてに年は取っておらん」
「お前さんは、人に恨まれている自覚がないのか。為政者など敵だらけであろう。人がうわべを脱ぎ捨てた純粋な悪意や罵詈雑言を、四六時中聞かされてみろ。なかなかの拷問になるぞ」
領主様なら、人柄はさておいて、立場上物凄くたくさんの人に恨まれていそうだ。
「カイルのことで心配しているのは、薬草を採取する際に『やめて、摘み取らないで』とか、家畜とすれ違って、『屠殺所は勘弁してください』とか聞こえたら、ご飯も食べられなくなるじゃろう」
「「そんなことを言っているのか!!」」
「いや、言っておらん。でも、言うかもしれんじゃろう。有象無象の思念がごちゃ混ぜで聞こえてくるのじゃ、あったとしてもおかしくない」
それは発狂するかも知れない。
ぼくの場合は最初から細かい声は聞こえなかったぞ。
「精霊言語を取得するには、まずは精霊たちの存在に気がつくこと。その次は気にしないでいる胆力を身に付けなければならない。それができずに駄目になった弟子が幾人もおった」
鈍感力が必須なのか……。
うちの精霊たちを無視し続けたから身に付けられたのかな?
おまけ ~とある精霊の逡巡~
好みの魔力を持つ赤子を気にかけて、幾年か過ぎた。
腕白な少年に成長した赤子は、将来は王都の騎士になるべく、王都の学校に進学した。
王都はごちゃごちゃとしていて、負の気配さえあった。
ここはとても居心地が悪い。
私は少年を見捨てて、帰ろうかとも思ったが、あいつは恋に落ちた。
その時私は一つの未来を拾った。
彼女ならばあいつは帰郷することになる。
私がそう気がついた時には、彼女のハンカチがあいつの前に吹き飛んだ。
風の精霊が気を利かせたようだ。
それから、王都の精霊もこの恋物語に興味を示し、あいつをヒーローに仕立て上げようと、彼女に嫌がらせ寸前の行為をし始めた。
低級の精霊たちは品がないから、私が止めねばならないこともしばしばあった。
湖でのピクニックで、お弁当をたくさんの鼠に襲わせるのを止めている間に、蛇を彼女の首筋に落として、湖の方に走らせていたのだ。
たまたま通りがかったあいつが、落ちる寸前の彼女を抱きとめて、蛇を湖の中央まで投げ捨てることで、彼女から熱い視線をもらえるようになった。
あとは、いくつも騒動があったが、拾った未来をなぞるように、卒業後は領に戻ることができた。
あいつが精霊使いになれるとは思わない。
だが、私以外の精霊と契約するようなら、私が契約してやってもよい。
あと80年でも過ぎて経験を十分に積んだなら、考えてやってもいい。
その前に寿命が尽きるだろうから、孫娘でもいいだろう。
あいつが人の機微に配慮ができるようになったら、いつでも契約してやるのに。




