アドニスとマテルの今後
「終戦協定が本当に締結されてるようじゃな。前線の精霊たちが喜んでいる」
マナさんの言葉に月白さんとワイルド上級精霊が頷いた。
第三皇子の情報漏洩はフライング気味だったけれど、まあ、ほぼ正確に戦争終結時間を言い当てた。
村長宅の大広間でも戦争で土地の魔力が失われなくなったことを喜ぶ精霊たちが光り出した。
精霊たちがぼくの周りに妙に集まってくるが、戦争終結の立役者は第三皇子だ。
“……ご主人様。今回は完全に裏方でしたが、ご主人の僕たる私とご主人様のスライムがいなければなし得なかったことです。精霊たちがご主人様に感謝するのは当然です”
精霊言語でのシロの説明に月白さんとワイルド上級精霊は、当然だろう、と言いたげにぼくとぼくのスライムを見ると、テーブルの上のぼくのスライムがワイルド上級精霊に褒められた感激に打ち震えていた。
「カイルの周りにやけに精霊たちが集まっていないかい?」
ウィルの指摘に、いつものことでしょう、とキャロルとミロがにべもなく言うと、ベンさんはぼくのスライムをじっと見て小首を傾げた。
「オーレンハイム卿夫人のお抱え脚本家に自叙伝を書けって説得していなかったかい?」
そういえば、ぼくのスライムがノーラにオーレンハイム卿夫人好みの話ではなくノーラ自身の物語を書くように勧めたことが事の始まりだった!
ぼくのスライムは終戦協定の陰の立役者だというかのように得意気に胸を張って触手で親指を立てるような仕草をした。
「そうなのか!やっぱりカイルが一枚かんでいたのか!」
「ノーラさんは南方戦線で夫と弟をなくされた未亡人で、傷痍軍人を弟のように可愛がっていましたからね。彼が自立のためにノーラさんと別れることになった時に、そのやるせなさを物語にするように勧めただけです」
まあ、あれは実話をもとにしていたのですね!と第三皇子夫人は頬をほんのりと紅潮させて興奮して言った。
どうやら第三皇子夫人もノーラの舞台の熱心なファンのご婦人の一人だったようだ。
「アドニスが帝都に来る頃にはもう公演は打ち切りになっているでしょうね」
一緒に行きたかった、と第三皇子夫人がアドニスにがっかりしたように言うと、新作があるはずですわ、とキャロルが第三夫人を慰めた。
精霊たちが漂う応接室でアドニスとマテルの今後について話し合いが行われた。
南部戦争の終結に伴い、マナさんはしばらく南方諸国の激戦の跡地を調査しに行くとのことで、旧ラザル国に立ち寄る時にマテルを迎えに来ることにして、それまでマテルはぼくたちと行動することになった。
ぼくたちは大聖堂島に当初の予定より長くいすぎたので、ぼちぼち帝都に向かうことになった。
そうすると帝都の第三皇子の別邸が間に合わないだろう、と予測できたので、完成するまでアドニスはガンガイル王国女子寮の客室で過ごすことになった。
「ガンガイル王国寮は素敵なところです。設備が素晴らしいのはもちろんですが、学習意欲の高い、個性的な寮生たちからいい刺激を貰えますわ」
お泊り会が楽しかった、とマリアがアドニスに説明すると、第三皇子夫人は嬉しそうに微笑んだ。
「別邸にガンガイル王国寮ほどの設備の用意はできないかもしれませんが、あなたの希望を聞いてゆっくり整えますね。それまで皆さんにお世話になります」
よろしくお願いしますと頭を下げた第三皇子夫人の言葉に、自分の希望?とアドニスは首を傾げた。
ずっと教会の一室で苦痛に耐えながら聖典を読むだけだったアドニスには、自分の好みや自分の意見を持つということがどういうことかわかっていないようだった。
「少しずつ自分を探せばいいんだよ。神学生候補の服をデザインしていた時のようにスカートよりキュロットスカートがいいとか、さし色はピンクが好きとか、そんな風に、ひとつずつ自分の好きを発見していけばいいんだよ」
自分を知ることを楽しもう、と声を掛けると、アドニスは嬉しそうに微笑んだ。
「そうですね。あなたの好みがあの頃と変わっているだろうからと思って、私も言い出せなかったのだけど、ひとつずつ聞いていけばいいのね」
知らないからこそ知る楽しさができた、と第三皇子夫人は微笑むと、収納ポーチから大きな花のついたカチューシャを取り出した。
「あなたはピンクの大きなお花が大好きで、大きなリボンのヘアーバンドに一輪の椿をさしてあげるととても喜んだのよ。でも、それは三歳の時のあなたの好みだったし、少年のように短い髪のあなたにこれをあげていいものか躊躇ってしまったの。今のあなたの好みでなければ作り直すから教えてちょうだい」
大きなピンクの薔薇が五つもついたカチューシャを受取ったアドニスは声をあげて笑った。
「可愛いです、お母様。……だけど、普段使いには少し派手すぎるから、小さい薔薇が三つこの辺りについたものなら素敵だと思います」
派手だ、といいつつも受け取ったカチューシャを頭につけると、金髪と水色の二色のボブカットの髪に淡いピンクの大輪の薔薇を身につけたアドニスは絵画の中の美少女のように幻想的な美しさだった。
まあ、素敵!と女性陣が色めきだったが、普段使いには向かない、これに合わせたドレスが必要だ、とワイワイ話し出した。
女性陣がアドニスからどんな服装が好きかとワイワイ聞き出していると、キャロルが何か思案するように斜め上を見ていた。
「第三皇子夫人はこういった小物を手作りなさるのがお好きなのですか?」
「ええ、アドニスや他の子をなくしてから、手慰めにリボンやレースで小物を作って楽しんでいます」
「お人形の衣装など興味はありますか?」
女性陣が衣装の話になると長いので、帝都に着くと帰国の旅路につくクリスが地図を片手に南方視察をするマナさんの滞在先を質問していたのに、小耳に挟んだキャロルの質問の意図を察してぼくとケインとウィルは振り返った。
「ええ、好きです。この年では着られないドレスや小物で人形を飾るのは好きですわ」
どうしてそれをご存じですの?と言う第三皇子夫人に、見ればわかる、というかのようにみんなの視線はアドニスのカチューシャに集まった。
「実は、私、帝都に到着したら大叔母様、つまり第三夫人と面会できそうな運びになっているのですが、なにぶん長く離宮に引き籠りになっている大叔母様ですので、話のとっかかりに人形の衣装を先にプレゼントしておいて、当日、私が人形とお揃いの衣装で面会に臨もうかと考えているのです」
「まあ、それはいい考えですね。姪御さんとはいえ初対面ですもの、話のとっかかりがあった方がいいですわね」
第三皇子夫人は第三夫人がキャロお嬢さまと面会するという状況に驚きつつも、話を合わせた。
「ええ、大叔母様と本当に面会できるかどうかは、当日、(皇帝陛下のさじ加減一つで)覆るかもしれないことは覚悟しています。ですが、私、大叔母様の少女時代によく似ているようなので、なるべく当時の衣装に近いけど今っぽいデザインのドレスにしようと考えていますの。ただ、大叔母様はフリルやリボンやレースが大好きなようなので……」
「まあ!それは素敵ではありませんか!」
キャロお嬢さまの意図通り第三皇子夫人は時代考証をしながらフリルやレースで飾り立てる衣装に興味を示した。
「それでですね。面会当日、従者としてクレメント夫人を同伴しようと考えていますの。彼女を従者らしく前に出すぎない衣装で、かつ、この年齢にふさわしいレースやフリルを使用したドレスにしつつ、どこかワンポイントで人形の衣装とお揃いにしたいのです」
クレメント氏をレースとフリルで飾り立てる、というキャロお嬢様の提案にウィルは吹き出すのを堪えて顔面と腹筋に身体強化を掛けた。
当のクレメント氏は、従者という立場上自分から発言できないことを覚悟して面会に臨むのに、第三夫人から話を振られそうな状況に持っていける機会を逃すまいと、真剣な表情で頷いた。
緑の一族の女性たちは、クレメント氏が女装お爺さんだ、ということを知っているので、目が爛々と輝き頬が緩みっぱなしになっている。
「シルバーを基調にしたレースに、さし色として淡いピンクと萌黄色を合わせてみると壮年の女性でも似合いそうですね。キャロライン姫には淡いピンクを基調にして、さし色に萌黄色と黄緑を入れると少女らしく可愛らしいドレスになるでしょうね」
ミーアが第三皇子夫人の発言をもとに女子たちで描いていたデザイン画に修正を入れた。
「素敵なデザインですね。大人らしい落ち着きと可愛らしさは両立するのですね」
村長夫人が感心したように言うと、こういうデザインなら私も着られそうだ、と第三皇子夫人は嬉しそうに微笑んだ。
女性たちの話の衝撃箇所はクレメント氏の女装がパワーアップするところだけだったようなので、ぼくたちはマナさんの南部地域の視察の話に集中した。
終戦協定で緩衝国となった地域の周辺は東方連合国縁の帝国軍人を領主に擁立し、独立のための抵抗勢力(旧南部連合国軍残党)に準独立領の指針(帝国に所属していても独自の文化を継承する方針)を表明させることで、東方連合国の大陸側のようにほぼ独立国家と変わらない治世になることを明示する方針らしい。
「新領主の手腕次第で現地の住民の待遇が大きく変わるだろう。いち早く成功した領地を基準事例にして、早めに南部地域を安定させ、旧南部連合国軍残党をゲリラ組織にしないように手を打とう、というのが第二皇子の方針です」
記憶力のいい第二皇子は軍関係者の中から東方連合国縁の軍人を集めて、新領地の臨時領主にする方針を立てたらしい。
「各地域に誰を派遣するかの調整は第五皇子が行なっている。私はドルジを送り込んだだけだ」
第三皇子は相変わらず人任せな所業をいかんなく発揮させていたが、適材適所なら第三皇子が直接関与するよりよっぽどいい。
「ドルジの領地を足掛かりにして、早めに旧ラザル国を立て直した方が良さそうじゃ。そうでないと、旧南部連合国残党はマテルを独立の旗幟として利用しようと考えるだろう。旧ラザル国が帝国征服下に置いて発展することにマテルが貢献すると、裏切り者呼ばわりされるかもしれないが、いいんじゃろうな?」
マナさんがマテルに確認を取ると、マテルは力強く頷いた。
「覚悟はできています。祖国の人たちに裏切り者と後ろ指をさされても、祖国の地で暮らす人々が安寧に暮らせることを優先します」
マテルの決意に月白さんとワイルド上級精霊は頷いた。
精霊たちにとってはどの国家が支配するかではなく、土地の魔力が世界中にきちんと循環する方が大事なのだろう。
“……ご主人様。旧ラザル国は今後の情勢次第で無血独立できる可能性もあります。マテルや住民たちの行動次第なのです”
肥大しすぎた帝国は仮に現皇帝が崩御したらこの規模の国土を維持できないだろう。
そのどさくさに紛れて旧ラザル国は独立することもできる、ということだろうか?
たった一つの出来事で未来が大きく変わるので、まだ確信が持てないことについて慎重になる兄貴は難しそうに小首を傾げた。
帝国から帰国する前にクリスでも立ち寄れそうな南方諸国をマナさんとワイルド上級精霊が話していると、あっとぼくのスライムが声を発すると同時に、ぼくのスライムの分身に包まれた一人の男が大広間の真ん中にどさっと転移してきた。
「罠にかかったアリオか!」
立ち上がった教皇の言葉に月白さんは首を横に振った。
「こいつはアリオではありませんね。まあ、またしてもトカゲのしっぽのように切り落とされた実行犯でしょう」
月白さんの発言にワイルド上級精霊とぼくのスライムが残念そうに頷いた。




