南部戦争の終結
「この面々を見てもわかるとおりに、偶々の巡り合わせと考える方がいいんじゃ。御大層な使命だと考えると狂った連中の大義名分にされてしまう」
マナさんの苦言に、申し訳ない、と教皇は謝罪した。
「娘の前でいい格好をするつもりはないのだが、……実は、手土産になりそうな話はある」
第三皇子はこの面々、と揶揄された側に自分がいることを理解したうえで、生き別れた娘との再会の場が東西南北の砦を守る一族の末裔と世界中の土地の魔力の流れを整える緑の一族との交流の場になった偶然に自分がいることに意義があるかのように得意気に言った。
「南部戦争はまもなく終結するだろう。帝国と南方諸国と調整が順調に進んだ。後は、陛下が協定書にご署名をするだけの段階まで進んでいるから間違いない」
第三皇子の爆弾発言に第三皇子夫人も小さいオスカー殿下も驚きのあまり、エっと声を発したきり無言になり、本当か!と言いたげな表情で第三皇子を見つめた。
「よくやった、と言いたいところじゃが……あまりに犠牲が多すぎた」
マナさんの言葉にマテルと第三皇子はそれぞれの立場を踏まえた表情で頷いた。
「停戦協定ではなく終戦協定なのですね」
ベンさんは第三皇子に本当に戦争が終わるのかを再度確認すると、第三皇子は頷いた。
「間違いなく事実上終戦協定となる文書の署名が今頃成されているはずです」
第三皇子が語気を強めて間違いないことを強調すると、そんな大事な日に帝都を離れていていいのか?とアドニスが心配したような視線を第三皇子に向けた。
「いいんだよ。私には大帝国の皇帝の資質などない。妻へのプロポーズの言葉でも明言していた。皇位継承者として外れた行動をするが、アドニスのために無理をしたのではなく、元来こういった性分なんだ。まあ、大事なのは協定書の作成であって調印式に皇族然として並ぶことではない」
第三皇子の言葉にぼくたちは全力で頷いた。
終戦協定のために本当に第三皇子が奔走したのだとしたら、ポンコツ皇子ではなく充分やり手の皇子に成長したと思う。
間違いなく第三皇子が奔走した、と裏付けるかのように兄貴とシロが頷いた。
厳しい言葉をかけたマナさんと違い尊敬の眼差しをぼくたちが第三皇子に向けると、優しくていい子たちだろう?と第三皇子はアドニスに語り掛けた。
「彼らがアドニスを受け入れてくれるなら安心だ、と妻にも言っていたんだ。すぐにでも会って抱きしめたかったが、私たちは私たちの気持ちを前面に押しだす傾向が強いから、待つのも私たちの試練だと考えることにしたんだ」
第三皇子の言葉に第三皇子夫人は頷いた。
「ええ、カイル君たちと一緒に過ごす時間を持てた方が過酷な目に遭ったアドニスが心から笑える時間を過ごせると考えたのです。私たちの離宮ではアドニスが寛げる環境ではないと判断しました。深窓のお姫様になることをアドニスが望んでいるとは思えなかったのです」
第三皇子夫人の言葉にアドニスは頷いた。
「教会の中に閉じ籠って生活していた私には世間が全くわかりません。窓の外に広がる植物が何なのか、どうやら美味しいもののようですが、村長とお父様の話に出てきた魔法学校の競技会もポップコーンも何も知りません。お父様とお母様と暮らすのが嫌なわけではないんですが、私は普通の暮らしをしてみたいのです」
「わたしもポップコーンの元があんなに背の高くなる植物だとは知らなかった。ああ、でも、アドニスの言う、普通の暮らしは普通じゃない。緑の一族が特殊な一族と言うのではなく、救助されたアドニスが出会った最初の子どもたちが砦を守る一族の末裔たちだったからだよ」
第三皇子の言葉に村長夫妻は頷いた。
「普通の子どもたちは族長のお眼鏡にかなわないですよ」
マナさんが孤児たちを片っ端から養子にするわけではない、と村長が言うと月白さんとワイルド上級精霊が笑った。
「彼らが普通じゃないことを踏まえておくだけでいいよ。普通じゃないけどカッコいいだろう?アドニスだって普通の皇族になる必要はない。だが、アドニスが陛下の血筋であるということは事実だから皇族である責任からは逃れられない。私はその交渉のために奔走していたら、終戦協定書を作製する羽目になってしまった」
何でそうなるんだ?とぼくたちは目が点になるほど驚き、月白さんとワイルド上級精霊は静かに微笑んでいた。
第三皇子が動けば大事になる、という法則がいい流れに向かったようで、終戦は大歓迎だ。
「アドニスの皇籍を復活させるのではなく、私たちの養子、と言うことで新たな戸籍を作れないかと陛下に上奏したら、休戦協定ではなく終戦協定を締結させる段取りを組めれば認めてやる、とおっしゃられたのだ」
「アドニスの皇籍と南方戦争は関係ないじゃろう?」
マナさんの突っ込みにぼくたち全員が頷いた。
「アドニスと南方戦線は関係ないが、アドニスはガンガイル王国とのつながりが深くなりすぎている」
それはそうだが、アドニスと南方戦線とガンガイル王国では話がまだ繋がらない。
怪訝な表情をするぼくたちに第三皇子は頷いた。
「ふむ、私も陛下が何をおっしゃっているのかよくわからなくて、離宮に帰ってから妻の話を聞いて納得した」
第三皇子に話を振られた第三皇子夫人は夫の話の続きを話し出した。
「殿下はしばらく帝都を離れていらっしゃいましたからご存じなかったのですが、とあるお芝居が帝都で大人気になっているのです」
第三夫人の話がまたもや脱線したことに、事情を知らないマテルや村長夫妻が、何を言い出しているんだ、と言った表情になった。
「南方戦線に派遣された兵士たちやその家族たちの祖国への愛と家族愛、そして愛するが故の離別が題材のお芝居なのですが、身分を問わずに大流行しているのです」
小さい芝居小屋で始まった舞台の観客のほとんどが夫や息子が軍人の市民たちだったので、庶民の間の話題作と言う扱いだったが、最近、景気の良くなった帝都の市民たちの間で関連書籍が飛ぶように売れたらしい。
「陛下の第三夫人が全ての関連本を集めている、と言うことが宮廷内で囁かれるようになると、ガンガイル王国と交流を持ちたい夫人たちの間で必読本となったことで、貴族の間でも流行するようになりました。家族愛、恋愛、と女性が好む要素が多かったので、小さな芝居小屋のチケットは高騰し、劇場を貴婦人たちが占拠するようになったのです」
「貴族女性の間に反戦ムードが高まったということかい?」
ベンさんの問いに第三皇子夫人は頷いた。
「ええ、それだけではないのです。ブームの火付け役になった第三夫人が離宮にお籠もりになっているのでお芝居をまだ観ていない、と言うことがご婦人たちの間で囁かれるようになってしまったのです」
輿入れして以来公の場に姿を出していないどころか、離宮から一歩も出ていないという状態だから、誰にでもわかることじゃないか。
「第三夫人が陛下のお気に入りだから囲い込んでいることは周知の事実ですから、表立って誰も言わないのですが、台本を読むだけではなく、芝居を見た方がいい、とお芝居にはまってしまって何回も見に行ったご夫人たちは、何とかして第三夫人にご覧になってほしい、と画策し始めたのです」
熱心なファンによる布教活動のようなものか、とぼくが考えていると、キャロお嬢さまとミーアは合点がいったかのように顔を見合わせて頷きあっていた。
「もしかして、そのご婦人たちが離宮の庭で野外公演でもしようとしたのかい?」
マナさんの言葉に第三皇子夫人が頷いた。
あああああ、ぼくもわかった!
「ガンガイル王国の王族の大きいオスカー寮長殿下でさえ面会できないのに、どこの馬の骨とも知れない舞台俳優たちを離宮の庭に入れたくない皇帝陛下が、芝居のブームを終わらせるためモデルになった戦争そのものを終結させて、芝居のブームを強制的に終了させようとしたのですね!」
ケインの推測に第三皇子夫人は頷き、マテルは渋い表情になった。
「攻め入られる方は堪ったものじゃないけれど、開戦のきっかけは第三夫人の地位確立のためだった、と私は踏んでいましたのよ」
ガンガイル王国の王女様にふさわしい地位を得るために皇帝になり、子を生さない夫人が降格されるのを防ぐために各派閥間の対立をあおりながら疲弊させるため戦争を続け、派閥に順番に派兵させ続けていれば、強い皇帝と言う印象を強調できるだけでなく、第三夫人に向かう各派閥の嫌がらせを他の夫人たちに向かわせていたのではないか、とデイジーは推測していた。
皇帝の第三夫人への溺愛ぶりを話に聞いているぼくたちは、あり得る、と納得したが、そんなことで戦争が勃発したのか、とマテルは嘆いた。
「帝国はかつての皇帝が、東方連合国原産の豚が食べたい、と言っただけで東方連合国の一つの島国を滅ぼした歴史がありますよ」
「ああ、あれは、ハムだったね。この美味いハムを毎日食べたい、と言っただけで、ハムを献上させるのではなく、原材料を根こそぎ征服する手段に出たんじゃ。いい迷惑だよ」
帝国の小国に対する態度にうんざりしたようにマナさんが言うと、歴史上も皇帝の行動に第三皇子と小さいオスカー殿下が、申し訳ない、と頭を下げた。
「理不尽に思うかもしれないが、歴史が動くときとは案外どうでもいいことがきっかけじゃったりするんだ。腹を立てていても未来は変わらん。前向きな思考をしよう」
マナさんの励ましにマテルは頷いた。
「それで、終戦協定はどういった形に落ち着いたのですか?支障のない範囲でかまわないので伺ってよろしいでしょうか?」
ベンさんの質問に、ハハハ、と第三皇子は軽く笑って頷いた。
「かまわないよ。今頃、調印式が終わっているころだから、包み隠さず話せるよ」
南部戦争は帝国軍圧勝による終結、という形式をとっているが、南方諸国連合軍は降伏をしていないとのことだった。
現在、停戦中だった戦地を独立国家として緩衝国とし、すでに帝国が実行支配している地域を帝国の国土とする。
そのことで帝国は勝利宣言を出すが、南方諸国連合軍は事実上多くの加盟国を滅亡させたが降伏なしで終戦を宣言することで妥協したとのことだった。
「旧ラザル国は帝国の国土となってしまったが、小さい国だったから、今回の褒賞として私の領土になるだろう。だが、私はあんな帝都から遠いところに居を構えるつもりはないから、とある軍人を昇格させて任せようと考えている。まあ、あの男はあの辺の土地を多く買っているから、たっぷり魔力を供給するはずだ」
この話はまだ内密に、と言って第三皇子は笑ったが、話の流れからチョコレート農場主になりたがっているドルジさんを昇格させて領主に任命するのだろうと気付いたマテルは、信じられない!と言いたげな表情で第三皇子を見た。
「国は滅びても土地は変わらずそこにあり、荒れ果てた地で暮らす人々がいるのなら我が一族が出向くのは当然のことじゃ」
アドニスが第三皇子に面会するために緑の一族の村を訪問したのに、戦争が集結してマテルが祖国に戻る道筋ができるなんて、凄すぎる。
兄貴やシロはこうなることがわかっていたのに黙っていたのかな?
兄貴とシロは困ったように首を傾げた。
“……ご主人様。アドニスに関しては邪神の欠片を携帯していたから全く太陽柱に存在がなかったのですが、救助されてから無数の未来の映像が太陽柱に出現しました。ですが……”
“……第三皇子は自信満々に戦争終結が確定したように語っていたけれど、ドルジさんを巻き込まなかったら正直危なかったんだ。戦争終結に反対する勢力は依然としてあったところを、自分の領地が持てるかもしれない、となったドルジさんががぜん張り切って活躍したんだ。元々、諜報部員だったから鮮やかなお手並みだったよ”
よかったね、とマテルにみんなが声を掛ける様子を、シロと兄貴から精霊言語で裏事情を聴いたぼくとケインは呆然と見ていた。




