うちの子にならんか?
朝食のテーブルの上に山盛りにあったホットケーキがデイジーとキュアによって全て平らげられたころ、第三皇子を見送ったマナさんが戻ってきた。
「カイルと魔獣たちによろしくと言っていたよ」
「のぞき見していましたから知っています」
ぼくの返答にマナさんはハハハと笑った。
ゾーイの魔術具を検分する約束をしたクレメント氏は教皇と共に大聖堂に行ってしまい、ぼくたちは朝食の片付けを済ませた。
椅子やテーブルや食器まで土魔法でできていたことにアドニスは驚いた。
「いちいち持ち運ぶ労力を考えたらその場で魔法で作ってしまった方が手っ取り早いでしょう」
「魔法学校で基礎魔法を学んで使用しないなんてもったいないです」
魔法は使うことで修練される、とキャロルとミロが主張すると、うんうん、とマルコは頷いた。
「私は長い間、国のため以外に魔力を使用することはもったいないと考えていましたが、成長期に魔力の使用を控えるなんて鍛錬から真逆の考え方だった、とあの頃の自分を残念に思いますね」
「私もこれから鍛えれば成人までにこんな魔法が使えるようになるでしょうか?」
尊敬の眼差しでぼくたちを見ているアドニスが質問すると、できるようになる、とぼくたち全員が即答した。
食後のアドニスの祠巡りに女子全員が付き添い、ぼくたちは聖典の続きを読むために礼拝所に向かった。
「読み進めていけばいくほど、神々の相関性がわからなくなるね」
「副読本が必要だという意味が分かったよ」
古語に慣れていない新入生たちは聖典を読み解くことを諦めて丸暗記すべくブツブツ呟いていたが、自領で古い資料を読み込んでいたのか読むだけである程度内容が把握できるウィルとイザークは聖典の内容が理解しにくいと嘆いた。
数年前に誕生した発酵の神の章は現代語だったので読みやすかったが、他の神々の章は文字を失った人類が新たな文字を誕生させてから創造神によって書き換えられた数百年前の言葉なので現代とは違う意味の言い回しも多くあった。
「神様の関係図を作ってみたくなるよ」
「作ったらレポートの資料になるからやってみようよ」
ケインの意見にぼくがのると、いいね、とみんなもやる気になった。
「やっぱりご加護を貰いたい神の眷属神を中心にまとめたいよね……」
クリスが武勇の神のページをめくろうとすると精霊たちが集まってきて聖典のページをパラパラとめくり始めた。
「ぼくたちに決定権はないようだね」
神々の不興を買わないためには聖典のページが開いたところから取りかかるしかなかった。
挿絵はウィルとぼくが担当し、文書を読み上げてざっくりと解読する作業をイザークとケインと兄貴が担当し、その他の生徒たちで文字起こしをしながら神々の相関図を作っていると、早朝、アドニスが回り切れなかった祠巡りを済ませた、女子たちも合流した。
「予想よりも早かった、ということは部分的な身体強化にアドニスはもう慣れたんだね」
凄いじゃないか、とぼくが褒めると、嬉しそうにアドニスは頬を紅潮させた。
「みなさんの教え方が上手で、効率よく身体強化を使う方法をすぐに習得できました」
キャロルやミロが教え上手だとアドニスが褒めると、呑み込みの早さが尋常じゃなかった、とマルコが感心した。
「特殊な魔術具に魔力を取られるのを抑え込んでいた期間が長かったから、部分的に魔力を集めつつも魔力を抑える感覚に長けているんじゃろう」
アドニスの体に邪神の欠片が移植されていたことは、アドニスが実家に戻る選択をしなかったとしても外聞が悪いということで『特殊な魔術具』と表現することになっていた。
地上に存在していてはいけない邪神の欠片の存在を口外しないようにする配慮と、跡形もなく消え去った邪神の欠片の影響が今もアドニスにあるかのように聞こえかねないので『特殊な魔術具』と表現することで、外してしまった現在は問題ない、と明確にするためでもあった。
マナさんはぼくたちが走り書きのようにまとめていた神々の相関図を見て、旧聖典と変わらないな、と呟いた。
旧聖典を読んだことがあるのか?と若返っていることを知っているボリスとウィルが驚愕の視線をマナさんに向けると、マナさんはケタケタと笑った。
「緑の一族の族長となる際に多くの事柄を先代のカカシから学ぶんじゃ。かつては誰でも聖典を読めたので、古い聖典の内容も緑の一族の引継ぎ事項にあったのじゃよ」
族長になるためには緑の一族の知識を全て学ぶ必要があるのか、とみんながぼくを見たが、ぼくはカカシになるつもりはないので首を横に振った。
「緑の一族の族長は血縁者でなくてもなれるんじゃ。ここにいるみんなは精霊たちに好かれているから、最低限の条件は達成している。後はよく学べば一族の知識を継承する資格を得られるよ。族長の仕事に興味を持ったなら、うちの子にならないかい?」
後継者を募集中だ、とマナさんが言うと、かつて跡継ぎにならないか、と誘われたことのあるケインとボリスが、まだ言ってる、と笑った。
「緑の一族の村においで、と私に言ったのは、私に同情したのではなく、本当に養子にしたかったのですか?」
アドニスが驚いてマナさんに詰め寄ると、マナさんは即座に頷いた。
「ああ、うちは学ぶことが多いから跡継ぎ候補は何人いたっていい。アドニスはいつだってわしを頼ってくれていいんじゃ。両親と再会した後にでも、ゆっくり考えておくれ」
マナさんはアドニスに、王宮に入るか、孤児院か、という選択肢以外もあることをやんわりと伝えた。
「私、聖典の内容は全部頭に入っています!私なら緑の一族の知識も覚えられると思います!」
突然、族長候補に立候補したアドニスにマナさんは豪快に笑いかけた。
「それは嬉しい言葉じゃが、抜け駆けしたようでアドニスのご両親に申し訳ない。前にジュエルやマルクより先にカイルとケインとボリスに聞いてしまって、叱られたことがあるんじゃ」
またやってしまった、とマナさんが自分の額をペシンと叩いて言った。
「本当に誰でも立候補できるんですね」
祖国をなくしたマテルが興味を持ったのかマナさんに確認した。
「ああ、そうじゃ。族長として認められるまでの期間は長いが、素質と素養があると精霊たちに認められたら血筋なんて関係ない」
精霊たちに認められたら、という言葉に、無理か、とマテルはがっかりしたように項垂れた。
ハハハと笑ったマナさんはマテルの肩を叩いた。
「南方戦線が落ち着いたら緑の一族を派遣する準備はできている。今しばらく南方は厳しいが、そう焦ることはない」
緑の一族の知識を得て故郷の復興に一役買うことができれば、と考えていたことをマナさんに見透かされたマテルは恥ずかしそうに俯いた。
「緑の一族の族長の知識を得るまでに、マテル君が考えているよりずっと長い期間かかると思うよ」
マナさんがお婆さんになるまで精霊たちに認められなかったことを知っているボリスは、マテルがお爺さんになるくらいかかるよ、と呟くと、ぼくとケインと兄貴も頷いた。
「なに、族長になるならないは関係なく、わしの養子になれば帝国の魔法学校に留学することに政治的な配慮がいらなくなるから、カイルたちと一緒に魔法学校に通えるぞ」
マナさんの提案にマテルは驚きで腰が砕けたようにへたり込んだ。
「そうね、みんなで魔法学校に通えたら楽しいでしょうね」
東方連合国混合チームに入らないかい?とすでにマテルが帝都の魔法学校に入学する未来を見ているようにデイジーが言った。
マテルにはカカオの買い付けに協力してもらう予定だったのに、とチョコレートの原材料確保についてぼくの脳裏をよぎったが、マテルと魔法学校に通う方が楽しそうだと考え直した。
“……ご主人様。マテルがカカオの買い付けの仲介に入ると、身を寄せている親族が利権の匂いを嗅ぎつけてマテルの利益を奪おうとします。カカシがマテルの親族との間に入る方が上手くいくので、お任せしましょう”
シロの説明に兄貴も頷いた。
親族との間にお金が絡むとマテルが嫌な思いをしそうなことは、ぼくも両親の遺産の時に経験しているので理解できる。
「お国の復興なんて大それたことは手伝ってやれんが、マテル一人くらいなら保護することはかまわんよ。お金の心配もしないでいい。わしが移動する土地は豊作間違いなしじゃから金には困らん一族なんじゃ。気にすることはない」
マテルの肩をトントンと叩いたマナさんを見つめたマテルとアドニスは、聖女様、と呟いた。
「わしは世界中の人々を救えないが、マテルやアドニスを援助することならできる。二人が成長し、この世界のためになる働きをすれば、二人じゃなくもっと多くの人々を助けることができるじゃろう。わしはそうやって人を育てていくことで世界がよくなっていけばと考えている。なに、そう肩に力を入れなくていい。わしが育てた娘たちの全員が立派に育ったわけじゃない。立派になれなくたって、丈夫に育って幸せになるだけでもいいんじゃよ」
マテルとアドニスはマナさんの言葉に涙ぐんだ。
「アドニスは実の両親の元で暮らすことを選んでもいいし、うちの一族に来たっていい。どちらにしたってカイルたちと一緒に魔法学校に通えるだろう。ゆっくり考えなさい」
マナさんの言葉にアドニスは嬉しそうに頷いた。
マナさんの話に一区切りがついたところで、ぼくたちは神々の相関図を作る作業に戻り、その日一日をかけて七大神とその眷属神の相関図をざっくりと仕上げた。




