はやる親心と老婆心
“……自覚がないようだけど、頭の中に居ついている精霊以外にもカイルのファンの精霊が多くいるから、話にどんどん尾ひれがついて、世界中の精霊たちが知っている状態だよ”
兄貴はぼくの肩を叩きながら精霊言語で説明した。
“……ご主人様。精霊たちは販売された土壌改良の魔術具の制作者としてご主人様を認識しています。世界の理から切り離された土地を再び世界の理に結び付け、瀕死の精霊の声を聞きつけたら魔力枯渇を起こしても挫けることなく救出したのですよ。英雄として称えられて当然の存在です”
犬型のシロが胸を張って誇らしげにぼくを見上げると、精霊言語が聞こえないウィルもぼくたちを囲む精霊たちが川のように光る中心にいるのがぼくであるかのように、目を細めて嬉しそうにぼくを見て頷いた。
精霊たちをまとわりつかせているのはぼくだけじゃない、と指摘するようにウィルの肩にいる精霊を指さすと、慕ってくれてありがとう、とウィルの口が動いた。
推しのウィルに認められた精霊が歓喜で激しく点滅すると、ぼくの髪の毛の中の精霊も点滅しているようでケインの視線がぼくの頭に向いた。
ここぞとばかりにマナさんに陳情する精霊たちはマナさんの注目を集めようと点滅し始めると、ケインやキャロルやイザークやマルコやマテルを慕う精霊たちまで激しい点滅を始めた。
夜明け前まで邪神の欠片の魔術具を携帯していたアドニスを精霊たちは少しだけ警戒するように距離を置いていたが、その特殊で端麗な容姿と相まって、精霊たちの光がない円柱状の中心にいるアドニスは、ある意味特別な存在であるかのように見えた。
たくさんの精霊を引き連れて噴水広場に戻ると、今日も華やかですね、と商会の人たちはさも当たり前の日常のように言うと、アドニスは驚き、マテルは苦笑した。
危なっかしい手つきで朝食の支度を手伝うアドニスとマテルに世話焼きのスライムたちが補助に回った。
精霊たちがいつまでも解散しないでぼくたちのキャンプの周辺で光り輝いているので、馴染みの屋台の店主たちまで近寄りにくい雰囲気を醸し出した。
山積みにしたホットケーキを食卓テーブルに並べると、食べる前から美味しいことがわかりきっているみんなはいい笑顔になった。
サイドメニューとトッピングをビュッフェ形式にすると、全部食べたい、と目を輝かせながら言ったアドニスは自分のお腹を擦って、病み上がりの体ではたくさん食べられないことを考えたのか、残念そうに溜息をついた。
「全部取っても大丈夫ですよ。朝から魔力をたくさん使用したから、いつもより多く食べられますよ。デイジー姫の隣に座れば必ず食器は空になりますよ」
残してもデイジーが全て食べるとミロが暗に言っているのに、当のデイジーは気を悪くすることなくアドニスのトレーにどんどん小鉢を載せていた。
「今朝も美味しそうな朝食だね」
いつもならぼくたちが食べ始めてから合流する教皇が、この段階で来たということは相談事があるのだろう。
魔法の杖を取り出して内緒話の結界を張ると、難しい話は食後にしようよ、と教皇は美味しい食事を堪能することを優先させようと言った。
楽しそうにホットケーキのトッピングをトレーに載せるアドニスたちに水を差す必要もないか、と思いぼくも頷いた。
早朝からチョコレートケーキを食べたぼくは、カリカリベーコンやブロッコリーもどきの大蒜ソテーなどのおかず系をメインに選んだ。
和やかに朝食を楽しむ間も精霊たちが食卓のあちこちで光り輝いたが、蜂蜜が置かれたテーブルのそばが一番人気で精霊たちの行列ができていた。
「精霊神の誕生の地ではミツバチの生息域の北限を超えているのに、ガンガイル王国の辺境伯領にだけミツバチが生息しているんじゃ。面白いだろう?」
カカカ、とマナさんが笑って精霊の好物の逸話を披露すると、精霊たちの恩恵でミツバチが生息できるのか、ミツバチが生息しているから精霊たちが多くいるのか、とみんなが悩みだした。
「温かいからといって南の地方全般に生息しているわけではありませんし、土地の護りの結界の内側が快適だからミツバチが居ついているのでしょうね」
マテルの推測にマナさんは頷いた。
「ああ、そういう面もあるだろうね。安定した王朝が長く続く利点じゃ。だが、復興した土地に植生が戻って来たら魔獣たちも戻ってくる。マテルは諦めずに故郷の復興を願えばいい」
蜂蜜とバターをたっぷりかけたホットケーキを頬張ったマナさんは満足そうに頬を緩めた。
「……南方諸国に足を運んでいる第三皇子に、昨日、フランクの証言からスライムたちに描いてもらったアドニスの似顔絵を第三皇子の滞在先の教会に送ってあったんだが、返答がまだない。アドニス保護の一報を送れば即座に大聖堂島にやって来ることが想定できるから、ゾーイの聴取の結果を待って、朝食後に手紙を書こうと考えている」
第三皇子に連絡をしたら何はさておいて転移してくるだろうと踏んだ教皇は、ゾーイがアドニスを誘拐した証言を取ってから第三皇子に知らせることにしたようだ。
「いいえ、もう既に到着したようです」
皇族の位置がわかるマテルが大聖堂の転移の間の方を見ながら言うと、そうか、と教皇は呟いた。
こうなることを予測していたから、いつもより少し早めにぼくたちに合流したかのように教皇は食事の手を早めた。
内緒話の結界を食事の前にあらかじめ張っていたことが功を奏して、朝一番で教会の転移魔法の間を使用したと思われる第三皇子は、ぼくたちのキャンプ内の朝食会場の手前で足止めを食らっていた。
精霊たちが光の結界を張って侵入者を阻んでいるかのような絵面になったが、健康になったアドニスが甘いホットケーキとしょっぱいおかず系のパンケーキを交互に楽しんでいるところに、顔も覚えていない父が乱入することは防げた。
ぼくの内緒話の結界の外側で涙目で何度も頷いている第三皇子には気の毒だが、家族の記憶がないアドニスは、商会の人たちと変わらない姿をした第三皇子を大聖堂島に出稼ぎにきた露店主たちが朝食の内容に興味津々で見ている中の一人だろうとしか思っていないようで、涙目を全く気にすることなく、自分が味見した残りをデイジーがぺろりと平らげてしまう姿に喜んでいた。
第三皇子はぼくたちが今まで見たことのないような優しい眼差しで、女の子たちとワイワイ食事を楽しむアドニスを見ていた。
「保護された時に全ての傷が癒えていて、本当に良かった。子どもの苦しむ姿は親にとって何より辛いんじゃ」
マナさんの言葉に、ベンさんや商会の人たちが頷いた。
「親子の対面の日時の調節の仲介にわしが入ってやろう。夫人を連れてこいと言えば時間稼ぎはできる。じゃが、夫人が聖水を飲むために数日待たせるなんてことにならないように、面会場所を変えた方がよかろう?」
マナさんの提案に教皇は頷いた。
「廃墟の町はどうだろう?あそこは復興のための作業員こそ出入りしているが、比較的、秘密を保ちやすい場所で、教会の転移魔法も帝国軍の転移魔法も使用できる場所だから両者の都合がいいだろう」
第三皇子夫人にも誘拐された孤児たちが収容されていた跡地を見ることは意義があるし、回復したばかりでまだ一般常識が欠けているアドニスを帝都に連れて行くことは避けた方がいいだろう。
マナさんがすくっと立ち上がると、ぼくのスライムはマナさんのトレーをすかさず下げて、豆粒大の分身をマナさんの肩に乗せた。
見知らぬ美女が近づいてくることに、アドニスの一挙手一投足を夢中になって見ている第三皇子は気付いていなかった。
「少しお話があるので、あちらのベンチに行きませんか?」
いつの間にか自分の隣にいた美女に声を掛けられた第三皇子はビクッと肩を竦ませた。
「申し遅れました。カイルの親族のマナといいます。深い傷から癒えたばかりの少女の初めての食事会を楽しんでもらうために、ここはカイルが結界を張っています。愛娘との御対面を熱望されているでしょうが、彼女に暫し、時間を与えてもらえませんでしょうか?」
娘のため、と言われた第三皇子はマナさんの言葉に頷いた。
のぞき見をしているようで申し訳ないが、第三皇子の行動で今日のぼくたちの行動が大きく変わることになるので、タブレットに変身したぼくのスライムが見せる映像で第三皇子の様子を観察することにした。
「あの子はシシリアで間違いない。えくぼができる笑い方が妻によく似ていて、赤ん坊のころから変わっていない!」
特徴的な容姿についてではなく、本人が覚えていない母の仕草を何気なくしていることに覚えのあったぼくは、不覚にも第三皇子の着目点を聞くなり涙が溢れ出た。
「ああ、そうじゃろう。言いたいことがあっても口を噤んで、考えを整理してから話し出すところは、自分の影響力を考えずにぽろっと思い付きを口にするお前さんに似たんじゃなく、夫人に似たんじゃろう」
噴水前のベンチに腰掛けると世間体をかなぐり捨てたマナさんの物言いに、第三皇子はギョッとし、タブレットを覗き込んでいたぼくたちは噴き出した。
「わしは緑の一族の族長カカシじゃ。お前さんの日ごろの振る舞いは知っておる。自分の仕事をこなすために昨日のうちに大聖堂島に転移してこなかっただけ、ましになったのも知っておる。だからこうして話し合いの間に立つことにしたんじゃ」
分別のふの字くらい弁えるようになった、と第三皇子をからかうように諫めたマナさんは、アドニス側の事情を説明した。
「あの子にとって善と悪の基準が今さっきひっくり返ったばかりで、ほぼ判明している身元の話も聞いたのに、あの子は自分はアドニスだと自己紹介をしたんじゃ。今日はこの後、子どもたちと一緒に過ごすことで、善悪がひっくり返った世界観にゆっくり馴染んでいく時間がアドニスには必要なんじゃ」
同い年のキャロルやミロや同性のマルコやデイジーと一緒に笑顔を見せていたアドニスを思い出したのか第三皇子は何か言いかけた口を止めて大きく息をついた。
「一目でもいいから会いたいと熱望しているのは夫人も同様なんじゃろう?お前は娘の姿を確認したのに妻の気持ちを考えないのか?」
夫人の話を持ち出された第三皇子はマナさんの話に頷いた。
「ああ、そうだ。私はシシリアの最新情報を求めて大聖堂島に立ち寄っただけだった。だが、こうして足を運んだら、既にシシリアが保護されていたのを見て我を忘れてしまっていた」
親心とはそういう物じゃ、とマナさんは頷いた。
「七年近く辛い思いをしていたアドニスに少しばかり時間をやってくれ……」
ぼくのスライムたちがアドニスを最初に発見した時の痛ましい状況をマナさんが詳しく説明すると、第三皇子は両手で頭を抱えて大粒の涙を両膝に落とした。
「アドニスの様子は、わしが毎日お前に報告してやる。帝都に戻って妻に愛娘が生きていることと、アドニスの現状を妻に説明してあげることが、お前のまず先にすべきことじゃろう」
第三皇子が涙をぬぐいながら頷くと、マナさんは冷静な口調で言った。
「教皇猊下は夫人が大聖堂島に渡る準備で七日間も費やさなくて済むように面会の場所をあの廃墟の町はどうかと検討されている。アドニスが落ち着いたのを確認し次第、面会が叶うように取り計らってくださる。わしが教会とお前たちの間に入ることにしたのは、誤解を招かないようお前と話す時間を作る必要があったのじゃ」
あらたまった話になることに気付いた第三皇子が真顔になるとマナさんは話を続けた。
「わしは今後、女性が聖職者になることを教皇に進言することになるが、アドニスを聖女にするために進言するわけではない。精霊たちがそれを望んでいるからじゃ。アドニスは自分で未来を選択すべきだ。じゃが、あの特徴的容姿と邪神の欠片を抑え込んでいた魔力量の多さから、アドニスは今後、誰もが欲しがる特別な女性となるじゃろう。お前たち夫婦はアドニスの希望に沿う形でアドニスを守るための話し合いをしっかりしておきなさい」
第三皇子はマナさんの言葉に深く頷いた。




