ぼくのスライムの失敗
「泣いてたって、逃がしてしまったもんは仕方ないよ。ちょっと状況を見せてくれないかなぁ」
テントを抜け出して様子を見に来たみぃちゃんが泣きじゃくるぼくのスライムに、話を聞くより映像を見たいと、と促した。
噴水脇のベンチに腰掛けると、いつの間にか右隣に兄貴が座っており左隣にみぃちゃんが腰かけるとみゃぁちゃんはすかさず兄貴の膝の上に飛び乗った。
ぼくの膝の上でぼくのスライムが大きめのタブレットに変身すると、キュアと水竜のお爺ちゃんがぼくの左右の頭上からタブレットを覗き込んだ。
泣き崩れていたフランクは魔獣たちが熱心にのぞき込んでいる板状のスライムが気になったようでベンチの背後に立つと泣き止んでタブレットを覗き込んだ。
ぼくのスライムのタブレットに映し出されたのは映像は出発前に噴水前に集合したところだった。
「私が映っている!」
教皇に連行されてきた自分の姿を見て、凄い!そっくりだ、と呟いたフランクは、映像の中の自分が水竜のお爺ちゃんにしっぽで噴水に突き落とされると、ああ、と嘆き、噴水に飛び込んだ水竜のお爺ちゃんに排水溝に引きずりこまれていく自分を見て、苦しかった、と涙目で言った。
「水に潜るなら事前に教えてくれても良かったのに。覚悟ができたなら、もう少し息をたっぷり吸っておいたよ」
“……泳げない人間に、水に潜れ、と言ったら嫌がるだろう?だから落としたんだよ。じたばたしないで排水溝まで一気に潜水したら転移の魔法陣にすぐ辿り着くのに、暴れるからわるいんだ”
水竜のお爺ちゃんの精霊言語での容赦のない突っ込みに、面目ない、とフランクは謝罪した。
排水溝の転移の魔法陣の場所にはディミトリーが待ち構えており、目を瞑った状態で狭い水中で人間とぶつかってパニックを起こしたフランクが、水を大量に飲み込んだところで転移先の教会の噴水に移動していた。
水竜のお爺ちゃんとディミトリーに引き上げられたフランクはぼくのスライムに清掃魔法をかけられて濡れた服を乾かしてもらえたが、癒しを施してはもらえなかった。
「痛みはないか?」
咳き込むフランクにディミトリーが尋ねると、大丈夫だ、とフランクが答えてしまい、水竜のお爺ちゃんは再びフランクを噴水に突き落とした。
「もうちょっと丁寧に扱ってくれてもいいのにねぇ」
排水溝に引きずり込まれる自分の映像を見ながらフランクが嘆くと、みぃちゃんとみゃぁちゃんとキュアは、丁寧な扱いを受けるような立場か、と言いたげにフランクを睨んだ。
「自分の罪を自覚しているし、今となっては、なぜこんなことをしているのかも理解しているよ」
フランクが魔獣たちに言い訳をしている間に、重要箇所じゃないと判断したぼくのスライムは倍速で映像を再生し、ディミトリーの記憶にあった教会関連施設を次々と転移しながら、フランクに何も説明せずにフランクが誰かの苦痛を感じるまで何度も噴水に突き落としていた。
そんなことを数回繰り返すと、噴水から上がると清掃魔法をかけられる手順を覚えたフランクは、噴水から上がると両手を広げて清掃魔法を待つようになっていた。
ぼくのスライムに清掃魔法をかけられた後、何かを気にするように教会の脇の管理人宿舎の方にフランクの首が伸びたのを、ディミトリーは見過ごさなかった。
いくぞ、とだけ声を掛けたディミトリーは、明かりの消えている管理人宿舎の前で足を止めると、月明かりの下で拾った小枝で地面に管理人宿舎の見取り図を描き始めた。
『出入口は二か所しかないが、窓を破って逃走することがあるかもしれないから、日中にカイルが出したような半球体状の水のカーテンを張って建物全体を包むように張って、逃走経路を塞いでほしい』
ディミトリーが水竜のお爺ちゃんにぼくが古代魔術具研究所の実験室で出現させた光影の盾のような水の結界を張るように依頼すると、ぼくのスライムが口を挟んだ。
『あたいがこの宿舎を覆うように闇の面を内側にした盾を張れば、逃走を絶対に許さない結界になるよ』
ぼくのスライムの提案に、過去の記憶が完璧に戻っていないディミトリーは何かを思い出そうとするかのように頭を抱えて天を仰いだ。
どうしても思い出せない記憶を何とかして思い出そうとするかのようにディミトリーは眉間に皺を寄せてこめかみをトントンと叩いていた。
タブレットに変身しているぼくのスライムは、画像の再生が失敗の直前まで進んだことで、悔しさからか小刻みに震えだした。
「失敗を肯定してはいけないけれど、カイルのスライムも水竜のお爺ちゃんもよくやったよ。取り逃がしてしまったかもしれないけれど、二色の髪の色の少年が生きていることを確認できたのは今回の成果だから、恥じ入ることはないよ」
みぃちゃんが優しく声を掛けると、タブレットに変身しているぼくのスライムはその形状を保ちながら咽び泣くような嗚咽を小声で漏らした。
初めての任務失敗に、ぼくのスライムは己の不甲斐なさに打ち震えているのではなく、自分たちの失敗で痛みから開放されなかった二色の髪の色の少年を慮っているのだろう。
ぼくたちの背後に立つフランクの涙がベンチの背もたれに落ち、両手を口に当てて声を押し殺した嗚咽に喉を震わせるとフランクは呼吸困難に陥った。
水竜のお爺ちゃんがフランクの背中を優しくトントンと叩くと、顔をくちゃくちゃに歪めたフランクは、知ろうとしなかったことが罪なのだ、と言うと、ベンチの背もたれに手をついて膝から崩れ落ちた。
「この時初めて気付いたんだ。……私は具合の悪い人を見ると具合が悪くなるのは自分は繊細で神経が細やか、と思っていたけれど、気のせいではなく本当に具合が悪くなっていたんだ。ゾーイが潜伏していた町の噴水に転移した時から、なんだか右半身がチリチリと痛かったんだ。管理人宿舎に近づくと痛みが本格的になって、立つのも座るのも辛かった」
フランクは左手で右半身を擦ると、そこに痛みがないことに安堵するのではなく、悔しそうに左手で右肩を叩いた。
“……儂らはお前を二色の髪色の少年を探すために利用した。お前の痛む姿にあそこに潜伏しているのに違いない、と確信に至った。その特技で少年の痛みを短時間でも請け負ったのだから連れて行った甲斐があった”
水竜のお爺ちゃんの精霊言語に気を強く持ち直したぼくのスライムは、体の震えを止めて画像の続きを再生した。
ディミトリーは、光影の盾に変身するより、光影の散弾銃を出現させて確実に仕留めるようにぼくのスライムに依頼した。
頷いたぼくのスライムは、ディミトリーの見取り図から、ゾーイと少年の寝室を推測して窓を破って同時に侵入する計画を立てた。
水竜のお爺ちゃんが管理人宿舎全体に水の結界を張ると、二体に分裂したぼくのスライムはゾーイの部屋に侵入するディミトリーと少年の部屋に侵入するフランクの両方に付き添った。
タブレットの映像はここから二画面になった。
光影の散弾銃になったぼくのスライムが窓に触れると、一般的な魔法は無効化するので侵入防止の結界は解除され、触手を窓の隙間から侵入させたぼくのスライムが静かに開錠すると、二つの部屋の窓を同時に開けた。
身体強化ですっと音もなく侵入したディミトリーとは違い、痛みに顔を歪めるフランクをぼくのスライムがすっぽりと包み込むと、羽だけキュアの形を真似した大型のシャボン玉のように変身し、少年の部屋に侵入した。
どちらの部屋にも物音を立てずに侵入したのにゾーイも少年もベッドの脇にディミトリーとフランクが立つと二人とも同時に目を覚ました。
『大人しく連行されろ』
『君を助けに来た』
ディミトリーとフランクが同時に語り掛けた。
フランクが痛みを半分請け負っていたとしてもかなり体が痛いはずの少年は、リンパ液が滲み出る包帯がほどけかかっている状態なのに、ドンとフランクを突き飛ばすと、裸足で部屋を飛び出した。
即座にキュアの形状に変身したぼくのスライムは、片手に光影の散弾銃を構えながら少年を追いかけた。
『生きていたのか』
枕元に立つディミトリーを見たゾーイは体を起こすこともしないで淡々とした口調で言った。
『なんだ。せっかくの神器を皇帝に奪われてしまったのか。使えん奴だな』
面倒くさそうにゾーイが体を起こすと、追手が来た!と叫びながら少年がゾーイの寝室に飛び込んできた。
分裂しているぼくのスライムが同時に散弾銃をゾーイと少年に向けて発砲すると、ゾーイはベッドの上から消えてしまい、次の瞬間には少年の目の前に移動していた。
ゾーイが少年の寝間着の襟元を掴むと同時に二人とも部屋から消え去った。
標的を消失した光影の銃弾は消え失せ、茫然とするディミトリーとぼくのスライムの元に、痛みが消えたフランクがすたすたと歩いて合流すると、ゾーイと少年が逃走したことにフランクも気付いた。
茫然自失となった二人と一匹に、帰るぞ、と声を掛けた水竜のお爺ちゃんも噴水に飛び込んだ後、任務の失敗の衝撃が襲ってきたようで、大聖堂島の噴水から上がった時には亜空間に戻されたディミトリー以外の全員が泣き崩れていた。
「寝室に侵入してすぐ発砲していたら間に合ったかもしれない、とか、ディミトリーが何かを思い出すまで待っていればよかった、とか、もう、反省点ばっかり思い浮かんで、あの子があんなに痛そうだったのに、と思うと泣けてくるんだよぅ」
タブレットの変身を解いたぼくのスライムがすすり泣くと、しくじったね、とみぃちゃんが傷口に塩を塗り込むような発言をした。
「教皇の仕事だからと思って、手を出さなかったけれど、私も行った方がよかったかな?」
キュアの言葉に、あれは初見殺しだ、と水竜のお爺ちゃんが首を横に振った。
“……光影の剣があれば人間は魔法を行使できない、と油断していたんだ。次は逃さない!”
「次の潜伏先を見つけられるかが問題だよ」
みゃぁちゃんも容赦のない突っ込みを入れた。
「ディミトリーの存在を確認したゾーイが、ディミトリーの知っている場所を潜伏先にすることはないだろうね」
兄貴の言葉にぼくたちは頷くしかなかった。
東の空がほんのりと白み始め、ベンチに腰掛けたぼくたちの影が薄く伸びているのを見るともなく眺めていると、駄目だったか、と言う教皇の声が耳に入った。
「光影の散弾銃を出現させている状態で転移魔法を使用され、逃げられました」
ぼくの報告に教皇の背後にいた月白さんまで頭を抱えた。
邪神の欠片に関することは上級精霊でも何一つ情報がないんだよな、と寝不足の頭で考えていると、ワイルド上級精霊の亜空間に招待されていた。




