完落ち
「緑の一族の族長としてわしが古代語の歌が鼻歌状態で受け継がれたのは精霊たちが歌うと懐かしがるからじゃ。精霊たちでさえ古参の精霊しか知らんし、使えない音を抜いたとはいえ使用できない言葉なんじゃから、子どもたちに教えるのなら現代語に置き換えるべきじゃろう」
誰も歌わなくなった歌を精霊たちのためにマナさんが歌い、ユナ母さんが聞き覚え歌い継ぎ、ぼくはその歌を子守歌だと思って覚えた。
音程に厳しい精霊たちが音痴のユナ母さんの歌を許していたのは、母さんが歌わなければ辺境伯領で生まれたぼくに伝わらなかったからなのかな。
“……ご主人様。一部の精霊はユナに音程の指導をしようとしましたが、できないことはできないとハッキリ拒否する方でしたので……精霊たちが諦めました”
姿を消しているシロの精霊言語の声には懐かしむような響きがあり、シロの元になった精霊たちの中にユナ母さんを慕っていた精霊がいたことを思い出した。
ユナ母さんの音痴は個性として精霊たちも気に入っていたのかもしれない。
“……小さくて存在感の出せない精霊たちは、あたいたちスライムを使ってご主人様の音感教育をしようとしたからあんなに厳しく指導したのかなぁ”
炭木琴を作った時に精霊たちから手厳しい指導をされた、とぼくのスライムは精霊言語でこぼすと、ケインのスライムも頷いた。
そういえば、当時のぼくたちはスライムたちから厳しい突っ込みを受けたな。
「それでしたら、マナさんが現代の洗礼式の祝詞を読む前に、だいたいの翻訳でかまわないので現代語訳をしてたいだけると助かります。現代の神学の常識がないカイルたちは聖典を読むだけで中級魔法の祝詞を発動できたように、マナさんの解釈だけの翻訳が見たいのです」
「大聖堂島に招待していただけるのなら助力しましょう。わしは七日間も聖水を飲まなくてもいいじゃろう?」
教皇の依頼をマナさんは条件を付けて快諾した。
「緑の一族の村に聖水がないわけないですから問題ありませんよ」
月白さんの一言に司祭は怪訝な表情になったが、緑の一族が移住した先で精霊素が湧く地下水をくみ上げることで土地の魔力を整えているのか、と思えば合点がいった。
何やら独自の移動法を思いついたのか水竜のお爺ちゃんは、いいことを聞いた、と言いたげな満足そうな笑顔になった。
「三つ子ちゃんたちはカイル君の鼻歌を覚えているのですね」
領主夫人が父さんに確認すると、魔獣カードで勝ち筋が見えた時によく歌っているフレーズだよ、と言ったキャロルが鼻歌を歌うと、マナさんが噴き出した。
「それは武勇の神に勝利を誓う歌じゃ!」
マナさんの指摘に、子どもたちは本能で使い分けているのか!と領主夫妻と父さんがぼくたちを凝視したが、鼻歌にテーマを見出していなかったぼくたちは困惑した。
鼻歌は気分次第でつい口ずさむものであって、唐突に言われると頭から抜けてしまう類のものだ。
「わしじゃって受け継いだ歌をすぐには思い出せない。記憶というものは関連性が高いことを見聞きして思い出すものじゃ」
マナさんの言葉に聖典を丸暗記しているであろう教皇と司祭も、そうですね、と頷いた。
「私もそうですわ。必要だから思い出す時と、不意に心の奥から湧いてくることがありますわね。……そうですわ!教会での神事の衣装を新調するように私が手配いたします。靴下と靴を魔力を通しやすい素材にして、大広間での季節の神事で検証をしましょう」
領主夫人が衣装の寄贈を申し出ると司祭は満面の笑みで頷き、今日の大広間の検証を終わらせて、ぼくたちは大聖堂に帰ることになった。
教会の移転の間の扉の前まで領主夫妻と父さんが見送りに来てくれた。
いってきます!とぼくたちが元気よく言うと、扉が閉まる直前に領主夫妻と父さんの口が、全員の無事な帰還を願う、と動いた。
魔力供給のために壁に手をついていたぼくたちは転移魔法の光に包まれながらしんみりとなった。
「わしは辺境伯領の人々の受け入れた人たちをとことん守ろうとする姿勢が好きなんじゃ」
マナさんの言葉に教皇とイザークとウィルが頷いている間にぼくたちは大聖堂に戻っていた。
マナさんを連れて大聖堂島の噴水広場に戻ると、遅かったのね、と事の経緯を自分の精霊から聞いているはずのデイジーが素知らぬ顔で言った。
「いろいろ検証したからね。水竜のお爺ちゃんが拘束して放置していた逃走犯はどうなったの?」
デイジーはキャンピングカー仕様にしたアリスの馬車の奥の方に視線を向けた。
「尋問中よ。私は保護した冒険者たちの身元を聞きだしたから、マテルが南方諸国の情報を聞き出しているわ」
兄弟の死を確認したばかりのマテルは南方諸国での誘拐の被害を確認するために男の尋問をしているようだった。
難しそうな表情をした教皇を見遣り満面の笑みを浮かべたマナさんは、次はわしの番じゃ、と言うとアリスの馬車の奥にすたすたと歩いて行った。
「情報は搾り取れるところから、徹底的に搾り取らなくてはいけないのですよ」
太陽柱から知り得た情報の確たる裏付けを得る機会を存分に生かさなくては、と言うかのようにデイジーは微笑んだ。
「緑の一族からも教会関係者に唆されて孤児院に入った少女がいます。族長のカカシとして尋問する権利がマナさんにはありますよ」
ぼくの言葉に教皇はこめかみに親指を当てると、多すぎる被害者と関係者との折衝を考えたのか、疲労感に襲われたようでギュッと目を瞑った。
「私の聴取した分は自動筆記の魔術具で文書化してあるので写しをお渡ししますね。あの男は狂信者というより金の亡者だったので、言いようのない虚無感が湧いてくるから私は自分に必要なことしか聞いていません」
もっと大物を捕まえてきてよ、とデイジーが水竜のお爺ちゃんに精霊言語で発破をかけると、ディミトリーの思い出した順で回らせてくれ、とデイジーとぼくと兄貴とケインに向けてだけ精霊言語で水竜のお爺ちゃんが言い訳をした。
先に行ったマナさんがどんな聴取をするのかが気になってアリスの馬車の奥に向かうと、丸椅子に座らされた男に詰め寄るマナさんが不快そうに片眉を上げて尋問していた。
「そうか、金は裏切らないけれど金貨に名前は書いていない。床下の金貨はもうないだろうね。見つけた人間が自己申告するはずがないじゃないか」
「チっ!簡単に見つかるものじゃない」
「おじさんが拘束されていないのに立ち上がれないのは、おじさんがマナさんの魔法に屈しているからだよね。おじさんの隠匿魔法なんて効果があるとまだ考えているのなら、おじさんの脳みそは学習を放棄しているよね」
ぼくはいたって軽い口調で突っ込むと、男はぼくに威圧を掛けた。
男の威圧に母さんのお守りが反応して男に跳ね返すと、男は昏倒したが、椅子から倒れ落ちないのはマナさんが魔力で丸椅子に固定しているからだ。
「なに?図星を指摘されると癇癪を起すの?」
ウィルが気つけ程度に癒しを掛けると、赤ん坊みたいだね、と男をこき下ろした。
「デイジー姫が尋問を嫌がるのもわかるわぁ。思考が下衆すぎて不愉快じゃ。見てごらん、この顔!この期に及んでカイルやケインをどこに売り飛ばそうか考えている」
「水竜のお爺ちゃんが癒しをかけたからまるで反省していないのでしょう」
マテルの言葉にマナさんは首を横に振った。
「反省という概念がこの男にはないのじゃ。死んでも天界の門に金を持っていくことはできないのに、マヌケじゃな」
視線で殺せるのなら殺してやる、と言うかのように男はマナさんを睨みつけた。
「……かわいそうな男だ。神学校に入ってから実家からの支援が途絶えてコネを作る資金がなかったから、出世できなかった、と考えていたんだね。愛情はお金じゃないのに」
ぼくはこの期に及んでまだ金に執着するようになった出来事があるはずだと踏んで鎌をかけると、フン、と鼻を鳴らした男は視線をそらした。
「図星じゃないか!」
ウィルが男をからかう間、シロが男の原体験をダイジェストで教えてくれた。
「貴族の長男なのに教会に預けられたのは、奥さんが浮気した不貞の子だからでも、口減らしでもなく、あんたを生かすために両親が決断したことだと気付かずに、実家からの支援がある神学生がコネを作っていくのが恨めしかったんだね」
具体的に不貞の子と言ったことで男の肩がビクッと動いた。
「上司の政敵に奥さんを接待役としてあてがったあんたの父親が、あんたを不貞の子だと、直接父親があんたに言ったかい?」
ぼくから顔をそむけていた男は無言でぼくを見た。
「ああ、使用人たちは自分たちの憂さ晴らしに、あることないこと噂をする生き物だね」
ぼくの話の意図を察したウィルが畳みかけると男の目が泳いだ。
「預けられた教会の寄宿舎の同室者に平民出身の子どもはいたかい?いなかったんだろう?それなら、あんたの両親はあんたを預けた教会に適切な金額を喜捨して、寄宿舎の寮監にも心付けを贈っているはずだよ」
帝都の教会の寄宿舎生たちと親しかったぼくたちは、親の寄付金次第で寄宿舎内の待遇が全く違うことを知っていた。
ぼくの言葉を裏付けするようにウィルと兄貴が頷くと、男は気まずそうな表情になった。
金次第で寄宿舎内での待遇が違う事実に教皇は眉を顰めたが、綱紀粛正を求めても人が集まる所では起こるもんじゃ、とマナさんは軽く言った。
「粗忽な使用人の噂から政敵の子と上司に疑われてしまったら家に置いておけないし、支援をしていることも隠さなければいけなかっただろうから、両親に見捨てられたと感じて、金は裏切らないと金に執着するようになってしまったんだね」
ぼくの言葉に男の膝が震えだした。
「……違う!私は教会に捨てられたんだ!そうでなければなぜ同腹の次男が家督を継いで、私が教会に入らなければならなかったんだ!」
頭を抱えて否定する男に、ウィルが残念そうに声を掛けた。
「長男が家督を継ぐとは限らないんだよ。うちは兄貴が実績を上げないと三男のぼくに回ってくる。当て馬みたいだと思うだろうが、うちの父上は本気だよ」
「ぼくの場合は妾の子だけれど、本妻の長男より資質があるので次期公爵になることが内定しています」
貴族は家の存続のために子どもへの愛情と関係なく一番適した子に家督を譲る、とウィルとイザークが口にすると、男は黙り込んで自分の膝を見た。
「あんたの実家がどの程度の貴族だったのか知らないけれど、分家に養子に出されたら、教会に入るより居心地が悪かっただろうね。分家の長男より秀でなければ家督を譲ってもらえないだろうし、受け入れる分家側だって実子を可愛がるだろうし、貴族社会で生きていくなら不貞の子の疑惑は一生付きまとっただろし、両親としては辛い先行きしか予測できなかっただろうな」
「あんたを教会に入れたのは親の深い愛情からの行為なのに、子どもってなかなか親の愛情を理解しないんだよね」
教会に入らなければ針の筵の生活だった、とぼくが指摘すると、親の心情はわかりにくい、とウィルがしみじみと言った。
男は全身を震わせて、母さん、父さん、と呟くと、号泣した。
「あんたが売り払った子どもたちにも親がいたんじゃ。生きているなら親元に返してやりたいし、死んでいても市民カードを出生地に返してやりたい」
マナさんの言葉に男は頷いた。
「私は子どもたちの体力や魔力の量を判断して子どもたちの送り先を決めていた。実績を欲しがる孤児院側の要望を聞くために金品を要求していた。子どもを売ったと言われればそうに違いない。私には子どもが金にしか見えない。でも、一番魔力の多い子どもはあいつらが自分で確保しに行った。東方連合国の王子は上物だったのに私の収入に繋がらなかったから覚えていた」
「その話はさっきの姫様が聞いたじゃろ。もっと毛色の違う子がおらんかったか?」
マナさんの追及に男は頷いた。
「いたよ。毛色が違うって、本当に髪の色が右と左で違うんだ。どっかの王族だったのだろう。明らかに魔力量の多い子だった」
完落ちした男が話した内容は、明らかな特徴があるから見ればわかる、と言っていたハントの子のような気がしてぼくたちの背筋がざわついた。




