辺境伯領の常識は非常識
「長居すると護衛騎士たちが心配します。そろそろ戻りましょう」
セルゲイの言葉に教皇も頷き城の庭に戻ることになった。
来た時と違うのはエドモンドとマナさんがいるので転移魔法の小屋がさらにぎゅうぎゅう詰めになったことだった。
小屋の外には領主と次期領主の護衛が心配そうに待っており、片付いたぞ、とエドモンドが一言告げると待ち構えていた騎士たちが安堵の表情を浮かべた。
「報告書のまとめは教会にお持ちして大聖堂島に転移してもらうよう手配しますか?」
護衛の一人がセルゲイに尋ねると、まとめは明日までに仕上がればよい、とセルゲイが耳打ちした。
「そうだ。古語の資料から洗礼式に関する物がないか担当の文官に調べてくれるよう頼んでおいてくれ」
ぼくたちの洗礼式まで教会の大広間が光ることがなかったなら、古代の記録になら何らかの描写があるのではとセルゲイは考えたようで、護衛の一人に指示を出した。
「お気遣いありがとうございます。私は教会での仕事がありますのでひとまず戻ります」
教皇が辺境伯領からの情報提供に礼を言うと、教皇と話し足りなかったのかエドモンドは、自分が教会まで送り届ける、と言い出した。
領主の無茶ぶりに慣れている護衛たちは、お車の準備ができています、と先回りして手配していたことをエドモンドに囁いた。
「キャロラインたちは、明日、教皇猊下と大聖堂島に戻るのなら、今日は城に宿泊しないかい?」
セオドアの言葉にキャロルが嬉しそうに頷いたが、ぼくとケインは控えめな声で、自宅に帰りたいです、と言うと、イザークもぼくたちの家がいいと目で訴えた。
それはそうだ、とセルゲイは気を悪くすることなく笑った。
「マナさんもイザーク君も我が家へどうぞ。妻もイザーク君のことを気にかけていたので喜びます」
飛竜の里で別れた母さんは、廃墟の町での経緯を父さんのスライムから聞いているはずだが、ぼくたちの元気な顔が見たいだろう。
すでに、ボリスとクリスとミロは騎士団の詰所に顔を出し自宅に帰ったとのことだった。
イザークとマナさんは我が家へ一泊することが決まり父さんの車でぼくたちは自宅に帰った。
自宅に帰ると、おかえりなさい!と三つ子たちが玄関から飛び出してきた。
兄ちゃんたちだ!マナさんだ!イザークさんだ!と大騒ぎで出迎えてくれた三つ子たちに、家に入ってから話すよ、と声を掛けながら突進してくる三つ子たちを順番にたかいたかいと放り投げた。
キュアの横を飛んでいる水竜のお爺ちゃんを見た三つ子たちが、細身の竜族!と指をさすと、本当は大きいんだぞー、と水竜のお爺ちゃんは精霊言語で三つ子たちに自己紹介をした。
「学習館で不死鳥の貴公子に急なお迎えが来たから、何かあったんだと思っていたんだ。兄ちゃんたちが帰っていたなんて、また何かあったの?」
アリサと母さんとお婆とマナさんで一足先にお風呂に入っている間に夕食の準備を手伝っていると、クロイはぼくたちが帰宅した事情を聴きだそうとした。
「教皇猊下が大聖堂島でも精霊たちが出現するようになったから精霊神誕生の地の精霊神の祠を参拝にいらして、ぼくたちはそのお供をしたんだ」
公式発表通りのことを言うと、そんなことは知っている、とクロイとアオイはがっかりした表情になった。
「洗礼式の踊りで教会の大広間が光るのは、辺境伯領の教会だけだからわざわざ視察にいらしたんだよ」
餃子の皮を包みながらケインは漏らしても問題ない裏事情を説明すると、来年、洗礼式を迎えるクロイとアオイの顔が輝いた。
「毎年、どのくらい光ったかが話題になるから各地の教会でも光っているのかと思ったよ」
「定時礼拝で教会の建物が光ることだって最近発見されたように、教会にはまだ知られていない古代からの仕掛けがあるみたいだよ」
クロイの感想にケインがまだ解明されていない謎だ、と言うと、イザークさんの時はどうでしたか?とアオイが質問した。
「ぼくの洗礼式では自宅に司祭様が来てくださったから洗礼式の踊りなんて全く知らないよ」
イザークの返答にクロイとアオイは餃子を包む手を止めて顔を見合わせた。
「イザークさんは三大公爵家の出身ですが、公爵領と王都のどちらで洗礼式をしたのですか?」
アオイの質問に苦笑したイザークは、自分は特殊だった、と前置きをした。
「平民の母から生まれたことは恥じてはいないのだけど、世間体がよくない存在だということを一応念頭に入れておいてね」
イザークは王都の魔法学校で平民出身者への偏見がないわけではないことを、クロイとアオイに遠巻きに知らせた。
「公爵家の愛人の子、という言い方をあえてするけれど、ガンガイル王国は一夫一婦制なので、国を護る結界を維持する国王以外は側室を持つことを認められていない。だけど、ある程度大きな領地では一族秘伝の魔法があるから、伝承者を増やすために婚外子がいることは、ままあることなんだ」
そこは大人の事情だよ、とイザークが言葉を濁すと、クロイとアオイだけでなく水竜のお爺ちゃんやスライムたちも頷いた。
「本妻やその親族の心情はさておいて、ぼくは公爵領に必要な人間として生まれてきたから、公爵領の教会からわざわざ司祭を呼んで、自宅、と言っても王都のタウンハウスの別宅で洗礼式をしたんだよ。ぼくの生まれたところは王都だけれど、公爵領の教会に登録したから出生地は公爵領になっている」
クロイとアオイに説明しながら包んだイザークの餃子が歪な形になると、ハルトおじさんの精霊神の像みたいだ、とみぃちゃんが突っ込んだので、ぼくとみぃちゃんのスライムたちとキュアが爆笑した。
「ラインハルト殿下は文字と魔法陣以外からきし造形を具現化する能力がないんだ」
父さんの突っ込みにぼくたちは笑った。
「出生地の届け出先が重要なのは神学を学べば理解できるようになるよ。神学を専攻することについては、今後かなり自由が利くようになるから魔法学校に入学してから二人も学ぶ機会があるはずだ」
ケインが補足の説明をするとクロイとアオイは満面の笑みになった。
「学ぶべきことが増えるのに喜ぶところがカイル君とケイン君の弟たちらしいよ」
学べる魔法は全部学びたい、と二人が意気込むと、何を学ぶの?とお風呂上がりのアリサが話に加わった。
餃子の準備ができていることを風呂上がりの母さんが喜び、ぼくたちも入浴を済ませるように勧めた。
「神学を学ぶ機会が増える話をしていたけれど、まだ試験的な実施だから、どうなるかわからないよ」
「確実に言えることは初級魔法学校を卒業相当にならないと無理じゃないかな」
ぼくとケインが先走りそうなアリサに釘を刺すと、魔法学校で頑張る、と鼻息を荒くした。
「自宅のお風呂がこんなに広いなんて凄いね!」
興奮するイザークに、温泉大浴場に慣れ過ぎているクロイとアオイが、小さいよ!と反論した。
「それは何もかもが突出して発展している辺境伯領のお風呂の常識だよ」
イザークの突っ込みに手桶にくんだぬるま湯につかっている水竜のお爺ちゃんも頷いた。
「家族旅行であちこち連れて行っても、お出かけ用の馬車が最新の物だから基本的な常識が抜けていたのか!」
父さんが嘆くとぼくとケインは頷いた。
「学習館で普通の馬車に乗る体験会をしないと、王都の魔法学校に行ってから衝撃を受けるかもしれないね」
飛竜の里でも水洗トイレや大きな温泉があるし、魔獣カード大会の観戦で滞在した王都ではハルトおじさんの豪邸だったから、お風呂こそ小さかったが水洗トイレ完備で快適なうえ贅沢をさせてもらった。
どこに行っても最大限のもてなしを受ける三つ子たちに辺境伯領以外の常識を教えなければいけない、と危機感を持った。
「もしかして従弟のパン屋さんにも大きなお風呂があるのかい?」
イザークの問いに、父さんが頷いた。
「従業員たちも使用できる大きな風呂があるし、もちろん水洗トイレも完備している。おまけに大型洗濯機も従業員たちが魔力を負担したら使用できるようにしているので、従業員たちは自宅から洗濯物を持ち込んで仕事中に洗濯を終わらせているよ。近所の子どもたちが小遣い稼ぎに洗濯機の魔力を提供している。洗濯物を畳むサービスまでする機転の利く子もいるらしいよ」
王都の下町の一部が世界の常識からずれていることにイザークも気付いたようで頭を抱えた。
「うーん。子どもたちのお茶会の会場が辺境伯領の中庭に決まったんだ。キリシア公国の王子様はガンガイル王国内ならどこでも行ってみたい、と特に場所の指定はなかったんだが、ラウンドール公爵家のエリザベス様やハロルド王太子殿下のご長男様が辺境伯領都を熱望されてね。……うちの三つ子たちが常識知らず、というよりもう領全体の子どもたちの話だろう。不死鳥の貴公子も相当な世間ずれをしているに違いないな……」
額に浮かんだ汗をぬぐいながら父さんは自領の子どもたちの問題点に気付いた。
「発展している辺境伯領に生まれたから恵まれているだけであって、ほとんどの地域では毎日たっぷりのお湯に浸かれない。よその地域を小馬鹿にしないように意識しなくては駄目だよ」
ケインがクロイとアオイに念を押すと父さんも頭を抱えた。
「子どもたちの間に選民意識が生まれるのは嫌だなぁ」
父さんの嘆きにぼくとケインの魔獣たちが頷いた。
“……スライムたちから離れて魔術具の使用を禁止した一日を過ごしてみたらどうだろう?普通の人間は魔獣と友達にならないし、魔術具だって市民カードくらいしか使わないだろう?”
辺境伯領やガンガイル王国を今日まで全く知らなかった水竜のお爺ちゃんは、子どもたちに普通の暮らしをさせてみたらどうか、と提案した。
「「スライムがいない生活なんて考えられない!」」
即答したクロイとアオイを見た父さんは困ったように眉を寄せた。
「あら、いいじゃない。魔法を使用しないキャンプをしてみましょうよ」
食卓テーブルの上のホットプレートで餃子が焼けるのを待ちながら、風呂で話題になった、魔獣や魔術具に頼らない生活を子どもたちにさせる案に母さんが賛成した。
「辺境伯領が発展したのは、厳しい時代がありながらもこつこつと素材を貯め込んでいて、そこに優秀な人材が揃ったから実現したんだよ。その時代に苦労した人たちの生活を真似てみるのはいい案じゃよ」
マナさんも水竜のお爺ちゃんの提案を支持した。
「いやよ。私は別に魔術具を使わない暮らしをしている人たちを馬鹿にしないわ」
自分のスライムを撫でながらアリサは一日たりともスライムと離れたくないことを見せつけた。
「スライムたちも普通のスライムとしてキャンプに付き合えばいいんじゃないの?」
みぃちゃんがそう言うと三つ子のスライムたちが頷いた。
「あたいはもう、普通のスライムとして振る舞うなんてできないわ」
ぼくのスライムがこぼすとスライムたちは頷いた。
「一日中そこら辺の山にいるスライムのように振舞うのはけっこう不満が募るだろうなぁ。学習館の年長者で魔力を使わないで昼ご飯を作るくらいの時間しかとても耐えられないだろう」
父さんが現実的な案を出すと三つ子のスライムたちは嬉しそうに頷いた。
「まあ、餃子が焼けたようですよ。実際にキャンプをやるかどうかはエミリアさんに相談してから決めましょう」
母さんがホットプレートの蓋を開けると話題は餃子の話に切り替わった。
夕飯を済ませると、三つ子たちと魔獣カードで遊んだ。
水竜のお爺ちゃんは自分のカードがないことを嘆くと、寝すぎていたから伝説さえない魔獣だった、とキュアに突っ込まれた。
久しぶりの家族団欒を過ごし自宅のベッドに入るころ、いってきます、と水竜のお爺ちゃんがディミトリーとの作戦を遂行するため教会に向かって飛んでいった。




