上級精霊のお供
教会を出ると相変わらず辺境伯領騎士団員たちによって祠巡りで偶々居合わせた市民たちに教皇猊下を熱烈に歓迎するために待ち構えていたかのように拍手喝采をさせて、さも教皇の来訪が決まっていたことのように演出していた。
教皇一行として認識疎外の魔法を使用しているぼくたちは教皇にお供する神学生のふりをして送迎バスに乗り込んだ。
「聞きしに勝る発展ぶりで素晴らしい都市ですね。自走する車の乗り心地も最高ですが……アリスがいないのは寂しいですね」
率直な教皇の感想にイザベラ夫人は微笑んだ。
「アリスはうちの子が小さい時から働いてくれている優秀なポニーです。帝都での活躍を聞いて私も誇らしく思っております」
スライムと合体して天馬になり、帝都で邪気を払う教皇を乗せ聖馬として名を馳せたアリスの逸話に教皇も笑顔になった。
「猊下にゆっくり観光をしていただきたいところですが、領城から例の物の保管場所まで転移魔法で移動していただきます。あれは光影の剣で消滅できるとの報告を受けていますが、消滅させるとしても、あれの保管場所の隠匿は我が一族に課せられた使命なのでご理解ください」
イザベラ夫人の言葉に教皇は頷いた。
「あれがガンガイル王国で厳格に保管されていることは重々承知しています。教会の一連の不手際を鑑みても、あれを一か所に保管してはいけない、という適切な方針を貫かれたその姿勢を尊重します」
教皇が全面的にイザベラ夫人に同意したことでエミリアさんの強張っていた肩が少し下がった。
光影の剣で邪神の欠片を消滅できることが発覚してから、ぼくたちの一時帰国を見越して小芝居のシナリオが用意されたのだろうが、昨日の今日で帰国することになり、辺境伯領ではてんてこ舞いになっていたことが窺えた。
市電とバスが並走する区間でバスが市電を追い抜くと、教皇より月白さんが楽しそうに笑っていた。
次の駅に向けて減速する市電と教皇を乗せたバスでは、交差点で騎士たちが信号を変えてまでバスを優先させているのだから追い抜くのは当然だ。
見る物すべてが初めてな教皇は逐一イザベラ夫人に質問をして、祠巡りが観光資源になっていることを聞いて感心した。
観覧車乗り場の脇を通り過ぎバスが領城の正面玄関に続く大通りに入ると、通りの脇に市民たち、いや、騎士団員の家族たちが道の両脇に勢ぞろいしており、バスに向かって手を振っていた。
見知った顔ぶればかりだったので、サクラだな、とぼくたちは気付いていたが、急な来訪にもかかわらず盛大に出迎えられたことに教皇はすっかり感激していたので、凄いですね、とぼくたちも愛想笑いをしながら手を振った。
領城の正門から先は城の使用人たちが総出で出迎える中バスは進み、正面玄関前で停車すると、次期領主のキャロルの父が直々に出迎えた。
「ようこそおいでくださいました、教皇猊下。世界の北の果ての地ですが、精霊神の誕生の地である我が領にこうして教皇猊下をお迎えできることを嬉しく思います。私はガンガイル王国ガンガイル領次期領主内定者、セオドアと申します。領主である父エドモンドに代わり教皇猊下をご案内させていただきます」
教皇に膝をついて一礼したキャロルの父セオドアは、教皇の背後にいたぼくたちにチラッと目配せをすると微笑んだ。
「急な訪問にもかかわらず、このような歓迎を受けるに至って大変感動しています……」
度重なる教会の失態を辺境伯領主が援助している状況も相まって教皇は言葉を詰まらせた。
「ガンガイル王国、およびガンガイル領は、神々の言葉を人々に伝え、神々への祈りでこの世界を護る教会への支援を惜しみなく続けることを誓います」
次期領主セオドアは正しき行いをする教会への支援を誓うと、城の関係者たちが盛大な拍手をした。
神々の言葉に背く行いは許さない、と暗に宣言した次期領主の言葉に教皇は身を正して頷き、教皇の背後の月白さんは満足そうに微笑んだ。
「では、精霊神の祠に案内していただけるでしょうか?」
イザベラ夫人から始まった小芝居のシナリオに沿って教皇が話すと、セオドアは柔和な笑顔で頷いた。
「こちらの庭の奥になります」
教皇を案内するために歩き出した次期領主夫妻とその護衛たちの中に父さんが交じっていたことにぼくたちは気付いたが、表情筋に身体強化をかけて平静を装った。
きっと光影の剣を見たい父さんの好奇心に付け込んだ辺境伯領主が、光影の剣を魔術具として再現してみたい思惑から父さんを護衛に指名してこんな事態になったのだろう、と想像したぼくとケインは顔を見合わせた。
シロの助言がないということはここは成り行きに任せた方が良さそうだ。
精霊神の祠のある中庭には春の花と初夏の花が混在して咲き誇っており、故郷に帰ってきたことを実感させた。
花の生け垣は初めてここに来た時より低く感じたのはぼくの背が伸びたからだろう。
懐かしいと感じたぼくとケインとボリスが顔を見合わせると、精霊神の祠の方から精霊たちが教皇を迎えに来たかのように現れてぼくたち一行を取り囲んだ。
次期領主夫妻が案内する教皇の周りを取り囲むように精霊たちの輪ができると教皇の威厳を現すかのように見えたが、精霊たちの輪の中心にいるのは月白さんだった。
「こうして精霊たちに出迎えてもらえると、精霊神のお導きにより私はここにいるのだと実感いたします。ぜひ精霊神の祠に魔力奉納をさせてください」
案内を精霊たちに任せるかのように精霊たちの後に続いて教皇は歩き出した。
祠の前にたどり着いた教皇が背後にいる月白さんに目配せすると、月白さんは何やら呪文を唱えるふりをした。
「全ての神々の間に立ち、世界中に神々の御力を届ける精霊たちを統べる精霊神の祠に、我が魔力を捧げ、この地を護る魔力の一助にさせていただきます」
精霊神の祠に入る前に祝詞を唱えた教皇の声は月白さんの魔法によって資格のある者にしか聞こえないようになっているのか、次期領主夫妻のそばに控えている護衛たちは無反応だったが、この地を護る魔力の一助、という言葉に次期領主夫妻の眉が嬉しそうに上がった。
もしかして、次期領主夫妻は神学を学ぶ誓約をして聖典を読む権利を得ているのかもしれない。
教皇が精霊神の祠に入り魔力奉納を始めると、キャロルがジト目で両親を見た。
「教会に所属しなくても神学を学べるようになったのですから、神々に誓約をして神学を学ぶべきだ、と世に知らしめるために次期領主夫妻が率先して誓約しただけですわ」
小声でイザベラ夫人が呟くと、光影の剣を出現させたいんだ、と声を出さずにキャロルは口だけ動かした。
動機はどうであれ次期領主夫妻が誓約をしたとなれば、辺境伯領のみならずガンガイル王国の主要な貴族たちの間で神学を学ぶ流行が起こるのは間違いないだろう。
ぼくとしては教皇の言葉に無表情な護衛たちに交ざる父さんの眉も動いたような気がしたことが気になった。
“……ご主人様。ジュエルのスライムがジョシュアの代わりに誓約しているので、使役者が誓約したのも同然になっているのかと思われます”
そう言えばそうだった!
公に誓約していない父さんは祝詞が聞こえないふりをし続けなければならないのか!
教皇が精霊神の祠から出ると、キャロルから順にぼくたちも精霊神の祠で魔力奉納を済ませた。
「ここからは申し訳ありませんが、ご案内する人数を制限させていただきます」
セオドアの言葉に教皇は頷いた。
「教皇猊下と……お付きの方……」
月白さんを指名するつもりはなかったのに口にしてしまったのかセオドアが首を傾げたが、教皇の背後にいた月白さんを見たセオドアは確信したような表情になり頷いた。
「キャロル、カイル、ケイン、イザークさん、護衛はジュエルのみです。魔獣たちの帯同も許可する」
呼ばれた名前が予定と違うだろうことは父さんの横にいる護衛の表情からも明らかだったが、次期領主セオドアがこの場で決めたことに異を唱える護衛はいなかった。
指名から外れたウィルが残念そうに肩を落としたが、そもそもこの一時帰国についてくる必要さえなかったのだから仕方がない。
中庭に残るクリスとボリスに挟まれて項垂れるウィルとイザベラ夫人と護衛たちに見送られ、庭の奥の迷路のような小道へとセオドアはぼくたちを案内した。
庭の奥の蔦が茂る物置に案内されたぼくたちは、この物置が領城の転移魔法の魔術具だと気付いた。
「この場所を口外法度にしていただくのはもちろんですが、まあ、これは転移の魔術具の本体ではないので一族の秘密というわけではありません。一部の騎士たちも利用しています」
セオドアの説明に父さんが頷いた。
「狭い小屋ですが、詰めれば全員一度で転移できるでしょう」
セオドアが小屋の扉を開けると中は確かに狭そうだったが、細身の子どもが多かったので全員入ることができた。
「扉を閉めたら、全員壁に手をついて魔力供給にご協力ください。閉めますよ」
窓のない小屋の扉をセオドアが閉めたのに、魔力供給を始めたことで壁に光る魔法陣が現れ、小屋の中は真っ暗になることはなかった。
魔法陣の輝きが薄れると、セオドアは扉を開けた。
扉の向こうは薄暗く、目が慣れるまでそこにいる人影が誰なのかわからなかった。
「ああ、明かりを増やした方がいいね」
聞き覚えのある声にぼくたちは笑みを浮かべた。
「マナさん!お久しぶりです!」
護衛らしく一番先に薄暗い部屋に入った父さんもマナさんがいることを知らなかったようで驚いた声で挨拶をした。
マナさんが照明の魔術具の明かりを増やすと、がらんとした大きな部屋の中に辺境伯領主とマナさんの二人だけが先に来ていたことがわかった。
「ようこそお越しくださいました、教皇猊下。儂はガンガイル王国ガンガイル家総代エドモンドです。そして、ここが我が一族が邪神の欠片を封じている部屋です」
壁に幾つか照明の魔術具があるだけで何もない部屋の真ん中で辺境伯領主が言った。
「この度の一連の教会の不祥事の後始末へのご協力に感謝いたします」
頭を下げた教皇に、エドモンドは首を横に振った。
「細かいことは後回しです、邪神の欠片の消滅を何より最優先させるべきことです。それが我が一族の悲願なのです!」
「邪神の欠片は緑の一族ではどうすることもできない厄介な代物だった。それを消滅させる手段を一族でも数少ない男児が成し遂げるなんて……。長生きしてみるもんだね」
若々しい姿でしみじみと言うマナさんにぼくと父さんとケインは苦笑した。
「あっあなたは、緑の一族の族長、カカシ様ですか!」
若い姿のマナさんに困惑しつつもこの状況下にいる緑の一族は族長だろうと教皇は踏んだようだ。
「いかにも、わしがカカシじゃ。フフ。教皇猊下は上級精霊をお供としてお連れしながら、上級精霊の魔法をご存じないのかい?」
マナさんの爆弾発言にエドモンドとセオドアは飛び上がって驚くと、月白さんの前にひれ伏した。




