ハントの土産話
早朝礼拝前の沐浴を清掃魔法で済ませたぼくたちは礼拝時刻に間に合い、昨日となんら変わらないような済ました表情で入場する教皇や枢機卿たちを後方から見ていた。
早朝礼拝は前日同様、たくさんの精霊たちが出現したが、教会関係者たちは精霊にすっかり慣れたようで顔を上げる者もなく魔力奉納を終えた。
礼拝所の扉が開くと光る雲海のように精霊たちが流れ出るのも昨日と同様だったが、一つ一つの光の粒が弾むようにフワフワと浮かんでいる。
邪神の欠片の魔術具が五つも同時に破壊されたことに精霊たちが浮かれているような気配を感じたぼくたちは微笑んだ。
精霊たちの違いは些細なことでしかなく、ぼくたちが早朝から古代魔術具研究所に行ったことを知らない教会関係者たちは全く気付いていない様子だったが、帝都出身の神学生たちはぼくたちを見て、何かやったな、と言うかのように微笑んでいた。
噴水広場に戻り朝食の支度をしていると早々に戻ってきたハントが、一人分増えても大丈夫か?とベンさんに声を掛けた。
「昨夜のうちに枢機卿様からハントさんが戻ってくるだろうと伺っていたので大丈夫ですよ」
「歓迎してくれるなんて、嬉しいね」
「土産話の方を待っていましたよ」
即答したウィルに、優しくしてくれよ、とハントはぼやいた。
生ハムサラダを詰めたバインミーを作り終えたぼくたちがポテトスープを黙々と仕上げていると、それはそうだ、とハントは苦笑した。
ハントの一挙手一投足を緊張した表情で見ていたマテルの元に行ったハントは、ポケットから一枚の市民カードを取り出した。
「出生地のところが偽造された市民カードだが、おそらく君の兄さんの物で間違いないだろう。登録教会が旧ラザル国の管轄だが新しい地名になっている。保管されていた名簿ではナザル国になっていたのは、近年ころころと地名が変わっていたせいで古い地名が採用されたからだろう」
ハントが見せた市民カードを手に取ったマテルは名前が書かれている部分を何度も指でなぞり、ニザール兄さん、と口が動いた。
「北の枢機卿の見解では、この市民カードの偽造の細工は簡単なものなので、偽ニザール君は大きな役割を期待されて旧王族の市民カードをあてがわれたというより、偶々南国出身の容姿をした少年に旧ラザル国の旧王族の市民カードを渡されただけではないか、ということだった」
ハントの説明に偽造カードを握りしめたマテルは深い息を吐いてハントを見た。
「この市民カードの所有者だった少年も、どこかから攫われた子どもでしょうに、この市民カードを失ってしまったらどうなるのでしょうか?」
兄のことではなく兄の市民カードを所持していた少年に思いを馳せることで涙を押し殺したかのようなしゃがれた声でマテルが質問すると、ハントはマテルの肩を叩いた。
「五歳児登録の仮市民カードを転用して、本籍がわかれば本物に移行できるように仮登録してあるよ。褐色の肌に紫の髪の少年は珍しいから本人の記録を探しだすのは難しくないかもしれない……」
マテルとブールさんがガタガタと震えだしたのでハントの声が詰まった。
「その少年は褐色の肌に紫の髪で赤紫の瞳の色でしたか?」
ブールさんの質問にハントは頷いた。
ハントの答を聞いたマテルは膝から崩れ落ちてそのまま頭を抱えると咽び泣いた。
……ぼくが死ねばよかっ…マテルの口がそう動くと、言い終わる前にイザークの回し蹴りがマテルの顎に直撃した。
「簡単に死ねばよかったなんて言うなよ!生きのこった責務がどれだけ辛くても、たとえ、自分だけが生きのこりたくなかったとしても、そんなことは関係ない!ただ、ぼくたちは生きているだけでいいんだ!」
イザークがマテルの肩を掴んで揺さぶるとブールがグフっと嗚咽をかみ殺した。
「だって、彼はぼくの身代わりだった!ぼくが捕虜になって受けるべき苦難を彼が身代わりになったんだ!人体実験を受けて生きのこったあげくに市民カードまで失ってしまったなんて……」
膝をついて咽び泣くマテルにかける言葉が見つからないぼくたちは、キャロルが条件反射のように顎を殴打されたマテルに癒しの魔法をかけるのを見守っていた。
「なんだ、知り合いだったのか。まあ、紫の髪に赤紫の瞳なんて珍しい組み合わせだから、知り合い本人じゃなくても親族かもしれないが、戦争を仕掛けておいて言うのもなんだけれど、誘拐じゃなく戦争孤児だったならあんな北の地方に……いや、素質があったから、移されたのか!」
気付くのが遅い、とぼくたちはハントをジト目で見た。
「紫の髪の少年の家系は傍系王族の証とされ、生まれると王宮に引き取られる習慣がありました。赤紫の瞳の子はさらに珍しく視力が弱いが目に見えない物が見えるようになる、と言われており、王家の養子になった子がいます。その色の組み合わせの子どもと言えばシーク様で間違いないでしょう」
ブールの言葉にマテルは頷いた。
「視力が悪い感じはしなかったよ。神学も魔法学校も優秀な成績だと聞いたから最終学年だけでも帝都に来ないかと誘っておいた。世界中から優秀な生徒たちが集まっているから彼も見聞を広げるべきだと考えて、帝都の中央教会の大司祭に話を通している最中だ。マテルも帝都に留学したら会えるかもしれないよ」
マテルの本国での事情を考慮することなく留学を勧めたハントにデイジーが眉を顰めた。
「南方諸国で食客のような立場になっているマテルさんにお気楽に留学を勧めるなんて無責任ですわ」
お前の国と戦争をしているんだぞ!と言わないだけの気遣いを見せたデイジーにハントは人差し指を口に当てて、なんだか口に出せない事情があることを臭わせた。
「マテルの次兄ニザールの市民カードは旧ラザル国の教会で処分してもらう。軍の記録では死亡が確認されていて、市民カードを横流しした人物も拘束された。ラザル国の王族は国外逃亡した三男以外、全員死亡していたが、そのシークとやらは事実上は王家の養子でありながら、登録は実の両親の名で行われていたので王族扱いされずに戦争孤児として保護されたのだろう」
「ちょっとぼうっとしたところのある子だったから、なおさら王族っぽくなかったのでしょう」
涙をぬぐいながらブールが、生きててくれてよかった、と何度も頷いているのを見ると、王族として正式に登録されていなくても家族として大切に扱われていただろうことが窺えた。
「シーク少年が困難な目に遭ったことが想像に難くない状況だけど、その少年だって、マテルさんが自分の代わりになればよかった、とは思っていないはずですよ。時に言葉には魔力が載るんだから、迂闊なことを言っては駄目です。でも、回し蹴りを入れてしまって、ごめんなさい」
イザークの謝罪にマテルは首を横に振った。。
「いえ、神学を学ぶ誓約をした後なのに迂闊だったのはぼくの方です。ぼくがブールに担がれて城を脱出する時に、マントのフードを深くかぶって火の海の中に飛び込んでいったのがシークで、ぼくの身代わりをするためにそんな行動に出たのでは、と悩んでいました。それで、つい、ぼくが生きのころうとしなければ、シークは逃げることができたのに、と考えてしまったのです」
「三人目の王族男子のふりをして敵を引き付ける役を買って出たシークさんの行動は、マテルさんを生かしたかったからに決まっているじゃないですか!」
ウィルの言葉にマテルは涙を流しながら頷いた。
「幸せになりましょう!シークさんが生きているとわかったのだからいつか再会できます。その時にマテルさんが幸せでなければ、シークさんの苦労が報われませんよ」
イザークがマテルの肩を叩くとマテルは頷いて笑顔をみせた。
「さあ、飯にするぞ!」
ベンさんの言葉にぼくたちは元気よく返事をして朝食の配膳の列に並んだ。
朝食の席では生ハムの美味しさに感激したハントが秘密を知りたがり、発酵の神の祝詞をぼくたちが修得した話になった。
「うわぁ。いいな。夜通し聖典を読み込んだけれど、言葉遣いがめちゃめちゃ難しいから七大神の誕生のところまでしかまだ読めていないんだ」
「まず先に一番新しい神の誕生の箇所から読んだので、理解しやすかったですよ」
ぼくの指摘に、聖典は全部古語で書かれているわけじゃないのか!とハントは驚いた。
「ああ、なんか悔しいから急いで仕事を済ませよう」
ハントは朝食を素早く食べると旧ラザル国の教会に向かうために大急ぎで大聖堂の転移の部屋へ行ってしまった。
「あの御仁も真面目に仕事をするなんて、帝都で何か起こっているかもしれませんね」
商会の代表者が呟くと、ぼくたちは頷いた。
「停戦協定とか平和な方向に動いているのならいいのですけれど、期待しすぎない方がいいかもしれませんね」
キャロルの言葉にデイジーも頷いた。
「現在皇位継承権を持つ五人の皇子のうち四人が反戦の方向に傾いていますが、誰も決定的な権力を有していませんから皇帝次第、と言ったところでしょうね」
「ガンガイル王国では反戦を裏テーマにした戯曲を帝都の小さい劇場で公演して好評を博しているようですよ」
オーレンハイム夫人の出資する女性だけの劇団が夫人お抱え脚本家のノーラの半生を脚色した公演が泣けると話題になっているらしい、とミロが説明した。
「戦争で軍人の夫を亡くした未亡人が傷痍軍人のお世話をするボランティア活動で夫の面影がある青年に出会い、二人はやがて恋に落ちるも、戦争の記憶を思い出して時折暴れる元軍人が未亡人を幸せにできるはずがない、と彼女の元から去っていく物語なのですが、考察本までできる人気ぶりで、ご婦人たちの間で静かに反戦意識が育っているとのことです」
「大叔母様との面会が叶えば、是非とも劇場に連れ出して観劇しなければならない内容ですね」
キャロルは息巻いて言ったが、第三夫人は身代わり人形を利用して外出し始めているはずだから、観劇も済ませているかもしれない。
“……ご主人様。ノーラの物語は上演時間が長いので、まだ第三夫人は観劇できていません”
第三夫人は皇帝の目を盗んで外出するため観劇は短い物に限定されているようだ。
「世論が戦争の継続を望まない方向に向かえば、いい流れになるかもしれませんわね」
デイジーも未来に希望が持てる可能性があることをほのめかした。
「急いで帝都に向かう必要がないならもう少し大聖堂で祝詞の練習をしてもいいかな?」
ウィルが商会の代表者に予定変更が可能か尋ねると、商売の方向を変えるから大丈夫だ、と代表者は返答した。
「我々は教会都市で起業する足がかりを作りますから大丈夫です。水竜のお爺ちゃんが養殖に興味を示しているので、頑張りますよ」
夜間に出歩いている水竜のお爺ちゃんはいつの間にか商会の人たちと親しくしていたようだ。
“……なに、晩酌のメンバーに入れてもらったんだよ。日本酒のあてに魚が上手い、という話から養殖に興味を持ったんだ。美味しいものを作るためにそこまでするなんて人間って面白いな”
水竜のお爺ちゃんは小さい手で恥ずかしそうに髭を撫でながらぼくとケインに精霊言語で言った。
ハントと入れ替わるようにやってきた教皇と枢機卿たちはぼくたちの滞在延長を喜んでくれた。
「魔術具に加工されていない例のあれが、まだ保管されていることも問題なのだが、一日に何度も光影の剣を出してもらうのは申し訳ない、ということもあるのだが、イザークの喉の封印についてちょっとまだわからないことがあるんだ」
教皇の言葉にぼくたちはイザークを見た。
「イザークの母がかけた封印は解けていないのに、古代魔術具研究所の実験室で解除されたのは一体なぜなのか、さっぱりわからない」
そういえば、早朝礼拝が終わってからイザークと普通に会話をしているが、声に魔力の気配を感じなかった。
「祝詞の効果が倍増したように見えたのも謎ですね」
枢機卿の一人がそう言うと、ぼくたち全員が頷いた。
魔法の効力を倍増させる魔法があるなんて話は聞いたことがない。




