光影の剣
発酵の神の計らいの奥深さにぼくたちはしんみりとなった。
「みなさんがお召し上がりになった非常食は平和だったから消費されなかった上澄みの分なのです。キリシア公国は小さな国なので非常事態には国民全員が戦闘に備えて日常の活動を最小限にします。そのため、有事の際は最前線以外でもこの非常食で凌ぎ、全ての労力を勝利のために使うのです。ですから、常時この非常食を生産し、古いものを放出しているのです」
余り物で申し訳ありません、と言うマルコの説明に、ぼくは首を横に振った。
「これを譲っていただけたということは、近年、キリシア公国が安定していたという証拠です。平和のお裾分けをしてもらったようで、縁起がいいですよ」
「キリシア公国が長年にわたり護りの結界を維持してきたことを神々が認めてくださったかのような素晴らしい発酵食品ができた。キリシア公国の皆さんもきっとお喜びになるだろう」
教皇の言葉にマルコは涙ぐんだ。
「神々は本当に人間の営みを見守ってくださっているのですね」
祖国を失ったマテルが力なく呟くと、教皇は力強く頷いた。
「世界の始まりからご覧になっている神々には人間の一生などとても短く、神の禁忌に触れぬ限り、すぐさま善悪を判断なさることはない。だから、神々に見捨てられたと思うことがあるかもしれないが、我々は神々の恵みをいただき生きているのだ。今、生きていることを神々に感謝せよ、と人々に伝えることが私の仕事だと考えていた。だが……神々はちゃんと我々の生きざまをご覧になられているのだと、最近とみに考えるよ」
教皇の言葉に枢機卿たちは頷いた。
「厳しいことを言えば、私たちが地方でどれだけ真摯に祈っても、土地の魔力が枯渇しており、祈っても祈っても人々の困窮は変わらないことが苦しかった……」
一人の枢機卿の言葉に鼻を啜ったのは日々それでも帝都で魔力奉納を続けていた小さいオスカー殿下だった。
「今年は違いますよ」
苦しい胸の内を告白した枢機卿に隣にいた枢機卿が声を掛けた。
「ええ、そうですね。土壌改良の魔術具の普及と定時礼拝方法の変更で、明らかに日々のお勤めの負担が減り、教会に来る人々に笑みが見られるようになりました」
教会関係者たちは何度も頷きながら夕食のテーブルを照らす精霊たちを見て目を細めた。
「精霊を信仰する者は聖典を疎かにする悪しき信仰をする者たち……そう記載された副読本があるのに、聖典のどこにも精霊を悪しきものと記載されていないのです」
枢機卿の言葉に月白さんと従者ワイルドは静かに顎を引き、精霊たちは一様に点滅を始めた。
「なぜ、聖典に精霊たちの存在が明確に記されていないか、と言えば、こうして存在していることが当たり前だから、あえて描写されなかったのだろう。今日、私は実感したよ。新しい神が誕生した時に生まれ合わせながらいったい私は何をしていたんだろうとね」
教皇の独白に精霊たちが点滅した。
ふふっと笑った教皇が一切れの発酵した保存食を口にした。
「私にはこれが発酵の神が誕生した翌朝に食べたポリッジの味がするのだ。取り立てていつもの朝食と変わりないものだったが、一晩中、祝詞を唱え続けた体に染み入る味だった。新しい神の誕生に立ち会えた高揚感だとその時は思っていたのだ。当時、私に上がってこなかったガンガイル王国の報告書を読んだら、大気が揺れるほどの歓喜が国中に伝わり国境を越えた、とあった。それは新しい神の誕生を喜ぶ精霊たちの存在をガンガイル王国の教会の司祭は感じていた。それなのに、精霊たちと明記できなかったのは教会が精霊たちを認めない風潮があったからだろう。現に精霊の存在をほのめかした司祭は帝国に移動させられている」
教皇は溜息をついてそう言うと、枢機卿の一人が頷いた。
「彼を大聖堂島の要職につくように招待したが、地方でまだ成すべきことがある、と断られました」
元辺境伯領の司祭のことだと気付いたぼくとウィルは身を乗り出した。
「あの司祭様は独自に教会の建物の魔法陣を研究されていますよ。大きな教会では勝手なことができないので地方を回っているのでしょう」
「帝国各地で子どもたちの死亡率が高い事を早くから気にされていた方です。通常の報告書には上がらない独自の調査をされているはずです」
「あの司祭は教会の秘密組織が解体されても、まだ、警戒されているでしょう。生涯をかけて研究していることを簡単には教えてくれないかもしれませんね」
枢機卿も一新され教会組織も風通しがよくなっただろうと推測して元辺境伯領の司祭の話を持ち出すぼくとウィルに、兄貴は元辺境伯領の司祭が教会組織を信用していないと忠告した。
「ああ、そうであろう。彼は帝国に来てから特段の報告書を上げてこないが、彼の赴任先には精霊の目撃情報が多い。今でこそ精霊の目撃情報は教区の運営が上手くいっていることを示すが、秘密組織の連中が神ではない精霊を崇める民間の精霊信仰と絡めて邪教とひとくくりに噂したことの影響があるようだ。教会中央、大聖堂島からそういった悪い噂を払拭し、紛らわしい副読本を排除していくほかあるまい」
教皇は真面目に研究している司祭たちがため込んでいる情報を開示してもらうためには教会が変わったことを明確にしていかなければならない、と枢機卿たちに語った。
「定時礼拝の方法を変更しても礼拝所が光らない、もしくは精霊の出現を確認できない地域から優先的に視察をしています。精霊に対してわだかまりがある司祭の教区では精霊の目撃情報がありません」
枢機卿たちはすでに行動に移しているようで、残念そうに報告した。
「報告と言えば……小耳に挟んだ情報ですと、明日、ハントさんが大聖堂島に戻ってくるかもしれません。ハントさんはいくつか市民カードを回収して帝都に戻り、大聖堂島を経由して該当教区の教会へ行くつもりのようでしたが、時間が遅いので帝都の教会で転移魔法の部屋の使用を断られ、足止めされています」
急に思い出したかのように枢機卿の一人がハントの動向を漏らした。
月白さんがぼくを見て頷いているということは、ハントに光影の剣を知られない方がいいから枢機卿に思い出させたのだろう。
「早朝礼拝が終わるまでは教会の転移魔法の部屋は稼働しませんよね」
ウィルが確認すると教皇は頷いた。
「明日の早朝、光影の剣の検証を済ませてしまいませんか?好奇心旺盛な御仁に興味を持たれたくないのです」
ぼくの提案に全員即座に頷いた。
光影の剣にどんな力があるのかわからないが、帝国軍高官のハントに見せない、ということが満場一致で決まった。
夜明け前に行動することを決めたぼくたちは夕食会を早々にお開きにして就寝することになった。
東の空が薄っすらと白み始める頃にはぼくたちは身支度を終えており、迎えに来たジュードさんに小さい声で、おはようございます、と挨拶した。
スライムのテントに初めて宿泊したマテルもぼくたちと変わらぬ起床時間に起きたのは、きっと緊張していたからかもしれない。
薄暗い大聖堂島を徒歩で移動し、古代魔術具研究所の建物前に行くと、教皇と枢機卿たちが既に到着していたので、合流したぼくたちは入り口で止められることもなく内部に入れた。
一日中明るい研究所内に入ると起き掛けのけだるさがなくなり、いつでも光影の剣を出せる自信が溢れてきた。
「研究所内部に入ると、この明るさのせいか、気力が充実してきますね」
ケインもぼくと同じ感覚のようでそう言うと留学生一行は頷いた。
教皇は邪神の欠片を封印している部屋とは反対方向にぼくたちを案内した。
「あれは入り口で、出口は別の場所に繋がっている。君たちを信頼しているけれど出口の場所は秘密なんだ」
危険なものを保管しているからこそ出口を知らない方がぼくたちには都合がいいので頷いた。
研究所内の地下深くまで階段で降りると、だだっ広い部屋に案内された。
「ここは魔術具の実験をする部屋なので、外に魔力が漏れないように厳重な護りの結界が施されている」
「寮の訓練所みたいなところですね」
ぼくたちの反応に、良い設備があって羨ましい、とアーロンとマルコがこぼした。
「時間がないのでサッサと始めていいですか?」
「ああ、光影の剣を出してもらってから封印された魔術具の一つを取り出そう」
教皇は光影の剣を見てから邪神の欠片に対応できるものかどうか判断するつもりのようだ。
「ええと、何が祝詞になったのかわからないので、聖典からぼくが読み取った闇の神と光の神の誕生のお話しをしますね」
ぼくから講義を聞くかのように床に円陣を組んだ留学生一行と一緒に座り込んだ教皇と枢機卿たちは待ってましたとばかりに頷いた。
「世界は全てを吸収する闇の神の誕生から始まっています」
ぼくの言葉に教皇と枢機卿たちは頷いた。
「闇の神は空間にあるすべてを吸収し続けますが、終焉が近くなると吸収する際に生まれた粒子の揺らぎを吸収しきれなくなり光が誕生します。闇の神の一部はその光を完全に吸収しますが、もう片方は光を全て吸収できず、光の神が誕生します。分裂した闇の神は光の神と寄り添うことで、消滅を免れ、世界は光りと闇を獲得したのです」
ぼくの説明に解釈が違う箇所があると首を傾げつつも教皇と枢機卿たちは口を挟まずに聞き続けてくれた。
「前回の説明でも疑問だったんだけど、千切れたもう一つの闇の神はどうなっているのかな?」
ケインの素朴な質問にぼくも首を傾げた。
「七大神の誕生の箇所しか読んでいないから、該当するようなことは書かれていなかったよ」
さすがに昨晩は疲れていたので魔本で聖典の続きを読むこともせずに寝てしまった。
「おそらくそれは世界の終末の章にかかれている内容でしょう」
教皇の言葉に枢機卿たちが頷いた。
「闇の神が全てを包み込み……と世界には終わりがあることが記載されているが、まあ、祝詞になってはいけないので我々教会関係者も口にすることはない」
教皇の説明にジュードさんが頷いた。
「初級魔導士試験は聖典の内容を暗記していることを確認する試験ですが、終末の章が出題されることがないので知識として抜け落ちている人もいますね」
試験に出なければ勉強しないのは魔法学校生たちも理解できるので留学生一行も頷いた。
「口にするのは憚られる内容なら聞きません」
ケインが即答すると教皇も頷いた。
「闇の神が先に誕生し、ここは理解できる。だが、闇の神によって光が誕生し光の神になった、という解釈は長年の教会の研究とは少し違うようだ。その説明をすると光影の剣にお目にかかれない気がするのでやめておこう」
教皇はぼくが余計な知識を身に付けて祝詞の発動条件が変わることを恐れたようだ。
「では、続けますね。光と闇は表裏一体だけど、世界の始まりは闇の神が先に誕生した、とい……」
ぼくの両掌が熱くなったので上段の構えに掌を握ると光影の剣が姿を現した。
右手側の刃が漆黒の闇で左手側の刃は白く輝いていた。
これが光影の剣か!と教皇と枢機卿たちが呟いた。
「カイル!私を切ってくれないか!」
いきなりぼくの前に立ちはだかった教皇がそう叫ぶと、猊下!お気を確かに!と枢機卿たちがへっぴり腰で立ち上がり教皇に縋り付いた。
教皇の奇行に何が何だかわからない留学生たちは立ち上がりもせずお尻でずって教皇と枢機卿たちから離れた。
「教皇猊下はどこかお体が悪いのですか?」
ジュードさんはその場から動かず呑気な声で教皇に尋ねた。
「私はいたって健康で体に悪いところはない!だが、心が穢れているのなら光陰の剣で切られたら私は消滅するだろう。私に疚しいところはないから、この場で切り払って確認してくれ!」
「嫌です!」
ぼくが即答すると、教皇は首を横に振った。
「光影の剣に切られたものが消滅したら悪しき心の持ち主で、切られても何も起こらなかった者は潔白だと言い伝えられていますが、現在、教皇猊下の代わりになる人材はいないのですよ!」
「私の心が穢れていると言ったも同然じゃないか!私は必ず生きのこる!!」
枢機卿たちに羽交い絞めにされてもぼくに向かって来ようとする教皇に、ぼくのスライムが足払いをかけた。
前のめりに倒れた教皇に引きずられて枢機卿たちも倒れ込み、枢機卿たちの下敷きになった教皇は呻いた。
「勘弁してくださいよ。清廉潔白が何を意味するのか分かりませんが、正直、人間なんだから、生きていたら誰しも過ちを犯すこともあるでしょう。まったくもう!たとえ、品行方正に人生を送っていたとしても、美人さんとすれ違って風が吹きスカートの裾がまくれ上がる瞬間に振り返ったことがないとも言い切れないじゃないですか!帝国留学に来た当初は女性の服装が違い過ぎて、ぼくたちも目のやり場に困りましたよ。ガン見しなかったとは言い切れませんね」
どんなことが疚しさに繋がるのかもわからない状態で人間を切るなんてとてもできない、とまくしたてると、枢機卿たちに手を引かれて起き上がった教皇は恥ずかしそうに俯いた。
「教皇猊下がお怪我をされたようだから、丁度いいじゃないですか。グサッとではなく、サクっと軽く光影の剣で切ってもらうと、体の悪いところが治るらしいですよ」
ジュードさんの言葉にぼくたちは怪訝な表情になった。
光影の剣とは一体どんな剣なんだ!
はたして、人間に使用していいものなのかな?




