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祝詞の効果

「そもそも、光影の剣とは一体何でしょう?」

 ぼくの素朴な疑問に、説明が必要なことだったか、と教皇と枢機卿たちは膝を叩いた。

「聖典は神学の基本なのだが、文字を失った時代に聖典の代わりになる絵本が聖典の教本として採用され後世に残っているんだ。その中に光と闇の属性を併せ持つ剣の絵があり、便宜上、光影の剣と呼ばれている。わかりにくい闇の神の章を読み解くときの副読本として現在もその写本が利用されている」

 教皇の説明によると、使用できない文字が聖典から消えただけなら、初級魔導士の段階でほぼ丸暗記しているから聖典を読めるはずなのに、実際には全くわからなくなってしまい、絵本ができたらしい。

「副読本の絵本は教会関係者の間では有名だけど、神学の知識が全くない君たちには教会関係者の常識が全くない状態で聖典を読んでほしかったんだ」

 教皇が副読本を用意しなかった経緯を説明すると、そうでしたか、と枢機卿たちが納得した。

「七大神の誕生までは聖典を読んだので、その副読本を見せてもらってもいいでしょうか?」

 ぼくの申し出に教皇が頷くと、月白さんが本棚から薄い本を取り出した。

 受取った副読本を教皇が応接テーブルにページを開いてぼくたちに見せると、擬人化された闇の神と光の神がそれぞれ右手と左手を差し出して大きな剣を握っていた。

「この世界に最初に誕生した闇の神が孤独に耐えかねているのを見かねた創造神が光りの神を誕生させ、二柱は表裏一体の存在として寄り添って暮らした」

 教皇の説明はぼくの解釈と大きく違っていた。

 そこのところにツッコミを入れず絵を見たキャロルとケインは首を傾げた。

「よく見る神々の絵や像と違って男女がわかりにくいですね」

「神々を直接見た人間はいないのだから、神々の絵も彫刻も人間の想像の産物にすぎないし、性別も聖典に記載されていない限りわからないというのが正しい」

 夫婦神や美貌ゆえに他の神から求愛される神の神話があるが、求愛されているのが女神とは限らないということだろうか?

 そんな適当な、とぼくたちが困惑すると、教皇は笑った。

「神々を想像して祝詞を唱えて魔法が行使できるのなら、そのお姿が神のお気に召さない姿ではない、ということだろう」

 ざっくりとした解釈で教皇が説明すると、ぼくとウィルはハルトおじさん作の精霊神の像を思い浮かべてしまい、神々がおおらかなだけですよ、と小声でつぶやいた。

「まあ、神の御姿はともかくとして、光と闇の神が手にされている剣が光影の剣なのですね」

 キャロルの質問に教皇は頷いた。

「文字が失われた世界で神罰により亡くなると市民カードさえ残らずに消し炭になるが、普通に病気や寿命で亡くなる方がいたのに、当時、急激な人口減少で火葬が間に合わなかったんだ。当然、市街地に死霊系魔獣が跋扈するようになったのに、誰も魔法を使えないから被害が拡大したんだ」

 迂闊に言葉を話せないから避難場所の情報を共有するコミュニケーションもままならなかっただろうに、死霊系魔獣まで跋扈するなんて悲惨すぎる。

「当時、無詠唱魔法の使い手がこの光影の剣を出現させて死霊系魔獣を討伐したらしい。その魔導士が無詠唱魔法の本質を伝えるために記したのがこの絵本だと言われている」

「当時の上級魔導士の何人かが、この絵を見るだけで光影の剣を使いこなせるようになり、各地の死霊系魔獣の討伐に出た、と絵で伝えられている。だが、文字や言葉が整うと光影の剣を出現させることができる人物が誰もいなくなったと言われている。私も光影の剣を見たことがない」

 教皇の言葉に枢機卿たちも頷いてぼくをじっと見た。

「副読本の絵本の存在を知らず、聖典を一読しただけで光影の剣を出現させたなんて、古代の無詠唱魔術師以上の偉業です!」

 枢機卿の一人が真顔で伝説の偉人を超えると言い出したので、ぼくは慌てて首を横に振った。

「闇の神の誕生の章の要約は口にするのが怖いのでもう言いませんが、ぼくの要約も正しいとは言い切れません。神々はガンガイル王国の王族の製作した、とても神の像とは思えない像でも甘んじて受け入れてくださる懐の深さがあります」

 多少の間違いがあっても、まあいいか、と許してもらえるのではないか、と指摘すると、教皇と枢機卿の眉間の皺が深くなった。

「ない、とは言い切れない。天罰と死霊系魔獣の二重苦に喘ぐ人間を哀れに思って施してくださっていたのなら喫緊の危機が去ったことで光影の剣が出現しなくなったとも考えられる」

 教皇は副読本の絵本を触りながら、もしかしたら長年の神学の研究は無駄だったのか、と肩を落とした。

「光影の剣があったということが伝承されたので研究自体が無駄だということはないでしょう。カイル兄さんが光影の剣をよくわからない理論で出現させたのだとしたら、今、この剣が必要だから具現化されたのだ、と考えられませんか?」

 ケインの指摘にぼくたちも気になる場所があったので、みんなの視線は窓の外の古代魔術具研究所の方に向いた。

「あれの処分に光影の剣が有効だということだろうか……」

「我が家にはあれを一か所に保管してはいけない、という伝承があります」

「ああ、創造神が封じた力を人間が利用するなど、あってはならない。まして集めて一か所に保管するなど、まるで復活を願う行動のように見えてしまう……。処分できるなら処分した方がいい」

 キャロルが邪神の欠片が不適切な状態で保管されていると指摘すると、光影の剣が現状打破に有効化のように教皇が言った。

 眉間に皺を寄せたケインがゆっくりと深呼吸をした。

「未成年のカイル兄さんに重責を押し付けないでください。時折、突拍子もない発想でビックリするような結果をもたらしますが、かつて、光影の剣を何人もの上級魔導士が出現させたようですから、高位聖職者の皆さんなら出現させられるはずです!」

 危険な責務をぼくに押し付けるな、とケインが主張すると、イザークがゴクンと生唾を飲んだ。

「エントーレ家は貴族出身ではないからこそ発想が柔軟で、有益な魔術具を開発する一家というだけではないのですよ!一家の皆さんの努力の仕方が半端ないのです。カイル君本人はケロッとしていますが、早朝から祠巡りを済ませて、神学を学ぶ宣誓をして鐘を鳴らし、早朝礼拝、その後、マテルさんを迎えに行くために魔法の絨毯を使用し、昼からは発酵の神の祝詞を開発し、成功したうえ祭壇にお礼の魔力奉納までしていましたよ!これだけでも一般の未成年の魔法学校生の上限を超える魔力を使用しているはずなのに、光影の剣を出現させた後、また祭壇に魔力奉納をしたのですよ!」

 イザークがまくしたてると枢機卿たちはドン引きした表情でぼくを見た。

「まあ、回復薬は飲みましたよ。というか、その、中級魔法の祝詞を使用すると、使用目的を達成しないと掌から熱が引かないのか、授かった力を神々に返却しなくてはいけないような気がしたんです」

 掌に熱?神々に返却?と教皇と枢機卿たちが怪訝な表情になった。

 どうやらぼくが発動させてしまった祝詞は通常の中級魔法とは違うのかもしれない。

「ケインも発酵の神が誕生の時の記憶はしっかりあるよね?」

 不意に話題を振られたケインは戸惑いつつも、うん、と頷いた。

「試しに、キリシア公国の保存食を発酵させてみないかい?」

 ぼくは魔力を使い過ぎだ、とイザークが主張したばかりだったので、試してみるならケインの方がいい、とみんなも賛同した。

 頷いたケインは、ぼくを見て首を傾げた。

「あの時のカイル兄さんは祝詞になるとは考えていなかったから、ちょっと間抜けな言い回しだったので、表現を変えてもいいですか?」

「聖典の発酵の神の章を要約できていれば問題ない。中級魔術師の試験では自分で祝詞を作ることが求められるので、独自の祝詞を唱える方が正解だ」

 教皇の言葉に頷いたケインは収納ポーチから保存食を取り出すと両手で握った。

「多くの神々からの魔力を賜り大地に根付いた植物から命が巡り作られた食品を更に美味しいものとするために、発酵の神の御力を賜りたく存じますぅ……」

 数々の神々の後押しがあって誕生した発酵の神に助力を願ったケインの祝詞は成功したようで、ケインが握っていた保存食が光を放つと、急に熱を感じたのかケインの言葉の語尾から息が抜けた。

 光が収まると保存食には白カビのような粉が付着しており、熱が冷めた、とケインが呟いた。

「確かに、保存食が発酵によって熱を帯びたというより、掌そのものが熱くなりました」

 ケインの感想にぼくが頷くと、教皇を枢機卿たちは首を傾げた。

「ぼくもやってみましょう」

 ウィルが収納ポーチに手をかけると、マルコも自分の収納ポーチに手をかけた。

 ウィルはキリシア公国の保存食を取り出したのに、マルコは小さな瓶を取り出した。

「うちの保存食は保存がきくという点で本当に優れていますが、美味しくないのです。どうせなら美味しいものを美味しくする方が神々もお喜びになるでしょう?」

 マルコの提案にぼくたちは頷いた。

「お恥ずかしいのですが、ぼくはこの保存食が苦手なのです。それで、わざわざ魔力を使用してまでミルクを保存して持ち歩いているのです」

 味のしないものを飲み込むのが苦痛だった、とマルコが告白するとキャロルも頷いた。

「せっかくなので、これをヨーグルトにして夕方礼拝の供物にしたらどうでしょう?」

 それはいい、と教皇や枢機卿たちが頷いている間に、キャロルとイザークが収納ポーチから干し肉を取り出していた。

「ガンガイル王国の皆さんは常に保存食を持ち歩いているのですか?」

 驚いたマテルは、デイジーが大きな袋を出現させたのを見て頭を抱えた。

 どさくさに紛れてデイジーは生ハムを作る気満々のようで、応接テーブルの上に袋詰めにされた肉の塩漬けをどさりと置いた。

 それぞれが考案した祝詞を唱えると、それぞれの食品が光り出した。

 発光する発酵食品だ!なんて馬鹿なことを考えていると光が収まった。

 確かに掌が熱くなりました、とそれぞれが感想を言い合っていると、デイジーがナイフを取り出し肉の袋を開け、端を切って齧った。

「……美味すぎる生ハムができましたわ!」

 にんまりと微笑んだデイジーは続けざまにキャロルの干し肉も少し削って口に入れると満足げに頷いた。

 発酵の神の恩恵があったにしても生ハムの熟成が仕上がるのが早すぎる。

 ぼくとケインは顔を見合わせた。

「魔法陣を利用して発酵を促すと発酵食品の熟成期間を短縮することができるのですが、早すぎますね」

「美味しく熟成されるまで魔力を使用しているのかもしれないですね」

 ぼくとケインの見解に、うーん、と教皇と枢機卿たちは唸った。

「これは、もはや上級魔法ではないのか?!」

 驚く教皇や枢機卿たちをそっちのけで、応接テーブルの上に並べられた発酵食品たちをスライムたちが切り分けて試食会が始まっていた。

「小難しい話は後にしましょう。夕方礼拝に奉納するためにふさわしい物かどうか味見をしなくてはいけませんわ」

 デイジーの勢いに押された教皇は生ハムの欠片を手に持たされていた。

 ぼくのスライムは味見の生ハムを切り分けてキュアと水竜のお爺ちゃんに手渡したが、塩分が高いのでみぃちゃんの分はなかった。

 みぃちゃんのスライムがマルコのヨーグルトを取り分けてみぃちゃんやみゃぁちゃんに配膳している。

 小さいスプーン一杯ほどの量のヨーグルトをぼくとケインも分けてもらい口に入れた。

 酸味の奥にコクのあるとても美味しいヨーグルトに仕上がっていた。

「美味しすぎる……」

 生ハムを試食した教皇は天井を仰ぎ見た。

「温度管理もしないでこんなに美味しい発酵食品が出来上がるなんて、さすが発酵の神様のお力だ!」

「この祝詞で味噌を作ってみたいですね」

 ウィルとイザークの感想に初めて味噌を仕込んだ時を思い出したぼくとケインとスライムたちは頷いた。

「最高の状態で発酵させられる最も優れた手段だね」

「……最高の状態で発酵を終えるまで魔力を使用し続けることになるから、一般に普及させるのは難しそうだよ」

 ぼくがしみじみと感動していると、即座にケインに突っ込まれた。

「これは人前であまり披露しない方がいい魔法だよ。上級魔導士の上位しか使用できない技だ」

 枢機卿の一人がそう言うと教皇は頷いた。

「通常の呪文は魔法を発動させるための神々との合言葉だが、この魔法はそれを超えている。完遂するまで魔法が終わらない最高呪文と同等で、通常、死霊系魔獣の殲滅のために複数人の上級魔導士が同時に行うことで魔力枯渇を防ぐ必殺技だよ」

 教皇の説明に枢機卿たちが頷いた。

「聖典の解釈一つでこうも魔法の効果に違いが出るのか……」

 教会の解釈では発酵の神の章は、神々のお陰で収穫できた食品を美味しく保存する手段として発酵の神が力を貸してくださる、となっており、専用の祭壇の増設や魔法陣が織り込まれた布を販売していたらしい。

 それを使用した美味しい保存食が奉納されることがあっても、大聖堂島で保存食を作ることがなかったから呪文を使用したことがなかったらしい。

「神々がお求めになっていたのは発酵食品による味の追及だったなんて、思いもよらなかったです。教区に戻ったら試してみましょう」

 まさか、我々の聖典の解釈が至らなかっただなんて、と枢機卿の一人が干し肉を噛みしめながら言った。

 美味しいものが広く波及することを神々が望んでいる、と想像することはそんなに難しくないのに、学問として神学に向き合うと気真面目な考えしかできなくなってしまうのだろう。

 一欠けらもらったキャロルの干し肉は、噛みしめるとゆっくりと肉の繊維がほどけて旨味が口じゅうに広がった。

 遭難した時にこれを齧ると、一口だけ、と我慢するのは難しいほどの美味しさだった。

 遭難時の非常食には向かないね、ぼくとケインは顔を見合わせた。

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ブラタモリで江戸時代のピーク時には6人に1人が伊勢参りをしていたっていうのを思い出して、 人間どうしの争いや異常気象、魔獣や死霊系魔獣がいなければ、沢山の人が大聖堂に聖地巡礼に訪れ、各地の食品や調味料…
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