隠し味の効果
「ぼくはただ事の成り行きを見定め続けるつもりです。帝国皇帝という地位の方に復讐を考えても世界が混乱するだけなので、ガンガイル王国の国王陛下の判断に従います。ぼくの両親の一件に皇子殿下たちはかかわっていないので、責任を追及するつもりがないことがマテルさんと違うところです」
皇子たちを恨んでいない、というぼくの言葉にも小さいオスカー殿下の表情は晴れなかった。
「こんな悲劇が二度と起こらないようにしてほしいとは思うけれど、ぼくは小さいオスカー殿下に帝国皇帝に代わって責任を追及しようとは思わないですね。ぼくと殿下はお互いの両親のことを一旦切り離して一人の人間として友情を築き上げています。これもまたマテルさんの場合と比較できません。だけど、マテルさんは今すぐ仇を討とうとするのではなく、もう少し状況を見守っていてほしいんです。膠着している南方戦線の状況がどう決着を迎えるのか、なぜ帝国は南進を続けたのか、状況がわかれば責任を追及すべき人物が見えてくるはずです」
マテルは小さいオスカー殿下とぼくを見比べて溜息をついた。
「確かに、ぼくが復讐すべきなのは当時五歳だった小さいオスカー殿下ではないですね。帝国に復讐を誓ってから、皇族の気配を察知することができるようになったので、魔法学校の休校期間は最前線に送られるようになったのです」
マテルはしれっと話したが、いくら保護された孤児とはいえ未成年を最前線に送り込むとはどういった鬼畜の所業なのかと、マテルの親族の対応にぼくたちは唖然となった。
「帝国軍は皇族が参戦していると士気は高まるし、魔術具がバンバン投入されてしまうので、負けるが勝ちじゃないですけれど、いかに退路を保つかに戦略を方向転換しなくてはいけませんから、まあ、どこに皇族がいるのかの発見要員として呼ばれるのですよ」
敗戦の王子なんて二つ名がつくのも当然の状況でマテルが呼ばれているのに、敗戦の責を負わされているような異名がつくなんてあまりにマテルが気の毒だ。
「廃国の王子なんて親族でも引き取りたがりませんよ。ぼくはこの一芸のお陰で養ってもらっていますし、魔法学校にも通わせていただいています。保護されて孤児院に行かなかったから、人体実験もされませんでしたし……」
ハントの子どもはきっと酷い目に遭っただろう、と言い淀んだマテルの言葉の続きがぼくたちにも推測できた。
「……ハントの子どもは気の毒だけど、ハントを許す必要はないでしょう。あの人、帝国軍の魔術具を総括する部署に在籍しているはずです!」
語気を強めてミロが言うとぼくたちも頷いた。
「……なんだか親しそうに、商人の皆さんと馴染んでいるように見えたのに手厳しいですね」
マテルが力なく笑うと、人柄と罪は同一視してはいけない、とミロはビシャリと言い放った。
「魔術具好きの一個人であったなら面白いおじさんですが、あの方の決断で多くの人々が亡くなっているのです。私の父は騎士団の師団長ですから任務とあればいかなることでも遂行するでしょう。しかし、意にそぐわない侵攻なら進言できる環境があります。ハントが南方戦線でどういった対応をしたのかがわからないうちは、同情しない方がいいのです」
騎士の子弟らしく道義に適うかを指摘するミロにデイジーが頷いた。
「マテルさんのお兄さんの件も、ハントには自分で出向く理由があってのことでしょうから、お気になさらない方がいいですわ。あの人は他人に仕事を押し付ける名人なんですよ。それなのに、わざわざ自ら出向くなんて推して知るべしといったところですね」
小さい女の子にまで手厳しいことを言われるとマテルとブールは笑みを見せた。
「あなたの復讐の機会は必ずやってきます。さあ、そろそろ昼食ができたようですよ」
ぼくたちの背後にそっと控えていたクレメント氏が声を掛けた。
クレメント氏の瞳には何かしら意を決したような光があり、自分を裏切った前前世の親友であった皇帝に自分の手で復讐することを誓ったかのようだった。
昼食のメニューは聞かなくても匂いでわかる。
カレーライス!
「トッピング自由だけどエビフライは一人一本ですよ!教皇猊下もいらっしゃる予感がします。独り占めはなしです」
エビフライ奉行ことミロの一言にぼくたちは頷いた。
「ぼくたちの知っているカレーとは違いますが美味しそうです」
マテルの国のカレーはスパイスの香りがもっと強くさらっとしたスープとして食べる物だと説明してくれた。
「フライは別皿にとって好みでカレーに浸したらいいよ。ぼくはこのタルタルソースがお勧めだから、食べ比べてみてよ」
ぼくたちが並んで好みのフライをトングでつまんでいると、正午の礼拝を終えた教皇と枢機卿たちが合流した。
話は聞きました、と言うかのようにマテルとブールが会釈すると、教皇はぼくたちにすまなかったと目で謝罪した。
「揚げ物ばかりじゃなく、サラダと果物も取ってくださいね」
遠慮するマテルとブールに気にすることなく全種類のフライを二人の皿に盛り付けたミロはブュッフェ形式に慣れていない二人に奥の料理の場所まで移動するように促した。
ワイワイガヤガヤ席に着くと、神に感謝していただきます!と各テーブルから声が上がった。
このキャンプでの食事の作法がわからないマテルとブールがキョロキョロと辺りを見回した。
「食べた順から片付けを始めるから、教皇猊下をお待ちする必要はないんです」
ぼくたちは調理を手伝わなかったから片付けを手伝う、と説明するウィルに二人は目を丸くした。
「魔法学校生として生活している間は身分の上下を気にしません。とは言っても卒業後も人生は続くので、それなりに気を使わせてしまっていることは事実です。その分、ぼくは代表として矢面に立つことを当然と考えていますけど、普段はなるべくみんなと同じように行動します。城では厨房に入れなかったのに、今では料理ができるようになったことは純粋に嬉しいですよ」
キャロルがそう言うとマルコも頷いた。
「ぼくも片付けから手伝わせてください」
「まあ、その前に食べましょう!」
デイジーの言葉に、いただきます!とぼくたちが声を揃えた。
カレーライスを一口食べたマテルが同じく一口口に入れたブールと顔を見合わせた。
「「薬膳ですか!」」
一口食べたぼくたちの感想はいつもの万人受けする辛さのカレーだと……いや、いつもとコクが違う!
もう一口食べたぼくは辛さの奥にある越冬した甘みが強い玉葱を飴色になるまで炒めたコクだけでなく、独特のほろ苦さを感じ、あれだと気付いた。
「奮発しましたね。ベンさん!」
「気付いたかい?いやー、ラザル国といえばあれの産地の近くだからちょっと奮発してみたんだ。正午の礼拝の供物にしてもらうということで、このくらいの贅沢はいいかな、と商会の人たちと話し合ったんだよ」
深刻そうな表情をしたマテルとブールを気遣って昼食前に話す時間を作ってくれたのかと思いきや、調理場で素材の味見として消えてしまう天使の上前を少なくするためにぼくたちを排除したのではないか?という疑念が湧いたが、ここは問いたださない方がいいだろう。
隠し味に特別なものが入っているのか!と留学生一行は誰が最初にあてられるか色めき立ち、林檎?オレンジ?蜂蜜?とみんな見当違いのことを言っている。
自分の妖精から答えを聞いているだろうデイジーがにんまりと口角を上げて、悪くないですわ、と言った。
「あんな苦いものをよくこんなに美味しく隠し味として使えますねぇ。凄く美味しいです」
ブールさんが感心しているとデイジーが自分専用の追加の辛みスパイスの瓶をブールさんの席にスライディングさせた。
瓶のふたを開けて香りをかいだブールさんは何度も頷いて笑顔になった。
デイジーのカレースパイスは相当な辛さだということを知っているメンバーが顎を引いて見るほどブールさんはごっそりと辛みスパイスを追加すると、うっとりとした表情になった。
「相当な辛党なんですね」
ぼくたちの席に来た教皇は唐辛子の香りに手で鼻を覆った。
「懐かしい味です!この特別に辛い唐辛子はその昔、東方の島国からいただいた種を大事に育てていた、ラザル国で愛されていた香辛料です!」
国土が焼けて大切な種子も消滅してしまいもう長いこと口にしていなかった、とブールさんは辛さではなく懐かしさに涙を浮かべた。
「その時、交換でいただいた種子がたぶん、このカレーの隠し味でしょう。帝国の南進が始まる前は東方連合国と南方諸国は留学先で交流がありましたからね」
デイジーは東の魔女の当番だった時に留学生のサポートをしていたのか、まるで自分が立ち会ったかのような懐かしそうな視線を左斜め上に向けて話した。
「薬効の高いあの種を交換したとあれば、当時は相当親しい間柄だったのでしょう。戦争により失ってしまったのは焼けた国土だけでなく、人的交流も途絶えてしまったのですね」
しんみりしているブールさんには申し訳ないが、デイジーがカカオを栽培していることに驚いたぼくは、たくさん保有しているのか!と思わず話に割って入った。
「温室で栽培しましたよ。薬としてしか使っていなかったから在庫を貯め込んでいましたが、帝都で人気になったので商会の方にもう売ってしまいましたわ。私、食費がかかるので高値で買い取ってもらえて満足しました」
高値の取引という言葉にマテルとブールはゴクンと生唾を飲み込んだ。
帝都で人気というデイジーの言葉に、チョコレート、とケインが呟いた。
留学生一行はもう一口カレーを口にして、そうかなぁ、と首を傾げたが、正解!とベンさんは一粒のチョコレートをケインにあげた。
正解したら現物が貰えるなら先に解答したのに、と言いたげにデイジーが上唇をとがらせると、ハハハとベンさんが笑った。
「原材料を製造できても私は美味しいチョコレートが作れませんからね!購入機会があれば逃したくないですわ!」
淑女らしさを捨てて鼻息を荒くして言ったデイジーを見て笑いながらベンさんは、教会に寄進したから在庫はもうない、と言った。
「ご覧のように帝都では金に糸目をつけずに欲しいと願う貴族たちが多くいます。帰国されたら近隣の国々から原材料を調達していただけると高額で買い取ることをお約束します」
商会の代表者の言葉にマテルとブールはポカンとした表情になった。
「戦争が終わる、とは断言しませんが膠着状態がしばらく続くことになるのは間違いないです。教会内で改革が進んでいるように、帝国内部でも派閥の解体があり戦争どころではありません。マテル殿下は平和の使者としてチョコレートの原材料を買い付けていただければいいのです。取引先は帝国ではなくガンガイル王国所属の商会です。本国の方々の反発を買うことなく、現金収入を得ることができ、帝国から代金を引き出せるのですよ」
弁の立つ商会の代表者の説明に、うんうん、と教皇まで頷いた。
「帰国の際、供物のおさがりを授けよう。薬として流通するわけではないので敵を増強させることはない。また、こうやって原材料名を伏せているので奪われた南方の地で栽培されることもないだろうから、しばらく買取価格は高値が続くと見込まれる」
チョコレートの味に魅せられた教皇は口にできる機会を増やすためにマテルとブールの説得に回った。
「あっ!原材料は伏せられていますが、知人が将来、農園を開くつもりで土地を買いあさっています!」
帝国軍の死霊系魔獣の対策に物申したため南方での死霊系魔獣対策に左遷されたドルジさんが、なけなしの貯金をはたいて焦土を買いあさってカカオ農場を開くことを夢見ている。
「もしかして、そのドルジさんが買った焦土が、旧ラザル国だったりしたら、神々のお導きとしか思えないよねぇ」
ボリスが呑気にそう言うと、そんなうまい話はないよ、と留学生一行は言いながらも期待の籠もった眼差しをぼくに向けた。
「ごめん。詳細な情報を持っていない!ドルジさんやディーがお金を貯めて農場を開く夢を持っている話を伝え聞いただけで購入した土地の具体的な場所を聞いていない!」
ぼくが期待しないで、と釘を刺したが、月白さんと従者ワイルドが微笑んでいる。
「まあ、そうそう都合よく事が運ぶとは思わないですけれど、二人が購入した土地が旧ラザル国に近かったら、マテルさんが土地の管理者として護りの魔法陣を張れば農場の豊作は間違いなしじゃないですか?」
夢のような話ですけれど、そうだったらなら凄いですね、とキャロルが念を押すように言うと、イザークが天を仰いだ。
「二人と連絡を取った方がいいですよ。ぼくには運命の神が微笑んでいるように思えてなりません」
イザークの言葉を聞いた枢機卿の一人がディーに連絡を入れるために席を立った。




