憎しみの行き先
一部残酷な表現があります。
「日々のお勤めに加えて祠巡りを毎日するようになると魔力の偏りが減りました。今ではここまで水晶を光らせることができるようになりました」
ジュードさんが水晶に触れるとマテルが魔術具を握って光らせた時より明るく光り、大きく鐘の音が鳴った。
ハッとしたぼくたちを見たジュードさんは、ぼくたちがジュードさんは魔術具を利用して司祭になれたのでは、と勘繰っていたことに気付いて笑った。
「神学を学んでいながらご加護が欲しい神にばかり祈っていたので魔力が偏ってしまっていたのですよ。聖典には神々の誕生の経緯や神々の関係が記されています。反目し合う神々の魔法陣を隣り合わせにしないのは中級魔法学で学ぶように、ご加護が欲しい神と反目する神々の祠での魔力奉納を避ける傾向がありました。ですが、七大神の祠に魔力奉納をするようになってからご加護が均等にいただけるようになったのです」
ジュードさんの努力の結果だったのに疑ってしまったことを内心詫びつつ、努力で属性が埋められることをマテルに説明した。
「ぼくたちが帝都で調べた祠巡りの結果ではまだ全属になった人はいないので、そもそも大聖堂島の司祭補であったジュードさんの属性が多かったにしても、この短期間に成し遂げるなんて凄いです」
ウィルが興奮して話すと、ジュードさんは嬉しそうに笑った。
「いやあ、帝都の孤児院出身の神学生たちが全員全属性の祝詞を初回の授業で使いこなしたと聞いて落ち込んでいた自分が悔しかったから頑張ったんです。マテルさんは大聖堂島には長期滞在できるようですから頑張ってください」
ジュードさんの激励に嬉しそうに微笑んだマテルに、聖地の祠巡りの効果を検証したいから記録を取るようにお願いした。
聖地の祠巡りのご利益は高そうだから結果が楽しみだ。
「この魔術具が、高位の司祭のコネはあるのに実力が足りない連中の抜け道になっていたことは否めない。本来は新規の教会を設立する場合でもない限り多少属性が足りなくも日常のお勤めはできるから、全属性が必要な特別な儀式のときに足りない属性を補うためのものなんだよ」
教皇の説明にぼくとウィルとボリスは気にかかることがあった。
「「「修練の間に枢機卿たちが入れなかったのは……」」」
「そうだよ。枢機卿たちは属性が足りないのを魔術具で補っていた。それで、実績が足りなくて入れない部屋があったのだ。まあ、歴代の枢機卿がそうだったので、私も疑問に思わなかったことに付け込まれた。組織の連中はある程度、実家がしっかりしている貴族を凡愚の傀儡に仕立て上げて、上位聖職者にして、不正行為や金の流れを改竄しても決済されるように教会内を牛耳っていたんだ。新任の枢機卿たちは若いが全員実力があり、誘拐や不正に関与していないゆえに地方に飛ばされていた真面目な司祭たちを選んだ」
飛竜の里の司祭はガンガイル王国の王族で希望任務地を王国内に限定したことで出世街道から外れたように見えたし、辺境伯領の司祭も潔癖だったから厳しい地方に赴任させられたように見えたが、実際にそうだったようだ。
「新任の枢機卿たちは神学校設立にも前向きに取り組んでくれている。今日は私が招待した全員が鐘を鳴らしたから枢機卿たちも喜んでいた。ああ、君たちが司祭にならないかもしれないことは了解しているよ。新人の司祭たちや、今、大聖堂島の神学校にいる神学生たちの刺激になることを喜んだのだ」
教皇の説明にジュードさんが頷いた。
「帝都の孤児院から新しい風が吹いている最中に、今回の皆さんはまるで竜巻級の鐘の音でしたから、明日から神学生たちの間で夜明け前の祠巡りが流行すること間違いなしです」
ぼくたちが祠巡りで魔力奉納をした直後に大きな鐘の音を鳴らしたということで、祠巡りをしても日々のお勤めに影響がなく、むしろたくさんのご利益を得たのではないか、と噂になるはずだ、とジュードさんは口角に泡を立ててまくしたてた。
「君たちが聖典を読む資格があることが広く知らしめられたから、どの教会でも定時礼拝の時間以外なら礼拝室へ自由に立ち入ってかまわない。備え付けの聖典を熟読し感想をレポートとして提出してくれたら初級魔導士の受験資格を与えよう」
魔導士への道が開けたぼくたちは、ありがとうございます!と元気よく言った。
これで資格を得たぼくは教会の礼拝室まで行かなくてもいつでも魔本で聖典を読むことができるようになった。
「私は正午の礼拝の準備があるから付き合えないが、この後、大聖堂島の礼拝所で聖典に触れてもかまわないよ」
聖典が見たくてもじもじするぼくたちを教皇とジュードさんは微笑ましい者たちを見るような柔らかい笑顔で見た。
「どうにもぼくには情報が足りないようで、聖典の神聖さは理解できるのですが、そこまで渇望する理由がわかりません」
ぼくたちと感動に差があるマテルが首を傾げると、キャロルはフフフと高笑いした。
「カッコいいからに決まっているでしょう。聖典の言葉は全て初級魔導士の呪文なのですよ!魔法陣で上級魔法を使用できますが、万が一魔法陣が使えない状況に追い込まれることだってあるはずです。そんなときに時間がかかっても小声でひたすら祝詞を唱え続ければ魔法が行使できて起死回生を図れるのかもしれないのですよ!」
ディーにしてやられたことのあるキャロルは屈辱を忘れておらず、自分が魔導士に成れる機会を得て心の底から喜んでいるような朗らかな声で言った。
「……魔法陣を封印された時の起死回生……」
「申し訳ありませんでした!」
キャロルの言葉を復唱したマテルが小刻みに震えると、ブールがみごとなスライディング跪きを披露してマテルに謝罪した。
きっと落城で城を去る際にブールがマテルの魔法陣を封じたのだろう、と想像がついたぼくたちは息をのんだ。
「過去は変えられませんが、未来は変えられます。神学を学んで自己研鑽に励んでください」
月白さんの言葉に落ち着きを取り戻したのかマテルの震えが止まった。
「のう、マテル。ラザル国の別称は何だったかい?」
教皇が唐突にマテルに尋ねると、怪訝な表情をしつつもマテルは答えた。
「ナザル王国から独立してラザル王国になりました。古い記憶のある方はナザルと呼ぶこともあるかもしれません」
誘拐の被害者の名簿を出身地別に仕分けしたぼくたちはナザルという地名に聞き覚えがあった。
「兄弟の名は何と言ったかな?」
「長兄がラザル、次兄がニザールです」
「次男さんが生きていたら今何歳ですか!」
心当たりがあったケインが叫んだ。
「ぼくの一つ上だから生きていたら十四歳です」
即答したマテルの言葉にケインは眉を顰めた。
「……八年前に洗礼式を迎えたことになっていたから、違うか……」
「いや、一年なら誤差の範囲だよ。体の小さい子は一年遅れて洗礼式をすることがある。……ハントが急いで帰国したのはその確認に行くためでもあった。ハントは名簿の中にナザル出身者を見つけてナザル王国は数十年前に消滅していたから変だと気にかけていたようだ」
違うと諦めかけたケインに教皇が爆弾発言をした。
「残念ながら、消失した地名で洗礼式をしたように偽装されているということは、本人が生きているとは思えない。帝国軍が落城した亡骸から市民カードを回収した際、流出して悪用されたとしか考えられない」
マテルとブールは小さく頷いた。
「……ニザール兄さんの足元に火炎弾が落ちて炎に包まれるのをぼくは見ました。咄嗟に水魔法の魔法陣を出そうとしたのに、ぼくはブールに担がれて城外に逃げ落ちました」
マテルの独白に最初に嗚咽を漏らしたのは水竜のお爺ちゃんだった。
水竜のお爺ちゃんがハントを帝都まで送り届けた事情はこういうこともあったのか。
「当時のマテルは魔法学校に入学したばかりで七大神の魔法陣しか描けない状態だったろうに。それではすぐに魔力枯渇を起こして兄を助ける前に死んでいる。君の使命は生きのこることだったんだよ」
教皇の言葉に涙目のマテルは頷いた。
「現在、何者かが、本人が意図してではなく暗示をかけられてニザールの名をかたっている。ハントは現在実在しない地名ということで引っ掛かっていたのだが、南方諸国から私の招待に応じた少年が旧ラザル国王子だと聞き即座に気付いた。ニザールという名はそうある名前ではないので、私は大至急、十三歳のニザールという名の神学生を探したところ、北の枢機卿の管轄で見つかった。ハントは帝都を経由して現地に向かうことになっている」
市民カードの流出に帝国軍が関与していることが明白なのでハントは独自の調査として動いているようだ。
「ちょっと何のことを言っているのか理解できません。兄は生きていないのに、兄の名を騙る人物がいるのですか!国は滅んでしまっているのに兄の名をかたっても何の利点もありません!」
混乱を起こしているマテルに教皇は申し訳なさそうに言った。
「すまないが、正午の礼拝の時間が迫っているので、今はカイルたちから説明を聞いておくれ。昼食後に時間を取るのでまた面会しよう」
教皇の言葉にぼくたちは頷いた。
「すみませんでした。みなさん、あんなに聖典を読むのを楽しみにしていたのに……」
噴水広場のキャンプの片隅でぼくたちを気遣うマテルにぼくたちは首を横に振った。
「正午の礼拝は一般開放されていない礼拝室で行われているけれど、礼拝所は礼拝室の真裏に位置しているから、さすがにキャーキャー騒がしく聖典を見るわけにはいかないから、いいんです」
ウィルの説明にぼくたちは頷いた。
「昼飯の支度はもう少しかかるから、話し込んでていいぞ!」
深刻な話があると察したベンさんは時間を気にするな、と声を掛けてくれた。
「みなさん、優しいですね」
ブールはベンさんの気遣いに、ありがたい、と言った。
「まだ、調査中の話だから内緒話の結界を張るね」
ぼくが魔法の杖を一振りするとマテルとブールは、仕込み杖か!と驚いた。
「これから話す内容は教会の威信にかかわることだから、実際にどこまで公表されるかわからないけれど……」
ぼくたちは教会内の秘密組織が長年にわたって世界中から子どもを攫って人体実験を施し、生きのこった子どもたちを上級魔導士の暗殺者に育てて皇帝暗殺を企てていたことを説明した。
「……皇帝はぼくの宿敵ですが、教会の秘密組織のやり方には賛同できません」
マテルの言葉にブールも頷いた。
「秘密組織は皇帝暗殺による帝国の解体が目的で、教会こそ世界の中心であるべきだと考え、いや、ちょっと違う解釈で聖典を読み込んで勝手に解釈した真理を振りかざして、そこに神々の真意はないんだけれど、それが正しいと洗脳されている厄介な集団です。教皇猊下が解体してくださいましたが、残党が世界各地に散らばっている状況です。そして、人体実験されて生きのこった子どもたちが魔法学校や神学校に送り込まれた際に名前をすり替えられているから、お兄さんの名前が乗っ取られているのです」
そういうことでしたか、とマテルとブールが肩を落とした。
生きている可能性がないと知っていても、もしかして、と一縷の望みをかけてしまうのが親族だ。
「マテルさんの容姿や魔力を確認したハントこと第三皇子殿下が、直接現地に乗り込んだのは、あの人なりの気遣いなのでしょうね」
第三皇子に気遣われたという状況を聞きマテルとブールは眉を顰めた。
「ハントは現時点で皇太子候補として二番目に有力視されているのに、彼を皇太子にしたら危ういと誰もが思う、問題のある人格の皇子ですが、秘密組織に洗礼式前の実子を仮死状態にされて死体とすり替えられた、と疑念を持つ方なのです」
ミロの説明にマテルとブールは茫然となった。
「マテルさんのお兄さんのことを確認せずにいられないのはハント自身の問題でしょう。お気になさることなく結果を待ちましょう」
キャロルがハントに同情する必要はない、と言い切ると、ハハハ、とマテルは力なく笑って項垂れた。
「悪人が誰か、はっきりしていればこの憎しみの行き先がわかるのに……」
小刻みに震えるマテルの膝をぼくとぼくのスライムがそっと触れた。
「結論を急ぐ必要はないですよ。復讐の機会は必ずあるはずです。そうでなければ、ぼくとマテルさんが聖地で巡り合うなんてそんな偶々が起こるはずがないです」
何のことかわからない、と顔を上げたマテルにぼくは言った。
「ぼくの実の両親の暗殺を命じたのは帝国皇帝で、暗殺の実行犯を少年期に攫って暗殺者に仕立て上げたのは教会の秘密組織です。皇帝はガンガイル王国の良質な鉱石を入手したかっただけで、自身に向けられた暗殺者を洗脳し直してガンガイル王国に派遣しただけです。さて、ぼくは誰を憎み、誰に復讐をすればいいのでしょう?」
ぼくの発言にマテルだけでなく小さいオスカー殿下も息をのんだ。




