水竜のお爺ちゃん
“……儂は水に浸かっていなくても生きれるし、空も飛べる。ただ水の中の方が居心地がいいだけだ”
おや、水竜は両生類なのか?
“……蛙や山椒魚と一緒にしないでくれ。基本的には水中に暮らすが、嫁を見つけに旅に出る時は空を飛ぶんだよ”
かつて、水竜のお爺ちゃんも嫁を探して空を飛んだのかな。
“……ああ、いい女と巡り合ったが、大聖堂島が落ちてきた時……あいつは駄目だった”
怪我を直すためだけに長い眠りについたのではなく、傷心のあまり寝込んでいたのか。
“……傷心か……まあ、そうとも言えるな。生きていても楽しいことなんかないと考えてしまっていた”
長い間気落ちしていた水竜のお爺ちゃんがスライムたちに出会ってやっと笑えたのか、と気付いたぼくとケインと魔獣たちは、水竜のお爺ちゃんのことを気の毒に思い始めた。
「奥さんを大聖堂島が落ちてきた時に亡くして、それ以来、塞ぎがちになっていた水竜のお爺ちゃんがやっと世間に興味を示したんだよ。このまま湖の底に残していくなんて可哀想じゃないか」
キュアの説明を聞いたウィルと漁師さんは困ったように顔を見合わせた。
「そもそも、こういう事態は不可抗力だよ。ぼくたちに水竜の行動を制限できるわけないじゃないか!」
ボリスの言葉にぼくとケインは頷いた。
「俺はガンガイル王国の留学生たちが湖の底を攫って小石しか採取しないことを見届る人として乗船した。君たちのスライムの網にしがみついている小さい水竜が、自主的にしがみついていることの証人になってやるよ。そもそも漁業ギルドに聖獣といわれる竜をどうこうできる権利があると思えない」
人間がどうこうできるような存在ではないのだから成り行きに任せよう、と漁師さんは空を仰いで言うと、あんな大波を起こした原因である水竜に対抗できるのはキュアしかいないだろう、と言いたげな視線をキュアに向けた。
“……儂の行動をそこの飛竜の幼体が止められるとは思えない……”
いや、人間に迷惑をかけないならついてきてもいいけれど、ぼくの魔獣たちに偉そうにするなら亜空間に閉じ込めるよ。
“……ごめんなさい。言い過ぎた。長い間、誰とも話していなかったから人付き合いの方法をすっかり忘れていた。面倒はかけるかもしれないが、迷惑はかけないようにするよ”
精霊には敵わないと即座に認めた水竜は全面降伏するかのように謝罪した。
“……ご主人様。人間の常識を学ぶ気があるようなので、ハントより扱いやすいかもしれません”
シロの非常識の基準がハントだったことに、ぼくとケインは苦笑した。
「仕方がない。連れて帰ろう」
ぼくがそう言うとウィルのスライムがケインのスライムの潜水艇を浮上させるべくリールを巻いた。
引き上げた潜水艇からスライムたちが降りたが、ケインのスライムは水竜を乗せたままだった。
「眩しいらしいから、目が慣れるまでここにいたいんだって」
キュアの説明にウィルとボリスと漁師さんは、そうなのか、と納得した。
浮上するまでの大騒ぎを精霊言語で聞いていたぼくとケインと魔獣たちはぐったりした。
ボリスのスライムの光では文句を言わなかったのに、浮上すると差し込む日の光に、目が、目がつぶれるー、と精霊言語で叫ぶ水竜のお爺ちゃんのために引き上げをいったん中断し、水圧がかかる湖内でケインのスライムは体の外側を内側に取り込んで潜水艇の中に水槽を作って水竜のお爺ちゃんを保護した。
このままケインのスライムの中に水竜のお爺ちゃんを閉じ込めておけば面倒な説明を回避できるのでは?と声に出さなくても全員が考えてしまったことが、お互いに顔を見合わせただけでわかった。
「遊覧船から観光をしていた巡礼者たちを振り落とした大波の説明をしなければならないから、隠しておけないんだよね」
ため息交じりにウィルが言うと、漁業ギルドに説明しなければならない漁師さんもため息をついた。
潜水艇のスライムが高速艇に回収されたのを目視した治安警察隊員の魔術具の船が近寄って来た。
大丈夫でしたか、拡声器で確認されると、ぼくたちは手を振りながら、大丈夫です、と拡声魔法で伝えた。
“……ワハハハハ!騒がせて済まなかった!”
水竜のお爺ちゃんはキュアと格の違いを見せつけるかのように強烈な精霊言語を発すると、様子を見に来た治安警察隊員たちだけでなく、遠方に浮かぶ遊覧船の人たちまで脳内に直接響いた言葉を不信がるようにキョロキョロと辺りを見回していた。
“……ご主人様。大聖堂島の人々だけでなく、五つの教会都市全ての人々に水竜は精霊言語で語り掛けています”
“……儂は長い間、眠りについていたが、精霊たちが大聖堂に集まっているなんて何千年ぶりだろう!いやはや、長く寝すぎていたようだ!”
ケインのスライムごと宙に飛び上がった水竜のお爺ちゃんは、大聖堂島の上空まで浮上すると、とぐろを巻くように巨大化した。
“……人間たちは殺し合いばかりして、精霊たちまで抹消させていた。いずれ世界が滅びるなら、それまで眠りについていようかと考えていたのに、いつのまにか自浄作用が働いたようで何よりだ”
水竜のお爺ちゃんは偉そうに大演説をしているが、眩しさを克服していないのでケインのスライムを眼帯のように巻きつけて目隠しをしていた。
“……神々に祈りを捧げ精霊たちを活性化させよ!そうすれば地上は再び魔法に満ちた世界になる!”
ワハハハハハハ、と豪快に笑った水竜のお爺ちゃんは上空に浮かぶ実体を雨雲にすり替えて小さくなると、雨雲が拡散して大粒の雨を降らせた。
突然の雨に遊覧船から顔を出して空を見上げていた人々は顔を引っ込め、大聖堂島や教会都市では雨を避けて人々が建物内に入るころ、水竜のお爺ちゃんはケインのスライムに再び包まれて、ぼくのスライムの高速艇に帰ってきた。
「この大きさだと威厳がないね」
みぃちゃんが前足でケインのスライムに包まれたまま浮かんでいる水竜をツンツンすると、やめてくれ、と精霊言語で言いながら水竜のお爺ちゃんはぼくとケインの間に避難した。
「詳しい話は大聖堂島でお伺いします!」
ずぶ濡れになった治安警察隊員が拡声器でぼくたちに声を掛けると、治安警察隊員の魔術具の船は湖岸に戻っていった。
「ぼくたちも噴水広場に戻ろうか」
キャロルのスライムの遊覧船も船着き場に戻っていたので、ぼくのスライムの高速艇も後に続いた。
「それで、この中にその水竜がいるのですね」
噴水広場に戻ると教皇や漁業ギルド長や治安警察隊の隊長が待ち構えていた。
湖底から攫ってきた石の確認より水竜の話ばかりする三方に、実は水竜がついてきた、と話すと腰を抜かさんばかりに驚いた。
ふよふよと浮かぶ大きな林檎サイズのケインのスライムが体の色を少しだけ透明にすると小さな水竜が見えたので、おおおお!本物だ!小さくなった!と声が上がった。
眩しそうに顔を伏せた水竜のお爺ちゃんを気遣いケインのスライムはすぐに体の色を濃くした。
「湖の大波で湖底に何か巨大な魔獣がいることは察していましたが、まさかあんなに大きな水竜が眠っていたとは……」
「伝承一つなかったのは千年前から眠っていたせいで、人間は水竜の存在を全く忘れてしまっていたのですね」
漁業ギルド長と治安警察隊長がケインのスライムを見ながらしみじみと言うと、教皇は首を傾げながら水竜のお爺ちゃんに質問した。
「神々に祈りを捧げ精霊たちを活性化させよ、とは具体的にどうすればいいのでしょう?」
“……お前の隣にいる……”
月白さんに睨まれた水竜は、まだ精霊の存在を隠さなくてはいけないのか、と精霊言語が使える人にだけ聞こえるように愚痴を言った。
“……お前の向かいにいるカイルのように、よく神々に祈り精霊たちに好かれればよいのだ。精霊たちが活性化したら、そこらじゅうで魔法の使用が増える。地上での魔力の流れがよくなるのだ”
精霊魔法は精霊たちが周囲の魔力を使用して魔法を行使するから、護りの結界のように基礎が地中に根を張るものではなく、空中を飛び交う魔力の流れが増えるだろう。
「そうでしたか。精霊たちが喜んで集まってくるような祈りを続ければよいのですね」
“……ああ、そうして、再び大聖堂島を宙に浮かせるのだ”
やっぱり水竜の目標は大聖堂島を浮かせて広い湖を取り戻すことなのか。
“……儂の妻は若いから儂のように体を自在に小さくできない。なるべく早く解放させたいんだ”
水竜のお爺ちゃんの妻は押しつぶされただけで亡くなっていなかったのか!とぼくたちは驚いた。
“……儂は死んだとは一言も言っておらん!可哀想に直撃を免れなかった妻は、まだ湖底で眠っている!本当に寂しくてかなわないわい”
千年以上も伴侶が眠っていたら寂しいのは当たり前だ。
「我々が生きている間に大聖堂島が再び浮かぶことはないでしょうが、全力で頑張ります」
教皇は申し訳なさそうに頭を下げると、それはわかっている、と水竜のお爺ちゃんは理解を示した。
“……それより、あの禍々しいものを上手く閉じ込めたじゃないか。褒めて遣わそう。だが、まだあれを利用している人間がいる。そんな奴が聖職者の中にいる限り、精霊たちは安心して出てこれない”
水竜のお爺ちゃんの嘆きに月白さんと従者ワイルドが頷いた。
“……儂も手を貸してやるからカイルたちと旅することを誰にも文句を言わせないでくれ。人間ときたら儂を所有する権利などないくせに何かと難を付ける生き物だからな”
わかりました、と教皇とハントが頷いた。
“……のう、カイル。同行させてもらうのにわがままを言ってもいいかな?”
水竜のお爺ちゃんはぼくの前まで飛んで来ると、ケインのスライムが気を利かせて体の色を薄くした。
すると、水竜のお爺ちゃんは小さい両手を握りしめ小首を傾げた可愛らしいポーズでおねだりした。
“……ずっと眠っていたから、お腹が空いているのだ。何か美味しい物を食べさせてほしいな”
美味しい物?
水竜のお爺ちゃんが食べる美味しい物か……。
ぼくが困って首を傾げると、水竜のお爺ちゃんからぼくの脳内にオムライスの映像が送り付けられた。
「オムライスが食べたいの?」
水竜のお爺ちゃんが頷くと、ケインのスライムは体の色を濃くした。
「オムライスかぁ。米の準備もあるから、夕方礼拝の後に仕上げるのなら間に合うかな」
ベンさんの一言でぼくたちは一斉にオムライスの支度にとりかかった。
大聖堂島の上空を覆いつくすような巨大竜を満足させるオムライスといえば、オムライス祭りの規模になる。
「食費がいくらになるのだろうか……」
嘆く商会の代表者の耳元でキュアが、初回だから甘やかすけれど、そのうち壊れた魔術具でも不用品でも食べさせるから大丈夫だよ、と囁いた。
竜族はグルメだけど、いざとなったら何でも食べるのは、飛竜も水竜も共通なのかな?




