市民カードの秘密
「言葉を失った混乱期に立ち直るべく奮闘した教会と時の権力者が別々に力を付けたことで知識の断絶が起こってしまった。本来は土地の管理者の全員が初級魔導士程度の知識を持つべきなのだ」
教皇の言葉にイザークが頷いた。
「ジュードさんも仰っていましたが、祝詞は丸暗記で何とかなっても呪文は難しいそうで、優秀な上級魔術師でも神学を学んだからといってそう簡単には上級魔導士になれないようです。そうなると、面子を重んじる貴族たちは、素質がないから魔導士になれないのに教養が欠けているかのように社交界で嘲られるのを避けるために、そもそも神学を学ばない選択をしたのではないか?と考えられますね」
イザークの考察にウィルも頷いた。
「領主が上級魔導士で、次期領主が中級魔導士までしか修得できなければ、神学を学んだ経歴を隠してしまった方が自尊心を傷つけられないでしょうね」
「フフ、弟が上級魔導士の資格を取得すると目も当てられないでしょうね」
ウィルとキャロルの考察に、神学校を地方に作っても生徒が集まらないのでは?とぼくたちは眉を顰めた。
「ガンガイル王国の地方で神学校が設立され、神学を学んだからといって必ずしも司祭にならなくていいなら、君たちならどうする?」
入学します!とぼくたちは元気よく答えた。
「だからイザーク君を招いたのだよ。帝国の流行は今ガンガイル王国からもたらされている。ガンガイル王国の次期公爵が魔法学校を卒業と同時に自領に神学校を設立したとなれば、帝国の貴族たちも黙っていないだろう」
「キリシア公国も黙っていません!」
マルコが口を挟むと、検討しているから大丈夫だ、と教皇は笑った。
「神学の基礎知識を世界中に定着させて、思考の極端な教会職員が派遣されても、地域の住民たちが騙されないようにしなければならない」
市民に神学の基礎知識がないから教会関係者が誤魔化しやすかった、と教皇は指摘した。
「出生地主義とは、領民が転居等で出生地とは違う土地で死亡したとしても、遺族が相続できない分の市民カードのポイントを出生地の領主が収用し、洗礼式で市民登録をした教会に市民カードを返還する制度だと教わりました。」
イザークの説明にクレメント氏が小さく頷いた。
「それは出生地の領主に市民カードを管理させる方便だ。出身領地の領主に相続税のようにポイントを収用する権利を付帯することで、政略結婚で遠くに嫁いだ高位貴族の市民カードを領主が権利を主張して回収できるようになっている」
教皇の説明にイザークは頷いた。
「領主は他領で死亡した市民カードを回収し、また、自領で他領の市民が死亡した場合、カードを回収して他領に返還する責任があります。ポイントの収用は相続税というより手数料だと考えていました。高位の貴族の市民カードのポイントは残高が多いですからね。だからこそ、確実に出生地の領主に返還しないと揉めますね」
一般市民なら市民カードを回収する手間を考えたら微々たるポイントしか残っていないが、高位貴族のポイントなら一般市民とは比べものにならないほど残っているのだろう。
「嫁に出そうが、婿に出そうが、養子に出そうが、市民カードを発行された教会にカードを返すことが出生地主義なのですね」
ウィルが確認するように言うと教皇は頷いた。
「そうだ。マルコ君の叔母さんのように他国に嫁いでも、死後、キリシア公国の教会に市民カードが返却され、そこで破棄される。そうすると、相当な期間を経て叔母さんの魂はキリシア公国に転生する。例えば、マルコ君の叔母さんがキリシア公国で里帰り中に出産しても、生まれてきたマルコ君の従兄弟が帰国して洗礼式をすれば出生地登録はキリシア公国にはならない。本来は、魔力の多い人間を土地の管理者として同じ場所に転生させるための仕組みなのだが、悪用しようとしたら抜け道がいくつかある」
「政敵の子どもを攫って自領で洗礼式をしてしまえば、魔力が多い魂を自領に確保できるうえ、政敵を長期的に弱体化させることができるのか」
ウィルの指摘に、魔獣暴走を起こしそうだ、とキャロルが突っ込んだ。
「そうだね。神々の理を無視した振る舞いをすれば、その土地は魔獣暴走や死霊系魔獣に襲われるだろう。そうして人間が干渉した土地は死地となり、長期間かけて元に戻る。ただ、その期間の長さは人間の一生では済まされないほど長いだろう。領主が高位貴族の出生地を謀ればいずれ自領を滅ぼすことになる」
「そのことは教会関係者には常識なのですか?」
クレメント氏の質問に教皇と処分保留の職員は頷いた。
「はい、三歳児登録の際に出産の場所を必ず聞くことになっています。母体に障りますから妊娠中に移動される女性はほとんどいませんが、転居される方はいますね。ですが、ほとんどが近隣の土地なので教区をまたいで洗礼式を行わなければならないという事例はありません」
処分保留の職員の説明に、マルコが唸った。
「カテリーナ叔母様の婚姻の条件に皇帝から里帰りの禁止を言い渡されたのは、叔母様とアルベルト殿下のお子様がキリシア公国で生まれて北方の地で洗礼式を行ってしまうと問題があったからなのですね」
前世で神学を学んだ皇帝には常識だったが、キリシア公国側からみたら強引に制限されたように感じてしまっていた。
クレメント氏は皇帝が神学を学ぶ前の前前世の皇帝に裏切られていたが、第三夫人に執着する皇帝が高位貴族の転生先の移動を慣習的に防ごうとしていることを察し憤りを感じたようで、ゆっくりと深呼吸をして高ぶりを押さえていた。
「要するに、あなたが今名のっている男爵家の縁者の本人が生きているのか死んでいるかわからないから、市民カードを破棄することもできず、ここで保管しているのですね?」
脱線した話をケインが元に戻した。
「そうなんだ。生きているのに破棄してしまえば、その市民カードの持ち主は死後、所属する土地を持たないさまよえる魂となり、人間に転生する前に死霊系魔獣に取り込まれやすくなる、と言われている」
迂闊に破棄してしまえば死霊系魔獣を増やしかねないなら、簡単に破棄できないのも納得できる。
「だから、明らかに人間の寿命を超える期間まで保存して破棄すべきなのだが、その前に本人が死亡していたら結局はさまよえる魂になってしまうのだ」
戸籍を管理することは土地の魔力の安定と、死霊系魔獣の増加を防ぐためにも大切なことだったのか。
「こんな大切な知識が俗世間と切り離されていたのですか」
キャロルが嘆くと処分保留の職員が、苦言を呈した。
「政敵を魂ごと消滅させる手段として利用できますから、貴族社会にこの知識が広まることを憂いた先人の配慮だとも考えられます」
「いや、神学を学ぶ際に市民カードの取り扱いについて誓約すれば不埒な考えを一掃することはできるはずだ。そうすれば神学を学ばないものは市民カードを不正使用しかねないとなり、神学を学ぶことが貴族としての嗜みになるだろう」
私利私欲のためではないが、市民カード偽装の例を知っているぼくと兄貴とケインとウィルは表情筋に身体強化をかけて無表情で、そうですね、と頷いた。
上級精霊の恩情で若返る例なんて、今後そうそう起こることでもないから特例としてあってもいいだろう。
身内に甘いと言われようが、精霊使い狩りが行なわれた時代から精霊たちとの交流がなくなってしまった現在、精霊の恩恵を声高に言うことは憚られる。
「とにもかくにも、今回拘束された教会関係者の身元を洗いざらい精査すべきなのに人数が多すぎるのが問題なのですね」
ぼくの質問に教皇は頷いた。
“……膨大な資料からどれを見ればいいのかさえわかれば私の出番だ。カイル、ジョシュア、ケイン、教皇に名簿の閲覧許可をもらい、手分けして出身地域別に名簿を作り変えさせろ”
やっと自分が活躍できる魔本は、まずは逃走した上級魔導士たちの記録を洗いざらいに探し出して、なりすましかどうかの判定と親族の安否を特定してやる、と張り切った。
「逃走した上級魔導士の教会での地位や所属に関わらず出身地別で名簿を見分したら、何かわかるかもしれないので閲覧させてもらってもいいでしょうか?」
ぼくの発言が終わる前に教皇は頷き、月白さんが書類棚の鍵を開けた。
氏名と罪状が書かれた名簿をウィルとキャロルとミロに読み上げてもらう、ぼくとケインと兄貴で魔本から仕入れた情報から、出身地、所属教会、親族の所在を告げると、自動筆記の魔術具で記録し名簿を作り変えた。
まるでぼくたちが帝国の紳士録を丸暗記していたかのような状況に見えたが、効率を優先した。
従者ワイルドはなりすましに遭った本人の存在を太陽柱で確認して生死別に分けると、太陽柱をいちいち見ない月白さんが申し訳なさそうに斜め下を見た。
出生地と氏名が判明したら三歳児登録の映像を探しその後の人生を辿ればシロでも生死の判別ができた。
名前を取られた人のほとんどが亡くなっていた。
「終わりました。次は乗っ取る前の本当の名前を孤児たちの名簿から探し出す作業ですね」
一仕事終えたぼくがそう言うと、そっちの作業は進んでいる、と教皇が言った。
「できることなら早く親元に帰してあげたいので、孤児たちの名簿を優先して調査している」
ちゃんと仕事をしていたんだよ、というかのように月白さんが頷くと、もっと手際よくやれ、とでも言いたげに従者ワイルドが冷めた視線を月白さんに向けた。
「君たちが聴取したように、子どもたちから言葉のなまりや生活圏にいた魔獣や昆虫を聞き取りして出身地域を推測し、行方不明、もしくは死亡した子どもの資料と照らし合わせる作業をしている。孤児院の記録に三歳児以下がいないことから、奴らは登録に来た幼児に狙いをつけて誘拐したのだろう」
残念なことだ、と教皇は眉を顰めた。
教会に登録しない子どもはいないのだから、連中は入れ食い状態で世界中から子どもたちを集めていたのだろう。
「逃走した奴らの本名と所属教会が判明したら、本名の市民カードの登録を消せば、奴らの活動を止められるだろう」
登録を消す、という教皇の言葉の意味が分からずぼくたちは首を傾げた。
「市民カードの破棄と登録抹消はどう違うのですか?」
「登録抹消は市民カードが使用停止になるだけだ。魔法学校に通ったことのない市民ならカードで決済できない不便さがあるだけだが、魔法学校の入学時に創造神に誓約する際の目印になっている市民カードの登録が抹消されたら、魔法陣の不正使用として神罰が下る」
「神学校に入学する際にも誓約するので、魔導士として祝詞や呪文を使用することもできません。まあ、魔獣のように本能で魔法を使用できれば神罰は下らないでしょう」
教皇の説明に月白さんが補足すると、マルコが首を横に振った。
「魔法陣を使用せずに己の魔力を魔法として行使することはとても難しいです。魔法基礎を学んでしまうと無意識に脳内で魔法陣を思い浮かべてしまいますから、魔力を使用したら即、消し炭になってしまうでしょう」
逃げた連中は本名を教皇に把握されてしまうと死刑確定同然なのか!
おまけ ~次期公爵領主のお忍び旅行 其の9~
次期領主と魔力奉納をしたからなのか、辺境伯領の早朝礼拝でぼくの予想を超える精霊たちが出現した。
顔を上げると朝霧と精霊たちで雲海のような光の層が出来上がっており、しくじった、と次期辺境伯領主が呟いた。
一般礼拝者の中に交ざっていた護衛騎士たちが素早くぼくと次期辺境伯領主をぼくの護衛たちごと取り囲み、地下鉄の駅とは別方向に押し出すように移動した。
「私のお忍びではこれほど精霊たちが現れないから、イザーク君と私の出会いを精霊たちが歓迎しているのでしょう。でもこれでは、不在にしているエントーレ家の子どもたちか領主一族が早朝礼拝に参加していることが明白になってしまいました。早朝のお忍びはここまでです」
次期領主はそう言って笑うと、押し出されて乗り込んだ小型のバスを自ら運転して領城に帰った。
ぼくたちの乗ったバスに精霊たちがついてきたので、そのまま領城の中庭の精霊神の祠に魔力奉納をすると精霊たちは祠の中にスッと消えてしまった。
「噴水広場の屋台で朝食を済ませようと考えていたのに、残念でした」
次期領主が嘆くと、中庭に来た領主夫人が笑った。
「早朝便で港町から魚の入荷がありましたよ。朝食に戻ってこられてよかったです。朝食は新鮮なお刺身がありますよ」
鮮魚の朝食が用意されていたから精霊たちはぼくたちを城に帰るように促したのかな?
季節の野菜の炊き合わせと生魚の切り身は白米と味噌汁によくあった。
味噌汁を飲んで満足げに頷くと、料理長が笑顔になった。
公爵領にも醸造所が欲しい。
公爵家なんか継ぎたくないと思っていた自分が、欲張りになったことが嬉しくなった。
みんなが楽しく暮らせる領に自分ですればいいのだ。
「イザーク君のお帰りの飛竜はイシマールが騎乗すると張り切っていましたから、お時間まで街を散策されましたら、騎士団の宿舎に来ていただいてよろしいですか?」
お荷物も宿舎に運んでおきますよ、と次期領主夫人が申し出てくれた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
「来た時には護衛の二人は別行動だったようだが、四人乗りの鞍を用意させたから一緒に帰れるよ」
辺境伯領主の申し出に、護衛分の代金をどこで節約して捻りだそうと即座に思案した。
「ジュエルの息子同然のイザーク君からお代は取れない、とイシマールが言っていたが、イザーク君の性格なら返金を断るだろうと考えて、チケット代の分だけお土産を用意する方がいいと助言したから、帰りの荷物が多くなる覚悟をしておいてくれ」
ハハハと辺境伯領主が豪快に笑った。
この笑い方なら、護衛のチケット代の心配をする必要はなく、ぼくのチケット代金以上のお土産を用意してくれそうだ。
「受け取ってあげてください。私からのお礼にスライムを飼育するための魔術具を貸し出しいたします」
スライムの飼育!と次期領主からの申し出を聞いたぼくは遠慮という言葉が吹き飛んで、はい喜んで!と即座に返答した。
「ほら、これが一番喜んでくださったでしょう!」
次期領主の言葉に全員が頷いた。
城での朝食後、ぼくと護衛たちは辺境伯領都の街をのんびりと散策した。
地下街は現在も拡張工事中で、掘った土が新築住宅の素材にされ、市民たちは分譲された一戸建てを購入すべく仕事に励んでいるらしい。
お土産をいただくから、買い物はもっぱら自分の趣味の物だけに絞れたので魔獣の人形や魔獣カードを予算内で買いあさった。
昼食は観覧車でマルクさんから聞いていた屋台グルメを堪能して騎士団の宿舎に行くと、辺境伯領主夫妻が見送りに来てくれていた。
次期領主夫妻は飛竜の里にお泊り会をしている不死鳥の貴公子の元に行ったらしい。
「お土産は全てこの収納の魔術具に入っています。大きいものもありますから目録順に取り出してください」
辺境伯領主夫人から分厚い手紙を手渡された。
「スライムの魔術具の使用方法も書かれているので、帰ってからご覧ください」
また会えるよ、というかのように優しい目でぼくを見たジュエルさんが言った。
「いろいろありがとうございました」
本当にまたすぐ会えそうな気したので、別れの挨拶は短くていい。
「こちらこそ大変世話になった。帰りの旅路の安全を願っている」
辺境伯領主がぼくに頭を下げると、見送りに並んでいた騎士たちが一斉に敬礼した。
さようなら、と言ってぼくが敬礼するとぼくの背後のぼくの護衛たちも敬礼した。
イシマールさんの飛竜が騎乗しやすいように体を傾けると、バスの座席のように立派な鞍にぼくたちは乗り込んだ。
「シートベルトをしてくださいね。帰りはぶっ飛ばしますよ」
イシマールさんの言葉にぼくたちは頷いた。
ぼくたちを乗せた飛竜が大きな翼をはためかせて上昇すると、また来てくださいね!と叫ぶジュエルさんの声がした。
はい、と大きな声で返事をすると、みんなが見えなくなるまで手を振った。
ぼくたちが手を振り終わると、イシマールさんは本当に高速で飛竜をとばした。
「早く自宅に帰ってスライムの育成を始めたいだろう?」
ジュエルさんたちとの別れの寂しさより、自分のスライムが飼える喜びに笑顔になった。
「はい」
どうすればカイル君たちのスライムのようにあんなに賢くなるのかわからないが、まずは相棒になってくれるだけでいい。




