市民カード
レンガ倉庫のように窓のない建物に案内されたぼくたちが建物の中に足を踏み入れると、まるで違う世界に入ったかのような明るさに驚いた。
長い廊下に研究室の扉が点々とある何の変哲もない内装なのに、照明の魔術具のような光源が見当たらなかった。
壁、床、天井の全てがほんのりと光っていた。
「日の出日の入りに合わせて一日の研究時間を決めてしまうのではなく、一日中交代で研究を続ける施設だから建物内はいつでも日中なのだ」
そんなことをしてしまうと闇の神のご加護を失ってしまうのではないか?とぼくたちの頭に疑問符が浮かんだ表情になると、教皇はカラクリを説明してくれた。
「夜を排除して昼だけの部屋にしたのではなく、昼の世界を夜が包み込むように闇の神の魔法陣で部屋ごと包み込んでいるのだ。本当は、この施設でたびたび暴発を起こしていたので、苦肉の策として採用されたと聞いている」
光と闇の神の魔法は同時に行使しなければ効果が薄いことを逆手に取った強力な護りの結界を建物の内側に作ったのか。
これだと、この部屋は大聖堂島の護りの結界から独立した形になるのかな?
あれ?
最近、教会の結界から切り離された土地のせいで、うっかり死にかけたことがあったな。
二度とやらないと家族に誓ったから教会の護りの魔法陣全域に魔力を流すことはもうしないけれど、護りの結界から切り離されて別の結界で包んでしまうなんて、まるで乗っ取りの魔法陣のようじゃないか!
「乗っ取りの魔法陣と言う使用禁止の魔法があることを緑の一族の族長から聞いたことがあります。内側と外側を断裂するこの魔法は、それに似ているようで不気味です」
凄い技術ですね、と留学生一行が感動しているなか、ぼくが自分の違和感を口にすると、あの時かかわったケインとウィルがそんなことがあったな、と言いたげに頷いた。
「勉強不足で済まない。乗っ取りの魔法とは何なんだい?」
ハントの疑問に、ラウンドール王国滅亡のきっかけとなったと疑われる手法で、護りの魔法陣の内側に魔力を遮り護りを無効化する魔法陣があることを話すと、クレメント氏が静かに小さく頷いた。
「私も勉強不足だから乗っ取りの魔法陣は知らなかった。ただ、数百年前の技術を研究するこの施設なら禁止前から使用しているからと継続している可能性がある。例の物を厳重な魔術具に保管しているので、この研究室なら万が一の暴発にも耐えられるかと考えていた」
例の物と言う言葉に、帝都魔術具暴走事件で使用された魔術具だとみんなも気付いた。
「古代魔法や言葉を失った混乱期の魔法陣は危険な物ですから、迂闊に触られないのが現実です。ここを管理する上級魔導士は入れ替えになったようですが、大丈夫でしょうか?」
キャロルは門外漢が介入することで危険な状態にならないか、と心配した。
「そうなんだ。秘密組織に関わった連中を全員拘束してしまっては、教会の仕事が滞るし、この施設も手入れの知識が喪失してしまうので、誘拐および人体実験をしない、と誓約した上級魔導士を処分保留にしているのだ」
教皇の説明に月白さんが頷いた、ということは、それなりの刑罰がすでに下されたのだろう。
「ここの職員たちは自分たちが優れているから処分保留になったと勘違いしているから、イザーク君を急ぎで呼んだ側面もあるんだ。ああ、なに、ここでイザーク君に危険な魔術具の処理をお願いするつもりはないよ。イザーク君やガンガイル王国の留学生たちは非人道的な実験を行わなくても成果を出していることを見せつけるだけでいいんだ。自分たちは人員不足で処分保留なだけで、下の世代が成人したら正式な処分が下ることを自覚させるだけだ」
廃墟の町の古代魔法陣を封じたのは、ガンガイル王国の未成年の次期公爵で、自領に神学校を設立しようとしている、という状況は、今後、優秀な上級魔導士が排出されることに他ならない。
「先人の研究を非人道的な方法で発展させて優秀ぶっている連中の鼻っ柱を折ってやるのですね」
身も蓋もない言い方で処分保留の上級魔導士たちをハントが嘲った。
「まあ、端的な言い方をしたらそうなるが、大聖堂島の研究所が聖地にあるということだけで自分たちが世界の中心で最先端の研究をしていると信じて疑っていないから、非人道的な行いに疑問を持たないようになってしまったんだ。虐待された孤児院から生き延びて洗脳されたことは気の毒だけど、一般の魔法学校に通う機会もあったのだから、どこかで目を覚ます機会があっただろう。というか、自分たちと同じ目にあう子どもたちを見過ごす時点でどうかしているんだ」
あけすけな教皇の発言に施設内を案内する職員が斜め下を見た。
この人も洗脳から解けて処分保留の立場の人なのだろうか?
「ガンガイル王国でも子どもたちに甘言を囁いて連れ去ろうとした上級魔導士がいましたね。洗脳を解いてから処分を教会に任せましたが、他意はなかった、ということで南方戦線により荒廃した地域の魔獣討伐に左遷されましたね」
「あの時は事態を把握していなくて処分が甘かった」
長い廊下を歩きながらキャロルがディーのことを口にすると、当時の処分を教皇が嘆いた。
「いえ、ガンガイル王国側では、教会の任務中でも彼に贖罪として南方の食材をガンガイル王国に提供し、犠牲になった子どもたちに美味しいものを食べさせてあげる罰を継続中です」
ディーの餌食になりかけたキャロルの言葉に事情を知るメンバーだけが頷いた。
「ガンガイル王国に珍しい食品が多いのはそのせいか!」
ハントがピシャリと額を叩いて言った。
「子どもたちに償いをし、その上、食の向上で社会に貢献するのか!」
なんという名案だ!と言った教皇は足を止めた。
「この部屋の奥に例の物を保管してある。ここから少しでも動けば、私が感知する」
部屋の扉が開くだけで教皇が飛んで来る仕掛けでもしているような得意気な顔で教皇は説明した。
「そして、この部屋の隣に関係者の名簿が保管されている。問題なのは洗礼式の時の名前と上級魔導士登録の名前が別な人物がいたことだ」
教皇の言葉に、案内役だと思っていた職員が頷いた。
「私は洗礼式を終えてから両親を亡くし孤児院に入りました。過酷な環境で当時の記憶が曖昧です。思い出そうとすると胸が苦しいので考えたくもありません。ただ、今回の事情聴取で自白剤を用いたことで強制的に思い出したことがあります。私の今の名は両親が私を呼んだ名ではありません」
この人だってかつての被害者だという事実が、ぼくたちの胸を重くした。
「洗脳するための孤児院に収容された子どもたちのうち、洗礼式を終えている年齢の子どもは、偽の市民カードで偽名を名乗っている。逃亡者の市民カードを停止にしても、そいつらは活動できるのだ」
教皇は名簿が保管されている部屋の扉を開け、ぼくたちに入るように促した。
そこそこ広い部屋なのに鍵付きの書類棚と思しきものが一つあるだけだったので、留学生一行とハントが入っても部屋のスペースに余裕があり、密談にはもってこいの部屋だった。
「逃げた連中の市民カードを保管している。逃亡した連中の中に、そこそこの貴族の出身者が何人かいて、どうにも怪しいのだ」
何が怪しいのだろう、と教皇の話の続きにぼくたちが注目すると、処分保留の職員が口を開いた。
「私は帝国西南部の男爵家の次男の子で伯父に引き取りを拒否されて孤児院に入ったと思い込んでいたのですが、自白剤で朧気に思い出した記憶では両親の服装が貴族階級ではないようなのです。明らかに農奴のような服装でした。火事で家を焼きだされて保護された記憶がほんのりとありました」
ぼくたちは頭を抱えた。
いくら貧乏男爵でも農奴の格好はしないだろう。
ガンガイル王国に農奴はいないが、農奴は地権者の所有物のように扱われるので移動の自由がない。
農奴の子は農奴でその土地から一生出られない。
洗礼式で魔力が多い農奴の子が組織に見つかり、組織の者が火事を起こして誘拐し、移動制限のある農奴の子ではなく、貴族に縁のある孤児として偽装されたようだ。
「彼の作られた記憶の男爵家は存在していて、家長から親族を孤児院に預けたということは裏取りできた。本物の男爵家の次男の子は死んだ記録がないのだ。彼が期待されたほど魔力がなく、魔導士になっていないが孤児院を生き延びた可能性があるのに、市民カードを破棄できない」
どうして?と頭に疑問符が浮かんだぼくたちに、処分保留の職員が驚いた表情になった。
「出生地主義ですね」
次期公爵として実務を熟しているイザークがぼくたちの知らない言葉を言った。
「そうだ。神学では基本の知識なのだが、一般では領主とその補佐ぐらいしか知らなくてもおかしくない。市民カードは現金の代わりにポイントが使えて便利な物、という認識だろうが、生死にかかわる大切な物なのだ」
ぼくはふと、お婆が市民カードを二枚持っているけれど大丈夫なのか気になった。
“……ご主人様。ハルトおじさんが抜かりなく偽造したもので、ジュンナとしての市民カードはただのお財布のような物です”
そうだった。
実務を熟している王族の手配した市民カードに抜かりはないよね。
「この世界は魔力のバランスが崩れると世界が崩壊してしまう。人間はそこそこ魔力の多い生き物で世界中に散らばっているから、整える必要があるのだ。死後、魂が天界の門を潜り、様々な生物に生まれ変わった後、再び人間として生を受けるその場所の目印となるのが、市民カードなのだ。七歳で発行する物だが、幼児期に子を亡くすと再びその子が両親たちの魂と同じ場所に転生できなくなるので、三歳の仮登録が始まったのだ。その後、魔力奉納の時期を早めるために五歳児登録で仮市民カードを発行することになったらしい」
「人間の魂は同じ場所に転生するのですか!」
出生地主義、という言葉を知っていたイザークも正しい内容を知らなかったようで驚きの声を上げた。
「神学校が各地に必要なのは、教会職員と一般市民の知識の差がありすぎることを埋めるためにも必要なのですね」
処分保留の職員の言葉にぼくたちは頷いた。
おまけ ~次期公爵領主のお忍び旅行 其の8~
無煙焼肉ロースターと呼ばれる卓上で焼肉ができる魔術具を使用しているので晩餐会会場は煙たくないけれど、相当数の人間が廃墟の町で犠牲になったのだろうと考えるとぼくは険しい表情になった。
「あまり気分のいい話ではないから食事の席でするべきではありません」
廃墟の町で行われたであろう惨事を口にすべきではない、とキャロライン嬢の父が眉を顰めたぼくを見て辺境伯領主の話を止めた。
「ああ、そうだな。慰霊碑を早めに建立するようにあの町の領主に進言しておこう」
辺境伯領主はそれでこの話はおしまいだと言うようにぼくを見て微笑んだ。
「優秀なイザーク君が国内に残っていてくれたお陰で、ガンガイル王国の魔法学校生の優秀さを誇示できましたね」
辺境伯領主夫人が手放しでぼくを褒めた。
「留学を希望しない生徒たちも劣等感を抱きにくくなったと魔法学校の教員が話していましたよ」
キャロライン嬢の母にまで褒められると、褒められすぎて居心地が悪くなる。
「学び方の選択肢は多岐にわたっていていいのだ。うちの領で留学を勧めているのは、古来より東西南北の拠点となる土地の子どもたちを国際交流させるために中央の国に留学させるしきたりがあるからだ。我が領がこの世界の端を護っている責任を果たすためなのだ」
大聖堂島から世界中に護りの結界が張り巡らされているように、東西南北の端の国々が世界の端を支えている、と辺境伯領主は説明した。
「ガンガイル家の本家として、東西南北の一族の健在を確認しガンガイル王国の技術や知識の向上を図る目的で留学を継続させておりますのよ。東と西は小国同士で連帯責任を負っているので、留学生も小国の留学生として目立ちませんが、北と南はそれなりの国土がありますから目立ちます。南方戦線が勃発してから南の国から留学生が途絶えてしまったので心配していたのです」
辺境伯領主夫人の話に辺境伯領主は頷いた。
「東方連合国の留学生も誘拐されていたようだし、南方戦線の影響で留学生の派遣を止めただけならいいのだが……まあ、教会の秘密組織が解体されたようでよかったよ」
うちの公爵家は三大公爵家だ、と大威張りしていたのに、北の端っこの片田舎と揶揄されている辺境伯領の責務の重さに愕然とした。
公爵家が代々欲していた王家の知識も辺境伯領由来の物だし……いや、そもそも独立国家として成り立たなかったからガンガイル王国に併合された立場だった。
「そうですね。第三皇子殿下のお子様が秘密組織にかどわかされていた可能性があるようです」
まあ、と辺境伯領主夫人やキャロライン嬢の母が息をのんだ。
「それであんなに性格がねじ曲がってしまったのか!」
報告書に上がってきているんだ、と辺境伯領主は第三皇子の奇行の数々を晩餐会のメンバーに披露した。
話を聞いた辺境伯領主の護衛騎士とマルクさんは、元来の性格ではないか?とぼくと同意見の感想を呟いた。
「第五皇子殿下は控えめな性格ゆえに今まで目立たなかっただけで、倫理観の高い方のようにお見受けしました」
「そうだな。儂もそう思うが、控えめゆえに覇権を握ることはなさそうだな」
ぼくと第五皇子との約束の話をしなかったのに、辺境伯領主は第五皇子の性格を把握していた。
そうだった。この方は(自分に都合のいい)予知夢をなさる方だった。
「現状では第二皇子が皇太子の最有力候補ですね」
「ああ、誰が次の皇帝でもかまわないが、もっと内政に力を入れてほしいものだ」
キャロライン嬢の父の言葉に辺境伯領主は、戦争ばかり仕掛けるような皇帝は御免だ、と嘆いた。
「焼きおにぎりが焼けましたよ」
難しい話は打ち切りだ、自宅で作った味噌は美味しいんだよ、とジュエルさんは領城の料理室とジュエルさんの自宅とマルクさんの自宅で醸造した味噌を塗った小さな焼きおにぎりを配りだし、食べ比べをすることになったので、ぼくは難しい回答を迫られることになった。
「どれも美味しいのですが、香ばしさの中に奥深い甘みのある二番目の焼きおにぎりが一番おいしかったです」
ぼくの回答に、味噌に混ぜた調味料が美味かっただけだ!と辺境伯領主が言うと、マルクさんも頷いた。
ぼくはこの日、手前味噌、という言葉を覚えた。
領城の立派な客室に宿泊することになったが、辺境伯領主のスライムが案内するから何時に起床して街に出てもかまわない、と辺境伯領主からいつでも自由に行動して良いと許可を得た。
部屋に戻る前に領城の大浴場を堪能しようと考えていたぼくは、ぼくの二人の護衛を見て、交代で日本酒をいただいて、食後に洗浄魔法をかけたらいい、と提案すると、ぼくからの信頼の証と受け止めた辺境伯領主はこの決断を喜んだ。
「公爵領で米を作る必要性を精査するために、ぼくにはできない任務を交代でするように!」
大人の宴会に交代で残る名目を与えると二人の護衛は笑顔になり、晩餐会場にいた領城の全ての人が笑った。
城の大浴場を護衛と辺境伯領主のスライムの分身だけで入る贅沢を味わい、高級な客室のベッドに横になると泥のように眠りに落ちた。
夜明け前に起床することを予想していたかのようにぼくが身支度を終えて部屋を出ると、おはようございます、とキャロライン嬢の父に声を掛けられた。
「おはようございます。早朝のひと時をどう過ごしましょう?うちの息子も早起きなので、この時間はいつも息子と過ごしているのですよ」
不死鳥の貴公子が飛竜の里にお泊り会に行っているので、ぼくと過ごす時間を用意してくれていたようだ。
ぼくが気を使わなくても次期辺境伯領主は多忙の中でも子供と触れ合う時間を作っていたのだ。
ぼくは余計な気遣いをしたのか、と肩を落とすと、次期辺境伯領主は、糞爺を止めてくれてありがとう、と小声で囁いた。
「領主としての内政の執務をほとんど私に押し付けて、新規事業を次々と立ち上げてはその仕事まで押し付ける父に苦言を呈してくれてありがとう」
次期辺境伯領主が多忙なのは現領主の責任だとぼくは遠回しに指摘したことになっていたようで感謝された。
「早朝の祠巡りは昨日体験されましたから、今日は始発の地下鉄の運転室の見学をして、早朝礼拝に行きませんか?」
この魅力的な提案に断るなんてあり得ないので、ぼくは即座に頷いた。
運行前点検の説明を受けてから地下鉄の運転席に入れてもらったぼくは興奮で鼻息を荒くしながら、運転士の一挙手一投足を次期辺境伯領主に質問した。
領城の最寄り駅から噴水広場までの区間を乗車し、地上に出ると、早朝礼拝に参加する市民たちの列の後方に次期辺境伯領主と一緒に並んだ。
「こんなお忍びが許されるのですか?」
ぼくの疑問に次期辺境伯領主は、特別に領民が慣れている時点でうちの領主がいかに無茶をしているかがわかるだろう?と笑った。
「一見、父の理不尽に思える振る舞いも、後の世の歴史で振り返れば、時代の転換期に居合わせたからこその結果に見えるでしょうね。これだけの開発を一気にするための資源を貯め込んでいたことが、若い私には不満でした。ですが、時が満ちるまで雪の下でじっと耐えたからこそ、春の雪国の花は美しいのです」
内緒話の結界を張らない状態でこんな発言ができるということは、ぼくたちの前後にいる市民たちは騎士団員たちの家族なのだろう。
「公爵領は君の誕生をずっと待っていたはずです。ジュエルがカイルを養子にしたことで辺境伯領が長い眠りから覚めたように、限界まで疲弊していた公爵領に新しい血筋が入って蘇ることになるでしょう」
次期辺境伯領主はぼくの母を平民と侮ることなく、新しいそよ風のように語った。
「若くして公爵領を継ぐイザーク君に私から言える助言は、神々が君を求めている。そうであるなら、必ず君のそばに腹心たり得る人物を用意しているはずだ。信頼できる人物を探した方がいい。父に従う騎士団の師団長たちのような腹心の部下がイザーク君にもいるはずだ」
次期辺境伯領主がそう言った時、夜明けを告げる鐘が鳴り、ぼくは魔力奉納のために床に敷かれた布に両手をついた。
……自分の腹心の部下。
魅力的な言葉だけど、ぼくには思い当たる人物がいなかった。




