醤油万歳
孫の贔屓目ではないはずだ。
お婆の美しさは本物だ。
ストロベリーブロンドの髪は最新の美容液で光り輝き、スカイブルーの大きな瞳を長いまつげが強調している。お人形のように美しいのに、爆乳の悩殺ボディーで、鈴を転がすように朗らかに笑えば、もう孫でも惚れそうになる。
お婆はモテて当然なのだ。
お嬢様の従者は耳を赤くしてもじもじしている。
頭の中が真っ白になった。
醤油づくりの間、お婆って呼んでいたかもしれない!
「お兄さん仕事中にナンパしたいの?」
マナさんが助け舟を出してくれた。
「いやぁ、そのう……。見かけない方だったので……」
キャロお嬢様がじっとりと従者をにらんでいる。
そそくさとお嬢様の後方に下がってくれたので、難を逃れた。
「きょうは遊び部屋には行かないの?」
ぼくとしては、お嬢様にはそっちに行ってほしい。
言葉遣いに気をつけよう。関心を持たれないようにしなくてはいけない。
「お醤油ができたから、お料理の研究をします。遊び部屋に行くのは明日にします」
「みたらし団子を作るんだよ」
正直者のケインが暴露する。
「みたらしだんごってなんですか?」
ほら、興味津々だよ。
「甘くて、モチモチしていて、美味しいんだって」
ああ、甘味だって言っちゃった。
「ぜひ、わたくしも、けんがくさせて、いただけないでしょうか」
うわぁ。ご丁寧な依頼で攻撃してきた。
礼儀正しいお嬢様では、断れないじゃないか。
ぼくは、お婆にメロメロな方じゃない、いつもの付添人に、いいのか?と目で聞いてみた。
付添人は問題ないとでもいうように、口角を少しだけ上げた。
「いっしょに作ろうよ!」
本当にケインの心臓には毛が生えていると思う。
お嬢様がうちの台所で粉を捏ねるんだぞ。
お嬢様の教育的にどうなんだろう?
なぜ、まわりは止めないんだ。
「お酒の試飲はもう十分でしょう。料理の神様へのお供え物を作りますから、仕事に戻ってくださいね」
母さんが、試飲の規模を越えている男性陣を食堂から追い出した。
あれで今日の仕事ができるのだろうか?
「段取りは事前に聞いていたから、用意しておいたわ。ケインのエプロンで申し訳ないけど、衛生環境を整えるのが台所での鉄則です。よろしいですか?お嬢様」
母さんは、自分の娘のように扱うようだ。
台所の主がそう言うのだから今日は母さんがお料理の先生という事だろう。
「そうよ。耳たぶくらいの柔らかさになるまで捏ねるのよ」
難しい部分は母さんや、お婆こと、ジュンナさんに任せて、途中途中を子どもたちが手伝う。
ゆでた団子に串を刺して、七輪であぶってから、みたらしをたっぷりかけると出来上がりだ。
美味しいのはわかりきっているので、祭壇にお供えするのを先にした。
お昼ご飯の前なので、みんなで串打ちしていない団子を一個ずつ試食した。
「「「「「これはおいしい!!!!!」」」」」
満足の出来にみんな笑顔になる。
「こんなにもちもちした食べ物は初めてだわ」
「このタレがとてもいいです」
甘じょっぱいみたらしは子どもを夢中にさせる力がある。勿論僕も夢中だけど。
お嬢様にいたっては今日一番の笑顔だ。
「おてつだいすると、とってもおいしいでしょ」
「わたくしが、作ったのがこんなにおいしいなんて、かんげきです」
味の決め手は全部大人がしてくれたけど、お米の粉が美味しくなっていく過程が見られて良かったね。
お婆が従者たちにも試食を配ろうとしたので、スライムたちに交代してもらった。
ジュンナの姿であいつに近づいてはいけないよ。
ハルトおじさんと父さんは居間で仕事の連絡なのか、しきりと鳩を飛ばしている。
イシマールさんは雑木林の山ブドウを見に行ったそうだ。
飲酒で馬に乗ったりしていないといいな。
あれぐらいで酔ったりしないと、父さんは言い張っているが、だいたい飲酒している人は、たいして飲んでいないと言い張るものだ。
昼食はテラスで醬油ラーメンにすることになった。
メイ伯母さんが朝からスープを張り切って仕込んでいたのだ。
鶏ガラ、豚足、昆布、煮干しに、各種野菜。追加の素材のお蔭で望み通りスープが出来上がっている。
生醤油でチャーシューを煮込んでいたので、いかにも美味しい匂いが漂っている。
お婆が麺を仕込む様を、お嬢様の従者がドアの陰から見ている。
………この人コワい、もう人目とか外聞とか気にしてないんじゃない?
製麺機ができたので、全員分作るのも簡単になった。
昼食にはイシマールさんも戻って来て、みんなで醬油ラーメンを堪能した。
チャーシューは豚バラの厚切りで、お口の中でとろけていく。
うんうん。
脂の甘さと醤油の塩気、ほんのり砂糖の甘味もある…これぞラーメンのチャーシューだ。
まさに醤油バンザイ!
最高の一杯となった。贅沢を言えばメンマも欲しいところだけど。
醤油ラーメンは子どもにとっては大ごちそうだよ。
キャロお嬢様はレンゲに麵をのせて、ちゅるちゅる啜っている。スープが飛び散るので、いつもの付添人が渋い顔をしている。
ふっふっふ……。
貴女も食べたら虜になりますよ。
飲みあけの男性陣はスープまで完食した。
席は空いている。
ぼくはお婆を台所に連れて行ってから、従者や付添人に交代で食べられるように誘導した。
いつもすました顔の貴女。
お上品に食べることは難しくても、美味しいは正義なのだ。
とくと堪能しておくれ。
レンゲですくったスープを静かに飲む。
口角が上がったよ。
フォークで麺をクルクル巻きとるスタイルは、パスタじゃないけどいいだろう。
食べ方は人それぞれ、啜れなくてもいいんだ。
隣でストーカー予備軍の従者がたまらずに啜りだした。
隣の粗相に渋い顔をしても、フォークは止まらない。レンゲをミニどんぶりにして姿勢を保ったまま、お上品を貫き通す。
御見それしました。ラーメンでもお上品は可能なんだ。
美しい所作に見とれていたら、目が合ってしまった。観察していたのが見つかってしまった。
ぼくを見て少し驚いた表情をした。
この人が顔に出すのは珍しい。
いつもより口角を上げる。
レンゲを持つ手を下ろすと、おもむろに両手でどんぶりを掴んでスープを飲み始めた。
ゴトンとテーブルにどんぶりをおくと、フォークで麺をすくい、ズズズっと啜り始めた。
貴女は啜れるのですね!
それからは、人目を気にすることもなく、ズルズルと啜り、ゴクゴクとスープを飲んだ。
天晴だ!!
ラーメンは好きなように食べるものなのだ。
彼女はぼくに、こっちに来るように目で合図した。
ぼくはお婆が庭でケインやお嬢様とケンケンパをしているのを見てから、さっきの従者を見た。
揺れるお婆の胸元に視線が釘付けだ。
彼女はぼくに小さく頷くと、もう一人の付添人が動いて、従者の視線を遮った。
ぼくは、お嬢様の筆頭付添人らしい彼女のもとに行った。
「素晴らしく美味しかったです。お城でもないので、お嬢様が少しばかり羽をお伸ばしになるのも良い事でしょう。私はそれをわかってはいませんでした」
いや、結構いつもお嬢様を寛がせていたよ。
「お作法は、時と場所で変わることを知ってはいても理解できていませんでした。美味しいものは、美味しいうちに食べるのが礼儀です。美しい所作に拘っていては、麺がのびてしまいます。きっとあなたをいらだたせることを、今までにも、やってきてしまったのではないかと思いまして」
心根の美しい人だと思った。
母さんより年上の貴族の女性が、自分の矜持に則った行動を、至らなかったと言えるんだ。
「いえ、ぼくも生意気な子どもの自覚はあります。それでも、お手本にできる大人がいるので、なんとかひどいボロを出さずにすんでいます。貴女のラーメンの食べ方はカッコよかったです。その後で、ラーメンと本気で向き合って食べる姿勢も良かったです」
「まあ、将来、女の子にモテそうですね。自分の誇りに思っていることを認められると、コロっと惚れてしまうものなのです。そこらじゅうの女の子を悩殺して歩きそうですね」
モテた経験がないからわからないが、褒められたようなので照れてしまう。
この人と何回も会って会話もしてきたけど、こんなに打ち解けたのは初めてだ。
「ふふ。カイル君とは冗談抜きのお話もしたかったのですよ。ジュンナさんにはお嬢様の護衛を一部つけたから大丈夫です。カイル君、あなたに叡智の神のご加護があるとふんで、ご相談したいことがありますの」
大人の女性の相談事?
何やら見当もつかないぞ。
おまけ ~とある従者の嘆き~
名前を聞く相手の選択を間違えた。
あれからカイルにすっかり警戒されてしまった。
台所では人が多すぎると言われて、追い出されてしまった。
ラインハルト様が城に戻らず、ここで仕事を始めてしまっている。
騎士団から応援も来ている。
どういう事態になっているんだ!
領中の果物が醗酵しているかもしれないって、なんなんだよ!
新しい神様が誕生したことは、教会から正式に発表になった。
前代未聞のことがあったんだから、果物が醗酵するのだって当たり前だろ。
ああ、お嬢様が粉まみれになっている。
ピンクブロンドの君がお嬢様に何かささやいている。
あっっっっっっ……!!
お嬢様がピンクブロンドの君の耳たぶを触った!!!
ああああぁぁぁぁ……。
悶え死ねる。
……。
目の前が真っ暗になった。
痛い。
お嬢様の護衛騎士に勢いよくドアを閉めるられ、顔面に当たった。
人がいるんだから気をつけて閉めてくれよ。危ないじゃないか!
ラインハルト様が爆笑している。
飲み過ぎたのかな。
子どもたちが作っていたお菓子は見たこともないものだった。
茶色いソースが、醤油を使用していることはわかるが、しょっぱいお菓子なのか?
ピンクブロンドの君が俺たちにも勧めてくれてくれてい……スライムの野郎…。
スライムを恨んでいても仕方がない。
ピンクブロンドの君が俺の感想を待っている。
…あまくて…しょっぱい……。
こ、これは……こ、こ、こ…こいのあじ
みたらし団子は恋の味。
とてもこんな感想は言えない。
カイルの、お前の感想は期待していない、とでも言いたげな視線が冷たい。
少しでもピンクブロンドの君のそばに行きたいのに、ことごとく邪魔が入る。
だが、幸せだ。
ピンクブロンドの君と同じ部屋に居るということは、ピンクブロンドの君の吐いた息を吸えるのだ。
昼食はテラスになってしまった。
ラーメンは話題になっていたので、騎士団の食堂で食べたことがある。
お嬢様はスープを飛ばしながら美味しそうに食べている。
ラーメンは思いっきり啜るのが美味いんだ。
ピンクブロンドの君は箸で器用に麺を啜っている。
愛らしい口元だ。
…あの箸になりたい。
ラインハルト様の護衛に視界を塞がれる。
なぜだろう、周りのみんなが、ぼくの視界からピンクブロンドの君を隠そうとしているようだ。
そうか、お前らみんな、ピンクブロンドの君を狙っているんだな。
ようやく視界が晴れた時には、ピンクブロンドの君は見当たらなかった。
ラーメンのどんぶりが運ばれてきた時、俺にはそれが、今まで食べてきたラーメンとは全く違うものであることがわかった。
醬油ラーメンという違い意外に、スープの深みが違うのだ。
これが、ラーメンの真の姿なのか。
あっという間にどんぶりは空になってしまった。
お嬢様が庭で……ピンクブロンドの君と遊んでいるのだが……。
なんという眼福であろう!
ピンクブロンドの君のたわわな胸が、跳びはねるたびに大きく揺れるのだぁぁぁ…。
またしても視界がふさがれた。
おれは何もしていない。
ただ、ただ、ピンクブロンドの君を遠くから眺めているだけだ。




