加害者は忘れても被害者は忘れない
偽名ハントこと第三皇子は、三番目の男子皇族として皇位継承をそれほど期待されることはなかったのに、第一皇子のスペアとして見られることを放棄するかのように、魔法学校の成績をほどほどに抑えながら新作魔術具の発表現場にばかり視察に行く、今と変わらない行動をしていた。
対する偽名イーサンこと第五皇子は、五番目の男子皇族として皇位継承の期待が薄いが母方の実家から、何としても中央で主要な役職につくように、との圧力がきつく、そのうえ第一皇子夫人の派閥から出すぎるなと命にかかわる嫌がらせを受け、同系列の派閥である第二皇子夫人派からも、第二皇子よりいい成績を取るな、と嫌味を言われていた。
母方の実家の領地経営の方針に不信感を持っていたが、祖父や伯父たちに、中央で結果も出せないやつが口を挟むな、という態度を取られ、政治から距離を置き、軍で細々と後方支援の部隊を指揮して実績を上げていた苦労人のように見えてしまう。
“……軍の補給部隊を指揮した経歴がありながら飛竜便を軍事利用しようと画策する気配もないのは、出世したいと考えていないからでしょうね”
シロの推測に、無気力な人生観かもしれない、と兄貴は補足した。
イーサンは派閥の中から選ばれた女性と結婚し、嫁といい関係を築こうと努力するも流産が続き、周囲から産まず女扱いされる嫁に、自分は立場上子どもを幸せにできる自信がないから子どもは望まないからあなたが息災でいればいい、と言ってしまうような人だった。
子どもを望まない、と公言してから嫁に対する攻撃が薄まると、嫁は懐妊するが、嫁自身も自覚症状がないまま妊娠周期が進み、政敵の妨害工作をすり抜けて子宝を授かった苦労人だ。
魔法の絨毯の飛行にはしゃぐ子どもたちを穏やかな表情で見つめる二人は、どちらも子どもを亡くした男性が幼子の成長を静かに喜んでいるように見えた。
「子どもを亡くす経験をしたから孤児たちの後見人になることを即断即決したのですか?」
果敢にも繊細な質問をしたウィルを見てイーサンは苦笑した。
「ああ、そういった側面もあったのかな。私は自分が父親になることはないだろう、と考えていた時期が長かったから、出産が大変なことを身に染みて知っている。やっと生まれてきた子どもたちが死に直面している状況が許せなかったのだろう。教皇猊下には失礼だけど、教会関係者が主犯なのに教会に子どもたちを託したくなかったんだ。君たちがガンガイル王国で一時的に保護する、と言ってくれた機会を逃したくなかった。一旦国外にでれば密かに全員を養子にできるかもしれない、と脳裏をよぎったよ」
イーサンの誠実な回答にぼくたちの中でイーサンの株が高騰した。
「父上の次の御代はこういった判断を即決できる人物がいいんだ。兄上は最近でこそ母方の祖父の呪縛を吹っ切ったみたいだが、あの人は記憶力がよくても決断力が足りない」
内緒話の結界の中であることに気をよくしたハントの発言にイーサンは眉を顰めた。
「いいかい。兄上が魔法学校の設立を決めた時、ガンガイル王国の留学生たちがそばにいた。兄上には聡明な判断ができる人間がそばにいる必要がある。派閥が違う私では場を乱すだけだ」
まくしたてるハントに、思い当たる節があったのかイーサンは左斜め上を見た。
「兄君の尊敬する点はその情報収集力ですね」
「どこにでも首を突っ込むことを不審がられない質だからな」
ガンガイル王国は緑豊かな国だな、と地上を見おろして子どものようにはしゃぐハントは褒められると茶化すような性格なのかと勘繰りたくなる。
「深い緑の奥に魔獣たちの気配がする。こういった教科書通りの原野が現在の帝国本土に存在していないことが問題だということにあらためて気づかされるね」
イーサンは目を細めて視力強化で森の生態系を確認するとハントが笑った。
「緑の一族が整えた土地をたった数年で荒らすのが今の帝国だ。ここ数十年の間に緑の一族が渡り歩いた地を繋げば帝国の護りの魔法陣の欠如が見えてくる。派閥が瓦解したことで遠慮なく他領に干渉できるようになった。機が熟しすぎて腐っているんだよ」
隠密で軍紀の乱れを調査しているハントは帝国全土で改革を行う好機だと踏んでいるようだ。
「状況把握をしている兄君が主導すればより迅速に事が進むのでは?」
自分を担ぎ上げるのではなく第三皇子が表立って活動すべきだ、とイーサンが言うと、ハントは軽い笑い声をあげた
「人望がない私はウザがられても現場に踏み込む厚かましさがあるだけで、人を動かす力はない。せいぜい、『ここに問題の領地があるぞ!さあ、どうしよう?』と白々しく指摘するだけだ。今回も、決断したのはお前で、こうして上手くことが進んでいる」
「今回の事件で、私には影響力を高める利点がありますが、兄君には何もない」
眉を顰めたイーサンに、フフ、とハントは不敵な笑みを浮かべた。
「私の利は今、享受している。聖獣といわれる飛竜の幼体がたくさんいる里にこうして魔法の絨毯に乗って行けるのだ!飛竜たちに害をなした帝国皇子が決して足を踏み入れられない地に向かっているんだぞ!」
ワッハッハ、と豪快に笑ったハントに、内緒話の結界の外側にいる子どもたちまで変な大人を見る目を向けた。
「このまま、教会都市に向かうカイルたちと同行して、神学校の見学を取り付けるつもりだ。あいつらは虐待した子どもたちが洗礼式まで生き延びたら、少しの優しさで子どもたちを懐柔して都合のいい魔導士に仕立て上げているらしい。帝都の孤児院はすでに大きいオスカー殿下の手筈で浄化されているが、廃墟の街の孤児院のように帝国のどこかで洗脳された孤児が神学生として魔法学校に通っている。教皇猊下から大聖堂や地方の神学校の視察の許可をいただけたら私の利は十分だ」
シーソーのように真面目と不真面目な話が交互にくるハントにぼくたちは目を丸くした。
「大変申し上げにくいのですが、すでに教皇猊下と面会してしまったので、教会都市に行く名目がなくなってしまったのです」
教皇に国王陛下の親書をもう渡してしまったことをキャロルが指摘すると、なんだってー!と絶叫したハントは頭を抱えた。
あのおじさんは何をしているの?と子どもたちが質問すると、見てはいけません、とエミリアさんは子どもたちに景色を楽しむように促した。
「子どもたちに気持ち悪がられていますよ」
イーサンの指摘に、こんな大人にならないような見本でかまわない、とハントは開き直った。
“……教皇に願い出たら教会都市には行けるよ”
廃墟の町の結界の件が終了する際に願い出れば行ける、と兄貴が精霊言語で伝えてきたが、ハントに今話してしまうと興奮して騒ぐことが目に見えていたので、ぼくとケインは顔を見合わせて黙っていることに決めた。
「おかえりなさい。はじめまして」
飛竜の里ではポアロさん夫婦と里の人たちが、ポアロさんの自宅に集まって子どもたちを受け入れる準備をしていてくれた。
フエと一緒に保護された子どもたちは里の人たちが里親となっており、普段はお泊り会の会場として使用されている孤児院を清掃してくれていた。
よろしくおねがいいたします、と子どもたちが恐縮したように挨拶をすると、里の人たちは笑顔で、これからは楽しく暮らしましょうね、と声を掛けた。
飛竜の幼体たちはハントとイーサンを警戒して物陰に隠れていたが、ポアロさんの奥さんが子どもたちを部屋に案内すると子どもたちの方へついていった。
「急な要請に応えていただき、誠にありがとうございます。私は子どもたちの保護者代理のイーサンで家族が見つかるまで責任をもって支援します。こっちは見届け人のハントです」
イーサンはポアロさんに偽名で挨拶をすると、存じ上げております、と二人が帝国皇子であることを理解していると匂わせた。
「私たちは帝国に戻らないとならないのですが、その前に子どもたちの健やかな成長を願って祠巡りをしてもよろしいでしょうか?」
里を一周することになるのでハントがポアロさんに申し出ると、ポアロさんは笑顔で快諾してくれた。
「ええ、お願いいたします。祠巡りを終えたら温泉に入るくらいのお時間はあるのでしょうか?せっかくカイル君たちが来てくれたのですから、温泉で英気を養ってください」
ぼくたちが同伴するならかまわない、と念を押されているのに、温泉はいいですね、とハントは笑顔でぼくより先に返事をした。
孤児院にいる三つ子たちに、先を急ぐから祠巡りに行くけれど、飛竜たちと遊んでいなさい、と声を掛けて留学生一行とイザークとハントとイーサンと護衛たちを引き連れて祠巡りに出かけた。
出会う里の人全員がぼくたちに向かって手を振ってくれる状況に、顔が広いな、とハントが呟いた。
小さな里ですからね、と受け流して光と闇の神の祠に魔力奉納を済ませると、司祭と聖女先生が挨拶に来てくれていた。
「新しい子どもたちをよろしくお願いいたします」
「里の子どもたちと馴染むように今年のオムライス祭りを早めようと検討しています」
それはいいですね、とぼくたちは聖女先生の提案に賛成した。
「ジュエルさん一家が手伝いを申し出てくださっているので、スライムたちの打ち上げ花火もできる見通しです」
お世話になりっぱなしです、と司祭はぼくと兄貴とケインに頭を下げた。
「それは楽しそうですね。留学が終わったら里のオムライス祭りにぼくも参加しますね」
積もる話がたくさんあるのに時間がないのがもったいない。
名残惜しかったが、ぼくたちは早々に話を切り上げて温泉に向かった。
「これはもう、風呂という規模ではないな!」
飛竜も浸かれる露天風呂の大きさにハントとイーサンばかりでなく、イザークも仰天した。
「お二人がいなかったら飛竜と一緒に入れたのですよ」
ウィルは警戒するように上空を飛ぶ飛竜たちを指さして言った。
「歓迎されていないのはわかっていたけれど、ここまで警戒されているとはなぁ」
「到着して早々祠巡りをしたことで辛うじて滞在を許してもらっている気がするよ」
ハントとイーサンの推測は正解で、魔法の絨毯が飛竜の里に近づくと、その二人をよこせ!いたぶってやる!と飛竜の成体たちの怒りの精霊言語が聞こえたが、孤児たちの保護者と見届け人だ、と説明して何とか里に入れてもらったのだ。
二人が本当に子どもたちの健やかな成長を願って祠巡りをしたことで、自分たちの縄張である温泉に入ることを許されたのだ。
「飛竜たちは本当に里を守っているんですね」
イザークがしみじみと言うと、キュアは頷いた。
「こんな小さなころから保護してもらい、何世代もかけて成体になるまで面倒を見てくれる恩義を忘れないのですよ」
何世代も、という説明にハントとイーサンが頭を抱えた。
「我々と全く寿命が異なる飛竜たちに帝国が許されるのには何百年もかかるということだな」
状況を理解したハントに、飛竜たちに害をなした帝国が飛竜たちに許されることなどないだろう、とイーサンは訂正した。
「兄君。我々の世代が変わって飛竜たちに何をしたか子孫が忘れてしまっても、飛竜たちは決して忘れないだろうということを肝に銘じなければならないよ」
「加害者が忘れてしまうなど言語道断だけど、飛竜の寿命を考えると、帝国滅亡の方が先に起こりそうな気がするよ」
ハントは国外にいることをいいことに帝国では絶対に言えない本音を漏らした。




