家族同然!
魔法の絨毯から見下ろす薄暮の辺境伯領都に、うわー、とイザークが声を上げた。
「精霊たちともスライムとも違う明かりが道に沿って光っているのですが、あれは何ですか?」
イザークは街中に拡散された警告灯を指さした。
「さっき話に出ていた警告の魔術具だよ。都市型瘴気や大型魔獣の侵入に際に点滅して警告を発するんだ」
ぼくが引き取られて初めて見た時には噴水広場から十字に伸びていただけの明かりは、今では市電の内側の小道まで網羅しており、工業地帯としてすっかり栄えたぼくの自宅周辺まで延長していた。
「周辺の農村にも導入している最中で、警告の種類によって回復薬や浄化剤を散布するように改良中ですよ」
父さんはぼくたちが帝国で対決した死霊系魔獣や瘴気から対処法を検討し、初級魔術師さえいない地方で自動的に瘴気を浄化する警報器を兼ねた魔術具を開発しているようだ。
「うわー!辺境伯領が羨ましすぎる!」
どれだけ必死に真似をしても追いつけない、とイザークは楽しそうに笑った。
「安全に配慮すればするほど、人々の危険に対する認識が下がってしまうから、課題は多いのよ」
母さんは父さんの魔術具の欠点を指摘すると、危機管理は政治の範疇だ、と父さんが言い訳した。
「それはぼくが大人になるまでに考えなくてはいけない課題ですね」
長い髪をかき上げたイザークは課せられた責任感を楽しむような晴れやかな笑顔で夜に包まれる辺境伯領の空を楽しむように目を細めた。
自宅に到着したぼくたちは、夜間には帰宅しているお婆の工房に突撃した。
初対面ながらも長髪の少年が、育毛剤を使った、と聞くだけで老婆姿のお婆は溜息をついて兄貴を見た。
兄貴も首を傾げると犬型のシロを見た。
「やっぱり、あれですよね」
お婆や兄貴の様子から自分の推測と同じだろうと感じた母さんが呟くと、ぼくもなんとなくそうじゃないかなと考えたことが正解のような気がして頷いた。
お婆の工房に集まったウィルとイザーク以外の全員が、そうだろうね、と頷くと、長い水色の髪をくしゃくしゃにしながら、どうして納得しているの?とイザークが尋ねた。
「この育毛剤は毛根が死滅していない限り体毛をふさふさにする効果があり、毛根から新しく生えてきた毛が通常より早く長くなるだけで、従来からある毛の成長の促進をしないのですよ。相当数の治験を行ったので個人差もある程度把握しています。ですが、こんな事例は存在しません」
腰の曲がったお婆の説明に、そうですか、とイザークは頷いた。
「こんなことあり得ないと言い切れませんが、今までの経験則からあり得ないことが起こる時は人知を超えた力が働いているだろうと考えてしまうのです」
お婆の説明にシロは頷き、人知を超えた力?とイザークはキョトンとした顔をしたが、もしかして、とウィルが呟いた。
「あの方がいらっしゃる場面で、人知など蟻の思考程度でしかなく、あの方が人間の足掻きを面白いと思われたのなら、あり得ないと思うことを簡単に実現させてしまうでしょうね」
明言を避けたお婆の曖昧な説明に、ようやく推測できたウィルは頷き、何のことですか?とイザークは眉間の皺を深くした。
父さんと母さんとお婆が顔を見合わせると頷いた。
「イザーク君。我が家の、エントーレ家の秘密を口外しないと誓えますか?」
父さんが真顔でイザークに尋ねると、神に誓って、と即答した。
その言葉に認識疎外の魔法を解いたお婆がジュンナの姿を披露すると、イザークは腰を抜かして床に座り込んだ。
「成人後、帝国に留学したカイル君の親族の才媛、ジュンナさんとは、カイル君の祖母だったのですか!」
イザークが導き出した推測に、ご明察!とぼくたちが声を揃えた。
「かつてカイルが精霊たちの早とちりで散々な目にあった代償に、両親殺害の主犯や実行犯への復讐を願うのではなく、家族になってたった数か月の私の病の治癒をカイルが上級精霊に願ってくれたら、病の全快どころか若返ってしまったのですよ」
お婆の説明に両手で伸びた髪の毛を掴んだイザークは、上級精霊の干渉か、とようやく腑に落ちたような表情になった。
「今回、廃墟の町の危険な町の結界を封じることに応じたのは、未来の辺境伯領主に遠巻きに恩を売って、今まで親切にしてくれたカイル君の家族たちが暮らしやすい環境になればいいな、と考えて引き受けたのです。カイル君のためになれば、と考えたことで上級精霊がぼくに施しを与えてくださったのですね」
なんていい子なんでしょう!とお婆と母さんが感激すると、父さんも頷いた。
「いや、実はジュエルさんの提案を受け入れて育毛剤を使用したのには、下心がありまして……その、自分が今後、楽をしたくて使用したのです」
床に座り込んだまま気まずそうに言ったイザークに、父さんは笑顔で言った。
「たいがいの魔術具は楽をするために作るものですよ。下心から便利な魔術具が開発されるのです。疚しい下心ではなく、知的好奇心ですよ」
父さんの言葉に魔獣たちも含めてぼくたち全員が頷いた。
まあ、おかけください、とお婆がイザークに椅子を勧めると、ガッツリ話し込めるように母さんは折り畳み椅子を出して全員で丸くなるように座った。
「ジュンナさんが秘密を打ち明けてくれたようにぼくも領の秘密を打ち明けます。ウィル君はご両親にも内緒にすると誓ってください」
「神に誓って内緒にします」
ウィルが即答するとイザークは話を続けた。
「うちの領の護りの魔法陣には古代魔法陣が残っていて、一族の中でも運命の神のご加護がある人物しか魔力奉納ができないのです」
それはうすうす知っていた、とウィルが突っ込むと、まあ、そうだよね、とイザークも受け流した。
「公爵家を取りつぶしにできないのはそう言った事情があるからなのに、歴代の公爵たちは自分たちの影響力があるせいだと勘違いして派閥を作ってでかい顔をしてきた経緯があるのです」
口外禁止の約束のせいかぶっちゃけ過ぎのイザークにウィルは苦笑した。
「派閥は瓦解したので、自領のことだけ気にすればいいぼくの代は身軽になりました。まあ、それはさておいて、領の護りの結界に魔力奉納ができる人間がほとんどいないせいで、ぼくは長期外出がままならなかったのですが、古代魔法陣を封じることができたので、こうして外出できるようになりました」
ここまではみんな推測していた状況なので、ふむふむ、と聞いていた。
「親族が魔力奉納をできるようになったのはいいことなのですが、貴族として贅沢を享受するだけで努力を怠っていた親族たちは恥ずかしながら、魔法属性に偏りがあるのです」
イザークの告白に、恥ずかしながらうちも似たような状況だった、とウィルも漏らした。
「わからなくはないのですよ。ご加護がある神の祠に魔力奉納をすると、安堵感というか、ちょっと幸せな気分になるけれど、属性が足りない神の祠ではそういった喜びがない。一般市民のようにポイントがつくわけではないから、ついサボりがちになってしまうのです」
祠別に高揚感が違うものなのか?
ぼくはよくわからず首を傾げると、カイル君は全属性の魔力の扱いにたけているから、とイザークが笑った。
「うーん、確かにかつては、その、なんか足りないような感覚がありましたが、気になって絶対に外さずに祠巡りをすると、だんだん均一になっていったような気がしますね」
父さんが子どものころを思い出すように言うと、母さんも頷いた。
「祠巡りを毎日するようになってから気にならなくなりましたわ」
毎日魔力を流すから魔力の扱いが上手くなったかと思っていた、とお婆は笑った。
「そうなのですよ、毎日きちんと魔力を使えば向上するはずなのです。親族の魔力奉納をお小遣制にして祠巡りを促したのに、すぐサボるのでなかなか属性の偏りが治らず、結局、ぼくは長期間、屋敷を不在にできないのですよ」
三日で王都に帰らなければならない、とイザークは不満をあらわにした。
「ああ、そういうことですか。イザーク君の魔力を圧縮した物を信頼できる人物に預けられれば、長期旅行も可能になるのですね」
父さんの推測にイザークが頷くと、だったら急ぎで研究しなくては、とお婆と母さんが立ち上がった。
「そんな!魔力を貯蔵する技術は辺境伯領の秘密の魔術具じゃないですか!ぼくが知っていいことではないでしょう!!」
驚くイザークに父さんは首を横に振った。
「あれは全く違う原理だから問題ないですよ。それより、イザーク君で試そうと思っている魔法は、そもそも国王陛下級に魔力量が多くなければできない物だから、次期公爵のイザーク君ならではの魔術具になるはずです」
おいそれと誰にでも作れるものじゃないから大丈夫だ、と父さんは笑った。
高位の貴族の魔力で実験できることに楽しくなっている父さんを困った人を見る目でお婆と母さんは見た。
ぼくとケインも顔を見合わせて、亜空間に行きたい、とお互いが考えていることを確認した。
これ以上イザークに我が家の秘密を暴露するのもどうかと思い父さんをじっと見た。
「とても身分が高い方にこう言うのは不敬ですが、私の気持ちを言わせてください」
父さんがイザークの前で跪いてそう言うと、イザークは慌てて首を横に振った。
「尊敬するジュエルさんになら、何を言われても不敬ではありません!」
いつもなら、凄いだろう!と自慢するのが口癖の父さんも、過度に褒められると照れてしまうのか頬を赤くした。
「ありがとうございます。どうしても、素直な言葉で言った方がいい気がしたので、言わせてください。運命の神のご加護があるとはいえ、うちの家族を思って危険な役目を引き受けてくれたイザーク君は、私にとって家族同然だと考えてしまうのです。次期公爵にこんな気持ちになるのもおかしなものですが、どうか、うちの息子として心で慕うことをお許しください」
父さんがそう言うと、イザークの両目から大粒の涙がぼとぼとと零れ落ち、イザークの膝を濡らした。
イザークの涙にぼくたちが狼狽えると、とてもうれしい、とイザークはゆっくりと話しだした。
「……こんな幸せを感じる言葉を聞いたのは初めてです。ぼくは……庶子として産まれ……平民出身の母を早くに亡くし、親族や魔法学校でも出自を侮蔑され、愛情を受取る機会が少なく育ったので……身分とか関係なく、ぼくを家族のように案じてくれる存在があることが、嬉しくてたまりません……」
ぽたぽたと涙を流し続けるイザークの肩に涙目の父さんが優しく手を添えた。
「家族は増えるものなのです。私たちはこの家を出たら大きく身分が違いますが、この家にいる間は息子のように寛いでください」
そうですわ、と母さんとお婆が涙目で頷くと、ありがとうございます、と言ったイザークはおいおいと泣きだした。
気付けばぼくの両目からも涙があふれており、ケインや兄貴や魔獣たちまで涙を浮かべていた。
涙もろいのは家族共通だな、としみじみとしていたら、うらやましい、とウィルが呟いた。
冷笑の貴公子なんて呼ばれていたウィルの目にも光るものがあった。
「ウィル君はとっくに家族同然でしょう?」
当たり前のようにぼくの家にいるウィルに母さんが言うと、そうか、家族同然ならアリサが嫁に行くことはないか、と父さんは見当違いのことを呟いた。
おまけ ~次期公爵領主のお忍び旅行 其の3~
湯上りの子どもたちを一瞥すると一声かけただけで浴場に駆け込んだ不死鳥の貴公子は異名にふさわしい立派な少年だった。
痩せこけた哀れな子どもたちに同情を寄せるのではなく、友人として接しようとしていたのに、あまりの悲惨さに動揺を抑えきれなくて撤退するように浴槽に潜り、一気に涙を流すなんて、洗礼式前の子どものする所作じゃない。
さっき自分が浴槽の後方でコッソリ涙を拭っていたのが恥ずかしく思えてしまう。
もっと自分を律しなければ、と考えた矢先に、またしてもカイル君の言葉が胸を抉った。
……同年代の子どもたちに会って少しでも笑える時間が持てたら心の栄養になるから、みんなは笑って一緒の時間を過ごすだけでいいんだよ。
ぼくはカイル君に出会ってからどれほど心が救われたか……一緒に笑えた日々は本当に心の栄養になった。
気が付いたらぼくの口から、オウオウと咆哮が溢れ出ていた。
カイル君の飛竜に背中をさすってもらいながら感情の高ぶりを鎮めた。
ぼくが魔法学校を卒業した後、カイル君が帰国しても辺境伯領に帰ってしまえばもう会える機会はそうそうない、と思っていたのに、せっかくこうしてまた会えた貴重な時間をぼくが泣いて無駄にするなんてもったいない。
ぼくは言い訳がましく母の棺に入っていた姉の爪の話をすると、カイル君たち兄弟が、自分たちも幼くして亡くなった兄がいる、と涙を溢した。
みっともなく感情をあらわにしてしまったけれど、カイル君の泣き顔が見れたのはよかった。
カイルは感動屋さんだからしょっちゅう泣くよ、気にするな、とウィル君はぼくを励ました。
あの町の魔法陣を封じに行くことを決意したのは、そのためにぼくがここにいる気がしたからだ。
ガンガイル王国の利に拘ったのは、前領主の不祥事をチャラにする功績をあげることで公爵領の安泰を図るために必須だと考えたからだ。
公爵領への利を誘導するのは領都に帰ってからでいい。
カイル君もウィル君もぼくの安全を第一に考えてくれることに胸が熱くなる。
辺境伯領に旅行に来てから害意を感じることもなく温かく接してくれる人たちばかりで多好感に酔いそうになる。
冷静さを取り戻そうと呼吸を整えていると、カイル君の父がとんでもない提案をした。
ボクノマリョクノカタマリヲトビラニブツケル?
それはぼくが扉に魔力を流すのと何か違いがあるのだろうか?
爪も髪の毛も切ってしまえば、確かにぼく本体ではないがぼくを構成するものの一部には違いない。
ぼくが廃墟の開かずの扉を開けられるのは一族に数人だけ産まれる運命の子であるからで、それを他言する気はない。
ぼくの命を守るためにとんでもない魔法を使おうとするカイル君の父に、絶対ではないけれど死なない気がする、としか言えなかった。
あれ?
とんでもない魔法だけど、もしかしたら、今後ぼくが楽をするためにとても有意義なものになるかもしれない。
非公開になっている辺境伯領の魔力貯蔵の魔術具の代用として、ぼくが領を離れる時に代理で魔力奉納をするのに使えるかもしれない!
ぼくはカイル君の父の発案した魔法に興味が湧いてきたが、いかんせん、そんなに簡単に髪も爪も伸びたりしない。
……毛生え薬?!
副作用もないようなのでとりあえず使用してみることにした。
いい香りがして頭皮がスースーして気持ちがいい。
たっぷり使ってみよう。
あれ?高価なものだったら申し訳ないな、買い取りましょうか、と辺境伯領主の護衛に聞くと貰い物だからかまわない、と言われた。
円形脱毛症の原因になった辺境伯領主は彼が育毛剤を使用していることを知らなかったのだから下賜されたものではなさそうなのに、頭皮に悩みのある全男性が欲しがりそうな品を簡単にくれるなんて辺境伯領は裕福だ。
そんなやり取りをしていると帝国軍人が血相を変えて立ち上がった。
まあ、ガンガイル王国の次期公爵が命を懸けて帝国の小さな町を救うなんて尋常じゃないことだから止めに入るのは理解できるが、放置したら世界の破綻を招きかねない代物なのだ。
ぼくは帝国への慈善活動ではなく、カイル君への恩義を善意として循環させ、ついでに自分へ利をもたらすためだ、と軍人たちに食って掛かった。
勲章を外した跡が複数あることから高位の軍人だろうと推測したが、ぼくも未来の公爵なので舐められないように居丈高に言った。
……二人とも帝国の皇子殿下なんてどういうことだよ!
いつの間にか話を取りまとめてしまった辺境伯領主は、気にするな、と言うけれど……帝国の皇子たちに再び会う機会なんて一生ないだろうから気にしないことにした。
ワンタンメンは美味しいし。
スープをすったワンタンがつるんと喉に落ちていく感覚は最高だ!
早朝礼拝に参加するか、早朝の観覧車か……早朝礼拝は滞在中に機会があるだろうけれど、早朝の観覧車はこの機会を逃すとそんな時間にもう乗れないだろう。
辺境伯領の警備の体制を聞きながら、それができるのは潤沢な資金があるからだよなぁ、と羨ましく思っていると、カイル君の弟から、髪が伸びた、と指摘された。
腰まで伸びた髪に何で気付かなかったのだろう?と首を傾げると騎士団員たちは、あり得ない!と大騒ぎになった。
大量の素材を獲得したことに喜んでいたけれど、何か不都合なことがあるのだろうか?と訝しんでいたら、あれよあれよという間に魔法の絨毯に乗せられてカイル君の自宅に向かうことになった。




