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味見の量は適切に

 朝食は、卵焼きに、虹鱒の塩焼き、きんぴらごぼう、季節の野菜のぬか漬け、わかめの味噌汁。

 最高の朝食だ。

 虹鱒は、漁獲量の規制があって、一般市民の食卓にはなかなか上がらないのだが、ハルトおじさんの手土産だ。

 あれから、朝食にしばしばハルトおじさんがいる。

 出勤前に酒造の経過を見に来ているのだ。

 毎回必ず、手土産を持ってきて、朝食の席にいる。

 酒造りチームは、いつの間にか建てられた醸造所に、泊まり込んでいる。

 ハルトおじさんが自分の食事を終えた後、お弁当にした食事を酒造りチームへ届けるのだ。

 運んでいるのは護衛騎士なんだけどね。

 護衛の手がふさがっていて、大丈夫なのだろうか?

 ここはマナさんの精霊がいるから無敵なのか。


 ぼくは卵かけご飯を実現するために、醤油の仕込みを急ぐ。

 大豆の仕込みは前日からしてある。

 料理の神様は時短をしてくれないから、大豆の仕込みは丸一日かかる。

 醬油麴用に焙煎した小麦の香りに、麦茶が恋しくなる。

 あっちは大麦だ。来年の夏に作ろう。


 味噌と醤油は麹の仕込みが違う。

 醤油麴の種をつくり、蒸しあげた後適温に冷ました大豆と混ぜ合わせ、培養を開始する。

 大豆の温度が上がって来るので、菌が死滅しないようにかき混ぜる。

 重労働だもん、お婆が若返ってくれていて、本当に良かった。

 スライムたちが代わる代わる温度を確認しては、ヘラに変形し、かき混ぜる作業を分担してくれた。

 気を抜けない作業が続いたが、大豆に緑色の胞子がついた。

 似たような材料なのに麹の色が違う。

 醬油麴づくりも、発酵作業は結局一日で終わった。

 発酵の神様、ありがとうございます。


 原材料を全て仕込むと、後は発酵の神様にお任せしておけば、明日には生醤油が食べられるようになっているはずだ。


 このところ、麹にかまけてばかりいたので、翌日は日常生活に戻るべく、厩舎の掃除から始めることにした。

 ケインも早起きして手伝ってくれる。

 久しぶりに鶏舎に行くと、鶏たちに熱烈歓迎をうけ、頭や肩に飛び乗られた。

 鶏って飛べないんじゃなかったのか?

 世話といっても、お掃除や餌やりくらいしかしていなかったのに、なつかれているようで、ちょっと嬉しい。

 厩舎にはイシマールさんの姿はなく、他の人が手伝いに来ていた。手伝いに来れなかった間の動物たちのお世話のお礼を言う。

 イシマールさんもあれから馬の様子を見に来るだけで、すぐに酒造りに戻ってしまっているそうだ。

 酒造りチームは大変そうだ。

 廃棄物処理ドライブを楽しみにしていたケインだったが、牽引の三輪車が大人用の四輪バギーになっていた。

 乗ってみたかったが、ヘルメットの準備がなかったので、あきらめなければいけなかった。

 父さんったら、こんな面白いものを作っていたのだったら教えてくれてもいいのに。

 三輪車の後ろにぼくが立ち乗りして、ケインと厩舎の周りをドライブして母屋に帰ることにした。

 早朝はかなり冷え込んでいるが、ぼくもケインも温度調節の魔方陣が上着に刺繍されているから寒くない。

 ほっぺに当たる風が冷たくて気持ちいい。

 庭の奥には行かないようにと注意したが、視力強化をしたケインは、フラフラした栗鼠がいるから、助けてあげようと言ってきた。

 ぼくも雑木林の方を凝視すると、見えた。

 山ブドウの実がいくつか落ちている。

 そのそばにいる栗鼠が、じくざぐに歩いては、止まり、頭をのけぞらせては、かくんと、うなだれている。

 千鳥足の栗鼠なんて初めて見た。

 ぼくは爆笑しながらケインの肩をポンポンと叩いた。

「ケイン、あの栗鼠は、お酒を飲み過ぎた父さんと同じだよ」

「ええ!酔っ払っているの?」

「発酵の神様が張り切り過ぎて、山ブドウをぶどう酒にしちゃったのかな?後で父さんに調べてもらおうよ」

 山ブドウを回収しないと野生動物の被害が拡大しそうだ。

「でも、父さんたちはもう何日も母屋に帰ってきていないよ」

「お酒の神様も助けてくれるから、きっともうすぐ帰ってこられるよ」

 あんなに素早くお味噌ができたんだから、お酒もきっと高速醸造になっているだろう。

「今日のお味噌汁はサツマイモが入っているから早く帰ろうよ」

 芋栗南瓜は子女に人気だもん。

 早朝ドライブをおえて、三輪車を片付けていたら、ハルトおじさんのとは違う見慣れた豪華な馬車があった。

 こんな早朝からキャロお嬢様が来るなんて、どうしたんだろう?

 ぼくたちは家に入るなり、お婆に清掃の魔法をかけられた。

 やっぱり本人が来ていたのだ。


 うちの食卓にキャロお嬢様とハルトおじさんがいる。

「だから、カイルとケインは元気だって言っただろ」

 ぼくとケインが長期間遊び部屋に行かなかったことで、不健康説でも出ていたのだろうか?

「いいえ、やっぱり、はたらきすぎ、でしたわ」

 キャロお嬢様が働きすぎを強調してくる。

「試してみたいことがあったから、ちょっと根を詰めていました。もう見通しが立ったので、明日から遊び部屋にも顔を出すつもりでした」

「おいしいものを、作っているからいいんだもん」

 ケインは美味しいものであることを強調する。

 そうだよね、美味しいは正義だ。

「あさから、厩舎おそうじをしているって、聞いたもん」

「掃除もしたけど、三輪車で遊んでいたよ」

「酔っぱらいの栗鼠がいたよ。フラフラしていて、可愛かった」

「どこに居たの?」

「むこうの雑木林の方だけど、一生懸命目を凝らして見ただけで、そばには行っていないよ」

 母さんぼくたちは無罪です。遠出はしていない。

「山ブドウが落ちていたよ。みぃちゃんとみゃぁちゃんがあっちまで行くことはないだろうけど、この辺りの野生動物がアルコール中毒になっちゃうかもしれないよ」

「それは調査が必要だな、過剰な護衛騎士を少しそっちに回せないか?」

 ハルトおじさんが従者と相談を始めた。

 ぼくは少し席を外す許可をとって、みぃちゃんとみゃぁちゃんを探した。

 魔猫だから大丈夫かもしれないが、普通の猫にはアルコールは毒だ。

 特上肉の煮込みの入った瓶をスプーンで鳴らして、猫たちを呼ぶと、まっしぐらにやって来た。

 よしよし、遠出して冒険はしなかったようだ。

 スライムたちが、猫たちはなにも特別な手伝いをしていないのに、ご褒美があるのか、という圧を出している。

「事故にあわずに過ごしていることも、ご褒美に値するよ」

 このところかまってあげられなかった分、甘やかしてしまった。

 スライムたちにも、当然、ご褒美のお肉をあげた。

 働きすぎなのはスライムたちだ。

 おや?

 父さんとイシマールさんのスライムが戻ってきている。

 朝食の席に戻ると、お酒の匂いをプンプンさせた父さんとイシマールさんが初しぼりの日本酒の瓶を持ってきていた。

「お酒の神様と発酵の神様に奉納するのが先ですよ」

 母さんが念を押している。

「いや、味見もしないで奉納するのは失礼だ」

 ハルトおじさんの言い訳が炸裂する。

「味見の量は適切にお願いいたします」

 母さんの正論がこの場を制した。

 ケインがお嬢様に強気でいけるのは、母さんの気質を受け継いでいるのだろう。

 ハルトおじさんの後ろの従者がこくこくと頷いている。

「教会と城にも献上する予定だからしっかり味見をさせてもらうよ」

「カラ酒だと体にさわりますから、朝食をご一緒にどうぞ」

 母さんと、従者たちが給仕を始めた。

 お膳に虹鱒の筋子がある。

 日本酒のあてに最適だ。

 今日の手土産が筋子ということは、ハルトおじさんは本日、日本酒が仕上がることを知っていたようだ。

 子どもには筋子のおにぎりと卵焼きに、サツマイモの豚汁。

 もちろん、おしんこも付いている。

 ぼくとケインが箸を使っておしんこを食べているのを、キャロお嬢様が不思議そうに見ている。

「お箸は、柔らかいものならつまんで切ることもできる便利なカトラリーで、和食に向いています」

 ぼくは卵焼きを箸で切って食べて見せる。

「ラーメンが食べやすくなるよ」

 ケインが得意げに言うけど、ラーメンは騎士団の食堂しか作っていない。

 毎朝うちまで水を汲みに来て作っているのだ。

「ラーメンって、なんですか?」

 音を出して啜って食べる麵類はお貴族様向きではない。

「美味しいけど上手に食べるのが難しいから、上級貴族の間では流行らないと思うよ」

 飲む前のハルトおじさんはまだしっかりしている。

 ラーメンはお嬢様にはハードルが高い。

「キャロは子どもだからじょうずじゃなくても、食べてみたいわ」

「じゃあ、おじちゃんと、今度内緒で食べてみよう」

 なんでだろう。悪いおじさんが唆しているように聞こえる。


 大人の御膳は出汁で仕上げた田作りや胡麻和えなどの総菜がたくさん小鉢に盛り付けられていて、温泉旅館の朝食のようだ。

 マナさんの指示に違いない。

 ハルトおじさんは箸使いもマスターしており、少しずつキャロお嬢様に分けてあげている。

 ああ、美幼女なのに、田作りの美味しさに鼻の穴が膨らんでしまっている。

 飲み込むまで口を開けられないもんね。

 憧れだった筋子のおにぎりはしょっぱかったけど、とても美味しかった。

 醤油ができたら味を整えよう。

 庶民がなかなか食べられないのは漁獲量の規制のせいだから、たまごがあるんだから養殖でもしたらいいのにね。


 おなかをある程度満たした大人たちは、三種類の日本酒の味見をし始めた。

 甘口、辛口、超辛口の美味しいお酒ができたようで、酒チームの努力は実った。

 子どもはかかわらない方がいいと、席を立つように促されたので、醤油を絞りに行くことにした。


 貯蔵庫に入るなり芳醇な醤油の香りがした。

 もろみをさらしで吊るして絞り上げると、生醤油の出来上がりだ。

「これが、醤油なんだね…。いい香りだ。これをラーメンのスープに使うんだね」

 お婆も感動している。

 醤油は万能調味料だ。ラーメン以外にも沢山使うよ。

「これは、まだ火入れをしていないから日持ちしないけど、火入れ前とまた味が違うから舐めてみて」

 ぼくたちは生醤油を少し手に取って舐めてみる。キャロお嬢様も付いてきていて、手を出している。

「「「「おいしい」」」」

 本物の醤油の味に、涙がちょっぴり出た。

「あんなに苦労したからこんなにおいしいんだね」

 ケインもしんみりしている。

「濃く深い味わいがあって、これは、何にかけても食材を美味しくしてしまうだろう」

 お婆も醤油の万能性に気がついてくれたようだ。

「こんなに、おいしいものを作るために、はたらいていたのですね」

 キャロお嬢様にも感動が伝わったようだ。

「あとは、火入れをして完成だから、もう少し頑張ろう」

 お嬢様は見学用の椅子を用意してもらって、気分だけ参加してもらった。

 火入れは沸騰させないように気を使うが、温度管理はスライムが活躍した。


 火入れが終わると、さらしで濾して不純物を取り除く。


 こうして、夢にまで見た醤油を手に入れた。


 台所に戻り、朝食の残りの卵焼きにかけて、みんなで試食した。

 マナさんは伝説の味に感動し、メイ伯母さんは持ち帰る決心をして、男性陣は醤油をあてにお酒を飲んでいる。

 味見の適切な量がわからない。

 醤油の味見はキャロお嬢様の侍従たちにもしてもらった。

 大絶賛を得たのだが、ぼそっと、ジェニエさんの親戚の方だとお聞きしていますが、あの方をご紹介して頂けないでしょうか?と言った。

 若返ったお婆の名前って何だっけ?

おまけ ~とある従者の呟き~

 このところ体力のついたお嬢様を追いかけるべく、執事見習いとしてキャロライン嬢付きに転属になった。

 お嬢様は『いい子になる』キャンペーン期間中にもかかわらず、油断するとお庭に脱走して、白い布を被ってススキを振り回す、奇行に走るのだ。

 知能は三才児にしては高く、二ケタの足し算をスラスラこなし、人を見て態度を変えることもできる。

 お作法の先生の前では、おしとやかなお嬢様を演じるが、お勉強の先生の前では騎士物語を音読して、実演するのだ。

 我儘なお嬢様との噂があったので、転属の際は心配したが、理不尽なところはなく、三才児らしい可愛らしい我儘なので、ついつい甘くなってしまう。

 そんなお嬢様の最大のライバルは、エントーレ準男爵の次男、ケインだ。

 計算の誤魔化しは一切許さず、ゲームの公平を訴える。

 お嬢様と同い年なのに、三才児とは思えぬ知性を持ち、お嬢様の我儘をうまくなだめる才能があるのだ。

 お嬢様に、ケインならどうするでしょうねと言うだけで、適切な行動に切り替えることができる。

 そんなケインが遊び部屋に来ない理由が、あの年にして働いているからだ、と聞きつけたお嬢様を止めることなど、私には到底できなかった。

 早朝からラインハルト様を捕まえて、同行を願いでた。

 エントーレ家に押し掛けたところ、やはり子どもたちは厩舎の掃除に行ってしまっていた。

 平民は子どもの頃から働かなくてはならないようだ。

 気の毒に思っていると、間もなく帰って来るからと、奥に案内してくれた女性に全ての心を持っていかれてしまった。

 美しいピンクブロンドの髪から甘いバラの香りがした。

 お嬢様に微笑んでいるのはわかっているのだが、目が離せない。

 黒髪の美女にクスリと笑われて、正気にかえった。

 ここの美女率、高すぎだろ。

 見た事のない料理をお嬢様が食べていても、心はピンクブロンドの君に奪われたままだった。

 作業場までついていこうとするお嬢様をお止めしなくてはいけないのに、自分がピンクブロンドの君についていきたいがために止められなかった。

 嗚呼、あの方の名を知りたい……。

 醤油とやらの味見をさせてもらったが、ピンクブロンドの君が返答を待っていると思うだけで、口から心臓が飛び出しそうだ。

 ろくな返答もできなかった。

 せめて、名前だけでも知りたかったので、しっかり者のカイルに聞いたら答えを濁された。

 聞く相手を間違えた。

 すっかり警戒されてしまったではないか。

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