パエリア祭り!
日没前に麓の村に戻らなくてはならない作業員たちは笑ってばかりもいられないようで、早く上がってくれ、と責任者から声を掛けられた。
ぼくたちにとっては一生に一度しか訪れないであろう観光地だが、彼らには毎日の職場だ。
日課を邪魔されたら迷惑だろう。でも、せっかくだからこの感動を共有したい。
人力で動かす荷車のために傾斜を緩やかにした曲がりくねった道になっているから帰路を急ぐのだろう。
それなら、時間をつくればいいだけだ、と考え魔法の絨毯を取り出した。
「これに荷車を載せると数分で下山できますよ」
魔法の絨毯でひとっ飛びすれば、夕焼けの時刻までのんびりできることを説明すると、青空を反射する湖が茜色に染まる景色を想像した作業員たちは、どうしようかと困った表情になった。
「まあ、試しに乗ってみてよ」
ウィルが作業員たちに声を掛けると、たじろぐ作業員たちを見かねた留学生たちは見本として魔法の絨毯に乗ると、作業員も恐る恐る乗った。
怖がらせないように魔法の絨毯を少しだけ浮かせると、うわぁ、と作業員たちはへっぴり腰になった。
「座るといいですよ」
マリアの声にしたがって全員座ったのを確認すると、塩湖の上まで低空飛行した。
転落防止の透明な壁を触ってはしゃぐ作業員たちを微笑ましく見ていると、このような素晴らしい魔術具を使用してもらうのは申し訳ない、と責任者が恐縮した。
「いいじゃありませんか。みなさんが毎日汗水流して働いている場所で遊ばせてもらったのですから、お礼ということで、どうでしょう?」
ぼくの提案に留学生一行は頷いた。
「それにしても、こんな便利な魔術具があるのにわざわざ小さな馬で登ってきたのには理由があるはずです」
「最新の魔術具なので、ここの領地の領主様に飛行許可を取らなくてはならないのですが、皆さんが黙っていてくださったら問題ありませんよ」
唇に人差し指をあててウィンクをすると作業員の責任者は笑った。
「俺の責任はここで採掘する塩の数量の管理だけで、魔術具に関してはてんでわからない。この魔術具を使用すると死霊系魔獣が湧いて出てくるわけではないのなら、これで山を下るだけに領主様の許可が必要だとは思えないよ」
民間に下りてきてほしい技術だ、と作業員たちはしきりと褒めた。
法整備が整うまでの曖昧な期間だから慎重に使用している、と説明すると、内緒にしておくよ!と作業員たちは即答した。
ぷかぷかと湖に漂う第三皇子と護衛たちに手を振って塩湖を一周して戻ると、夕方までここにいるなら飯の支度をいつするんだ!とベンさんに突っ込まれた。
「内陸の塩湖といえば、大鍋のパエリアが食べたいと言い出したのはカイルとケインじゃないか!」
神話の上では、海の神と風の神が喧嘩をして大嵐を起こし、大地の神が仲裁を買って出てたのに塩害がおこり、大地の塩害を取り除いたら美味いものを食べさせてやる、と言い出すと、風の神が水の神に相談して海水が染みた大地から塩水だけを集めて湖を作り大地を浄化し、喜んだ大地の神が人々に穀物と海の恵みを合わせ炊く美味しい料理を教えて神々に供えさせた、とあるので、神話の料理がパエリアかもしれないと踏んでいるぼくたち兄弟は、麓の村で大鍋のパエリアを作ろうと提案していた。
「魔法の絨毯の上で調理して、そのまま麓の村まで運んでしまえばいいんじゃないかな」
ウィルの提案に、村で作るよりその方がいいな、とベンさんが賛同すると、留学生一行たちは炊事場を制作し始めた。
ぼくは魔法の杖を一振りして魔法の絨毯に耐火の魔法陣を重ね掛けしていると、何を始めたのかと興味津々になった第三皇子が塩湖から上がってきた。
ぼくにまとわりつく第三皇子に、早く着替えてこい、と第五皇子が促した。
第三皇子が着替えのために馬車に戻ると、パエリア用の大鍋を収納のポーチから取り出すと、おおおおお、大きな鍋が出てきた!と作業員たちから驚嘆の声が上がった。
「この鍋で作る料理を下山したらみんなで食べましょう」
ベンさんが声を掛けると、お相伴にあずかるなら手伝いたい、と作業員たちも申し出てくれた。
調理をするならまずはこれ、と留学生一行に清掃魔法をかけられると、身ぎれいになった作業員たちは大喜びした。
「魔法学校生とはこんなに魔法を多用するものなのですか?」
責任者が感心しきりに言うと、第五皇子の護衛は首を横に振った。
「自分の時代は他人のために魔力を使用することはほとんどありませんでした」
仕事でもない限り家庭でも使用しない、と第三皇子の護衛も頷いた。
ハルトおじさんが気軽に魔法を使用していたから、たぶんガンガイル王国の常識が違うのかもしれない。
いや、ハルトおじさんは王族だから魔力に余裕があったのだろうか?
「井戸まで掘って炊事場を作るなんて、軍でもなかなかやらないよ」
着替えを終えて合流した第三皇子が休暇中の軍人を装って話に参加した。
「真水があった方が便利でしょうから、井戸は残しておきますね。炊事場は邪魔でしょうから撤収時に更地に戻しますよ」
四阿のような炊事場は休憩の時に寛げる場所になるから残してほしい、と作業員たちは熱望した。
耐久性の保証はできない、とウィルは管理者不在の魔法建造物の危険性を指摘すると、塩湖を気に入ったキャロルは、いいじゃないですか、と微笑んだ。
「集団の魔力で作成したからそこそこの耐久性がありますよ。炊事場の倒壊の危険がないか確認する、という名目でガンガイル王国留学生一行が来年以降も訪問する理由になります」
キャロルの指摘にぼくたちは納得した。
この美しい塩湖に三つ子たちが留学する時に立ち寄ることができるなら最高だ!
二人の皇子も異存がないようで、いい案だね、と賛同した。
魔法の絨毯の上で大鍋にパエリアを仕込み始める頃、西の空が茜色に染まり、空の色を鏡映しにした塩湖は闇の始まりと陽光の残滓を閉じ込めた一枚の絵のように美しかった。
ぼくたちは絶景を堪能しながらパエリアの調理を続けた。
スライムたちが記念にカメラの魔術具で様々な角度から撮影していたが、大鍋の中に入れられた大量の海産物に気を取られた第三皇子は気付いていなかった。
気を利かせたベンさんが撮影時を狙って烏賊をさばきだしたので、初見の皇子たちや作業員たちはすっかりまな板の上の烏賊に視線が釘付けになってしまったのだ。
オリーブオイルで炒めた大蒜の香りにお腹が鳴っていたのにこんな海の魔獣をいれてしまうのか!と海産物に縁のない山の住人たちは残念がった。
いや、美味しいから、とベンさんは軽く大鍋で炒めた烏賊を皿によそうと、精製済みの塩をぱらりと振りかけた。
味見として留学生一行がつまみ食いをすると、海獣を食べた!と作業員たちが大騒ぎをした。
オリーブオイルと大蒜と塩だけの味付けだが、サッと火を通した烏賊は柔らかく、そして、何よりミネラル豊富な塩が美味しかった。
ぼくたちが、美味い、美味い、としきりに感心していると、人生を楽しみ始めた第五皇子がフォークで一欠けら掬いパクッと口に放り込んだ。
「美味しい!独特の食感だけど、嫌じゃない。何よりこの塩が美味しい。それでいて後から烏賊の旨味が口に広がる。これは出来上がりが楽しみだ!」
真っ先に塩を褒められたことに作業員たちは、うんうん、と頷き、烏賊の旨味の話になると目を丸くした。
「その皿に取った分は味見用だから食べていいぞ」
ベンさんの言葉に、問題なく美味しいぞ、と第五皇子は作業員たちに皿を回した。
庶民のために毒見をしたような順番になったことに護衛たちは苦笑したが、それはまるで海の魔獣の試食を嫌がっているかのようにも見えて面白かった。
作業員たちに交ざって第三皇子も烏賊の味見をして、これはいける、と頷いた。
烏賊の美味しさを理解してもらえたところで、牽引車両を収納の魔術具にしまい込み、三台の馬車と荷台を魔法の絨毯に載せて、大鍋で料理をしたままゆっくりと魔法の絨毯を浮上させ下山を開始した。
見下ろす塩湖の美しさは格別で、ぼくたちは景色を堪能しつつ、ぐつぐつと煮える大鍋からの匂いに食欲を刺激されていた。
麓の村の手前で魔法の絨毯を着陸させると、二人の皇子と護衛たちが魔法の絨毯から降りた馬に騎乗し、塩を積んだ荷車をアリスの馬車に牽引させ、魔法の絨毯はぐつぐつと煮える大鍋と作業員たちを乗せて低空飛行で村に入った。
日没ギリギリにお貴族様の一行と戻ってきた作業員たちが、とてつもなく大きな鍋いっぱいの美味しそうな料理を宙に浮かぶ絨毯に載せていたことに村人たちは驚いた。
この村に滞在するお礼として夕食を用意する、と説明していたのに、まさか調理しながら下山してくるとは誰も考えていなかったのだろう。
ぼくたちだって下山してから作るつもりだったのに、ちょっと興に乗ってしまったのだ。
村の中心部の光と闇の祠の広場に大鍋を運び込むと、村人たちにも振舞うのにカトラリーを持参してほしい、とぼくたちは声を掛けた。
こんな見たこともない大ご馳走になるとは考えていなかった村長が挨拶にやってきたので、山の神の祠がどこにあるか?と尋ねると、村長宅の裏庭にある、ということなので出来上がったパエリアを奉納するように頼んだ。
薄暮の時間の中央広場をスライムたちが照らす中、大鍋の周囲に神話にまつわる神々の像を鎮座させた簡易の祭壇を作った。
「ここにいらっしゃるガンガイル王国留学生一行の皆様方が、古代の海の欠片である塩湖にもっとも近いこの村で山の神と海の神を称える民間の祭りとして神話の料理を再現してくださった!神々に感謝して、この料理を皆でいただこう!」
村長がパエリア祭りの開催を宣言すると集まった村人たちから拍手が沸き起こった。
出来立てのパエリアと特産品の塩を供物として並べた特設祭壇にぼくたち留学生一行が魔力奉納をすると精霊たちが光り出現した。
腰を抜かすほど驚く村人たちに二人の皇子の護衛たちが、ガンガイル王国留学生一行が神々に祈りと魔力を捧げると精霊たちが出現する、と説明する声が聞こえた。
第三皇子や第五皇子の手柄だと言った方が村人たちには受けがいいはずなのにガンガイル王国を持ち上げるのはどうしてだろう?
ふと隣にいるケインを見ると、ケインの髪の毛の中にもケインを慕う精霊たちが潜り込んでいて点滅している。
光りの花冠、というより電飾のクリスマスリースを被っているみたいだ。
振り返るとマルコを含むガンガイル王国留学生一行の髪の毛に数こそ差があるけれど精霊たちが潜り込んで点滅をしていた。
「カイル兄さんの頭が一番光っているよ」
ケインが指摘すると留学生一行全員が頷いた。
村人たちがぼくたちに、ありがたや、と拝むように視線を向けているので、祭壇に魔力奉納をしてください、と促した。
こうして始まったパエリア祭りは、美味しい海産物の姿かたちを目撃した作業員たちが大げさに話すので、キャーキャーと声があちこちで上がったが、こんなに美味しいものがそんな醜い形状をしているはずがない、と村人たちは作業員たちの話を信じなかった。




