飛行体験
和やかな夕食会が終わる間際に大人たちが日中に話し合っていた内容が発表された。
二泊三日の予定だったキリシア公国の滞在は次の目的地のクレール領主から飛行許可が下りたので馬車を魔法の絨毯で運ぶことにして、もう一泊延長することになった。
両国間の話し合いが進み、飛竜便の定期運航の決定や、洗礼式前の子どもたちのお茶会の開催の決定を知らされたジョージは別れの悲しみが少し伸びたことと、未知なる大型魔術具と、見知らぬ子どもたちとのお茶会に喜んだり戦慄が走ったりと目まぐるしく表情が変わった。
飛行の魔術具を幾つも持ちながら商業利用に徹しているガンガイル王国の体制に護衛たちは口には出さなかったがもったいないと思っているような表情をした。
「飛行の魔術具は魔力が切れたら落ちるだけです。構造さえしっかりしていたら水に浮かび続ける船とは違いますからね。開発者は軍事転用を認めませんよ」
ベンさんは大陸横断ができる飛竜の魔術具や魔法の絨毯の管理が徹底されていることを護衛たちに説明した。
「便利な魔術具は何だって軍事転用できるのだけど、それを極めると世界が狂いだすような気がしませんか?」
魔術具のほとんどが武器や防御に特化しているキリシア公国の護衛たちにはベンさんの言葉は響かなかったようで微妙な表情になったが、デザートの飴細工を披露した料理長は頷いた。
「軍事用品は演習にしか使わないのが一番ですよ」
武器を捨てろとは言わない料理長もまた武闘派のキリシア公国の国民だ。
「ガンガイル王国への短期留学の話が本格化したら申し込んでみたらどうですか?落下の恐怖心に負けずに飛行魔法の研究を続ける面白い研究員がいますよ」
帝国と敵対している状態ではノア先生よりオレールの方が紹介しやすい。
発想を転換させれば軍用品から便利な日用品になることはよくあることなので、国外で見聞を広めることを勧めた。
翌日は早朝礼拝の前に城下町の祠巡りを敢行しようとしたぼくたちは示し合わせたわけではないのに薄闇の中、中庭の山の神の祠に集合してしまった。
「お出かけなさるのでしたらご一緒いたします」
闇の中から騎士団員たちに声を掛けられたが、気配を感じていたぼくたちは、よろしくお願いします、と声を揃えた。
「置いていかないでください!」
マルコが走り込んでくると、姫様までか、と呟く声が聞こえた。
キリシア公国も一枚岩ではないのか、と思いつつも、マルコが実績を上げ過ぎたことを快く思わない人物が騎士団にいるのだろう。
早朝、というよりまだ深夜だが、ぼくたちだけで城下町に入っても大丈夫だと判断したのは、キュアが上空から町並みを覚えていたからで、騎士団員を撒こうとしたのではなくただ早朝から迷惑をかけたくなかっただけだ。
ぼくたちがしそうなことは予想されていたようで待ち構えていた多くの騎士団員たちが祠巡りについてきた。
キュアに頼らなくても総勢三十人近くの集団を面白がった精霊たちが案内役を買って出るように数体ふらりと出現した。
「お忍びというにはかなり目立っているのですが、いいのでしょうか?」
騎士団員の一人に尋ねられたが、お忍びではない、とぼくたちは即答した。
「ぼくたちがこの国に滞在するのは残り一日です。祠巡りに時間がかかってジョージ殿下と過ごす時間が少なくなるくらいなら、混雑する前に魔力奉納を終わらせてしまえばいいだけです。何も忍んでいませんよ」
キャロルの言葉にぼくたちは頷いた。
「ぼくとジョージ殿下は予定では一年ほど帝国留学の時期が重なるかもしれませんが、まだ安定していない世界の状況では絶対的なことではありません。この出会いを大切にしたいので、そのために全力を尽くすことは苦になりません」
薄闇の中きりりとしたキャロルの笑顔を照らすのはキャロルのスライムで、ぼくたちが行くべき道を精霊たちが照らしている。
「ジョージ殿下の気持ちを慮りながらこの国の結界を強化する手伝いをしてくださる皆様に感謝申し上げます!」
高潔なキャロルの言葉は騎士団員たちの護衛魂に火をつけてしまったが、精霊たちが案内する都市型瘴気が湧く気配が全くない平穏な城下町では騎士団員たちの出番があるはずもなく、ぼくたちはこの美しい城下町を順調に駆け抜けた。
東の山の稜線が曙色に染まるころには教会前の祭壇の魔力奉納を終えて城に戻ってきた。
「さあ!朝風呂に行きましょう!」
ぼくたちのハイペースな祠巡りについてきた騎士団員たちは、聞きしに勝るスタミナだ、と呟いた。
裏庭に向かう最中に城が目覚めたように使用人たちが慌ただしく働く気配がした。
ぼくたちは騎士団員たちを引き連れて温泉に直行すると、キャロルとミロがマルコと女湯に消えていったことに衝撃を受ける騎士団員たちが数名いた。
「兄様たちは祠巡りを済ませたのですね」
ぼくたちが城下町に下りる様子を見るのを楽しみにしていたジョージが頬を膨らませていたが、日の出を告げる鐘が鳴る城下町の美しさを見るとジョージの頬がぐっと上がった。
「今日一日殿下と過ごす時間を確保するためですよ」
「昨日、飛竜便の運航が決まったということは本日早々にも第一便の運航が行なわれそうな予感がするのです」
キャロルとケインの言葉にジョージは満面の笑みになった。
「ぼくも張り切って一日の日課を早めに終わらせます!」
元気に宣言したジョージは客室棟に移動して朝食を食べる際もお喋りをしないで手早く食べた。
食べやすいお握りだったことは上級精霊の気遣いに違いない。
ジョージがいない間に中庭で両陛下とエイダ殿下に魔法の絨毯を披露した。
国王陛下の護衛を乗せた魔法の絨毯を国王陛下の鷹が平行に飛行している。
「なるほど。飛竜のような強力な護衛がないと地上から集中攻撃を受けてしまえば墜落しかねないが、高高度を飛行すると地上からの攻撃が届かない。離着陸が一番狙われやすいということか」
ぼくのスライムが操縦する魔法の絨毯を地上から見上げた国王陛下の感想が真っ先に軍事転用だったことにマルコは眉を顰めた。
「お父様。馬車の渋滞の影響を受けないことや、道なき場所でも移動できることが飛行の魔術具の利点です。帝国魔法学校でも飛行魔法学がこの一年でとても発展しましたが、まだ一人乗りの飛行機が開発されているだけです」
「まあ、それでしたら撃墜せずに捕獲したいですね」
常に攻め込まれることを念頭に置かねばいけない発想が妃殿下にもあるようで警戒と同時に探求心を満たす発言をした。
「現段階では墜落時の安全が確保できる滑空場付近でしか実験していませんが、いずれ実用化されるでしょう」
「実用化される頃には廃れているような発明をしたいものですね」
ウィルが飛行魔法学の現状を説明すると、ぼくはボソッと願望を口にした。
何の話だ!と居合わせた全員がぼくを凝視した。
「いえ、飛ぶのが当たり前の魔法があれば危険と隣り合わせの飛行の魔術具は廃れるでしょう?」
それはそうだ、と頷く人たちと、できるわけない、と口にする人たちに反応が別れた。
「……飛行石」
ケインがそう呟くと、ガンガイル王国留学生一行は頷いた。
飛行石?と首を傾げる両陛下に、ベンさんは笑顔で説明した。
「ガンガイル王国の魔法学校生たちは伝説の浮島が教会島だったのではないか、と仮説を立てています。浮島との交通手段は浮き上がる石に乗って移動しただろう、ということで大聖堂島が浮かぶ湖の底の探索を希望しているのです」
ああ!と国王陛下は額をペシンと叩いた。
「ガンガイル王国国王陛下から教皇猊下への親書を託された、ということは君たちは大聖堂島に行けるのだな!」
ぼくたちが頷くと国王陛下は目を見開き視線をマルコに向けると目を細めた。
「国王の立場としては湖の探索に協力して何らかの情報を得てくれ、と言うところだが、一人の親として言わせてくれ……無茶をするのではないよ」
「はい。心得ております。国に貢献するために研究することと自らの命を粗末に扱うことは別です。必ず笑顔で帰ることを国王陛下に約束いたします」
マルコの返答に両陛下は成長の喜びをかみしめるようにゆっくりと頷いた。
「ああ、ぼくのお勉強が終わるまで待っていてくれなかったのですか!」
中庭に身体強化をかけずに全力疾走してきたジョージは魔法の絨毯のお披露目に居合わせなかったことを嘆いた。
「王族が乗っても大丈夫なものだと先にお披露目してくださったのですよ。状況を把握する前に物事を判断してはいけませんよ」
エイダ殿下の言葉に、恥ずかしそうに俯いたジョージは、はい、と答えた。
ジョージがちらりと視線を向けた先にはキャロルがいる。
年上の美少女に憧れるお年頃なのだろう。
ジョージが見に来たことで張り切ったぼくのスライムは国王陛下の護衛たちを乗せた魔法の絨毯をダッチロールさせた。
おおお、とジョージだけでなく両陛下とエイダ殿下も声を上げると、調子に乗ったぼくのスライムは宙返りを披露した。
「危ない飛行に見えますが、万が一のための訓練です。乗り手には相当な負荷がかかるので、貴人を乗せて行うことはしません」
ウィルの説明に相当な負荷を体験したかったのか、国王陛下はがっかりした。
いい大人が、一国の国王が、無茶なことをするところを子どもたちに見せるのか!と視線だけでエイダ殿下は国王陛下に伝えた。
マルコとジョージは大人らしい対応を国王陛下から学ぶのだから一生に一度かもしれない魔法の絨毯への搭乗に無茶な要求をしないようにガッツリと釘を刺された。
地上に降り立った魔法の絨毯から降りた護衛騎士は、急旋回や急降下時の搭乗者への負担から最前線向きの乗り物ではない、と後方支援にしか軍用には向かないと国王陛下に奏上した。
それから、国王陛下やエイダ殿下やジョージが交代で魔法の絨毯に搭乗し、通常なら快適に飛行できることを体験した。
それでも、中庭内を飛行するだけなので離着陸時にどうしても急上昇と急降下を体験することになり胃が持ち上がる感覚に、ダッチロールや曲芸飛行がどれほど不快かを想像することができたようだった。
午後から飛竜便が中庭に到着すると垂直に急降下する大型の飛竜の魔術具に人間が搭乗できないことをジョージさえ理解した。
関係者が見守る中、城の上空にきらりと光る粒のように見えた飛竜の魔術具は城の塔の付近まで急降下すると速度を落としゆっくりと着陸した。
「人間が搭乗しないことでこの速さで飛行できるのか」
「収納の魔術具に入れて運搬しているとはいえ商品が衝撃を受ける可能性があるので貴重品の運搬には向きません」
商会の人たちは急遽中庭に呼び出された輸出入検査官たちに飛竜便で運べる限界を説明した。
今回の特別便ではガンガイル王国から祠巡りの衣装用の生地と鰹節等の日持ちのする海産物と魔獣カードの基礎デッキなどの玩具が運ばれ、キリシア公国からは特製の非常食とこの地域のみに繁殖している貴重な植物の種子を運搬することになっている。
「検品を徹底することで密輸を排除することが大切です。直輸入品を扱うにはそれ相応の信頼関係がなくてはいけません」
良好な関係を維持するためにはきちんと検査をするべきだ、と商会の代表者が熱弁するとキリシア公国の官僚たちも頷いた。




