奇跡の夜
子ども部屋にたどり着く前に、マナさんに止められた。
「カイル。お前さん、……壮大なことを、しでかした」
マナさんが真顔で、体を小刻みに震わせている。
今日はそこまで寒くない。
さっきの魔力の流れに感動しているのだろう。
あれはカッコよかった。
ぼくのせいじゃないはずだ。あんなに大きな魔力の流れを、ぼくが引き起こすなんて、どだい無理なことだ。
「な、なにをしでかしたんでしょうか?」
マナさんは一枚の紙を取り出すと、震える手が落ち着くのを待ってから、指先から魔力を出して魔方陣を描き上げた。
「いま、新しい神が誕生した。お前の祈りに精霊たちが応え、七大神が認めた」
はぁ?
アタラシイカミ?
新しい神!
……なんだか物凄いことになっている。
「発酵の神が誕生した。これはその神様の魔方陣じゃ。祭壇に祀るとよい」
ぼくはなんだかわからないけど、両手を掲げて恭しく受け取った。
発酵の神様が誕生したんですね。
……もう、深く考えるのはよそう。
難しいことは明日聞こう。
頂いた魔方陣の上にお米をおいて、祭壇の真ん中に祀った。
新たに誕生した発酵の神様。ぼくに麹を下さい。
お願いします。
黒い兄貴も茫然としている。
こんな事態、わかるわけないよな。
ぼくはそのまま寝ることにした。
みぃちゃんとスライムがピッタリ寄り添ってくれる。
いまはこの体温がありがたかった。
父さんの寝室の窓を鳩が激しく突いている。
大人って大変だな。
居間で大人たちが何やら相談している。
マナさんの説明に、父さんが頭を抱えた。
あれ?
ぼくは寝ているはずなのに、居間の様子がなんでわかるんだ?
街中が大騒ぎになっている。
街中の石畳の照明がとても明るく光っているので、家の中から人が出てきたのだ。
点滅していないから、魔獣の襲来ではないのだが、今までにない光量に人々がざわついている。
石畳の明かりは、上空から見ると夜間の空港の滑走路のように、街を縦断して真っ直ぐ伸びている。
この町を守る結界の魔力が十二分に満ちていて、街が輝いている。
かつてはこのようなことが、あたりまえだったのだ。
守りの結界とは十二分に魔力を満たし、その先の結界まで満たすことで、各都市間の街道は安全となっていたのだ。
ああ、上級精霊だ。
昔は各都市の結界の魔力が沢山あったから、それが街道まで薄く伸びていて、魔獣を気にすることなく、安全に旅ができたのか。
気がついた時は、真っ白な亜空間にいた。
茶会の用意ができている。
ぼくが席に着くと、向かいの席には上級精霊がすでにいた。
「前回の神の誕生は、この国の歴史より遥か昔の事だった」
神様って増えるものなんだ。
「お前が精霊について学ぶのは、もっと成長してからの方が良いと考えていたのだが、神々はせっかちだったようだ」
精霊たちも相当せっかちだと思うけど、神々はそれ以上にせっかちだということか。
「神様たちはどうしたんですか?」
「カイル、お前は神様によく祈るだろ。神々がそれに応えたがっただけだ。料理の神と酒の神が牽制しあって、土の女神が裁定して、いくつかの上級精霊が集結して新しい神の誕生となった」
アタラシイ カミサマハ ジョウキュウセイレイノ シュウゴウタイ……?
あまりの新事実に脳が理解を拒否している。
「精霊はそもそも精霊素の集合体だ。上級精霊が神に昇格することはままあるが、神になるまでの年月は途方もなく長い。今回は結論ありきで神への昇格だったので、通常は牽制しあう神候補の上級精霊が集結して結合した。滅多にないことだね」
うわぁぁぁ。
なんてことになったんだ!
「ぼっぼぼ、ぼくの祈りなんてささやかなものでしょう。はっはっは、発酵に携わるお仕事をしている人間はたくさんいます。っそそそ、その人たちの願いの集結が、ああああ新しい神様の誕生を促したんですよね?」
お酒やチーズ、食べ物以外でも堆肥まで含めたら、生活のために発酵を利用している人たちは多いはずだ。
断じてぼくの仕業ではない。
「そういう願いがあったから、上級精霊に候補がおったのだ。まあ、神々からも、お前が面白いと思われておるのだろう。光栄なことだぞ」
神々の覚えめでたいって……、有難すぎるだろ。
「ぐっ具体的にはどのような、ご興味があるのでしょうか?」
「酒の神が『日本酒』を待っておる。料理の神は『みたらし団子』だ」
うわぁ。またピンポイントに注文してきたな。
日本酒も、醤油も発酵してから時間がかかる……。
だから、発酵の神様なのか。
「すぐに出来るかはわかりませんが、起きたら早速取り掛かります。醤油も大事ですが、味噌も試します。味噌の上澄みは醤油の代用になるからです」
味噌づくりの許可はしっかりとらないと。
指定されていないものを作り始めて、天罰とかあったら、堪らない。
「まあ、お前の好みのものを作る事には、問題ないぞ。酒の神が、お前は子どもだから酒造りは後回しにされそうで指定しただけだ。料理の神は団子なら何でもいいそうだ」
助かった。酒造りは大人に任せよう。
「大人への説明は、発酵を願う全ての人々の願いに神々が応えた、ということで、宜しいでしょうか」
新しい神様の誕生を説明するにしては、大雑把すぎかな。
「ふむ。間違ってはおらぬ。お前のささやかな願いを聞き入れてという方が、小さい子どもらしくてかわいいだろ」
いやいやいやいや、そんなささやかな願いで新しい神様は誕生しないよ。
人々の願いの結晶だよ。
「願いの総量が違い過ぎます」
「あはははははは。お前のそういうところが、とても好ましい。亜空間への招待は、お前の召喚に応じるのとは別件だ。お前がどんな用件で召喚するのか、楽しみにしているぞ」
生涯、召喚せずに済むのが、ぼくの希望だ。
安穏と、美味しいものを食べて暮らしていくのがぼくの野望だ。
一般市民に紛れて一般市民らしく生きて、一般市民として死んでやる。
「もうすでに、お前の周りは貴族だらけではないか。緑の一族にでもなるか?」
緑の一族は嫌いではない。
「まだ、その選択肢は選びたくないです」
将来のことはわからない。
王都の学校に進学したら、一般市民の暮らしがぼくの想像と違えば、失望してしまうこともないとは言えない。
山間部でスローライフなんて言うのも魅力的ではある。
マナさんが生きる気力を取り戻したから、跡取りを急いでいない。
一度村にお邪魔してもいいかなと、思えるようにはなった。
「ふふ。まあ良い。私は緑の一族に肩入れしているわけではない。お前が人生を楽しむ様子を見ているだけだ。また、何かあったら、呼んでやる」
なにか理解しがたいことが起こっても、見知った上級精霊に説明してもらえるなら、有難い。
「わかりました。よろしくお願いいたしま…」
帰宅までの速さは、相変わらずだった。
自分のベッドは一番落ち着く場所だね。
ぼくは外の喧騒など気にすることなく、ぐっすり眠ってしまった。
そのころ、世界中の教会では、聖典が神々しい輝きに満ちて、新たな項目が突如出現した。伝説の聖典の改定が起こったのだ。
世界の理を司る天地創造の神が、人々に福音を齎す聖典は、稀に内容の変更が起こると言われている。
前回の改定は千年以上も前とされているが、その後の世界が非常に混乱した故に、はっきりと特定されていない。
失われた情報に、後世の権力者による改竄、真実は歴史の中に埋もれてしまっている。
聖典が神の手によって書き換えられるなど、教会で語り継がれた作り物語だと思うものまで現れた。
だが、高位の司祭ならば知っている。かつて本当にあった事なのだ。
世界の理に破綻を齎そうとした神が、除籍され、その神の名は聖典から消えた。
その神の名を口にした人間は、跡形もなく消し炭にされてしまい、その名に使われていた文字を声に出して読むだけで、呪われた。簡単な死に方ではなく、苦しみ喘いで挙句なかなか死ねない、という熾烈なものだった。
その神の名は使用禁止の文字となり、結局、ほとんどの書物が焚書となった。
聖典改定はその時以来なのだ。
世界中の聖職者が文字を失う畏怖に慄いた。
光り輝く聖典は、自らそのページを開いた。
覚悟を決めた大司教が見たものは、新たな神の名前だった。
司祭たちは緊張から解放され、新たな神の誕生に大いに喜び、皆一晩中、祝詞を唱え続けた。
歴史に残る一晩となったのである。




