隣の芝生が青く見えるならばどうする?
何やら企んでいるような両陛下とエイダ殿下は、相談事がある、とクレメント氏を朝食の席に招待した。
ぼくたちはマルコとジョージと客室棟の朝食室に向かった。
温野菜サラダとみぃちゃんの絵姿を描いたホットケーキの朝食にジョージは大いに喜んだ。
ぼくのスライムの報告によると三つ子たちのお行儀指導も進んでいるようだから近いうちに様子を見に行きたいな。
みぃちゃんの顔にナイフを入れることを躊躇うジョージを微笑ましく見ていると、本物はこっちにいるからヨーグルトソースをかけて隠して食べてしまいましょう、とミロが助言をした。
末っ子なのに幼児の扱いに慣れているのは学習館や辺境伯寮で世話焼き役になることが多かったからだろう。
「三つ子たちに会いたくなるね」
ウィルの呟きに、そこは妹に会いたいと言うところでしょうに、とキャロルに突っ込まれるとウィルは笑って誤魔化した。
何か企んでいると訝しがるキャロルに、フライドポテトにカリカリのベーコンと蜂蜜ソースをからめたやつ美味しいよ、とカロリー爆弾の悪魔の食べ物をケインが勧めた。
「まだ、城下町は大騒ぎだろうから、今日はお城で温泉を掘る予定でしょう?このくらい食べても大丈夫だよ」
キリシア公国に向かう馬車の中で、親孝行として温泉を掘りたい、と言っていたマルコと一緒に理想の露天風呂を話し合っていたキャロルに、このくらい食べても今日は大丈夫だ、とケインが三つ子たちの話題から話を逸らせた。
そうか、あんなに美味しいものに目がなかったキャロお嬢様も食べ過ぎを気にするお年頃になってきたのか。
「裏の一角を好きにしてよい、と許可をいただきましたから後で、見に行きませんか?」
いいねぇ、と食後の予定を話し合うぼくたちに、おんせんってなあに?と話の内容がわからないジョージが首を傾げた。
「山の神と火の神と水の神の恵みたっぷりの体にいいお湯を使ったお風呂だよ」
ケインのざっくりとした説明に、なんだ、お風呂か、と興味をなくしたジョージはがっかりしたように言った。
「ジョージは朝のお勤めとお勉強があるから裏庭に来ない……」
「殿下は城下町の祠巡りを認めてもらうために、お勤めとお勉強を頑張るんですよね?」
姉から来るなと言われたらついていきたくなるのが弟という生き物であることを熟知しているキャロルがマルコの言葉を遮り、ジョージにやる気を出させる声掛けをした。
城下町の祠巡りというパワーワードに案の定引っ掛かったジョージはヨーグルトソースをかけても残していたみぃちゃんの顔が描かれたホットケーキにナイフを入れた。
朝食を終えたジョージとぼくたちはハイタッチをして別れ、裏庭に露天風呂を作る班と城下町に降りる班とに別れて行動することにした。
温泉班になったのは親孝行をしたいマルコとケインとキャロルとミロが主体となり、兄さんたちは見ていてくれ、とケインに強く言われた。
みているだけでは口を出したくなるぼくと兄貴とウィルとボリスは細部のお手伝いをすることになった。
力技で魔法の杖を振って源泉を掘り当てるぼくの手法と違い、ケインは魔術具で地層を探り、掘削用の魔術具まで用意していた。
「辺境伯領主様が領でも温泉に入りたいとおっしゃったから父さんが作った初期型を改良しただけだよ」
辺境伯領では農機具の魔術具の普及に伴いできた隙間時間に制作した小物を売りに領都にきた農民たちが、祠巡りの後に温泉で寛ぎ一泊して帰る、そんな小旅行が流行っているらしい。
人々と魔力が循環するいい流れになっているようだ。
ケイン自慢の掘削用魔術具は設置すれば自動で掘り進めるものだったので、マルコやキャロルは隣接する森の景観を生かした露天風呂の設計に張り切り、ケインは黙々と施工していった。
頑張る弟に負けじと兄の威信をかけて、ぼくたちは洗い場やシャワーなどの備品をせっせと制作した。
途中で合流したクレメント氏は、祠巡りの衣装用にラウンドール公爵領の生地を購入したいということだった、と両陛下とエイダ殿下に呼ばれた理由を説明した。
たたずまいがエイダ殿下にどことなく似てきたクレメント氏は何か個人的に秘密の取引をしたような気配がするが、深追いしないでおいた。
午前中の日課を急ぎで終わらせたジョージが合流する頃には温泉施設はあらかた出来上がっており、大浴場の真ん中に置かれた鯨の像に、海獣だ!と喜んだ。
大浴場に興奮するジョージに風呂でしてはいけない注意事項を教えると素直に話を聞いた。
「駄目だと言われることにはちゃんと理由があって、痛い思いをして学ぶよりどうしてそれが駄目なのかを考えるようにしなさい、と家庭教師に言われたんだ」
話を聞いて考えることを学んだジョージにちょうどよい機会だと考えたぼくは一つ質問をした。
「そうですね。それでは、むやみに魔法を使ってはいけない、と言われたことはありませんか?」
「あります。よく言われます」
癇癪で炎の魔法が出てしまうジョージは即答した。
「ぼくも小さいころよく言われました。だけど、その言葉は口にした人物によって違う意味を持っていたのです」
ぼくの言葉にケインやキャロルやミロが思い出したように笑った。
「そうですね。両親と武道の師匠は口を酸っぱくして同じことを言っていましたが、忠告の内容は全く違っていました」
「うーん。どちらも命にかかわることなのですから、同じと言えば同じですが、死に対する恐怖を体に刻み込むことができましたね」
キャロルとケインの言葉にジョージは首を傾げた。
「魔力枯渇による死の恐怖ですか?」
そうですね、と言いながら顔を見合わせたぼくたちは、あれはきつい修行だった、と笑った。
「どちらも結論としてはそうですが、武道の師匠は魔獣と対決して魔力枯渇を起こしたとしても、それでも生きのこるためには魔力を使わないで体が動けるようにしなければならない、と訓練時に一切の身体強化を禁止する時間があったのです」
それはえげつない、とジョージの護衛二人が小声で言った。
「魔力が使えなくなる状況なら目の当たりにしましたよ」
何でもないことのようにサラッと言ったマルコの発言に、で、で、で殿下!とジョージの護衛二人は仰天した。
「卒業記念パーティーでぼくたちを狙った実行犯たちが皇帝陛下に魔力を奪われていましたね」
「あの状態で意識混濁さえ避けられたら、弱った状態で警備員を油断させて、バルコニーまで出られたら使役魔獣の手を借りて逃走することは可能だと考えられますね」
「そうですね。庭の結界は魔力の低い使用人も出入りできるように護りの結界が緩かったね」
凶器の侵入経路が万が一の逃走の手段に利用できる、とボリスとウィルとぼくの解説に二人の護衛が口をパクパクさせた。
「ジョージ。実はこの城でもそうなのだけど、完全に部外者を排除しないために護りの結界が緩いところがあるの。そして、一部の上級魔術師は体感で弱点を見つけることができてしまう。城の中でも護衛をまかないでちょうだいね」
事の重大さに気付いたジョージは頷いた。
「まあ、素敵な浴場だと見に来たら、興味深いお話をしているのね」
エイダ殿下は、湯を張るまえしか男湯に入れないから完成前に見学に来た、と上品に微笑みながら言った。
「今なら女湯も見に行けるの!」
男湯の露天風呂の像が鯨だから女湯は何だろう?とジョージの興味が移ると、行って見ますか?とキャロルとミロがジョージを女湯の方に案内した。
「貴重な情報をありがとうございます」
エイダ殿下はぼくたちに頭を下げた。
「私たちはカテリーナを育てた経験から、ジョージの魔力使用を甘く見ているところがありました。男の子だからこのくらい身体強化でヤンチャをすることがあっても仕方ないと考えていましたが、カテリーナは日常生活に身体強化はしていませんでした。マリアは魔力を押さえるのが上手な手のかからない子でしたから、なおさら注意力が抜け落ちてしまったのでしょう」
自分は魔法を上手く使えない、と思い込んでいたマルコは魔力を押さえるのが上手と祖母に評価されたことが意外だったのかハッとした表情になった。
「私の夫がそうだったのですよ。カテリーナのように派手な紅蓮魔法を使いませんが、魔力量はカテリーナ以上にありました。だから、あなたが紅蓮魔法に覚醒しなくても落ち着きのあるあなたを評価する声はあるのです。ですが、やはり国を護る結界を維持するためには妊娠出産期間がある女王より国王を望む声の方が多いのが実情です」
そうですね、とぼくたちは相槌を入れた。
この世界の歴史上でも女王が統治した国家があったが女王が続くことはほとんどなかった。
「緑の一族の族長は女性ですが、入植地の村長は男性です。折衝ごとに男性が立ち会う方が話のまとまりが早いからだと聞きました」
「ええ、ですからジョージを王太子候補として推す声が多いので、どうしても活発な様子が可愛らしく見えてしまい甘やかしてしまいました。身体強化を使わせない指導を取り入れれば、城の祠への魔力奉納の回数を増やせる、と言えばあの子も納得しやすいでしょう」
エイダ殿下の言葉にマルコは頷いた。
「帝国でも皇子殿下たちの教育が甘いような気がしていました。何でも他人がやってくれることが当然だと考えているから、自分の権威をもってして言うことを聞かない奴らには公の場で嫌がらせをしてどっちが上位か見せつけてやる、という考えなのです。王太子候補を甘やかしてはいけません」
ため息交じりにマルコが言うとエイダ殿下も困ったように左頬を少しだけ上げた。
「足の引っ張り合いで国土を荒らしておきながら、派閥の数の勢いでメンツを保つやり方は帝国の長い歴史でも常套の方針です。現皇帝が派閥を無視して広く夫人たちを募ったのに、結局夫人たちで派閥を作ってしまったから伝統的な帝国らしい治世になってしまうのですよ」
ぼくは両親の仇である現皇帝をどうしても諸悪の根源と考えてしまいがちだが、帝国の在り方がこの世界の衰退を招いたのだ。
現皇帝は南方戦線に固執することが悪手なだけで、夫人たちが子どもたちを地元に送り込めば魔力的にも結界の補強にもなって荒廃を防ぐことができたはずだ、とエイダ殿下は考えていた時期があったようだ。
「人々の常識を覆すことが大変なのは、この一年の間にキリシア公国で祠巡りが流行しなかったことで実感しました」
他人事ではないと心配するマルコに、そもそも、条件が違う、とぼくは指摘した。
「土壌改良に魔術具が必要ないほど安定した土地ですからね。帝国でも祠巡りが定着した地域は、食糧備蓄が全くなく収穫高が増えなければ餓死する恐れもある、というくらいのひっ迫した地域からで、その後、隣の村の畑が青い、と羨んだ地域に波及していきました」
隣村の畑の表現にエイダ殿下はフフっと笑った。
「ええそうですね。隣の村が豊かなら襲ってしまえとなりかねないのが帝国です。我が国は森の地形を生かして強力な結界を張っていますから独立国家でいられましたが、少しでも陰りを見せるとすぐに攻め入る準備をされてしまいます。紅蓮魔法は祖先が威嚇のために編み出した魔法ですのよ」
体に火竜を纏う大将がいれば味方の士気が上がり敵を萎えさせる、ということだろう。
「私たちはたった一日交流を持っただけでたくさん学ぶことができました。それで、両陛下から正式にご提案があるでしょうが、友好親善国同士で次世代を担う子どもたちを四、五日程度、短期留学をさせてみるのはどうかと考えているのです」
それはいいですね、とぼくたちが喜ぶと、時期尚早です!とマルコは真顔で言った。
「温泉大浴場はできましたが、まだトイレの問題があります!ガンガイル王国と生活文化の差がありすぎてお恥ずかしいです!」
マルコはエイダ殿下の手を引いて客室棟の中庭に駐車してある馬車のトイレを披露した。
トイレを使用したエイダ殿下は興奮に頬を染めて、これはまるで別世界のトイレですわ!と核心をついた発言をした。




