マルコの危機感
騒がせてしまった使用人たちに謝りに行くのは忙しい今じゃない方がいいということになり、ぼくたちはマルコの弟に、魔獣カードを使って、これは本物の魔獣たちの魔法を魔法陣で真似ているだけだ、と魔法陣を介する魔法の説明をした。
「それじゃあ、ぼくが使っている魔法は魔獣たちみたいに本能で炎を出しているだけでまだ本当の魔法を使っていないのですね?」
ハハハと笑いながら、それも本当の魔法だけど、大人たちが使う魔法とは違うだけだ、とぼくたちは教えた。
「魔法学校に入学して神々に誓約を立てるまで魔法陣の勉強はできないから、魔法を使用するな、としか教えられないからね」
マルコが弟に言い聞かせると、何でも願えば魔法として使える、と思い込んでいたマルコの弟は恥ずかしそうに笑った。
「姿を消す魔法はできないのですか?」
「姿を消すことができる魔法陣を開発しても、姿を消すことだけに精一杯になってしまい他の魔法が使えないから、現実的には魔術具を作製して両手を空けておく方がいいだろうね」
ウィルの説明にケインは首を傾げた。
「それも実用的ではないでしょうね。姿を消しても自分の魔力の気配を完全に消さなければ、能力の高い人物にはあっさりと見つかってしまうでしょう。ドアを開ける音を消してもドアが開くことを目視できるように存在そのものを消すのは難しいでしょうね」
気配だけでバレてしまうということをいまいち理解できないようで首を傾げるマルコの弟にみぃちゃんのスライムが椅子の陰から軽い威圧を出した。
「ああ!その椅子の上に誰かいる!」
マルコの弟の言葉にみぃちゃんのスライムがぴょんとテーブルの上に飛び出した。
見えなくてもスライムがいたことがわかった興奮にマルコの弟のほっぺたが丸く上がった。
「そうですね。殿下はまず、自分の身の回りで守ってくれている人たちの気配を覚えましょう。そうすればどれだけ多くの人たちがご自身の周りで働いていてくれるかわかりますよ」
冒険より先に自分が守られていることを知るべきだ、とウィルが諭すと、マルコは目を細めて申し訳なさそうに頷いた。
「帝都の魔法学校では身の回りのことを自分でしなければいけません。帝都の屋敷ではもちろん洗濯も食事の支度もお掃除も使用人たちがやってくれますが、実習先では自分でしなければなりません。赤ん坊のように何もできないのでは遠くの実習に参加する許可を両陛下はなさらないでしょうね」
マルコの言葉にマルコの弟は項垂れた。
「あのね、ジョージ。魔力量が多くて、お勉強ができるのは国を代表する留学生たちなら当然のことであって、生活力がないとみっともないし、常識の差を理解しなければ非常識な行いを知らず知らずやってしまう残念な生徒になってしまうんだよ」
お説教になると察したジョージと呼ばれたマルコの弟は姉の揚げ足を取った。
「帝国の常識ではお姫様は王子様になってしまうの?」
まだ姉しか男装していないと思っているジョージの口ぶりにキャロルとミロはフフと笑った。
「旅の途中で誘拐を避けるために男装していたけれど、魔法学校では女子生徒として通っていたよ。帝国の常識では高位貴族の娘は冒険者にならないので、今、男装しているのにはちゃんと理由があるんだよ」
冒険者という言葉にジョージの顔が輝いた。
「冒険者登録をしてもぼくは護衛のエンリコと共に行動しているんだよ。ぼくたちは国の次世代を担う人材だからこそ大切に育てられているんだと自覚して、何かをするときには護衛に相談しなさい」
帝国を縦断して叔母に支援を頼みに行く無謀な行動に出たマルコは自分の護衛と付添人と示し合わせて行動に移した。
ジョージの護衛の青年たちは、相談されたら善処いたします、と頷いた。
「六歳児らしい挑戦をするのなら、魔力奉納が一番ですよ。殿下と同い年のぼくの兄弟たちは魔力奉納でのポイントの数値を競っていますが、領主のお孫さんはポイントがつきませんが城での魔力奉納ができるので回数が多いことを誇りにしていらっしゃいますよ」
ぼくが不死鳥の貴公子の様子を漏らすとマルコはハッとしたように手を叩いた。
「洗礼式前からガンガイル王国の公子殿下は祠巡りで自己研鑽されているなんて素晴らしいですね。不死鳥の貴公子の異名にふさわしい行いです。ジョージ、彼はあなたと同い年なんだよ!」
不死鳥の貴公子というパワーワードにジョージは口を半開きにして顎を引いた。
レースのカーテンの隙間から見た不死鳥の魔獣カードの圧倒的なエフェクトに想像の翼を羽ばたかせた表情をしている。
そんな御大層な存在ではなく、領主である祖父によって不死鳥を大空に象った誕生祝いをされたことで得た異名なだけであって、本人はその異名を重たく感じているようだと三つ子たちは言っていた。
「うちの弟は不死鳥の貴公子と言えるほどの人柄が備わっていないですよ」
キャロルの言葉にキャロルが公子だと気付いたジョージは、失礼いたしました、と姿勢を正した。
「御大層な異名は殿下も他人事ではないのですよ。紅蓮魔法の使い手の姪という重圧の中、帝国に留学し、競技会決勝戦の大舞台で覚醒し、その後、一度も紅蓮魔法を暴走させていないマリア姫の弟殿下として注目される立場にいるのですよ」
ウィルの厳しめの指摘にジョージはマルコに尊敬の眼差しを向けた後、自分の両手を見た。
紅蓮魔法の使い手としての兆しがあったことでちやほやされていたが、いつの間にか出来損ないと言われていた姉が使いこなしていたことに、自分の思い上がりを知ったようだ。
「ぼくの出身領地はキリシア公国の三倍の面積で、穀倉地としても優秀な土地なので収穫高だけでいえばキリシア公国の五倍の麦を収穫しています」
メモパッドに大まかな世界地図を描いてキリシア公国とガンガイル王国の面積の差を描いたウィルは、さらにラウンドール公爵領を描きこむと両地域の穀物収穫量を比にした図を描いてジョージに説明した。
「キリシア公国とは世界から見たらぼくの爪より小さい国なのか……」
落胆するジョージに、ここは神々に愛された土地です、とウィルが言うと、新緑に満ちた森を見たぼくたちは頷いた。
「国土面積と収穫量を比べてキリシア公国が少なく見えるのは、キリシア公国が山岳地帯にあるから段々畑が多いせいですよ」
「ラウンドール公爵領も大きな火山がありますが、風向きの加減で火山灰は帝国側に流れているので、日照時間が確保されているし、土壌の質も良いので穀倉地帯として古くから栄えていますね」
ウィルとケインが地理の話を始めると、殿下にはまだ早いです、と言いかけた護衛二人をマルコが制した。
「為政者の子として世界を学ぶことは早いに越したことはありません。ガンガイル王国の豊かさを学べるいい機会なのです」
真剣な口調のマルコにジョージはただ圧倒されたように頷いた。
「世界は信じられない速度で荒廃に向かっていたの。蝗害の被災地ではないところでも破滅に向かっているとしかと思えないほどの荒廃だったのよ。私たちは本国が豊かだから飛蝗の被害が目前に来るまで不作が続く帝国を対岸の火事としか見ていなかった。ジョージ。私たちの小さな世界の平穏は、周辺地域が平穏じゃなければ大変なことになってしまうの」
蝗害の被害を伝聞でしか聞いていなかったジョージの護衛たちがゴクンとつばを飲み込んだ様子に、ただ事ではないということが幼いジョージにも伝わったようで青くなった。
「帝国批判をするつもりではないけれど、魔力量が多いだけでは世継ぎになってはいけないし、かといって世継ぎの魔力量が少ないのは問題外なの。魔力量が多いというのは国の上に立つのなら当たり前の要素でしかないんだよ」
帝国でボンクラ皇子たちを目の当たりにしたマルコは血筋だけではなく育ちの問題だと痛感したようで、年齢より幼い弟を本気で心配していた。
「殿下がこんなに守られた生活をしているのは、将来この国のために命を捧げることを求められているからで、マルコは王族の義務として危険な旅に出るために男装したのです。まあ、だからと言って殿下が今すぐこの国のために命を差し出す必要はないのです」
「それは……父様と母様と姉様が守ってくれているからだ」
ジョージはただの我儘な王子ではなく、守られているからゆえの安心感から我儘を押し通していただけだったようで、ぼくの話の意図を理解していた。
「時代が激変しても、子どもにできることなんてなにもない、ともどかしく感じても、できることをできるだけ精一杯やるだけで世界を変えられるのですよ。マルコ、お城の護りの神様の祠に魔力奉納をさせてもらってもいいかな?」
「是非、お願いいたします!皆さんの魔力をキリシア公国の祠に奉納していただけるなんて感激です!」
大喜びする姉の様子に、ただの魔力奉納でしょう?とジョージは右の眉毛を上げて訝しがった。
「ジョージ。豊かな国土にするためには土地に魔力が満ちていることと、創意工夫を凝らすことが必要なんだよ。あなたがもう少し聞き分けがよかったら、城下町の祠巡りにも連れていけるのに、部屋の窓から抜け出しているようでは、とても城外へ連れだせないよ」
マルコの言葉に頷く護衛たちを見て、城下町にでられる機会を自分から不意にしていたことを理解したジョージは涙目になった。
「信頼はね、簡単には得られないものですよ。でも、殿下が心を入れ替えて熱心に魔力奉納をしたら、きっと両陛下も認めてくださいますよ」
ぼくが膝をついてジョージと目線を合わせてそう言うと、涙を拭いて、はい、と押し殺したような声で答えた。
可愛い。
みぃちゃんとみゃぁちゃんがジョージの両側から、簡単に認められないからと言って不貞腐れたら駄目だよ、と念を押した。
「中庭に行きましょう。みんなで魔力奉納をするとビックリすることが起こるかもしれないんだよ」
マルコがジョージに手を差し出すと、ビックリすること?と言いながらジョージは嬉しそうに頬を緩めてマルコの手を取った。
「そうね。来てくれるかどうかはわからないけれど、あなたが心を入れ替えてくれるなら、面白がって現れてくれるかもしれないね」
マルコの意味深長な言い方にジョージは首を傾げたが、そうだね、と言いながらぼくたちは笑った。
精霊たちが出現しなかったらジョージにカエルの歌でも歌ってもらおう。
ジョージと魔獣たちを連れてぼくたちが中庭に行くと客室棟と王家の居住区の間に山の神の祠があった。
「ぼくは毎日お城の礼拝所で魔力奉納をしているけれど、ここの祠は週に一回しか魔力奉納をしていなかった」
スズランが咲く花壇の脇にある祠の前でジョージが言うと、マルコは小さくため息をついた。
「そうね。ジョージは体が小さいから無理をさせないために両陛下が気遣ってくださっていたんだよ。まあ、癇癪で魔力を消費しているせいもあったんだけどね」
「最近はもう勝手に炎が出なくなったもん」
胸を張ったジョージにマルコは笑いながら、それではたくさん魔力奉納をしなさい、と促した。
みぃちゃんとみゃぁちゃんと一緒に祠に入ったジョージは二匹の猫がムクムクと大きくなって一緒に魔力奉納をするために猫の手を差し出すとキャーと喜びの声を上げた。
ミロの猫はミロの腕の中で、あいつら精霊を呼ぶ気で小芝居をしている、と精霊言語で突っ込んだ。
幼児と同じ大きさになった二匹の魔猫が祠の中でぎゅうぎゅうになって魔力奉納をする様子に面白がった精霊たちが数体姿を現した。
大きくなった猫に大喜びしていたジョージが魔力奉納を済ませて祠から出ると、色とりどりに輝く精霊たちを見つめてポカンと口を開けた。
「ねえ、綺麗でしょう?これが精霊たちよ。いつもは見えないけれど楽しいことが起こる時に姿を現すの……」
マルコがジョージに精霊たちの説明をしている間にぼくたちも順番に魔力奉納をした。
キャロルとウィルとぼくが魔力奉納を終えた時にはいつもより多くの魔力が祠に奉納されたことを喜んだ精霊たちが中庭にたくさん集まっていた。
マルコがジョージにカエルの歌を教えて、ぼくたちが輪唱を始めると、歌に合わせて精霊たちが点滅した。
使用人たちが呆けたように窓から顔を出してその様子を見ていた。
「ねえ、ジョージ。ガンガイル王国ではこうやって楽しいことがあるたびに精霊たちが出現して国民に祝福をもたらすらしいよ」
「ガンガイル王国が豊かなのは国民が幸せで楽しく暮らしているから、精霊たちのご加護があるのかな?」
精霊たちに照らされて笑顔に色がついたジョージを見て笑いながらキャロルが言った。
「国民を幸せにすることがぼくたち王族の、いえ、貴族の責任なのですよ」
傅かれる立場の責任を感じたジョージは、はい、と頷くと、精霊たちは応援するようにジョージの周りを飛び回った。
自室からの脱出の際ジョージが窓から落ちなかったのは、ジョージを気に入っている精霊たちが蔦を強化したのだろうか。
兄貴と犬型のシロを見遣ると頷いた。
ジョージは可愛いからつい甘やかしたくなるのはわかるけど、精霊たちの干渉はジョージの幼児性万能感を強化していただけのような気がするよ。




