誰にも見えなくなる魔法
国王の鷹に先導された三台の馬車はまるで凱旋パレードのように歓迎する市民たちの表情が見えるくらいゆっくりと市中を走り抜けて王城に到着した。
ここでもずらりと使用人たちが並んで出迎えてくれる中、マルコに駆け寄って抱きついた高齢の女性が長年マルコに付き添った教育係の一人だったのだろうと想像したキャロルとミロは目頭を拭った。
「両陛下への謁見の前に皆様を客室にご案内させていただきます」
案内係の職員の言葉にマルコの表情がこわばった。
「客室棟は王家の居住地と別棟になるからぼくが案内いたします」
そこからはマルコが城内を案内して国政が動く王宮執務棟や儀式やパーティーに使われる棟や来賓を迎える迎賓館の役目がある棟に案内すると、ここがぼくたちの宿泊するゲストハウスになっている、と説明した。
「あの、立派な城だとぼくも誇りに思っていますが、トイレとお風呂が貧相なため、お恥ずかしい限りなので、中庭に三台の馬車を搬入することを提案いたします」
申し訳なさそうに言うマルコに、ガンガイル王国の環境が整ったのもここ数年だよ、とウィルが言うと留学生一行は頷いた。
「外国のバスルームについては留学前の栞で学習済みです。そんな事より、大事な打ち合わせがあります。この後、親睦会という名目で晩餐会になるでしょうけれど、ぼくとミロはこのまま男装で両陛下と謁見するつもりです」
「留学の旅の途中に立ち寄ったどの地域とも差を出さないためにも、また、マルコが昨年男装のままガンガイル王国留学生一行と旅を共にした様子を理解していただくためにも、このままの状態をご覧になっていただく方がいいかと考えました」
キャロルとミロの言葉にエンリコさんも頷いた。
「そうですね。ぼくも帝都への旅路で両親に心配をかけたからこそ、マルコとしてこの短い帰郷を過ごしたいですね」
男装の三人はキリシア公国に滞在中も男装のままで通そうと約束しあったが、案内された部屋は男子と女子で二階と三階に分けられていた。
真夜中に猫たちが行き来することを客室棟の従業員たちに相談すると、魔獣たちは自由に歩き回っても問題ない、と満面の笑みで歓迎してくれた。
城内の従業員たちはマルコの手紙で賢い魔獣たちの話を聞いており、会えるのを楽しみにしていたらしい。
「姫様が今年も旅に出ると手紙でお知らせしてくださったときから、城内ではひょっとしたら一時帰国なさるかもしれない、と準備しておりました」
いきなり立ち寄ったのに全員の個室が用意されていたのは事前に予測して準備していてくれたからだったのか。
ぼくたちの案内を終えたマルコは王家の居住区に一年ぶりに足を運ぶことに緊張した面持ちで両手をぎゅっと握りしめた。
「マルコが叱られる以上の功績をあげたことは出迎えてくれた国民たちが示しているじゃないか」
両親に叱られに行く子どものような表情をするマルコに声を掛けると、照れたように微笑んだ。
「子どもは叱られて成長するのです」
叱られ慣れているかのようなキャロルの言葉にぼくたちは頷いた。
「両陛下はきっと待ちわびているはずだから、はやく元気な顔を見せてあげたほうがいいよ」
ぼくがマルコの背中を優しく押して廊下の先に進むように促すと、青春って感じでいいね、とぼくのスライムから精霊言語での感想が脳内に響いた。
青春も何も、ぼくたちはカップルじゃないよ。
マルコはぼくの肩の上にいるぼくのスライムを見て笑うと、行ってきます、と渡り廊下を歩き出した。
何だか、いずれマルコも精霊言語を取得しそうな気がした。
一人部屋を用意されていたのにぼくたちは個室で寛ぐより談話室に集まってしまい、手持無沙汰なときに恒例となっている魔獣カードで遊んでいた。
三階のキャロルとミロも手荷物の整理を終えて二階の談話室にやってきた。
廊下では慌ただしく追加のアメニティやみゃぁちゃんのベッドを運ぶ従業員たちが行き来していた。
「あの。大変申し訳ございませんが、ガンガイル王国王立騎士団元第三師団長にして、元辺境伯領騎士団食堂筆頭助手にして、世界中の食材を集め隊隊長にして、食文化研究所所属、ガンガイル王国帝国留学生先発隊筆頭隊護衛及び総料理長にして帝都の人気レストランのオーナーシェフであるベンジャミン様のお力をお借りしたいのですが」
ベンさんの肩書を間違えずに言った調理服の男性が、マルコが持ち込んだ新食材の調理法の相談に来た。
蜂の子を生薬としてではなく食材として厨房に入れたということは鳥肉のオイスターソース炒めの正体をマルコも気付いていたのだろうか。
「厨房にお邪魔してもかまわないかな?」
「ご教授いただけるのなら大変助かります」
調理服の男性は王城のコック長で、マリアの手紙から想像もつかない料理の話を聞いており、ベンさんに会えるのを楽しみにしていたらしく、旅の疲れがあるでしょうに、と言いながらも満面の笑みでベンさんを厨房に連れて行ってしまった。
入れ替わるように若い警備服の二人の青年が談話室に入ってきた。
「失礼いたします。料理長の他に誰かこの部屋に立ち寄られましたか?」
ぼくたちは人差し指を唇に当てて、ベランダの横の膨らんだカーテンを指さした。
二人の青年は声を出さずに、ああ、と口を動かすとゆっくりと膨らんだカーテンの左右に移動した。
「人の出入りはそれなりにありますよ。さっきもお茶を用意してくださった方がいらっしゃいました」
「リネンを運ぶワゴンがこの部屋の前を通りましたね」
「ああ!駄目だよ、キャロル!不死鳥のカードを出したらどんな場面でも全部覆っちゃうじゃないか!」
クリスと魔獣カードで対戦していたキャロルが超レアカードの不死鳥を出すと競技台の上はクリスのカードのエフェクトを全て焼き尽くす不死鳥の炎に包まれて輝いた。
うわぁぁぁぁぁぁぁ!すごい!!と膨らんだカーテンから幼い子供の声が漏れると、ぼくたちは大爆笑した。
「殿下!お客様たちは殿下が鼠のように入り込んでいることをご存じの上で、殿下のお気持ちを踏まえて黙って見逃していてくださっているのですよ」
青年に声を掛けられると膨らんだカーテンから五歳児登録を終えたくらいの少年が顔を出した。
「無作法なことをしてごめんなさい。晩餐会には小さすぎて参加できないから、今日はお客様に会えないかもしれないと思って隠れて見に来てしまいました」
カーテンから出てきた男児がぺこりと頭を下げると、ぼくたちは和やかな笑顔で、護衛たちを困らせてはいけないよ、と諭した。
「いやはや、なかなかいい動きだったから、ついついこの後どうする気なのか楽しくなってしまったので様子を見てしまったけれど、ぼくたちが悪い人たちだったら、殿下を捕まえて収納の魔術具に放り込んで誘拐してしまうかもしれないんですよ。収納の魔術具の中は暗くてどんなに泣き叫んでも声が外に漏れることはないでしょうね。そうなったら、もう、だあれも助けてくれないのですよ」
後半部分を変声の魔術具で低くし、もったいつけた恐ろしい口調でキャロルが言うと、男児は泣きそうな顔になった。
「ぼくたちは殿下と同じ年頃の弟妹がいるから、幼児の好奇心からの行動はよくわかっていますよ。だからこそ、忠告するのです。子どもは大人の目の届くところにいなくては大変なことになるかもしれないから、かくれんぼはルールを守ってしましょうね」
ウィルが優しく男児に話しかけると涙目で頷いた。
二人の護衛は男児の両側に立ち、声を掛けようとしたところをミロが右手を少し上げて制した。
「ねえ、どうやって王家の居住区から抜け出してこの部屋まで大冒険をしたのかお兄ちゃんに話してくれるかな?」
ミロは屈んで男児と目線を揃えると、君の冒険譚を聞きたいな、と自白を促した。
一年ぶりに帰還したマルコと両陛下の対面の場にいたが、兄になった姉の冒険譚を楽しみにしていたのに、期待していた冒険譚ではなく難しい話になってしまい、自室に下がるように命じられたのが面白くなくてベッドにふて寝するふりをして窓から蔦を伝って抜け出したらしい。
「まあ、殿下は今何歳ですか?」
ミロは驚くだけで、責めることをせず、男児の年齢を確かめた。
「六歳になったばかり」
「おやおや、うちの弟と同い年なのですね。お小さいからまだ五歳児登録も済ませていないかと思いました」
キャロルの言葉に、もっと大きいもん、と男児は顎を引いて言った。
「お小さいから助かったのですよ。体が大きかったら蔦は殿下の体重を支えられなくて、ちぎれて殿下は地面に叩きつけられたでしょうね」
ミロの言葉に男児の顔が青ざめた。
「生きていてよかったですね。それで、庭に出てからどうしたのですか?」
ケインは何事もなかったかのように男児の冒険譚の続きを促した。
「客室棟へ入るには警備が厳しいから洗濯室に潜り込んだんだ……」
男児は午後に人気のない洗濯室に入り込むと、ぼくたちの人数が予想より多かったせいで足りなくなったリネンを搔き集めている使用人のワゴンに潜り込み客室棟への侵入を図ったようだ。
「誰にも見えなくなる魔法を使ったから、使用人にぶつからないようになるべく隅っこを屈んで移動したから、誰にも気づかれずにこの部屋に入れたよ」
得意気に話す男児には申し訳ないが、ぼくたちには満面の笑みでこそこそと部屋に入り込んでカーテンに隠れた男児が丸見えだった。
誰もかれもが忙しくしている時にマルコにそっくりな顔の男児がかくれんぼをしているのだろうと微笑ましく見守っていただけだ。
「殿下。誰にも見えなかったはずなのに、どうして殿下の護衛の二人は真っすぐこの部屋に来たのでしょうね?」
ウィルの質問に当然のような表情でマルコの弟が言った。
「それはぼくを見つけるのが二人の仕事だからだよ」
微笑ましい受け答えに、ぼくたちは爆笑しないように表情筋に身体強化をかけた。
「うーん。そうかもしれないけれど、殿下は国で一番偉い人の子どもだと知っていますか?」
キャロルがマルコの弟に尋ねると、知っている、と即座に答えた。
「殿下に、声を掛ける人はいつも同じではありませんか?」
ミロの言葉にマルコの弟は頷いた。
「もう、これ以上恥をさらすんじゃありません!」
部屋に駆け込んできたマルコが弟とミロの間に割って入った。
「誰にも見えなくなる魔法ではなく、直接あなたに声を掛けられない身分の人に見つかっているだけなのよ!あなたの行動は丸見えで護衛のところに即座に連絡が入るから、いつもすぐ見つかっているのよ!」
マルコの説明に衝撃を受けたマルコの弟が口をあんぐりと開けると、ぼくたちはもう堪えきれずに笑い出した。
「だんだん危ない脱出方法になっているようだから、ここらで現実を知ってよかったんだよ」
ぼくのスライムがしみじみと言うと、スライムが喋った!とマルコの弟は腰を抜かしたように後ろにしゃがみ込んだ。
「あらあら、丸見えなのに見えないつもりでいる六歳の坊やの方が喋るスライムより珍しいよ」
「とことこ歩く姿は可愛かったよ」
「猫が喋った!」
両側からみぃちゃんとみゃぁちゃんに声を掛けられたマルコの弟が何度も首を左右に振って確認すると頭の上からキュアが話しかけた。
「飛竜も喋るよ!」
うわぁぁぁぁ!と驚く弟に厳しい声でマルコは言った。
「貴方の冒険で迷惑をかけた人たちに謝りに行きましょう。まずは護衛の二人からですよ。あなたが抜け出すたびに両陛下から叱責を受けるのは二人なのですよ」
マルコの言葉にマルコの弟は申し訳なさそうに上目遣いで二人の護衛を見上げた。
「……ごめんなさい」
それが仕事ですから、と言いそうになる二人の護衛をマルコが片手で制した。
「来年は洗礼式を迎える年なのですから、自分の行動に責任を持つことを覚えなくてはいけません。私も両陛下に無断でカテリーナ叔母様のところに向かいましたが、ただ無茶をしたのではなく祖国を守るために決断した行動です。あなたも国を守る王家の一員として相応しい振る舞いを覚えてちょうだい」
はい、と素直に返事をしたマルコの弟は、姉様が兄様になると厳しくなった、と呟いた。
 




