プロポーズ誘拐事件の顛末
「直接政治に口を出さない夫人にできる仕事は日々魔力奉納くらいしかないのだから、アメリアが務めを果たして生きながらえただけで、ガンガイル王国王家としては十分なのですよ」
帝国の荒廃は皇帝と帝国貴族の怠慢だ、と辺境伯領主夫人が強く言うと、第三夫人は困惑したような笑顔を浮かべた。
「そういえば大叔母様は離宮から一歩も出ないのに、どうやって国土への魔力奉納をなさっているのですか?」
「離宮内に礼拝室があるのですよ。毎日そこで朝食後と就寝前の二回お勤めを果たしています」
キャロお嬢様の素朴な疑問に第三夫人が答えると、そこだけは評価できる、と辺境伯領主夫人は皇帝の行動を肯定した。
「魔力奉納の順番も夫人たちの地位を示す場に使われてしまいますし、毎晩、皇帝陛下が離宮に足をお運びになっているだけで嫉妬の対象になっているでしょう。出産経験のない夫人が軽んじられるのはガンガイル王国王宮でも同じです。毒の贈り合いが常識のようですから宮廷のお庭の散歩でさえ危険が伴うことは理解できるのよ。皇帝がアメリアを囲い込んだ弊害で連絡が取れなくなってしまったことは残念だけど、本当に生きていてくれてよかったわ」
辺境伯領主夫人の言葉にキャロお嬢様は溜息をついた。
「私、王家に嫁ぐのは嫌ですわ」
キャロお嬢様は唐突にテーブルに顔を突っ伏して嘆いた。
「あらまあ。貴方は大丈夫ですよ。帝国がしゃしゃり出てくることは阻止しましたから、素敵な男性を見つければよいのです」
辺境伯領主夫人がキャロお嬢様の頭を優しく撫でながら言うと、そうですわ、と同調した第三夫人の声にキャロお嬢様は顔を上げた。
「辺境伯領から王家に嫁ぐ、あるいは婿入りする場合は割と自由恋愛ができるのですよ」
第三夫人の言葉にキャロお嬢様だけでなく、スライムたちやみぃちゃんまでキョトンとした表情になった。
「王家から辺境伯領に嫁ぐあるいは婿入りする場合は、どうしても家格の差を示すために辺境伯領主候補の嫁か婿になるしかありませんが、辺境伯領から王家に嫁ぐあるいは婿入りする場合は、辺境伯領側から気に入った人物を指名できるのですよ」
キャロお嬢様は自分と同年代に心ときめくような王族がいないことを考えたのか眉を寄せた。
二人の老姉妹は顔を見合わせて、ウフフフフ、と笑った。
「お婆ちゃまはね、物心がつく前からじいじが王家に婿入りする時の嫁候補の筆頭候補の一人だったわ。でもそれは産まれた順番から仮にあてがわれていただけだったのよ。ある時、帝国からガンガイル王国の姫を嫁にもらいたい、と打診があったので、私はその順番から外れたのです。ガンガイル王国としては皇帝即位のたびに遠征する先が東方地域に留まっていてほしい下心があって、王族を嫁に出せば即位後の遠征先に北方地域を避けられると踏んで、当時の皇帝陛下の長男とガンガイル王国王家長女の私と内々に婚約が決まってしまったのですよ」
辺境伯領主夫人が遠い目をして言うと、第三夫人も頷いた。
「えっ!お婆ちゃまは帝国の干渉がなければじいじと結婚して女王様になっていたの!」
フフフフフ、と二人の老婆が顔を見合わせると、幼いころの話よ、と笑った。
「よくお勉強ができていますね。辺境伯領は当時の三大公爵家より格上でしたし、古くからの約束を守りあの時じいじと婚約したら私が王太子指名されるところでしたわ。そうなってしまうことを王宮内で面白く思わない勢力があって、弟が生まれるまでは私たち姉妹も命を狙われましたね」
「お姉様の帝国での縁談が水面下で内定すると、私の方に衣装や小物に肌が爛れる素材を混ぜられたことがありましたわ。私は小さいころからリボンやレースが大好きでしたからお姉様の名前で発注しても私の物だと直ぐにバレてしまっていましたわね」
好みがはっきり違っていましたわね、と二人の老婆はまるで少女の頃に戻ったような屈託のない笑顔で、フフフ、と笑った。
「私だってキャロラインと同じように、愛とか恋なんて夢見たところで親が管理する友人としか出会わない状況ではありえないから、物語の中にしかないものだと思って、帝国に嫁ぐ運命を仕方がないと考えていたのですよ」
王家から誰かが嫁がなくてはいけないのなら、自分がその運命を受け入れるつもりだった、と辺境伯領主夫人が語ると、ハロハロの長男の嫁候補と世間からみなされているキャロお嬢様の眉間の皺が深くなった。
「でもね。魔法学校に入学してエドモンドと出会ったら、一時でもこの人が私のお婿さん候補だったのか、と変に意識してしまってエドモンドの一挙手一投足に目が行くようになってしまったのよ」
それは後の辺境伯領主エドモンドが精霊に好かれていたがために、辺境伯領から引き連れて行った精霊のいたずらの仕業であることを知っているぼくのスライムとみぃちゃんは噴き出さないように身体強化をかけていた。
「私が魔法学校に入学した時には現国王である弟が生まれていましたから、私は王位継承順位こそ当時の弟より上でしたが、王太子候補の指名から外れるだろうとみなされていました。エドモンド様と婚約が内定しても武闘派だったエドモンド様は王立騎士団で活躍されるだろうと、その頃は期待されていました」
自分と同じ年頃の頃に将来の見通しがころころと変わっていた祖母たちの話に、キャロお嬢様は前のめりになって真剣に耳を傾けた。
「エドモンド様がお姉様に首ったけだったことは、裏表のない方ですから一目瞭然でしたわ。それでも私は悲観していませんでしたの。辺境伯領から王家に入る場合は本人の意向が最優先されるのですから、姉様が帝国に嫁いでエドモンド様の初恋が散ってしまっても、きっと私以外の素敵な女性を彼は見初めるだろう、と婚約者候補と見られてはいましたが、エドモンド様の振る舞いについてはそれほど気にしていませんでした」
第三夫人の告白に、自己肯定感が低すぎる、と辺境伯領主夫人もキャロお嬢様も目を見開いた。
「大叔母様がそんな中途半端な状況で甘んじていたなんて酷すぎます!」
自分と同じ年頃で、婚約者候補は姉に首ったけで、その恋が破れたとしても自分を見ることはない、と言い切ってしまえる状況にキャロお嬢様は憤った。
「いいのですよ。私は誰にも見初められずにただ国のために魔力奉納をするだけの存在として生きられればいいと考えていましたから。愛とか恋なんて書物の中にしかないものでいいのだと本気で考えていましたから」
第三夫人の発言に辺境伯領主夫人も素直に頷いた。
「釣書の肖像画と幼い経歴だけしかまともな情報がない中で、私が帝国に嫁ぐ運命に抵抗感がなかったのは、日々のお勤めとして魔力奉納をして子どもを二、三人産めばいいのは、どこに嫁いでも同じだと思っていたからですわね。人生の楽しみは物語の中にあるものだと思えば穏やかな心でいられますもの」
二人の老婆の語り口にキャロお嬢様はげんなりとしたように顎を引いた。
「そんな顔をしないでちょうだい、キャロライン。私たちは夢見る少女ではなく割と冷めたところがあった姉妹でしたから、未来に期待していなかっただけで、現実はもっと衝撃的でしたわ」
辺境伯領主夫人の言葉に第三夫人も頷いた。
「無骨な少年が精一杯紳士的に振舞おうとする姿は可愛らしくて、私もほだされてしまいそうでしたが、帝国に嫁ぐことは覆せないので、やんわりとエドモンドと距離を置くように心がけでいたところ、魔法学校に帝国からの留学生が転入してきたのですよ。当時、まあ、今もそうですが、外国からの留学生は西方のムスタッチャ諸島諸国からくらいしかいませんでしたから、たいそう目立ちましたわ」
「魔法学校では将来帝国に嫁ぐお姉様の人となりを偵察に来た、と誰もが考えていましたわ。私はできるだけ人とかかわりあいたくなかったので必要最低限の授業しか選択せず、魔法学校にいる時間を少なくしていたのですが、彼に待ち伏せされてしまいまして……いきなり跪いて求婚されてしまったのです」
話の展開が早すぎてキャロお嬢様だけでなく、みぃちゃんやお茶を入れ替えていたスライムたちまで身を乗り出した。
「彼、現皇帝陛下ですけれど、帝国の第二皇子であることを伏せて留学していたのです。私それまで全く会ったことのなかった彼に教室移動の最中に呼び止められて求婚されました。私が断ると魔法学校内だったから少なかった私の護衛騎士を彼はいきなり切りつけて私を誘拐してしまったのです……」
第三夫人はプロポーズ誘拐事件の顛末を語ってくれた。
なるべく他人とかかわらず、できれば未婚で王宮奥に潜んで暮らしていたかったお姫様が身分を隠した帝国の第二皇子に一目ぼれされてしまい、魔法学校内で護衛が一人しかいない隙を狙われてあっという間に攫われて一頭の馬に相乗りした状態で国境の町まで連れ去られたのだった。
「どれだけ優秀な馬なのですか!馬を交代しないで国境の町まで走れるなんて信じられません!」
驚く箇所がおかしいよ、とみぃちゃんとスライムたちは首を傾げたが、キャロラインらしいわね、と辺境伯領主夫人は笑った。
「ええ、当時の私も同じように驚きましたわ。私を前に乗せて彼が耳元でずっと、私がいかに愛らしいか、自分がどれほど私を愛しているかを延々と語っていたのですけれど、私は彼がどうやって馬を速く走らせ続けているのか、どうして馬が町に立ち寄らず原野を走り抜けられるのか、帝国の第二皇子がガンガイル王国の王女を誘拐しても皇位争いに有利にならないだろう、などと考えていたら国境の町についていました」
内向き思考の第三夫人は皇帝の甘い囁きは頭に残らず、王女を誘拐する第二皇子の思惑を推測してしまったようだ。
「国境の町ではお父様が転移魔法で先回りしていたので、そのまま帝国に連れ去られることは防げたのですが、十代の姫が男性に攫われた、という事実は女性としては瑕疵になります。お父様は彼に、お姉様が内定している第一皇子との婚約を帝国内で問題なく破棄できるようにすることと、私が帝国で幸せに暮らせる確証を提示できるのならもう一度私に求婚することを認める、と言って帝国に放り出したのです」
第三夫人はそう言うと悲し気に顔を伏せた。
「彼は一年とたたずにお姉様の婚約解消をガンガイル王国側からではなく帝国側から申し出るように手筈して、まだ皇太子でもなかったのに、宮廷内に私の離宮を立ててくださいました。お父様の出した課題を熟したことで、今度は帝国第二皇子として正式に王宮に申し込みに来てくれました。そうして私は上級魔法学校の途中から第二皇子の婚約者として帝都の魔法学校に編入したのです。卒業後すぐ結婚いたしましたが、ガンガイル王国から誰も呼ぶことはなく、彼の親族も出席しない私たち二人と司祭だけの結婚式をしました。あの時、わがままを言って誰か一人でも王族を呼んでいたなら、ここまで頑なに私を閉じ込めることはなかったでしょうに」
皇帝が一度目の求婚で断られたことを根に持ち、男性親族の手紙を断ったり、飛竜部隊に無茶な派遣をさせたりしたのでは、と第三夫人は嘆いた。
皇帝は小さなことを根に持つタイプなのだろうか?
「私たちにしてみたら卒業式の翌日に結婚したような早さで驚きましたわ。私の方はエドモンドの妹が王族と恋に落ちてくれたから、辺境伯領に嫁入りが認められたころです。そこから婚約期間が一年ありましたから、あら、エミリアの婚約期間は二年以上ありましたから私より長いですわね」
「ちょっと話がよく分かりませんわ。どうして、じいじの妹が王家の方と恋仲になったらお婆様が辺境伯領に嫁げるのですか?」
キャロお嬢様の疑問にみぃちゃんとスライムたちも頷いた。
「王家と辺境伯領主家が交互に嫁か婿を取るのですから、エドモンドの妹が大恋愛の末王家に入るなら、長子のエドモンドに拘らず道義的に認められるではありませんか」
「まあ、こうやって長い間、両家の間の婚姻関係が継続できたのは抜け道がいくつもあるからなのですわ」
抜け道?と首を傾げるキャロお嬢様に二人の老婆は鈴が転がるように笑った。
「ええ、例えば、キャロラインがカイル君かケイン君と恋に落ちたとしても、ラインハルトの養子になってもらえば、王族に嫁ぐ、という形をとれるので問題ないのよ」
操り人形の操作に夢中になっていたケインは急にスクリーンから自分の名前が聞こえたことでギョッとして振り返った。
「ハルトおじさんの養子になればキャロお嬢様と結婚できるんだって」
ぼくがそう言うと顔を真っ赤にしたケインは頭を小さく横に振った。
「その条件は兄さんも同じだよ」
王族になりたくないぼくたちは、例えにしたとしても名前を出してほしくないな、と顔を見合わせた。




