書を捨てて地方都市にでよう!作戦
「うーん。手紙を書かなかったことは申し訳なかったよ。兄姉は家庭を持ったし母は辺境伯領に引っ越したし、自分のどうにもならない現状を伝えてもどうにもならないかと考えていたんだ。深窓のお姫様が俺と同じ考え方ではないだろうけれど、変えられない現状を知らせてもかえって家族に気を揉ませることになるとお姫様が心配しているのなら、いっそガンガイル王国の現状を見せてみたらいいと思うんだよ」
ジェイ叔父さんの提案に、公安の強引な事情聴取で立腹した件で王族の転移の魔術具を使用して帰国した寮長は頷いた。
「王都の清潔さはさることながら、辺境伯領の領都はまるで別世界だな。あれは実際に見てみないと話に聞くだけでは想像できない。さて、どうやって伯母上を一時帰国させることができるか、と話が元に戻っただけだ」
寮長の嘆きに、ふと思いついた案を口に出した。
「この会議室を経由することでガンガイル王国へ転移魔法のように移動できるはずです。それを利用して、第三夫人の離宮から辺境伯領領城の精霊神の祠に転移し、領都を少し観光するだけで書物からでは得られない刺激を経験することができるのではないでしょうか?」
まだ雪が残る辺境伯領で地下街や地下鉄を目にするだけで一読しただけでは想像できない現実を体感できるだろう。
あれは目撃しなければ理解できない、とクレメント氏が頷くと二百年のジェネレーションギャップに皆が納得したが、ウィルは首を傾げた。
「いや、第三夫人の引き籠りの解消には効果抜群でしょうが、現実問題として転移で第三夫人が離宮から離れると厳重な結界を張っている皇帝陛下に第三夫人の不在がバレてしまうような気がしてなりません」
ぼくがどこにいても追ってくるウィルの発言にぼくの魔獣たちとお婆は頷いた。
「うん。それはぼくも考えたのだけど、ユゴーさんのところに行って人形遣いを学んできて、第三夫人の身代わり人形を置いておけばバレない気がするんだよね」
怪鳥チーンの騒動の時に知り合った裏王家のユゴーさんは人形を身代わりにして監禁されていた部屋から抜け出していた。
兄貴が小さく頷いたのでこの、書を捨てて地方都市にでよう!作戦は悪くない案なのだろう。
「人形遣いか、それはいい案だ。第三夫人が自主的に魔力を人形に与えて不在になるのなら、ぼくたちが第三夫人を誘拐したことにならない!」
ウィルが人形遣いの有効性に気付くと、頼むからお前たちは人形を身代わりに置いて寮を抜け出さないでくれよ、とオスカー寮長はぼくたちがまだ考えてもいなかった身代わり人形の遣い方を憂慮した。
「妙案だと思うけれど、そのユゴーさんに人形遣いの技を学ぶために不眠不休になってはいけませんよ」
お婆はぼくが亜空間に引き籠ってユゴーさんの人形遣いの魔術を習得するまで出てこないのではないかと疑っているようだ。
「オスカー寮長が辺境伯領主夫人と話を付けてもらうまで実行できない作戦だし、そもそも教えを乞うユゴーさんがご老体で長時間拘束できないから無茶はしないと誓います!」
ぼくの宣言の、ユゴーさんがご老体、という言葉に信憑性があったようでお婆はフフっと笑って、仕方ないわね、と許してくれた。
ジェイ叔父さんとウィルが抜け駆けするなよ、とぼくを見たので置いていかないよ、と頷いた。
引き籠り第三夫人への、書を捨てて地方都市にでよう!作戦が形になったところで、ぼくのスライムの分身が宮廷散策をした補足情報とダンス会場内にいたスライムたちの情報を擦り合わせた。
ぼくたちを狙った吹き矢の魔術具が複数の従業員の手を経てベランダから持ち込まれていたことが確認された。
オスカー寮長は卒業記念パーティー暗殺未遂事件の情報開示を宮廷側と交渉しつつ、第三夫人を転移させる折衝をガンガイル王国及び辺境伯領と交渉する間、ぼくたちはユゴーさんから人形遣いの魔術を学ぶことになった。
本日はここまでと解散して、まだ興奮冷めやらぬウィルを自室に帰してベッドの横たわると、さすがに疲れがたまっていたのかジェイ叔父さんも実家に帰ることなくベッドに入った。
「好き好んで引き籠っていたわけじゃないのに、引き籠っている間にできる限りのことに打ち込んでいたら十年経っていたんだ。母さんが死ぬまで苦しむ病に罹患して緩和のために辺境伯領に引っ越したなんて手紙には書いていなかったし、俺のことなど気にせず家族が新しい環境でそれぞれの幸せを享受できれば、俺はこのままここで生きた証を残すべく魔術具の研究をして朽ちて行けばいいと考えていたんだ」
「うちの家族はね、誰のことも忘れないんだよ。どんな苦労が自分たちの身に降りかかっていても、希望を捨てずに堪えて、今ここにいない家族にも思いを馳せていたから、ぼくは実体を得ることができたんだ」
寝る必要のない兄貴も自分のベッドに横たわってそう言うと、ジェイ叔父さんは無言で目頭を押さえた。
「愛って不思議だよね。当たり前のように享受している時はなにも気にしていないのに、追い詰められた時に自分を犠牲にしても守らなくてはいけないという意識が自覚していないのに湧いてくるんだよね」
愛ゆえに手紙に返信しないことで家族を守ろうとしたジェイ叔父さんの気持ちも理解できる。
「ああ、そうだな。……でも、十年引き籠っていたのは結果として無駄じゃなかった。地道に研究を続けていたおかげで、生活の基盤となる財産も手にいれたし、皇帝陛下の御前できっぱりとモノが言える度胸もついた。いや、ガンガイル王国の国力が上がったことで堂々と自己主張できるようになったんだ。兄さんがカイルを家族にして、王族の上司と友人になって国を発展させたことで、遠くから俺を支えてくれていたんだ」
「ジェイ叔父さんが帝国に留まっていてくれたから、叔父さんの名前の威光でぼくは魔法学校で好き勝手出来たよ。何十年も引き籠っている第三夫人が動き出すと、きっと宮廷内も変化があるはずだから、上手くいくといいな」
ぼくの言葉にジェイ叔父さんは頷いた。
「人形遣いのユゴーさんに会う時は立ち会わせてね」
ジェイ叔父さんは瞼が重くなったぼくに念を押したので、必ず誘う、と約束した。
“……ご主人様。ユゴーの夢枕に立って、事前に手はずを整えておくので安心してお休みください”
いきなり亜空間に招待して人形遣いの魔法を教えてください、と頼み込むより、シロが夢で事情を説明した方がユゴーさんの心の負担が少ないだろう。
よろしく頼むね、とシロに精霊言語で語り掛けるとぼくは眠りに落ちた。
薄明の時間に目覚めると、ぼくを覗き込んでいるウィルをペシペシとみぃちゃんが叩いていた。
「……おはよう。もしかして朝っぱらからユゴーさんを亜空間に招待するとでも思って警戒していたのかい?」
ぼくの問いかけにウィルは素直に頷いた。
「目が覚めたらいてもたってもいられなくてカイルたちの部屋に来たら、ジョシュアがまだカイルはユゴーさんに接触していないって言っていたけど、本当かい?」
ウィルが念を押すように確認すると、すでに起きていたジェイ叔父さんもぼくの反応を窺っていた。
「ぼくはユゴーさんにまだ接触していないよ」
ぼくは、という表現にウィルとジェイ叔父さんがシロを見た。
二人とも察しがいいな。
「ユゴーさんの夢に入り込んで第三夫人の状況を説明すると、人形遣いの魔法を伝授することを快諾してくれましたよ」
あれからユゴーさんは裏王家として国の結界を支えていくことを約束する代わりに裏王家を支える家系の保護を王家に約束させたらしい。
「土壌改良の魔術具が帝国で普及し始めたことで、あれが単なる土壌改良の魔術具ではなく、土地を維持する結界を支えるもので、高価なのに数年しか持たないが、裏王家は存在しているだけで永遠に国を支えることができる、と強く交渉できる材料になったと、ご主人様たちに感謝していました」
強制力が強すぎる『禁断の勅令』を濫発しなくても済む正当な交渉材料を手にしたユゴーさんが、ぼくたちになら人形遣いの魔法を伝授できると承諾してくれたのなら、すぐにでも習ってみたい。
ぼくたちは顔を見合わせて、今すぐ行っちゃう?とにんまり笑って頷きあった。
洗浄魔法で寝汗を流してさっぱりすると着替えを済ませて亜空間に移動した。
「やあ、久しぶりだね。その節はお世話になったし、その後もお世話になりっぱなしだよ」
いきなり亜空間に招待されたにもかかわらずユゴーさんはぼくたちを見るなり喜んで駆け寄ってきた。
「今日はいい夢をみているな。君たちにお礼が言いたかったんだ。あれから土地の魔力を蘇らせる結界を一族の末裔たちになら張れる、と主張して一族の子どもたちを保護する方向に話を進められたのだ……」
夢枕に立ったシロがぼくの横にいることで、まだ夢の続きを見ていると思っているユゴーさんの誤解を解かずにしておこう、とぼくたちは目で合図をしあった。
「お元気そうで何よりです。ぼくも長い間連絡の取れなかった叔父と会うことができました」
ユゴーさんにジェイ叔父さんを紹介して、帝都でいろいろあって仮面をつけて生活していることを語った。
「それだったら、人形遣いの技術で元の顔そっくりの仮面に仕上げることができますよ!」
ユゴーさんは興奮してジェイ叔父さんに原理を説明し始めた。
「……なるほど、人形の顔を仮面に移植すればいいのですね。ですが、私は帝国で受けた被害を加害者たちに忘れさせないためにしばらくこの仮面のままでいます」
イケメンコンプレックスを拗らせているジェイ叔父さんは仮面が素顔と変わらなくなると外出できなくなることをユゴーさんに秘密にしたまま言い訳がましい説明をした。
「……わかりますよ。事を収めたからといって加害者がまるで何事もなかったかのように振る舞うと頭に来ますよね」
国の安寧のためにこっちが譲歩しただけだ、とユゴーさんも理不尽に拘束されていた期間が長かったので、ジェイ叔父さんに理解を示した。
お互いに近況を報告しあってから、人形遣いの魔法を学んだ。
「人形自体は素材さえあれば簡単にできるのだが、その後の扱いが難しいのだよ」
ユゴーさんの説明通り、素材の在庫があったのでぼくとウィルとジェイ叔父さんと(キュアの魔力を使用した)兄貴で人形を一体ずつ作ることにさほど時間はかからなかった。
「簡単だとは言ったけれど、四人とも筋が良すぎるな。これなら自分の人形を操作すること自体は簡単だろう」
人形に魔力をたっぷりと充填すると自分とそっくりな人形に変身した。
「あたしもやってみたい」
みぃちゃんが兄貴の人形に魔力を充填すると兄貴の人形がみぃちゃんそっくりになった。
「ほほう。なかなか良い仕上がりだ」
ユゴーさんはぼくたちの人形をくまなく検分して満足そうに頷いた。
「ここからが大変な作業だ。人形に普段の自分の生活でする決まり切った反応を覚えさせるのだ。そうして、人形の学習が済んでから、遠隔操作で身代わりとしてふるまえるかを練習するんだよ」
AIのようにデータを入力して学習させなければ身代わり人形にならないのなら、時間が相当かかるだろう。
自分やよく知る友人たちならいざ知らず、何十年も引き籠っている第三夫人のデータを入力する作業は一体どうすればいいのだろう?
書を捨てて地方都市にでよう!作戦は早くも困難の壁にぶち当たってしまった。




