乙女心と一輪の花
“……いやぁ、ねえ。乙女心を理解してよ……”
ぼくのスライムが精霊言語でぼくに説教をしたが、正直頭に入ってこない。
乙女心ねぇ……。
握ったままのマリアの手を見て、女の子の手を長く握り過ぎていると気付いて、パッと放してしまった。
男女の機微が、とみぃちゃんも精霊言語で嘆くと、そんなのわかんないよ、とキュアが精霊言語で答えた。
それはぼくにもわからない。
「デイジー姫、とあるパーティーでぼくのパートナーになっていただけますか?」
片膝をついたウィルが後ろに回した収納ポーチから飴細工のバラを一輪取り出し、デイジーに差し出した。
そうか!こういった演出が必要だったのか!
あらかじめマリアとデイジーを同伴者として誘うことを想定していたのに、大人の階段を上りたい乙女心を盛り上げる演出もしないで……いや、マリアから声を掛けさせるなんて、そもそもそこから間違っている!
“……ご主人様。まだ挽回できます”
シロは精霊言語でそう言うが、挽回?何を?どうやってすればいいのだ!
ウィルのバラの飴を嬉しそうに受け取りながら、はい、是非ご一緒させてください!と言ったデイジーを羨ましそうにマリアが見ている。
せっかくのマリアの帝国での社交界デビューなのに、何か思い出に残るようなことをしてあげたい!
だけど、乙女心を満足させるような歯が浮くようなセリフも演出も何も浮かばない!
“……特別なことは何もしなくていい。これもすべて後になればいい思い出になるよ”
兄貴が精霊言語でぼくを慰めてくれたが、この状況はマリアに申し訳ない。
二番煎じになってしまったが、ぼくもマリアの前で跪いて後ろに回した収納ポーチからごそごそと探し出して一輪の花を差し出した。
「ウィルの真似っ子になってしまったけれど、あらためてぼくからマリアに尋ねたい。ぼくととあるパーティーに出席するためにダンスの練習に付き合ってくれませんか?」
ぼくの言葉にマリアの顔面が真っ赤になり、はい、と小さな声で返事をしてぼくが差し出した少ししなびた花を受取ってくれた。
「ああああああああ!希少な魔獣除けの薬草の花をここで出すのか!」
兄貴が見た未来の中でも兄貴の想定を超えた未来を選択してしまったようで、大声を出すほど驚かれてしまった。
「ちょっと待って!ああ、紙に挟んで乾燥させて保管しようよ」
「どこで採取したの!」
あまりにレアな素材をぼくがマリアに差し出したので、ウィルとロブは花びら一枚すら貴重だといわんがばかりに慌ててマリアに詰め寄った。
「両親の墓地の周囲に植えてある物を採取しただけだよ」
「一般人は立ち入り禁止の区域だよ」
ぼくの返答にボリスは辺境伯領の鉱山の秘密の坑道の入り口なので、単純に立ち入り禁止区域だと説明した。
まるで秘境から採取したように聞こえたのか、おおお、とどよめきが起こった。
「……そんな貴重なお花をありがとうございます」
感激して目を潤ませたマリアを見て、マリアの社交界デビューの入り口をなあなあに済ませなくて良かったと切実に思った。
ウィルのバラの飴を躊躇いもなく口の中に入れたデイジーは、マリアの了解を取って即座に押し花にした。
「ああ、あの時カイルが探していた薬草はこれだったのかと思うと感慨深いよ」
誘拐事件でぼくが必死に探していた薬草の花を見てボリスがしみじみと言った。
「ポプリか何かの中に入れて携帯すると悪い魔獣を寄せ付けない、と言いたいところだけれど、今のマリア姫なら火竜紅蓮魔法で焼き払えるでしょうから、まだ見ぬ未来のお子さんへのお守りとして何か作られたらいいでしょうね」
ウィルの言葉にマリアは嬉しそうに頷いた。
「なんか二人ともすごくカッコいいことをして同伴者の申し込みをしているけれど、ぼくはどうしたらいいんだろう」
アーロンが頭を抱えると笑いが起こった。
「ごめんね。寮内ではパーティーに出席する権利をくじ引き大会で決めているから、そんな色気のある誘い方をしなくても、アーロンにはほぼ強制的に斡旋する形になるんだよ」
ロブが現実を告げると、正直そういった状況の方が助かる、とアーロンは喜んだ。
それも青春だよね、とにやける生徒会長に同伴者は誰かと訊くと、親族の女の子だ、とそっけなく言われた。
「特定のパートナーがいない場合は卒業記念パーティーの雰囲気を味わいたい年少者や、社交界に顔を売りたいご令嬢を斡旋されるから、私は従妹を同伴することが生徒会長になった時から決められていたよ」
「でも来年の自分の卒業記念パーティーには自分で選んだ人と出席するんでしょう?」
ロブの突っ込みに生徒会長の顔が赤くなった。
「正直に言うと、誘いたい人はいる……。何かカッコいいことができるように頑張るぞ!」
生徒会長が来年に向けて張り切ると、やっぱり花を買って申し込みに行きます、とアーロンは形だけでも整えようと考え始めた。
「ああ、この流れだと、ぼくたちも花を買った方が良さそうだ」
ロブの呟きに兄貴とボリスも頷いた。
放課後真っすぐ帰寮するように言われていた兄貴とボリスとロブはアーロンを誘って午後の授業を抜け出して花屋に買い物に行くことにした。
内緒話の結界の中で話していたことだったけれど、ウィルとぼくがデイジーとマリアに膝をついて花を贈った様子を部員たちが目撃していたので、内緒話の結界を解くと、カップル成立!と囃し立てられた。
「これで、毎日ダンスのお稽古にガンガイル王国寮に日参してもおかしくないのですから良しとしましょう」
デイジーがウィルの服の裾を引っ張りながら小声で言った。
朝練、朝食、放課後練習、夕食の流れを予想して寮の食堂での食事を楽しみにしているデイジーの微笑にウィルは苦笑した。
放課後に寮の訓練所に集合すると、兄貴とボリスとロブとアーロンが一列に並んで自分たちのパートナーの女の子に卒業記念パーティーのパートナーとしてあらためて申し込み花束を贈ると、オーレンハイム卿夫人はキャーキャーと喜んだ。
くじで決まった相手とはいえ自分たちのために花を選んで贈ってもらえたことは女の子たちも嬉しかったようで、みんな笑顔になった。
補欠の二人にマリアとデイジーは、パーティーに出席する機会を奪ってしまったようで申し訳ありません、と頭を下げた。
「寮内で人気の光と闇の貴公子の仮パートナーになっただけで女子寮生の嫉妬の眼差しが背中に刺さっているような気がして落ち着かなかったので、これでいいのですよ」
被害妄想じゃなかったはずです、と二人はホッとしたように言った。
なかなか打ち解けてくれなかったのはそういう裏事情があったのか。
「さあ、それではみなさんパートナーと組みあってくださいね」
オーレンハイム卿夫人が鞭を取り出すと、マリアとデイジーもギョッとした表情になった。
スライムたちがレコードをセットするとオーレンハイム卿夫人は鞭で左手を叩いてリズムを刻みだした。
ぼくたちはそれぞれのパートナーに一礼してダンスフロアーに繰り出した。
「まあ、皆さん朝より上手にできていますよ。身長差のあるウィリアム君とデイジー姫は少し距離を開けた方が綺麗に見えますね。そう、歩調の合わせ方が上手です」
ウィルはデイジーの腰に手を回すのではなく片手を交互に繋いでデイジーをクルクルと回らせて踊った。
“……操り人形と人形師?”
キュアの突っ込みに噴き出しそうになると、マリアがどうしたの?とぼくの顔を覗き込んだ。
「あの二人みたいにぼくたちも回ってみるかい?」
マリアが楽しそうに頷いたのでリズムに合わせマリアの腰にあてた手を押して独楽のように回転させるとマリアのドレスが綺麗にふわりと広がった。
「まあ、素敵ですね。みなさんはまだ子どもですからぴったりと寄り添った踊りより、ドレスを綺麗に広げる踊りの方が可愛らしいですね」
オーレンハイム卿夫人は振り付けの方針を変えるようでいろいろと思案し始めた。
補欠の女子寮生たちは衣装部と合流し、楽しそうにデザイン画のスケッチに手を入れている。
デイジーはみんなのパートナーの女子寮生たちにクルクルと回っても目を回さない方法を指導し始めた。
男子たちも集められてスカートを綺麗に見せるステップの練習に切り替わってしまった。
こうした練習の日々の合間に衣装の仮縫いに付き合ったり、魔法学校で抜き打ちの口頭試験があったりと忙しく過ごしていた。
ぼくたちの卒業記念パーティーへ参加が公になったのは卒業式の前日だった。
卒業式では在校生は生徒会役員しか参列しないので前日から準備で休講となっていた。
生徒会役員と職員たちが会場設営をしていると生徒会役員席のそばにぼくたちの席があったらしい。
会場設営を終えた生徒会長が事情を聞こうとガンガイル王国寮に駆け込んでくる直前に、寮生たちは寮長から話があると談話室に集められていた。
ダンスの練習に来ていたマリアとデイジーとアーロンもいる中、途中から生徒会長も参加して寮長から事情を聞いた。
「魔術具暴発事件の際、魔法学校の生徒たちが協力して浄化の魔術具を駆使したり、市民を避難させたり、と活躍したことで公安から表彰されることになったらしい。卒業式の開始前に功労者に感謝状が贈呈されるようだ。うちの寮からはオーレンハイム卿、ジュンナさん、ジェイ君、ボリス君、ウィル君、カイル君、ジョシュア君、ロブ君、でどうやら、マリア姫とデイジー姫、アーロン君、も招待されているようだ。この中で代表者を決めてくれといわれている」
そうだったのか、と生徒会長が呟いたことで、会場設営を手伝った関係者にも知らされていなかったのだとわかった。
代表者を選出するならこの人だろうな、とみんなの視線が集まったのはオーレンハイム卿だった。
スケートボードを乗り回すお婆に必死に走って付き添った姿は多くの市民に目撃されている。
「私もオーレンハイム卿にお願いしたいと考えていた」
みんなの視線を受けて寮長は、ここは年長者に任せよう、とオーレンハイム卿を指名した。
「私はそれでかまいませんが、おそらく小さいオスカー殿下も表彰されますよね?それでしたら……」
オーレンハイム卿は兄貴を見遣った。
このところダンスの特訓で魔法学校に長居しないせいで小さいオスカー殿下に会うのは昼休みしかなく、寂しそうにしていた印象がある。
兄貴はブンブンと首を横に振った。
「小さいオスカー殿下の席はありませんでしたよ」
生徒会長が即答したので、ガンガイル王国留学生代表としてオーレンハイム卿が表彰状を受領することが決まった。
魔術具暴発事件で大活躍した魔法学校生を表彰するのに小さいオスカー殿下を除いてしまうと、市民たちの感情としては兄たちに虐げられている皇子殿下として、小さいオスカー殿下に人気が集まってしまうのではないのかな?




