残念な子は誰だ!
翌朝にはオーレンハイム卿の手配したダンスの先生が寮の訓練所で厳しい指導を始めていた。
「背中を丸めないでシャンとしてください、ボリス君」
ダンスの指導免許を持っていたオーレンハイム卿夫人本人が先生として来てくれて、なぜだか右手に鞭を持っている。
ぼくたちに向かって鞭を振り上げることはしないのだが、名指しされなくても背筋が伸びてしまう。
「先生!俺はしばらく一人で自主練習します!」
くじ引きで決まった女の子とペアを組むとへっぴり腰になってしまうボリスは女子寮生の手を離すと姿勢がよくなった。
「可愛い女の子を相手にすると緊張してしまうので、体が自然と動くまで自主練習をします!」
「いい心がけですけれど、女の子に慣れることも必要ですよ、ボリス君」
リズム感は悪くないのですから、とオーレンハイム卿夫人はボリスを残念な子を見る目で言った。
ボリスのスライムがムクムクと大きくなって女の子の形に変身した。
「まあ、素晴らしいですわ。パートナーをエスコートするように踊れなくてはなりませんから、まずは緊張しない相手と踊りましょう」
オーレンハイム卿夫人が鞭を自分の手に当ててリズムを取ると、ボリスは床をすべるように足を動かしボリスのスライムをエスコートして踊り出した。
「さっきより姿勢も動きもいいですわ。あら、可愛らしい!まあ、とっても上手よ、この子たち」
途中からオーレンハイム卿夫人がべた褒めしたのは、見学にしびれを切らしたみぃちゃんがみぃちゃんのスライムをエスコートして踊り出したからだ。
息の合った二匹がダンスフロアーの中央でくるくると回るとぼくたちは練習の足を止めて見入って拍手をしてしまった。
「この二匹はダンスの神髄を理解していますわ。お互いに楽しむことが大切なのですよ」
オーレンハイム卿夫人の言葉にぼくのパートナーになっている女の子の顔を見た。
みぃちゃんとみぃちゃんのスライムのダンスを見ている今は楽しそうに笑っているが、ぼくと踊っている時は緊張した表情だった。
くじで決まった女の子としか考えていなかったから楽しませるためにどうしたらいいのか全く見当がつかない。
女の子が興味を持ちそうな話題と言ったら……。
「当日の衣装はさすがに制服とはいかないよね」
「上級魔法学校の卒業生たちは男子が黒で女子が白を基調にしたドレスだと聞いています」
緊張した声で答える女の子に、丁寧語はやめようよ、と提案した。
「カイル君は今年度の学年一位だって噂になっています。憧れる女の子も多いので緊張します」
まだ丁寧語が抜けないけれどここは無理強いしない方がいいと判断すると、これ以上ぼくから何を言えばいいのかわからなくなってしまった。
「そんなにカイルはモテるのかい?」
割り込んできたウィルはぼくが避けようとした話題に食いついた。
「ウィリアム君と寮内の人気を二分していますよ」
「そうですね。でも、女子寮は辺境伯領出身者が多いので、カイル君の人気が高い傾向がありますよ」
ぼくとウィルのパートナーの女子二人が鈴を転がすようにクスクスと笑った。
「皆さんの集中力が切れたようですので、今日の朝練はこのくらいにしておきましょう」
オーレンハイム卿夫人が鞭をしまうと、ぼくたちはあからさまにホッと胸をなでおろした。
「緊張しました。頭の中でリズムを取るのが精いっぱいで足がもたついてしまいます」
「ジュンナの足を踏まなかった自分を褒めてあげたい」
お婆とジェイ叔父さんが息をあげて言うと、オーレンハイム卿夫人は優しく微笑んだ。
「お二人とも初心者なのにのみ込みが早いです。大切なのはパートナーを信頼してリズムに乗ることなのです」
ダンスフロアーで互いの足を踏むことなく、他のダンサーたちにぶつからなければいい、と言うオーレンハイム卿夫人の基準がぼくたちよりお婆とジェイ叔父さんには甘いような気がするぞ。
「ジェイさんとジュンナさんがダンスの指名を受けたら私たち夫婦が全力でサポートに参ります。皆さんは他のダンサーより明らかに小さいですから、それだけで注目を浴びてしまいます。もう時間がありませんから、放課後は魔獣カード倶楽部に立ち寄らないで真っすぐに帰寮して特訓の続きをいたしますよ!」
オーレンハイム卿夫人は不敵な笑みをぼくたちにみせた。
行くな、と言われたら行きたくなるのが人間の性というもので、ぼくたちは昼休みに魔獣カード倶楽部に集まってしまった。
「なんか、苛立っている?」
卒業式の準備で忙しいはずの生徒会長が差し入れのおでんを鍋ごと持参して部室にやってきた。
室内にいる人数を数えると、一人二串ね、とカップにおでんを入れて配り始めた。
どうしたのですか?と部員たちに訊かれると、お弁当の注文が取れにくいから鍋ごと発注かけてみた、と快活に笑った。
おでんは下処理が面倒だから大衆食堂の従業員たちに迷惑をかけたな、と思いつつもカップに出汁を注いでもらうと、おでんおでん、と心が浮き立つ。
「ちょっとすごい噂を聞いたのだけど内緒話の結界をお願いしてもいいかな?」
生徒会長の話が気になったので即座に結界を張った。
「二年生が生徒会の主なメンバーだから、卒業記念パーティーには会長の私しか出席しないのだけどね……卒業生以外にも魔法学校生が招待されるらしいね」
内緒話の結界を張っていても言葉を濁した生徒会長に、それを知っているのは生徒会メンバーの全員か?と間髪いれずにウィルが突っ込んだ。
「いや、そうじゃないよ。うーん。これは生徒会からの情報じゃないんだよね。……うちの実家は第三皇子殿下の派閥で、第三皇子は基本的に皇位継承に全く興味がなくご兄弟と足並み揃える時にだけご臨席される方なので今の宮殿の大騒ぎにも、他人事みたいな立ち位置なんだ」
たまたま自分の学年に第一、第二皇子殿下の派閥の上位貴族の子弟がいなかったから生徒会長の役が回ってきただけなのだ、と生徒会長はあっけらかんと告白した。
生徒会長は主流派閥の出身ではなかったから競技会の調整にもあんなに苦労したのだろう。
「第三皇子殿下は妃殿下のご実家も含めて皇太子の座に固執しておられないので、目立った活躍はされていない方でね、飛行魔法に興味があるのでカイル君たちの話を私から聞くのを楽しみにされていたんだ」
飛行魔法に興味があり軍に所属している第三皇子に魔法の絨毯を解析されるのは嫌だな。
眉を寄せたぼくに、言い訳のように生徒会長は話し続けた。
「ああ、いや、第三皇子殿下はカイル君たちの非公開技術をどうこうしようというのではなく、純粋にこう『少年時代からの憧れ』として興味を示されていただけだよ」
それは生徒会長から見た第三皇子像であって実際のところはさだかではない。
そうですか、と相槌を打って受け流すと、ぼくが第三皇子に興味を示したと思ったのか生徒会長は嬉々として饒舌になった。
「不謹慎に思わないでほしいのだけれど、魔術具暴発事件の時に念願かなって魔法の絨毯に乗れたことを殿下はいたくお喜びになって、何度も同じ話をされるんだ」
ちょっと待った!
第三皇子は貴族街の現場から離れた自身の宮殿の敷地からぼくのスライムに一本釣りされて魔法の絨毯に乗りこんだから、搭乗方法としては最悪の部類だったはずだ。
「魔法の絨毯の上では結界のお陰で風一つ受けることなく乗り心地は快適で、スライムは献身的で可愛らしい上有能で、貴重な体験ができたとお喜びだったよ」
褒められたぼくのスライムが胸を張ると、宙吊りを喜ぶなんて第三皇子が奇特なだけだよ、とみぃちゃんとキュアが精霊言語で突っ込んだ。
「だから興奮してポロリと漏らされたことで、君たちが聞いていなかったなら申し訳ないんだけど、卒業記念パーティーの招待者リストに君たちの名前があるらしいよ」
正式に招待状を受け取っていないこの段階で、いくら親しい生徒会長とはいえ、ぼくたちまでポロリと他言無用の情報を漏らすわけにはいかない。
ぼくたちが微妙な表情で笑って誤魔化そうとしていると、乱暴に部室の扉を開けた人物に室内の注目が集まった。
「ここにいたんだね、カイル!」
涙目のアーロンが部室に飛び込んでくると、いましたわ!とデイジーとマリアが続いて入室した。
ウィルが三人を手招きして内緒話の結界の中に入れると、アーロンは安堵したのか大声で喚いた。
「償いが重圧になるのなら、それは償いじゃないだろう!」
アーロンの嘆きにマリアがこくこくと小さく頷いた。
「公安で手荒な事情聴取をされたらしいという噂が本当で、その代償として皇帝陛下が後ろ盾になることを表明するために卒業記念パーティーに招待されるということなのかい?」
アーロンのぼやきから生徒会長が正解に辿りついたけれど、ぼくたちは他言無用を貫いた。
「まだ打診の段階で、招待状をもらっていないですよ」
自分の僅かな発言から生徒会長に未確定な情報を流してしまったことに気付いたアーロンが慌てて訂正した。
うん。アーロンのその発言は生徒会長の推測を肯定しているようなものだ。
デイジーは生徒会長の持っている鍋をじっと見て、それ以上の情報が欲しいのなら鍋ごとよこせ、と無言の圧をかけた。
「一人二串ですよ。でも残った分はあげますよ」
デイジーの圧に屈した生徒会長がそう言うと、デイジーは会長から鍋を奪ってアーロンとマリアにおでんを分けると嬉しそうに鍋を抱えた。
「招待されるだろうということは、ほぼほぼ間違いないわ。うちは小さな国だけど東方連合国の中では影響力が結構あるので敵対すると帝国の利を削ぐことになるのだから当然でしょうね。ドレスの発注もかけたし気合を入れてお洒落するわよ」
口が軽くなったデイジーの言葉にマリアは、どんなドレスにするの?と興味津々になった。
「お針子さんの仕事が早いからカイルたちの紹介してくれた商会にお願いしたわ。素敵なレースが入荷したようで、それを使ってみるらしいわ」
デザインはお任せにした、ということはデイジーの本音ではそこまで衣装に拘っていないのだろう。
ぼくの魔獣たちはデイジーの話に、ふんふん、と聞き入っている。
「私のドレスをその商会にお願いしても間に合うかしら?」
心配したマリアにウィルがボソッと呟いた。
「他言無用だけれど、うちの衣装に強い寮生たちが授業を休んでまでその商会に出入りしているから、きっと間に合うはずだよ」
ぼくたちもダンスの朝練が終わってから衣装チームに採寸された。
マリアはホッとした表情になると、ぼくと目が合って頬を赤くした。
なんだろう?
まだ気にかかることがあるのかな?
デイジーがおでんの卵を一口で口に入れたまま齧らずにぼくとマリアをジト目で見ている。
小さい子が卵を口に入れたままにしていると窒息しそうで見ている方は少し怖い。
「……あの、卒業記念パーティーは同伴者がいることが常識らしいので……あの……もし、まだお相手が決まっていないのでしたら……私の同伴者になってくれませんか?」
マリアはぼくに右手を差し出して申し込んだ。
「いいよ。ぼくたちも寮内でくじを引いて選んでいたから、マリア姫とデイジー姫にパートナーがいなかったら寮で待機する二名がすでに決まっているんだ。アーロンも誰か誘いたい人がいなかったら、うちの女子寮生がいるよ」
よろしくお願いいたします、とぼくがマリアの手を取ると、マリアが困惑したようなはにかんだ笑みをみせた。
ぼくたちを見た生徒会長が怪訝な顔をした。
しまった!
ぼくたちが卒業記念パーティーに招待されることをみんなで他言無用を貫いていたのに、ぼくの口が滑ってしまった。
兄貴とウィルが顔を見合わせて小さく首を横に振った。
ボリスとロブとアーロンまでぼくを残念な子を見るような目で見ている。
失言だったけれど、内緒話の結界の中のメンバーはうすうす気づいていたことなのだから、そこまで残念がらなくてもいいじゃないか。




