謝罪受け入れの裏事情
「王宮主催の卒業記念パーティーは帝国社交界デビューの場ではないですか!未成年が参加してもいいのですか?」
卒業記念パーティーへ招待されると知って青ざめたボリスが慌てて寮長に尋ねた。
「まあ、そうなんだが、保護者代理で私たち夫婦が出席する。主役は卒業生たちだから君たちは皇帝陛下に集団でご挨拶したら、雰囲気だけ味わって下がって問題ないはずだよ」
すぐに帰れるのはありがたいが、皇帝陛下にご挨拶か……と堅苦しい場が苦手なボリスは渋い顔になった。
……いよいよ両親の仇の親玉と対面するのか……。
思いがけないタイミングで皇帝と対面することになった感慨に浸っていると、後方から女子寮生たちの悲鳴のような声が上がった。
“……ご主人様がぼんやりしている間に卒業記念パーティーのドレスを見たい女子寮生たちがスライムたちに録画を頼んでいると、寮長がパーティー招待者は一名の同伴者可という発表があり、女子寮生たちが色めきだっています”
動揺する感情を必死に抑えている間にぼくたちのパートナーは誰か?という方向に話題が転じている、とシロが精霊言語で伝えてきた。
ぼくと兄貴とウィルとボリスとロブには残念ながら色恋の噂話は全くない。
「せっかくの機会だけど個人的に誘いたい女子生徒がいないなら、くじ引きか何かで女子寮生からパートナーを決めてしまうのはどうだろう?」
寮長の提案に招待されるぼくたちはガンガイル王国側の頭数を揃えるのなら全員パートナーがいた方がいいだろうということは理解した。
とはいえ、ぼくたちの中に誰も彼女ができたなんて浮ついた話もない状態では、色気がないけれどくじ引きで決めるのは致し方ない。
「異論がないということは誘いたい女子生徒がいないということかな?」
思春期に突入する男子寮生への配慮を全く失念している寮長の言葉に、ボリスの顔面が真っ赤になった。
あれ、気になる子がいるのに言い出せないでいるのか?
それとも、女の子とペアを組むという状況が恥ずかしいのだろうか?
成人しているロブは女子寮生たちを恋愛対象に見ていないとか、そもそも生きていない兄貴は女の子を気にしていないのは当然として、前世の記憶があるぼくは知り合う魔法学校生たちを恋愛感情で見るには幼すぎるので気にしたことがない。
残るウィルもことあるごとにぼくの部屋に入り浸っており、女っ気がない……いや、教会都市で妹のエリザベスとお揃いのお土産をアリサの分まで購入していたことは、兄として見逃してはいけない。
「そこでだ。うちの寮からはジェイ君ボリス君ウィリアム君カイル君ジョシュア君ロブ君の六人が招待される見込みなのだが、ムスタッチャ諸島諸国からアーロン君、東方連合国からデイジー姫、キリシア公国からマリア姫が招待される見通しなので、誰にもパートナーがいないとしたことを仮定して、七人から二人の姫をパートナーにする二名を除き、うちの寮から女子寮生五名を候補として推薦し……」
「ちょっと待った!」
寮長の提案にオーレンハイム卿が口を挟んだ。
「とっくに成人しているジェイ君にはさすがに抽選で選ぶ寮生をパートナーにするよりジュンナさんの方が相応しいでしょう」
女性が苦手なジェイ叔父さんのパートナーにお婆を推薦するということは、オーレンハイム卿自身が夫婦で招待状をすでにもらっている余裕があるのだろう。
オーレンハイム卿の言葉にあからさまにホッとした表情を浮かべるジェイ叔父さんは、母親をパートナーにして王宮主催のパーティーに出席する事態に恥じるべきなのだが、十年に及ぶ引き籠りから脱したばかりの叔父さんにそこを追求してはいけないだろう。
「そうだな、ジェイ君のパートナーはジュンナさんが引き受けてくださると助かる」
寮長の言葉に息子を心配するお婆は頷いた。
「うちの寮からは四人ほど候補としておいて、マリア姫やデイジー姫に心を決めた人がいたようならウィリアム君たちの出番はないので補欠枠として二名を選出することにしよう。卒業記念パーティーに出席してみたい女子寮生六名を選出するとしよう」
アーロンにパートナーがいない前提で話が進められていたのに誰もツッコミを入れなかった。
じゃんけんがいいかくじ引きがいいか、とお婆がこの場を仕切り始めると、寮長は卒業記念パーティーに招待されるぼくたちに目配せをして、ついてくるようにと言外に指示を出した。
寮長に付き従って寮長室に移動すると、椅子にどっかりと腰を掛けた寮長は頭を抱えて天井を見上げた。
「寮生たちには帝国の謝罪文でガンガイル王国が勝ちを得たように話したけれど、最低限の条件を満たしただけなんだよ」
寮長はがっくりと肩を落として内情を語った。
土壌改良の魔術具を帝国側で買い取ることが決まったことは、購入条件の内容から鑑みればガンガイル王国優位の決着に見えるが、販売する地域の決定権が帝国側に移動した形になる。
事実上帝国内の派閥が瓦解している現状で切り札となりえる土壌改良の魔術具の販売先を皇帝が握ってしまったのだ。
「帝国の派閥が瓦解しているから皇帝がどのような裁量で土壌改良の魔術具を帝国内に販売するかの見当がつかない状態になったが、最低限の囲い込みが今年度中にできていたことが幸いだ」
寮長はテーブルの上に帝国の地図を広げてぼくたちが結界を強化した地域に印をつけた。
「大まかな地図で歪みもあるが、東西南北に帝都を囲むように土壌改良の魔術具を使用できている。現実には帝国国土全体でみるとまだ南が弱いことは否めない」
南方の紛争地域を避けざるをえなく、土壌改良の魔術具の販売の足掛かりはディーの派遣先の中でも商会の人たちが行けるくらいの安全なところしかなかったのだ。
「まあ、土壌改良の魔術具の販売権をいつまでも保持していると内政干渉だと言われかねないから、ここらが潮時だった。つまり、揉めたのはこの件ではなかった。実際に被害に遭った君たちには申し訳ないのだが、ガンガイル王家として見過ごすことのできない事情を交渉していたから、こんなに日数がかかったのだ」
王家として見過ごせないこととは、オスカー寮長の伯母で、辺境伯領主の元婚約者で辺境伯領主夫人の妹で国王の姉の皇帝の第三夫人のことか。
「伯母上との面会交渉は全くもって駄目の一点張りで、国王陛下も認められなければ謝罪文を受理しない、とまで強く出て、使者を追い返したのに認められなかった」
国境の町まで使者を追い返してそこから転移魔法で帝都に戻ることを三回繰り返し、妥協案として、土壌改良の魔術具の購入金の増額や、ぼくたちへの卒業記念パーティーへの招待など、どんどん皇帝側は追加の特約を提示し、今後二十年間、帝国に留学するガンガイル王国留学生に国際結婚を無理強いしない、という条件が出たところで、謝罪を受け入れることになったらしい。
「つまり、キャロライン嬢やハロルド王太子殿下のご子息が留学される際、十二人いる皇子皇女の婚姻相手として言い寄られることがない、ということが保証されたのですね」
帝国内の派閥が瓦解し、外国とはいえ強力な資金力を持つガンガイル王国王室から伴侶を得ると大きな後ろ盾になる、と考える皇族を皇帝自らが抑えてくれるということだ。
「ああ。ガンガイル王国では魔力的にも知識的にも王族を外国に流出させたくないのが実情だ」
「知識的とは?」
差し支えなければ話してください、とジェイ叔父さんが寮長に尋ねた。
「ああ、ジェイ君やジョシュア君には身内の話も関係するし、ボリス君やロブ君は大聖堂で目の当たりにしたことだから秘密にする必要はない」
王族の話をしていたのに、身内の話、と話が飛んだのでぼくとジェイ叔父さんは驚いた。
兄貴は心当たりがあるのか首を小さく横に振っている。
「わたしも知らなかったのだけど、大聖堂島のてっぺんの教皇の間へ階段を上らずに入室できるのは教皇に認められた教会関係者と王族のみと言われているそうだ」
寮長は中央教会の大司祭から聞いた話を言った。
「まあ、国の結界を張るために必要な魔法陣の一部を王族が継承しているから入室できた。カイル君は辺境伯領主様からその一部の一部を預かっているのだ」
ジェイ叔父さんはギョッとしたけれど、まあまあ、落ち着いて、と寮長は叔父さんを宥めて話を続けた。
「これは私もそうなのだけど、一部を預かっているだけで、帰国して任を解かれると封印することになるからそう大事ではないんだ。寮の結界を私が責任をもって維持しているから預かっているだけで、カイル君はアリスの馬車の護りの結界の責任者として預かっているだけだろう」
寮長の説明にぼくは頷いた。
「だけど、カイル君がこのまま帰国することなく帝国で結婚して幽閉されてしまうと、返上できないままになってしまう。ガンガイル王国としてはこれ以上帝国に護りの結界の一部を渡したくない、そこで、婚姻制限をすることで皇帝側もガンガイル王国の護りの結界には手を出さない、と約束したようなものなのだ。キャロライン姫だけではなく、カイル君もウィリアム君もガンガイル王国としては手放せない人材なんだ。それで、ここが妥協点だろうということになったんだ」
第三夫人に子どもがいないから、夫人の知識が帝国内で継承されることがなく、夫人の寿命を鑑みて、二十年という区切りが正当だということらしい。
「しかし、自分の子どもたちや孫の代までかかるような制限をしてまで、第三夫人を事実上幽閉しているのはなぜなのでしょう?」
寮長だけにでも面会させればここまで特約を追加する必要のなかっただろうに、と言うウィルの疑問に、寮長も首を傾げながら言った。
「そうなんだ。使者も第三夫人は皇帝陛下のご寵愛を一身に受けられている、としか言わないのだけど、小声で『里心がつくからでしょうか?』と私見を漏らした。でも、それだったらガンガイル王国と無関係の人物も面会できないのはおかしいだろう?」
誰にも皇帝の意図がわからないようだ。
「私は月に一回ガンガイル王国使者として第三夫人の離宮を訪問しているが門前払いを食らっている。お手紙を渡しても返事さえないのだから、生きているのかさえわからない」
寮長はそんな仕事もしているのか。
「まあ、キャロライン姫のお手紙だけは突き返されずにいるので、次年度キャロライン姫が留学された際にもう少し押してみようということになったのだ」
ガンガイル王国王家としての対応を聞いたぼくたちは謝罪受け入れまでに数日を要したことを理解した。
「あの、全然違う質問をしてもいいですか?」
話がひとまず落ち着いたことで、ボリスは自分の心配事を切り出した。
「卒業記念パーティーでぼくたちがダンスを踊ることはないですよね?」
辺境伯領で主流のダンスは男女が二列に並んで踊るものなので、いわゆる社交ダンスのように男女のペアで踊るのは王都の上級魔法学校の卒業式までない、と思っていたぼくも気になっていたことだった。
「例年は会食の会場とダンス会場は別なので、言い方は悪いけど、飯食って挨拶してさっさと帰ろう、という腹積もりなのだが……挨拶の会場をダンス会場にされてしまえば、軽い嫌がらせとして『社交界デビューの記念に踊れ』と言い出す輩がいるかもしれない」
寮長の推測に、ああ、と兄貴が顔を顰めた。
「社交界で面識を広げてあげよう、という余計なお節介という名目の意地悪があり得るでしょうね」
ウィルも渋い表情で言うと、ボリスはテーブルに突っ伏した。
「よし!訓練所をしばらくの間ダンスフロアーにして特訓しよう!オーレンハイム卿にいい教師を紹介してもらわなくては!!」
本気になった寮長がボリスの肩を叩いた。
ダンスか……。
ぼくも社交ダンスは気恥かしいな。
踊りが好きなみぃちゃんは目を輝かせているし、スライムのないはずの目が本気になっている気配がする。
やばい、ぼくも猛特訓させられそうだ!




