非常事態終了後の日常
寮長の読みは正解だった。
午後からの公安の事情聴取に備えていた寮生たちは居所を寮長に知らせていたので、即座に警告がいきわたり、二階から植木鉢が降ってきたり、馬車が近くにきているのに通行人の荷物で押し出されそうになったりするハプニングをかわして寮生たちは帰寮した。
夕食の食堂で情報は共有され、ぼくたちが考えた自衛手段を発表すると、多少の不便があっても身の安全には替えられないとして支持された。
バスの時刻表のように護衛付きで寮を出る目的地別の時間割が談話室に張り出され、集合時間に遅れたら次の回にすることが周知された。
縄跳びを繋げて電車ごっこをしたように集団で護りの結界を張る案まで出され、次年度の競技会に使えそうだと競技会参加者たちの研究魂に火がついた。
盛り上がる寮生たちに、寮内功労者として寮生たちを守った寮生を表彰する、と寮長が言い出したことで、ご褒美のチョコレートの争奪戦をかけた戦いが水面下で起こった。
一番活躍できるだろうとキュアがキラキラと輝いた笑顔を見せると、チョコレートを食べられないみぃちゃんとシロを除く魔獣たちに魔術具暴発事件で活躍したご褒美として一粒ずつ贈呈する、と寮長が宣言した。
寮長に評価されたことでスライムたちは胸を張った。
みぃちゃんにはマグロフレークが贈呈されることになったのでみぃちゃんも誇らしげだった。
「緊張感が継続することになったのに、寮生たちはいい感じに結束力が高まったわね」
王都の魔獣暴走での被害の後、身内のいざこざを目の当たりにしたことのあるお婆が涙ぐんだ。
「寮内のこの雰囲気は確かに頼もしい。だけど、緊張感が続くとじわじわと寮生たちの心を蝕むだろう。数日で決着がつくといいのだが……」
長い間のストレスのかかる生活から長期間の引き籠り生活に突入したジェイ叔父さんの心配は信憑性が高かった。
「軍幹部と話した今日の手ごたえなら、そんなに長期間にならないはずだ。だが、寮生たちには負担がかかっていることには違いない。中だるみも心配だな」
……中だるみか。
緊張感が続くと、このくらいは大丈夫じゃないかと慢心が起こるものだ。
ぼくの脳裏に黄色いヘルメットをかぶった猫が、よし、と全然大丈夫ではないのに指をさしているイメージが浮かんだ。
「寮長!ギリギリで危険を避けた事例を集めて絵の得意な寮生に、ここが危ない!とわかりやすく啓蒙するポスターを作ってもらったらどうでしょう?」
ヒヤリハットな事例を集めて面白おかしい絵にしてもらえば、寮生への啓発になるうえ、報告者への褒賞があればネタ集めに躍起になる寮生もいるはずだ、と提案すると寮長は喜んだ。
ぼくが説明のためにメモパッドに何気なく描いた植木鉢が落ちてくる四コマ漫画に触発されて啓蒙ポスターが漫画で描かれるようになり、実質、行動制限がかかった寮内で空前の漫画ブームが巻き起こることになってしまうのは、思いがけない副産物となるのだった。
こうして警戒を強めていたガンガイル王国寮生たちは誰も不慮の事故に遭うこともなく、ヒヤリハットな事例だけが面白おかしく共有され、無理なく緊張感を維持していた。
小さいオスカー殿下は第二皇子が心配したように、翌日から目の下を真っ黒にしていた。
兄貴が子犬の話に話題を振るとやつれた顔でも笑顔になった。
「人間が狂っていくのは、こうやって心を折られても救いになる場がないと、じわじわと心が蝕まれていくのかな」
ウィルの呟きに居合わせた寮生たちは無言で頷いた。
目立つ行動をした皇子たちが小さいオスカー殿下のように何らかの理由付で尋問され、幼いころから心をぽっきりと折られていたのだとしたら、皇子たちの性格がねじ曲がっていた事にも納得がいく。
獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす、という教育が現皇帝の方針だとしたら、谷底から上がってこないようなボンクラ皇子ばかりなので、上手くいっていないような気がしてならない。
他人の家庭に口を出す、どころか、帝国皇帝の教育方針に何も言えないぼくたちは、小さいオスカー殿下に友人として元気が出る薬(激マズ回復薬)を譲ってあげて、くだらない話をして気を紛らわせてあげることしかできなかった。
マリアはデイジーと行動を共にすることで危険を回避し、寮生たちと行動を共にするアーロンは、ムスタッチャ諸島諸国はガンガイル王国の寄生虫です、と卑下した。
「現状はだいぶ変化していて、ガンガイル王国はムスタッチャ諸島諸国に交易で優遇してもらっているから、アーロンは親善大使として胸を張っていいんだよ」
国土に海岸線の少ないガンガイル王国で海産物が多く消費されるようになったことで、ムスタッチャ諸島諸国との交易の価値は上がる一方だった。
「アーロンが生きて本国に帰って祠巡りの流行を作り出してくれれば、西方の海は魔力に満ちて漁獲量が増えるうえ、クラーケンがわざわざ北方まで来ることがなくなるのだから、ぼくたちがアーロンを大事にするのは当然だよ」
クラーケン襲来のパニックに遭遇した寮生たちは口調こそ茶化したように言ったが、目は本気だった。
そんなアーロンと寮生たちを、小国に集る大国ではなく持ちつ持たれつの関係とマリアは見ているようで微笑ましそうに笑っていた。
学年末を迎えた魔法学校は卒業式を目前にして浮足立っていたので、ガンガイル王国寮生たちが集団行動をしていても悪目立ちすることはなく、それはつまり、ヒヤリハットの事象が起こることもあり得る状況だったので、何が起こってもガンガイル王国寮生たちの備えがいい、という評判ばかり上がっていった。
飛行魔法学のノア先生は魔法の絨毯の音速飛行を体験したい、と熱望したが、ノア先生所有の滑空場の周辺地域の領主から許可が下りず、いい大人なのに地団駄を本当に踏んでいた。
「領主たちからすると軍に目を付けられそうな実験なうえ、爆音と衝撃波による地上に被害があることを説明したら嫌がられるのは当然ですよ」
「音速を超えて飛行するくらいなら転移魔法を使った方がもしかしたら使用魔力量が少ないかもしれませんね」
ウィルとぼくが超音速にチャレンジする意味がない、と主張すると、そうだよね、とノア先生は項垂れた。
「講座の受講生たちが試作した飛行の魔術具も、ほぼ全属性の生徒しか乗りこなせないので、一般に普及するようなものではないし、私の飛行魔法も使用魔力量の問題で半日も飛行できないのだ。使用する回復薬の金額からしても馬で移動した方が早くて安い」
馬は可愛いしね、とノア先生は馬車が廃れない理由を語った。
魔法の絨毯で滑空場に飛行することも多いが、畑の作物を収穫する時はアリスの馬車を利用している。
滑空場の農地ではキャベツの収穫を終え、春まき小麦の準備に取り掛かっていたぼくたちは広域魔法魔術具を利用してキャベツの葉をすき込んでいた。
「春キャベツは柔らかくて美味しいですから、生でバリバリ食べたいな」
出荷待ちのキャベツの山の前でボリスが呟くと、焼き鳥の付け合わせに最高だよね、と寮生たちも頷いた。
集団行動ということで見学という名目でついてきた寮生たちには農業作業員として存分に活躍してもらっていた。
「「刻んでサラダにするのではなく、そのまま丸齧りするのかい!?」」
ノア先生とグレイ先生はキャベツを手にしたボリスがまるまる一玉を齧るのかと考えたようで素っ頓狂な声をあげた。
「違いますよ。手でちぎっただけのキャベツが美味しいのですよ。夕方の大衆食堂で焼き鳥を頼むとサービスでついてきますよ。その為におまけして卸すので帝都に帰ったら行ってみてください」
地鎮祭の後、瘴気の発生が確認されていない帝都では夕刻の賑わいを取り戻していた。
「それってお酒に合いそうだね」
帰ったら一杯ひっかけよう、とノア先生とグレイ先生が言えるほど、市街地は安全な状態に戻っていた。
「美味しいもので思い出した。皇子殿下たちがガンガイル王国寮に出入りして豪華お弁当を献上させているって本当なのかい?」
職員室で噂になっている、とグレイ先生が質問した。
「寮長が不在の中、殿下たちが急に立ち寄られるので、まあ、宜しければお召し上がりください、程度の物をお渡ししているのは事実ですよ」
あれから皇子たち全員が寮に立ち寄ったので、食堂のおばちゃんたちが救護施設や孤児院の差し入れのお惣菜を持たせているのは事実だった。
「高級レストランのメニューではなく大衆食堂で食べられるものばかりですから、お持ち帰りやお弁当が貴族街から発注されることが増えたようですよ。宣伝効果は抜群で、営業時間を短縮していたころの売り上げ減少の穴埋めになったようですね」
「お陰で弁当の予約が取りにくくなったよ」
ノア先生が愚痴をこぼすように、大口のお持ち帰り予約が増えたことで、一般販売のお弁当の数が減ってしまっている。
「「早くキャベツを積んで帝都に帰ろう!」」
キャベツと焼き鳥をあてに大衆食堂でビールを飲むことを楽しみにしている二人の先生方は、大衆食堂が空いている時間に帰るべく、ぼくたちに急に発破をかけた。
南門に着くと、今日は早いね、と門番に声を掛けられたノア先生はキャベツを片手に、今日はこれで一杯ひっかけるんだ、と機嫌よく言った。
大衆食堂でキャベツをサービスする話に盛り上がっていると寮長から鳩の魔術具が飛んできた。
手紙の内容を読んだウィルの左眉が少しだけ上がった。
「なるべく早く帰寮するように、だって」
本当に急ぎの用ならスライムに伝言を頼むはずなので、魔術具の鳩を飛ばすということは寮長が帰寮していることを対外的に知らしめる目的があるのだろう。
商会の倉庫に立ち寄って収穫したキャベツを出荷すると、ぼくたちは先生方を下ろすために魔法学校に立ち寄ってから帰寮した。
途中で、急がなくていいのかい?とノア先生に訊かれたが、そもそも予定時刻より早く引き上げてきたから問題ありません、とウィルはのんびりした口調で答えていた。
「予定時刻より早く帰寮したのに、のんびりしていたなんて言われるのは心外です」
南門から西門付近まで移動してから魔法学校を経由したアリスの馬車を他の寮生たちが目撃しており、寮長に報告が上がっていた。
寮生たちやオーレンハイム卿まで急遽、談話室に集められていたのに、ぼくたちはフラフラとしていたようだった。
「公安と軍からガンガイル王国王宮の国王陛下宛に正式な謝罪文が届いた。情報の錯誤があり事実誤認の事情聴取が行われたようだ、ということで事を収めてほしいらしい」
謝罪文にそんな都合の良いこと書き連ねたのか、と寮生たちが不満気な表情になると寮長は、まあまあ続きを聞きなさい、と言った。
「帝国側の対応として、ガンガイル王国の作成していた条件で土壌改良の魔術具を定期的に購入することを約束するそうだ。これは事実上、帝国全体でガンガイル王国に反意を示さない、と約束することと同然だ。そして今回カイルたちの事情聴取に干渉した領主には引退勧告が出される」
全面的にガンガイル王国有利な条件で事を収める形となったことに、やったー!と寮生たちは歓声を上げた。
「まあ、領主の交代に伴い失脚した帝国貴族たちからは恨まれるかもしれないので、引き続き警戒は怠らないでくれ。といっても卒業式が終わるころまで集団行動を継続してくれ、ということだ」
逆恨みを警戒するのは理解できるが、卒業式までと明確に区切るのはなぜだろう?
「王宮主催の上級魔法学校卒業記念パーティーに今回事情聴取で実際に被害に遭ったメンバーが招待される運びになった。これは事実上、帝国の社交界デビューを帝国皇帝が後押しする形になる。以後ガンガイル王国寮生に害をなす者は皇帝陛下に反意あり、とみなされることになるそうだ。まだ正式に発表される前なのでくれぐれも他言無用だぞ」
寮長の爆弾発言に談話室は騒然となった。




