小さな相棒
「職務放棄はしないけれど、カイルのスライムには付き合ってほしい」
月白さんの依頼にぼくのスライムはワイルド上級精霊の意向を伺うように体を傾けた。
「私はカイルのスライムから報告を聞きたい」
「はい!承りました!!」
ワイルド上級精霊の言葉に即答したぼくのスライムはビー玉くらいの大きさに体を分裂させるとポンと飛んで月白さんの掌におさまった。
「仲良くしてくれ!」
「あたいと友達になりたいの?」
小さなぼくのスライムの分身に話しかける月白さんはただ友達が欲しかっただけのようにも見えてしまう。
「もう長い間、誰かと連れ添って行動することがなかったから、ちっこいスライムでも相棒がいるとちょっと嬉しいんだ」
「頑張ればおっきくなれるよ」
「いや、小さいままでいい」
月白さんは掌の上のぼくのスライムの分身を突いて、けっこう揺れる、と遊びだした。
「時間を動かすからもう帰ってくれ。カイルのスライムは頑張っておくれ」
ワイルド上級精霊の激励にぼくのスライムは本体までプルプルと喜びに体を震わせた。
「私も頑張るからまた来る……」
月白さんが言い終わらないうちにぼくのスライムの分身を連れて消えると、寮の食堂の時間が動き始めた。
「これが噂のオムライスか?」
悩み事の一つに解決の糸口が見えたことで第二皇子は気が楽になったのか、デイジーの大盛り親子丼を見て楽しそうに言った。
「これは違いますよ。でも美味しいです」
一口だってあげませんわ、とデイジーがどんぶりを抱えると、オムライスはこれです、とアーロンが皿を持ち上げた。
「いいね、この雰囲気。……離宮を何とかしないと、そのためには……」
第二皇子は懐からメモ帳を取り出すと何やらさらさらと書き出した。
「魔術具ですか?」
小さいオスカー殿下の質問に第二皇子は頷いた。
「私の身代わりで仕事をしている者への指示を出す魔術具だよ。お兄ちゃんはね、こう見えてちゃんと仕事をしているんだよ」
小さいオスカー殿下の肩をバンバンと叩いた第二皇子は人との距離を一気に詰めてくる感じが月白さんに似ている。
「身代わりが仕事をしているのであって、兄上が仕事をしているわけではないですよね」
「身代わりでもできる仕事なら身代わりがして、私は私の仕事をすれば二人分の仕事ができるんだぞ」
小さいオスカー殿下の突っ込みに、二人が二人分の仕事をするのは当たり前なことなのに得意気な顔をして言う第二皇子をぼくたちは呆れたように顎を引いて見つめた。
「ああ、言い方が悪かったね。皇子でなくてもできる仕事ならそもそも私がする仕事ではないから、再分配するだけだよ。うちは兄弟仲が悪いから仕事を押し付ける嫌がらせがあるんだ。だから、受け流すことも必要なんだ」
確かにそういう仕事もある、とオスカー寮長が頷くと、仕事を流される側の寮監が苦笑した。
「これでよし。軍からの問い合わせはのらりくらりかわしてください。それどころではない火種を撒いておきました」
人が変わったような第二皇子は今までしたくてもできないと諦めていたことをやりたい放題やるつもりなのだろうか。
「小さいオスカーは午後からは自分の離宮で休んでいなさい。魔力は回復薬で何とかできても、自尊心を抉られた傷は癒せない。今は興奮状態が続いているから平常心でいられるが、一人になった時にそういった傷が疼きだすんだ」
心当たりがあるかのような第二皇子の助言に小さいオスカー殿下は素直に頷いた。
「大丈夫です。兄上。初級魔獣使役師の資格が取れたので子犬を飼い始めました。まだ連れ歩けるほどの躾ができていないので、手がかかり過ぎて落ち込んでいる暇はありません」
第二皇子はぼくの魔獣たちを見遣ってから、ああ、それはいい、と笑った。
「兄上。頑張ってください」
小さいオスカー殿下が右手でグータッチの手を差し出すと第二皇子は泣きそうな笑顔で右拳を小さいオスカー殿下の拳にあてた。
席を立った第二皇子はぼくの肩を叩いて、こんな機会をくれてありがとう、と小声で言った。
内緒話の結界を解くと、寮生たちに向きあった第二皇子は全員に向けて礼を言った。
「急に押し掛けてきたのに美味しい食事と話し合いの場を提供してくれてありがとう。素晴らしい料理人がいることはもちろんで、寮生たちが職員たちに敬意を持って接しているからこのように和やかな食卓になっているんだ。この雰囲気の中に交ぜてもらえたことに感謝している」
第二皇子がただ昼食を食べに来たのではなく、後に帝国の歴史の中で語られる重要な場面に立ち会ったことを寮生たちは理解しつつも表情に出さず笑顔で第二皇子を見送った。
第二皇子の退出後、ぼくたちは互いの事情聴取の内容を差し支えない範囲で話し合った。
威圧を受け流すことはみんな簡単にできたらしいが、一人宮廷で尋問された小さいオスカー殿下が一番過酷だった。
「辛くなると、ここでいただいたオレンジの香りが服のどこかに残っていたようで、その香りがフッと漂うと正気を保つことができました」
兄貴が洗浄魔法をかけたのだから服に香りが残っているはずはなかったが、光るオレンジのお陰だと匂わせたのか、本当に匂ったのかはわからないが、小さいオスカー殿下の心の支えになったようだった。
「疲れてはいるのですが、まだ高揚感が残っているうちにちょっと質問したいことがあります」
小さいオスカー殿下は地鎮祭で帝都の上空に現れた精霊たちの魔法陣を尋問の最中に自分なりに想像したので見てほしい、とぼくたちに相談した。
話が長引きそうだから談話室に移るように、とオスカー寮長に言われると、興味のある寮生たちが談話室に移動した。
午後の予定がなくなったぼくたちは談話室で三々五々散らばって考察した魔法陣を見比べる遊びをしている間、大人たちが上を下への大騒ぎになっていたのを気にすることなく過ごすことができた。
ぼくたちがそれを知ったのは小さいオスカー殿下とマリアとデイジーとアーロンが帰宅した後だった。
「帝都で有事あり、と噂になったから急遽帝都に戻ったのに街の様子は軍人が多い以外に変化はないし、帰寮したら第一皇子と第四皇子が寮にきているなんて腰を抜かすほど驚いたよ」
ベンさんと冒険者として帝国を行脚していたクリスたちが帰寮して事の経緯を聞く前に、ぼくたちさえ知らなかった皇子たちの訪問に遭遇していた。
「なにしにきたのかよくわからないけれど手土産のお弁当を手渡すと大人しく帰って行きましたよ」
何だったのかしら、と食堂のおばちゃんがぼやいた。
オスカー寮長は軍に出向いていたらしく、男女二人いる寮監のどちらも魔術具暴発の事態収拾と地鎮祭の協力への礼として来訪していた教会関係者たちの対応をしており、居合わせた寮生と職員が大混乱を起こしていたらしい。
デイジーの食欲を見越して作り過ぎた昼食を救護施設へ手伝いに行った寮生たちの差し入れとして折詰していたお弁当を、今は皆さん手が離せない、と言いながら食堂のおばちゃんが手渡すと伝言もなく皇子たちは帰ったらしい。
「小さいオスカー殿下がまだ談話室にいらっしゃったけれど、せっかく年相応な遊びをなさっていたのですから敢えて説明しませんでした」
食堂のおばちゃんの対応をオスカー寮長は手放しで喜んだ。
「第二皇子が自身の後ろ盾の意向に背いて勝手に方針転換をし、ガンガイル王国寮は今、公安と軍の事情聴取を全面的に拒否しているから、皇子たち自らが状況を探りに来たのだろう。寮内の主要人物に門前払いを食らった形になるが、手土産があることで皇子たちはとりあえず面目が保てたからいい対応だったよ」
「小さいオスカー殿下や第二皇子の護衛たちに差し上げたお弁当より折り詰めの箱が貧相だったのですが……」
恐縮する食堂のおばちゃんに、大丈夫だ、とベンさんが言い切った。
「折りたためて繰り返し使える重箱は帝国では普及していない珍しいものだ。献上品として申し分ない」
ガンガイル王国では豪華な装飾を施さなければ献上品にふさわしくない、と考えがちだったが、質素倹約を謳う帝国の状況ではあの程度でいいと聞いて食堂のおばちゃんは安堵した。
「倹しく暮らしているとしなければいつ反乱が起こってもおかしくない状況です。帝国内は土壌改良の魔術具を販売した地域とそうでない地域で収穫高に大きな差が出ており、護りの結界が違う隣村との差は農民たちの目にも明らかになっていました」
クリスたちは滞在先で持参している食料を売ってくれ、と言われるほど貧しい村がある一方、冒険者に食料を売りつけようとする余裕のある村があったようだ。
「その、売るほどある食糧、というのもそれほど余裕があるわけではなく、春の作付けも良好な兆しがあるので隣村の親族を支援したいが、領主の派閥が違うから自分たちが直接運ぶと角が立つので冒険者が副業として行商をする形で運んでほしい、ということだった」
ベンさんは商業ギルドにも登録していたので行商を請け負う形で食料を運んだとのことだった。
「あれは酷いね。護りの結界を抜けると道草一つ生えていないんだ。いや……俺たちが留学の旅をしていたころは、どこもかしこも緑が少ないのが当たり前だったから気付かなかっただけだな」
クリスの話に上級生たちは頷いた。
「ここ数か月の目まぐるしい変化から利益を得た者と得なかった者の差を隠しようがなくなったのだな。皇子たちは自身の後ろ盾への説明のためにもうちの寮とつながりがあるように見せたいのかもしれないぞ。しばらく皇子たちが寮にきても私たちは出払っていることにしておいてくれ」
オスカー寮長は寮の責任者たちが寮外に出ていないのに不在とすることで、転移魔法で本国に帰国しているように見せかけることにした。
「寮生たちは当分の間、騎士コース選択者が護衛につく集団行動を心掛けてくれ。単独行動をしなければ行動制限はかけないが、ちょっとした事故を装って寮生たちに恩を売ろうとする輩がでてくるはずだ」
寮長が拡声魔法で寮生たちに警告を出した。
「活動地域に分けて護衛の配置を決めましょう。少し不自由ですが寮を出る時間をグループごとに分けて集団からはみ出る寮生がいないようにしましょう」
緊急事態発生時の反省も踏まえてクリスたちが護衛計画を検討し始めた。
再び緊張の日々がまだ続くことになった寮生たちだったが、自分たちで緊急事態を切り抜けた自信と今度は上級生がいる心強さも相まってノリノリで自衛手段を提案し始めた。




