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閑話#10

 心を平穏に保つのが難しい。


 若返ると、体は楽になったが心がそれに追いつかない。

 カイルが上級精霊に自分の望みではなく私の健康を願ってくれたことは、純粋に嬉しい。

 あの子は本当に優しい子だ。


 私が自分の体の異変に気がついたのは王都の魔獣暴走で夫を亡くしてからだいぶん経ってからの事だった。

 復興に忙しく働いていたので、胸が痛むのは疲労と心労だと思っていた。

 ある日、薬を納品に行ったら医者に体が歪んでいるから精密検査をした方がいいと言われたのだ。

 私には未成年の子どもたちがいるので、治療は早い方がいいと言われ、検査したのだが治療法の確立していない難病だった。

 体は苦しいが、今すぐに死ぬ病でもなく、長男が帝国から帰国して家族を一つにまとめてくれている。子どもたちが成人するまでなんとかできるはず。

 私はそう思うことで、この苦境を耐えていた。

 長男には新しい魔術具を作り出す才能がある。

 パン屋は職人に任せられるように仕込んで、子どもたちが自立するまで体を持たせられたら、私の人生はそれでいいと思っていた。

 長男のジュエルは私の不調に気がついたようで、医者に私の容態を聞きに行った、そのうえ、大事な進路を変更してしまった。

 辺境伯領専任の技術者になるというのだ。

 辺境伯領には奇跡の泉があり、そこに近い領都に住めば病状も落ち着くかもしれない、パン屋は妹に任せても、職人と恋仲になっているから大丈夫だと、もう勝手に決めてきていたのだ。

 奇跡の泉の話は伝説のようなものだ。

 だが、辺境伯領では、老人は”ピンピンコロリ”と、苦しむことなく最期を迎えられると、まことしやかに言われている。

 老後を過ごすには良い街だと一時期流行っていた。

 そのことは知っている。

 だが、ジュエルには思い人がいるのだ。

 彼女に余計な虫がつかないように、毎朝学校まで送って行き、帰りは女友達と帰れるように手配していた。

 彼女もまんざらではない様子だったので、サッサと告白でもすればいいのにと、我が息子ながらじれったいと思っていたのだった。

 彼女は生まれも育ちも王都の下町、友人の一人もいない辺境伯領についてきてくれるだろうか。

 私の病が息子の恋路を邪魔するなんて。

 年寄りはサッサと棺桶に入ればいいだけなんだから、彼女の気持ちを優先するようにと言ったら、息子は泣きながら『彼女は求婚を受けてくれた。』と言ったのだ。

 彼女が上級魔法学校を卒業するまで、自分は先行して辺境伯領に行って生活基盤を整えるから、それまで待っていてほしいと、正直に告白したら快く了承してくれたとのことだった。

 ジーンは働き者のいい娘だ。

 魔獣暴走で両親を亡くし、孤児になっても奨学金を獲得して自力で上の学校に行った。

 うちのパン屋で働きながら生活費を稼ぎ、同じような境遇の孤児に仕事の紹介や学校の勉強を見てやったりと、誠実で優しい娘だ。

 そんないい娘さんがうちにお嫁に来てくれるんだから、孫の顔を見るまで頑張って生きなくてはと、引っ越しに前向きになれた。

 ジュエルとジーンが婚約して間もなく、ジュエルは辺境伯領に行ってしまった。

 女所帯になったとたんに、ジーンの遠い親戚が結納をよこせ、と言い出してきた。

 ジーンが孤児になった時にいっさいの支援をしなかったくせに、厚かましいにも程がある。

 そんな中、頼りになったのは若手の有望株な職人だった。

 商業ギルドへ行って、こういう事態に詳しい代弁者を紹介してもらい、教会での市民登録の際に家族認定された人物ではないことを突き止め、厚かましい親族との交渉を全て終わらせてくれたのだ。

 頼もしい職人だと思ったら、長女の交際相手だった。

 娘もいい男を捕まえてくれた。

 次男は優秀な成績で王都の魔法学校を卒業して特級の奨学金を獲得して、帝国の学校に進学した。

 将来は特殊な魔術具の開発をしたいと希望している。

 ジュエルより一足先に娘が結婚をして、パン屋をすっかり任せられるようになった。

 そうして、一時帰省したジュエルとジーンは結婚し、私たちは辺境伯領へと引っ越したのだ。

 新居は新婚夫婦のお邪魔虫にならないように二世帯住宅を選んだのに、家族全員が工房を持ちたがったために世帯が一緒になった。

 噂通り、ここの水が良かったのか、越してきてから病気の進行も止まり、優しい家族と仲良く暮らせた。

 そんな中、ジュエルとジーンの最初の子ども、私の初孫は、生後ひと月ほどで亡くなってしまった。

 あんな小さな赤ん坊が信じられないほどの高熱を出して苦しんでいるのに、私の調合する薬では治すことができなかった。

 こんな婆さんの余命と引き換えにしてもいいと願ったのに、あの子は逝ってしまった。

 悲嘆にくれていた最中に、ジーンに妊娠の兆候があった。

 ジーンは駄目になる事を心配してなかなか言い出せないようでいたが、ジュエルが知ったらバカ騒ぎを始めるだろうからと様子を見ていた。

 ジュエルの鈍さは天然すぎた。

 ジーンが買い物に行けば、店員が荷物を持ってくれたり、配達を手配してくれたりと、他人でも気がつくレベルなのだ。

 それなのに、ジュエルはジーンのつわりの体調不良でさえも、気落ちしているせいだと思い込んでいたし、つわりが終わってからも、ただ単に食欲が戻り太ったとでも思っているのか気がつかなかった。

 胎動がはっきりしてから、漸く気がついた時は、嫁と二人で大笑いしたわ。

 我が家がまた明るくなった。


 ジーンの二度目の出産は安産だった。

 ケインが生まれてから、しばらくの間、私たちは神経質になって子育てをした。

 でも、赤ん坊ってこんなに手がかからないものなのかと思うくらい扱いが楽だった。

 たくさん母乳を飲んで、たっぷり寝て、ベッドから落ちそうだと思うと自分で真ん中に戻る。

 赤ん坊は、家中を笑顔にする宝物だ。

 私たちは幸せに暮らしていた。


 ケインがそろそろ三才という頃に、我が家にカイルがやってきた。


 ジュエルが出張に行っているのに騎士が訪ねてくるのは珍しく、私たちは嫌な知らせじゃなければいいと思った。

 ジュエルの担当している現場の山小屋に、強盗が入り現場の職員全員が惨殺されていた。

 管理人の子どもが衰弱しているが生きのこったとのこと。

 そして、おそらくジュエルが引き取るだろうということを聞いた。

 子どもを引き取ることは嫁も私も賛成だったが、体は衰弱しているだけでも心の傷は深いだろうと、とても心配になった。


 カイルは不思議な子どもだった。

 叡智の女神のご加護があるのは、一目見た時からわかった。

 目が違ったのだ。

 両親を亡くして悲嘆に暮れているのではなく、自分が置かれている立場をわかっていて、この場が、私たちが、仕方なく自分を引き取ったのだろうと考えている、そんな目をしていた。

 三才の子どもとはとても思えなかった。

 その時、胸の奥から、この子はうちの子だ、必ず幸せにするんだ、という言葉が湧いてきた。

 カイルが夕食を食べながら、舟をこぐように眠りについた時、ジーンが涙目で、この子はうちの子です、必ずご両親に代わって立派に育てますと宣言した。

 私たちは全員がカイルを家族として大事に育てていこうと決意した。


 それからの日々は本当に楽しかった。

 ジュエルとジーンがいろいろな玩具を作るのが羨ましくて、苦手だった錬金術を学びなおして、私も遊びに参加した。


 (くだん)の誘拐事件は恐ろしい事だったけど、子猫やらスライムたちが家族になって、我が家はさらに楽しくなった。

 老後がこんなに楽しく暮らせるなんて、王都にいた頃は考えられなかった。


 カイルの母方の親族の話が出た時は心配で堪らなかった。

 ジーンのことがあったから、しばらく連絡のない親族には、どうしても警戒してしまうのだ。

 カイルがすごくいい子なのだから、親族にもいい人はいるかも知れない。

 そう思うようにして、受け入れの準備をしたら、家族の落ち着かない気配を和ませるかのように、猫とスライムたちが、演芸を披露するものだから、私たちも合唱を披露することになってしまった。

 でもね、家族全員で何かに一生懸命取り組むのはとても楽しかったのよ。


 カイルの親族との面会はハチャメチャすぎて説明できないわ。

 結果として、とても良い人たちでうちに長期滞在することになった。

 カイルの伯母さんは雪が降る前に帰ることになるけど、カカシさんこと、マナさんは、子どもが生まれて落ち着くまで滞在して手伝ってくださることになった。

 マナさんとは、製薬の共同研究や、若返ってしまった戸惑いの相談ができてとても仲良くなった。

 製薬所の職員と会う時は、娘や姪の名前は借りず、ジュンナとして、ありのままの姿で会うことにした。

 変装して、取り繕わなくていいのは気が楽になった。


 問題は、オーレンハイム卿だけだ。

 商業ギルドに出かけるときは、変装して声を変える魔術具を使ってのり切ることにした。

 だが、あの人を誤魔化せるとは思えない。

 教会から噴水広場に居る私を見つけ出せる視力があるのだ。

 長梯子のてっぺんに登って、地面の砂糖に群がる蟻の中から、特定の蟻を見つけ出すようなものだ。

 四六時中、視力強化の魔法でも使っているのだろうか?

 マナさんが付き添ってくださるけど、どうなることやら心配でならないわ。

おまけ ~わたしは鶏のチッチ ~

 この家の住民はとても朝が早いのよ。

 でも、一番はわたしよ。

 どんなに母屋から離れていてもうち中の全員に聞こえるようにわたしの美声を響かせるのが最初の仕事よ。

 卵は一日三回生むの。この家に来てから、なぜかそういう習慣になってしまったの。

 不思議ね。

 おかげでわたしの存在価値が上がっているんだから気にしないわ。

 ここの家のお馬さんも言っていたもん。

 なんだかわからないが、ここで暮らすようになってから、より速く走れるようになった、って。

 わたしの後から来た子たちもたくさん卵が産めるようになったわ。

 後輩に生意気な子が居たから『どたまの毛を全部毟って、禿面にしてやろうか』と言ったらおとなしくなったはわ。

 今日も子どもたちがわたしのお部屋を綺麗にしてくれる。

 スライムが偉そうに肩に乗っている。

 いいなぁ。

 カイルがもう少し大きくなったら、私がカイルの右肩に乗ってみせるわ。

 その時はスライムなんか、私の糞でも食っていればいいのよ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 二重線以下《おまけ》部の誤字報告 ・わたしの後から来た子たちもだくさん卵が産めるようになったわ。→わたしの後から来た子たちもたくさん卵が産めるようになったわ。
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