人が変わるようなことはそう起こるものじゃない
前エピソードでアーロンと兄貴の威圧の記述が抜けていたので一部加筆修正しました。
話の繋がりには影響ないので再読しなくても大丈夫です。
どんくさくてごめんなさい。
公安長官がガンガイル王国留学生に向かって『邪神を信仰する精霊使い』と明言してしまった。
オスカー寮長は軽蔑した目で公安長官を見遣った。
「交渉の余地なしです。私は貴方にこれ以上お話することはありません。寮生たちの事情聴取は禁止といたします。抗議があるのでしたらガンガイル王国王宮に直接書面にて行ってください。貴方や、そこのジェイ君の拘束を指示したと思しき人物が、公安及び関係組織に名を連ねる限りガンガイル王国寮代表としてこの考えを覆すことはありません」
オスカー寮長は公安関連組織を含めて長官と危険人物の排除がなされない限りガンガイル王国寮生たちの事情聴取は認めないと宣言した。
精霊たちはオスカー寮長の発言を支持するかのように寮長の周りに集まりだした。
「凄いですね。オスカー寮長が精霊使いみたいですよ」
妖精使いであることを隠しているデイジーが、からかうように言うと、面白がった精霊たちはデイジーの周りでクルクル回りだした。
「こうやってそこら中にいる精霊たちが少しでも出現すると、精霊使いだと断定して処罰されてしまうので、精霊たちが姿を現さなくなってしまったのは当然ですわね」
デイジーの髪の毛の中に入り込んだ精霊に手を伸ばしてマリアが言うと、ぼくたちは頷いた。
「第二皇子がせっかく助言をくださったのに……」
ぼくが威圧を放ったので威圧を受けた量が少なかった幹部がガックリと肩を落とすと、寮長は肩を叩いた。
「貴方がガンガイル王国寮生たちに心を配っていただいたことを私は決して忘れません」
公安の中でもオスカー寮長が個人的に親しかったらしい幹部に、組織と個人は別だ、と声を掛けた。
帝都内の治安を担当する公安の関係者たちには留学早々の中央広場での精霊たちの出現や中央教会の孤児たちの捜索の時にもお世話になっていた。
公安の組織全体を非難するというより、ガンガイル王国を不当に扱うことは断固許さない、という姿勢を寮長が見せつけたところでぼくたちは帰るつもりだったが、長官室の中にいても聞こえてくる廊下のざわめきにぼくたちは振り返って扉に注目した。
ざわめきがそのまま近くなりバタンと勢いよく扉が開いた。
「カイル君!小さいオスカーを連れてきたよ!」
第二皇子は額から一筋の血を流している小さいオスカー殿下の右手を掴んで強引に引っ張ってきた。
「まあ、殿下。大丈夫ですか!」
血を流し引きずられてきた小さいオスカー殿下に競技会でチームメイトだったマリアとデイジーとアーロンが駆け寄った。
「兄上から癒しを受けたので傷口はふさがっています。どうして公安まで引きずられてきたのかよくわからないのですが……」
「ああ、それは私がカイル君と約束したからだ」
満身創痍の小さいオスカー殿下を引きずってでも連れてきてほしいなんて約束はしていない。
「いや、それがね。やっぱりあの状況は苦手だったから、事実を突きつけて小さいオスカーを強奪してきた」
ちょっと待った!
第四皇子に変装したまま、小さいオスカー殿下を奪還してきたのか!
「積もる話はうちの寮でしましょう。皆さんそれでよろしいですか?」
オスカー寮長の提案にデイジーとマリアも賛同した。
アリスの馬車に小さいオスカー殿下の保護者面をして第二皇子も馬車に乗り込んできたが、当の小さいオスカー殿下は兄貴の隣に座って兄貴の肩にもたれかかっていた。
「ぶっちゃけ、小さいオスカーは目立ちすぎたんだ」
第二皇子はアリスの馬車の内装に興味津々な様子を見せつつも、ぐったりとして元気のない小さいオスカー殿下を見遣って言った。
「競技会の活躍に続き、市街地での大立ち回りと続けば、さすがに他の皇子たちが放置できない事態だよ。少し傷めつけてやろうという段階ではなく、本格的に小さいオスカーの瑕疵を探して公人として生活できないよう排除する方針に出たようだ」
第二皇子の言葉に女性陣が息をのんだ。
「今日はそこまで酷い尋問じゃなかったよ。まあ、尋問の椅子は皇帝陛下の夫人の浮気の検証なんかにも使われるので、戯曲にも登場するから秘密の魔術具というわけではないんだ」
第二皇子の説明に、ああ、と納得したのはデイジーとマリアとアンナさんだけで、舞台芸術に興味のないぼくたちは、そうなのですか、としか言えなかった。
「戯曲では大抵のところ夫人が身の潔白を証明する場面に使われて盛り上がる箇所なのだけど、現実には審問官にとって都合の良い証言が取れるまで魔力を吸い取られながら、人には隠しておきたい個人的な秘密をネチネチ暴露しながら精神的に追い詰めていくやり口なんだ」
小さいオスカー殿下の初恋や、魔法学校で無理やり下駄をはかされた実績を作るために入学式でガンガイル王国寮生たちに虚偽の食中毒を起こさせようとしたことなど、小さいオスカー殿下の弱点はぼくが思いつくだけでも幾つもある。
「いいのです、兄上。全ては自分が愚かだったから起こった出来事で、そんなことを今さらほじくり返されたって事実だから仕方がないのです。……でも、私が許せなかったのはあんなに死力を尽くして奔走してくださったガンガイル王国関係者たちを悪し様にしようと事実を捻じ曲げるようにと誘導されることに絶対に屈したくなかったのです」
小さいオスカー殿下の額の傷は厳しい尋問に屈しないために抵抗して自らテーブルに額を打ち付けた時のものらしい。
「私たちのために、ありがとうございます」
オスカー寮長の感謝の言葉に兄貴に寄りかかったままの小さいオスカー殿下は微笑んだ。
「ありがとうございます、という言葉は私が皆さんに言いたかった言葉です。生きる道を見失って漂うように生きていた私はあの奇妙な入学式の時カイルと友達にならなければならないと天啓を受けるように感じて迷惑も考えずに申し込まなければ、私は今も恥ずべき人生の延長をただただ生きているだけでした」
十やそこらの子どもが恥ずべき人生の延長、と言ったことに感じ入ることがあったのか、第二皇子は自分で自分の胸元を掴んだ。
「私が誇り高く生きることで母を追い詰めてしまうことは一見親不孝かもしれませんが、私は帝国の歴史に恥じない生き方をして朽ちたいのです」
「まだ、とうぶん死にませんよ。小さいオスカー殿下にはやるべきことがあって、そのことを殿下自身が心の奥底で気が付いて努力することを選びましたからね。でも、無理はしなくていいんです。まだ子どもですから。夢を現実にする方法を模索している時間はあっという間に過ぎていきます。長生きしますよ」
心底疲れている小さいオスカー殿下に優しく語り掛ける兄貴に、母さんかよ、とぼくと魔獣たちは精霊言語で突っ込んだが、この人たらしが、とデイジーは精霊言語で突っ込みを入れた。
「もう子どもじゃない私が気付いたことを、現実を見据えて実現させるよ」
第二皇子の呟きは、この状況をボンクラ第二皇子では今すぐどうにか出来なくても未来につながる言葉としてぼくたちの胸にいくばくかの希望を灯した。
「現実は相当の茨の道ですよ」
オスカー寮長が指摘すると、もう後には引けませんから、と第二皇子は笑った。
「それならしっかり頑張ってね」
デイジーが気安く言えるということは、第二皇子は本当にまともになれる未来が存在するということだろうか?
“……ご主人様。この方は不確定要素が多すぎて未来が多数あり過ぎます”
シロの白昼夢では全裸という状況が奇異だっただけでハロハロやディーの時ほど過激な回想ではなかったはずだ。
“……内心では第二皇子も帝国の矛盾に気付いていながら、気が付かないふりをしたところもあったのかもしれません。ですが、上級精霊様が廊下にいたので内なる善良さが引き出されたのかもしれません”
上級精霊のそばにいると人間は上級精霊が思う通りの行動を起こすことがあるが、本人の内なる本質にそぐわなければ行動に移さないだろう。
上級精霊にそんなことができるのなら、大聖堂の枢機卿たちをこんな事態になる前に月白色の髪の上級精霊に何とかしてほしかった。
いや、大聖堂の枢機卿たちがみんな腐っていたのに教皇だけがまともだった時点で月白色の髪の上級精霊の影響があったのだろう。
“……うちの上級精霊様が素晴らしすぎるだけじゃないかしら?”
ぼくのスライムの贔屓目にみぃちゃんもキュアも頷いた。
従者ワイルドとして馬車に乗る上級精霊は無表情で、第二皇子の変化に介入したような素振りは一切なかった。
まだ第二皇子を全面的に信頼しない方がいいのかもしれない。
寮に到着する前に兄貴は小さいオスカー殿下に清掃魔法をかけて制服に落ちた血を洗い流した。
散々魔力を搾り取られた小さいオスカー殿下の魔力を素知らぬ顔で使用するあたりが兄貴も容赦ないな。
「今朝、盛大に見送ってもらったのに昼に戻ってきたので、少し気恥しいです」
見た目はこざっぱりとした小さいオスカー殿下が寮の正面玄関に降り立つと、宮殿からずっと追ってきた護衛たちの表情が緩んだ。
「そんなことを気にしないで、ふらっと遊びにきてください」
オスカー寮長の言葉に小さいオスカー殿下は嬉しそうに頬をあげた。
ガンガイル王国は第七皇子を推すのか、と第二皇子が呟くと、寮生たちのご友人です、と即座にオスカー寮長が訂正した。
「この世代に生まれたかった……」
「皇位継承権がその分さがりますよ」
ウィルの間髪を入れない突っ込みに、そうだった、と第二皇子は気さくに笑った。
授業がなく寮に残っていた寮生たちは皇子たちの中でも飛び抜けて不遜な態度だった第二皇子が、人好きするような爽やかな笑顔を見せたことに驚きを隠せなかった。
「公安での事情聴取の内容をざっと説明するから、居残っている寮生たちは食堂に集まるように」
オスカー寮長が館内放送のように拡声魔法で寮生たちに呼びかけた。
食堂という言葉にデイジーが目を輝かせた。
「ガンガイル王国寮の食堂は本当に美味しいのですよ、兄上」
「それは楽しみだ」
皇子二人の背後に立つ護衛たちに、お弁当を用意しますね、と寮監が声を掛けると、小さいオスカー殿下の護衛たちの頬が緩み第二皇子の護衛たちは困惑した表情になった。
「それでは、午後の事情聴取自体がなくなったのですね」
オスカー寮長から事情を聞いたお婆の質問に寮長は頷いた。
「軍からの事情聴取の依頼は来ていません」
寮監の報告に、そうか、とオスカー寮長が頷くと、第二皇子が話に割って入った。
「帝国軍としては、ガンガイル王国への対応は慎重にした方がいいと十重に念を押した書類を提出してあるから、今日明日すぐに動きがあることはないはずだ」
第二皇子は断言した。
「ガンガイル王国と争いたくないが、国内的には魔術具暴発事件にガンガイル王国留学生たちにも責任があったかのように見せかけておきたい、との思惑で軍は動いていた」
そんなことをぶっちゃけていいのか!とぼくたちは驚愕の表情で第二皇子を見た。
「軍が責任を公安に押し付けて、うまく切り抜けようとするだろうと私でも思いつくくらいだから誰でも想像できるでしょう?秘密にするようなことではないだろう」
ハハハハハ、と軽く笑う第二皇子に、それもそうね、とデイジーが笑った。
本音のところはどうだか知れないが、誠実に対応する、と言った第二皇子は約束を果たそうとしているように見える。
デイジーに勧められたミックスフライ定食に舌鼓を打ちながら、小さいオスカー殿下のハンバーグ定食を一口もらい、第二皇子は満面の笑みになった。
「毎日ここに通いたい……」
「大衆食堂で同じメニューがありますよ、兄上」
小さいオスカー殿下は本当に毎日でも押しかけてきそうな第二皇子を下町に誘導した。
「ああ、そっちも行って見たいが、とうぶんの間は時間が取れないだろう」
真顔になった第二皇子はオスカー寮長に向き合った。
「今回の件の落とし前を教会につけさせようかと私は考えています。帝国内への司祭の派遣に影響が出るのを恐れてなかなか教会に強く出ることはできなかったが、今回のことをガンガイル王国や諸外国のせいにしてはいけない」
「その方針が宮廷内で認められるとは思えませんが……」
司祭の派遣を止められたら国が立ち行かなくなるのはどこの国でも同じはずだ、と声を潜めたオスカー寮長が第二皇子に続けて言った。
「司祭の派遣は止めさせません。私は記憶力がいいことが取り柄なのですよ。魔法学校時代の友人に教会内部に詳しい人物がいるので連絡を入れました」
その方はたぶん友人じゃない、と小さいオスカー殿下は声を出さずに口だけ動かした。
“……同級生名簿を思い出しただけだろうね”
ぼくのスライムの精霊言語での突っ込みが的確すぎて、とっさに腹筋に身体強化をかけた。




