あべこべの事情聴取
聴取室に戻った第二皇子は公安聴取官の制服を着ている自分の腕や体を見て安堵の表情を浮かべたが、こっちが現実だったのか!と頭を抱えた。
「『はい』か『いいえ』以外にもまともな返答をいただけるくらい頭がすっきりしましたか?」
何の脈絡もなく第二皇子に話し始めたぼくに聴取官たちは怪訝な表情を浮かべたが、第二皇子はハッとした表情でぼくを見た。
「……君があの夢を見せたのか!」
あー、あー、わー、あーと聴取官たちが第二皇子の声に被せたが、第二皇子はうんざりしたように左右の聴取官を見遣って、うるさい!とさけんだ。
「もういいんだ。失言はポロポロするだろうけれど、ガンガイル王国を敵視する発言はもうしない。そもそも帝都中の市民が避難しながらガンガイル王国寮生たちが活躍したのを目撃していたのに、今までのように貴族や軍の押し付けた証言を信じる市民はいないだろう。……いや、今までだって体制に逆らえないから口を噤んでいただけかもしれない」
大きな溜息をついてまともなことを言い始めた第二皇子に聴取官たちは目を丸くした。
「うん。自分の考えを口にするということは悪くない。私はそこそこ優秀なのにそこそこ愚鈍でいるように育てられたので、自分の考えを口にすることはなかっただけなのだ」
ついさっきまで散々言いたい放題言っていた第二皇子が、あれは自分の考えではなかったと、突如として否定したことに聴取官たちはついていけず、殿下は退室された方がよろしいです、と強制退場させようと席を立った。
「座りなさい。お前たちもおじい様の手の者たちだろう?だったらハッキリ言っておくよ。おじい様は潮目を読み間違えた。派閥の長として私を皇太子候補にするため援助をしていたけれど、おじい様は本気で私を皇太子にするつもりはなかったのだろう。そうでなければ、私から判断力を奪うような教育をしないはずだ」
聴取官たちには何の話か分からなくても第二皇子が自分の最大の後援者を否定する発言をしたことを理解したので第二皇子に一斉に威圧をかけた。
「おいおい、皇子に威圧をかけるのかい?」
第二皇子は笑いながら全身に身体強化をかけて威圧をはねのけた。
「オスカー寮長殿下みたいに威圧を溜めてから跳ね返せたらカッコいいけれど、そうでなくてもこの程度の威圧に屈するようでは、私は幼少期にとっくに死んでいただろうね」
開き直った第二皇子は、異母兄弟間の争いのせいなのか、熾烈な躾のせいなのか明言こそしなかったが並みの育ち方をしていないと言い切った。
「妻と子どもたちは妻の実家に避難させて私は軍の宿舎に滞在することにしよう。私はもう離宮に戻らないよ。そうすればおじい様の影響力など気にしなくて済む」
「「「「殿下!一体どういうことですか!」」」」
思い付きで家出宣言をした第二皇子に聴取官たちの声が裏返った。
「おじい様の後ろ盾はいらない。父上はご自身の母の実家を頼らずに皇帝の座に即位された。国民の血色一つ見ないおじい様の影響をもう受けたくないだけだ。離宮に帰るとおじい様の手の者たちが私を言いくるめようとするだろう。お前たちの威圧を私はもう跳ね除けることができるけれど煩わしいし、その魔力を魔力奉納に使った方が神々のご利益がありそうだ」
遅れて来た反抗期のような態度を取り始めた第二皇子を抑え込むのは自分たちでは無理だと判断した聴取官の一人が部屋を出ようとした。
「現状報告に行くのでしたら、まだやめておいた方がいいですよ」
第二皇子から小さいオスカー殿下の状況を聞き出していないのに、ここで第二皇子が拘束されたら都合が悪いので、いまいち自分が置かれている状況がわかっていない第二皇子にぼくは助け船を出すことにした。
「自動筆記の魔術具はまだこの部屋から出ていないので、第二皇子が家人に唆されてガンガイル王国寮生をハメようとしたことを告白したことは、この部屋の中の人しか知らないのですよ。今ならなかったことにする交渉ができないわけではないのです」
ぼくはテーブルの上の自動筆記の魔術具をコンコンと指で叩いて、第二皇子の奇行を報告に行こうとした聴取官に声を掛けた。
「「「「なかったことに……」」」」
四人の聴取官たちはごくりと生唾を飲み込んだ。
「なかったことに、と言いましたが、自動筆記の魔術具は編集したら痕跡が残ります。ですが、誰でも見られる文書でガンガイル王国を蔑む表現があったことを一旦隠すことができます」
ドアノブに手をかけていた聴取官は、一時的なものか、とがっくり肩を落とした。
「いえ、もう不可能なほど失態をしているのは第二皇子殿下だけではないので、少し時間を遅らせることができたら主犯を他の派閥に押し付けることができますよ。オスカー寮長はご自分に威圧をかけた人物の名前所属家族関係派閥の交際範囲まで全て調べています。土壌改良の魔術具の販売契約に当たって、ガンガイル王国を不当に扱わない、という箇所がありその中にガンガイル王国国民の扱いについても、尊重して扱うこと、という項目があるので、たとえオスカー寮長が王族ではなかったとしても、もう違反しているのです。ですから、発覚が遅くなれば第二皇子殿下の失態は全体的には薄まって見えます」
他の派閥もやっている、ということで帳消しにはならないけれど、心証は変わる、という発言に聴取官たちは一瞬ホッとした表情を見せた。
「でも、ガンカイル王国国民を尊重する、という文言がありながら、何故おじい様はこんなことを企んで上手くいくと考えたんだ?」
第二皇子の素朴な疑問の言葉は、再び聴取官たちの後頭部を契約書の束でぶん殴ったかのような威力を発揮し、聴取官たちの顔色が一気に真っ青になった。
「かつてこの方法で上手く言った実例でもあったのでしょう。国内でしたら脅して契約書を書き換えさせることができるのでしょうが、相手が外国では無理でしょうね。ですから、ぼくがこの部屋に入る前からもう、事態はかなり深刻な状況になっているのですよ。でも、この状態でお引止めしたのにはそれなりの理由があります。まあ、座って話をしませんか?」
深刻な外交問題になるだろうと臭わせただけで次の話に移ろうとするぼくに、聴取官たちは気味の悪い少年を見るような目でぼくを見た。
「着席したということは話を聞く気があるのですね。では、まず先に第二皇子殿下がおっしゃった『あの夢』という話ですが、ぼくは何もしていません。ぼくがこの部屋に入室してから魔力を使用した形跡はありましたか?」
ぼくの質問に四人の聴取官たちは、なかった、と明言した
「そうですね。ぼくも魔獣たちも何もしていません」
シロは魔獣ではないので嘘ではない。
「第二皇子殿下は母方の実家の援助を断っても皇太子候補でいることは諦めない、と仰いましたね」
第二皇子は素直に頷いた。
「急にそう思いたつような白昼夢でもこの一瞬で見た、ということでしょうか?」
白昼夢という言葉に合点がいったのか第二皇子は、奇矯な夢を見た、と肯定した。
「おそらく精霊のいたずらでしょう。学術的研究として裏付けがあることではありませんが、第二皇子殿下には精霊たちを引きつける素質があるのかもしれません。まあ、そう早合点で喜ばないでください、素質というのは思いのほか誰でもあるのですよ。これについてはぼくの母方が緑の一族なので、族長に聞いた話なので根拠はあります。素質があっても大国の王たる素養を養えるのはごく一部の人間なので、第二皇子殿下をぼくが推すということではありません」
素質と素養の話をすると、血筋だけでは駄目で修養が必要ということか、と第二皇子はすんなりと話を聞き入れた。
亜空間の白昼夢を経験して憑き物が落ちた第二皇子は話を聞く耳を獲得したようだ。
「今の殿下は思春期に反抗期がなかった従順な青年が正当に自己主張をしても良いと気付いたばかりのようで見ていてとても危ういのです」
父さんより年上の第二皇子に対して十やそこらの少年が言うのはおかしいが、四人の聴取官たちは第二皇子の突然の変化に、遅れて来た反抗期か!と合点がいったようだ。
「思春期の反抗期?」
「そうです。個人差はありますがぼくの同級生くらいから始まる子もいれば成人後の十六歳以降で現れる人もいます。殿下は皇太子候補として言動をことごとく制御されていらしたでしょうから思春期の反抗期がなかったのでしょう。大人になるために自分の周囲の大人たちの理不尽さに抵抗しようとする気持ちが芽生えてくることなので、思春期の反抗期は大人にとっては都合が悪いですが、少年が青年になるための通過儀礼としてあっていいことだとぼくは考えています」
ぼくの説明に四人の聴取官たちは心当たりがあったのか、ああ、と項垂れた。
「ですが第二皇子殿下は少しどころかだいぶ遅い反抗期なので、現在の責任と正義の抵抗とを両天秤にかける必要があります。いま離宮を出ることは奥様と子たちに不利益を与えることになります。不快でしょうがここはまだ離宮に留まって自身の足場を固めてください」
ぼくの話に第二皇子は顔を顰めた。
自分を躾と称して虐待していた人物が取り仕切る離宮に帰りたくないだろう。
「いいですか、殿下。人生の時間を遡ることはできませんが、やり直すことはできるのです」
全裸の白昼夢の方が現実よりましだと考えていた第二皇子はぼくの言葉に関心を持ったのか身を乗り出した。
「第二皇子自身が足場を固める前に行動を起こしても上手くいかない可能性の方が高いでしょうから当面は我慢してください」
足場を固めるという言葉に自分の足元を見た第二皇子は、そうか、と力なく言った。
「ここまでがまず、聴取官が部屋を出ようとしたのを止めた大前提です。殿下は離宮でいつも通りでいてください」
家出騒動を止めることができそうなので聴取官たちはひとまず胸をなでおろした。
「第二夫人の派閥はもはや瓦解しています。皆さんが派閥の頭領に忠義を示したところで未来はこれまで通りには行きません。ですから、あなたたちは忠義を誓うのは第二夫人派の頭領か、第二皇子殿下なのか、あるいはすべてを捨てて出奔するかの三択なのですよ」
ぼくの語り口に聴取官たちは青ざめた。
「ね、話を聞いてから部屋を出るか決めた方がいいでしょう?」
ぼくが微笑むと四人の聴取官は無言で頷いた。
「つまり国土の魔力が薄まっているから、帝都の魔力で補おうと引っ張られて薄くなっているということなのか!」
自分たちが無能だったから瘴気が立て続けに湧いたのではなく、諸侯たちの領地が足を引っ張っていた、というぼくの説に第二皇子は食いついた。
「蝗害の発生源と被災地の流れを見てください」
メモパッドに簡単な地図を書き込むと聴取官たちも身を乗り出した。
「ああ、判断力はともかくとして記憶力だけは抜群な私から見ると、飛蝗の群れの流れは理に適っている」
農耕地の面積と収穫高を比較して蝗害の発生源の領地は収穫高が不安定で自力で古代魔法の雨乞いの儀式を再現するような自助努力が斜め上の発想の地域だった、と第二皇子は溜息をついた。
「ここで大量発生した飛蝗が魔力の多い緑豊かなおじい様の領地にまっしぐらに進むのは当たり前だな」
糞爺の自業自得じゃないか、と第二皇子が呟くと聴取官たちは顔を顰めた。
ここにいる全員を間諜にするのは難しいかな、と思いつつ話を進めた。
「(痛めつけて手を差し伸べるという)旧態依然とした考え方ではこうしたことが繰り返され、遠からず破綻するのです。目先に起こった出来事をガンガイル王国のせいにしても、派閥の土地全体の魔力量は時間と共に低い方に均一化されてしまうので、問題が明かるみになっても責任を他者に押し付けることを選択してもみんな貧しくなるだけです」
どうしたらいいのだ、と頭を抱える聴取官たちに、ぼくにとっては外国のことだから自分たちで考えてください、と軽く流した。
「まあ、ぼくの個人的見解がないわけではないですが、これ以上お話する利点がぼくには有りません。ですが、一つ言えることがあるとしたら土壌改良の魔術具の開発者はぼくです」
ここまではガンガイル王国の寮生たちの濡れ衣を晴らし、午後から行われるお婆の事情聴取を楽に終わらせたい、という下心があったから情報を大放出した。
そこに支援の打ち切りどころか賠償金の発生さえ起こりうる事態に、ぼくの口利き次第で覆せるかもしれないよと匂わせた。
「自動筆記の魔術具の記録で、そちらさんに都合の悪い箇所の発覚を一時的にでも遅らせる利点は理解していただけたようなので、こちらも記録に残したくない質問をしますね」
ぼくが有利の状態で続くあべこべの事情聴取に四人の聴取官は、どんな質問がくるのか、と警戒するように顎を引いた。
「答えられる事なら何でも話そう。私に退路はないから君をこれ以上敵に回したくない」
率直に答えた第二皇子に、せっかく聴取官たちを直属の部下にするチャンスだったのに、人心掌握するような言葉の選択ができないのかな?とぼくの魔獣たちが残念がった。
「宮殿で今ごろ事情聴取されているはずの小さいオスカー殿下を放置しているのはなぜですか?」
第二皇子はそんな事か、とたいして重要ではないかのように言った。
「小さいオスカーは昨日の今日で無理がたたったかのように見せるため、宮殿での魔力奉納を強要し続けた後、尋問するだけだ。教会の不手際を強調してしまうと地方への司祭の派遣に影響が出るので、おじい様がガンガイル王国のせいにしようとしたように、他の派閥も東方連合国やキリシア公国やガンガイル王国に罪を擦り付けようと画策しているが、暴発事故の発生現場が五つもあるのに姫たちは一か所にしかいなかった。おじい様は軍だけでなく公安も押さえているからそこを考慮してガンガイル王国を狙って潰しにかかったのかな?」
魔術具暴発をデイジーとマリアに押し付けるのは無理があり過ぎるだろう。
ああ、そこにガンガイル王国も絡めて目障りな留学生たちをまとめて国外追放にでも持ち込む気だったのだろうか?
「小さいオスカー殿下は事情聴取じゃなくて尋問ですか?」
ぼくの質問に第二皇子はうんざりしたような表情になった。
「うーん。そこは言葉の違いに意味があるのかわからない。審問官の望む回答が出るまで尋問するようだね。……宮殿の尋問は見ていて気分が悪くなるようなもので、正直関わりたくない……。ああ、こうやって、私は見たくないものから目を背けてきたのか」
自己内の矛盾に気付いた第二皇子は首を何度も小さく横に振った。
 




