裸エプロンの白昼夢
シロから小さいオスカー殿下の言葉を精霊言語で脳内で聞いた第二皇子は赤くなった顔色を青くして力なく座り込んだ。
「あなた、今日くらいお休みなさってもよろしいのではありませんか?」
「奥様、今日は特別な日ですので、回復薬を服用してでも精力的に活動してもらわなければなりません」
第二皇子を甘やかそうとする夫人に、執事は眉一つ動かさずに冷ややかに言った。
「競技会のロイヤルボックスを押さえていた第一皇子を出し抜いてガンガイル王国の注目選手に招待状を先に出したのですから、欠席されると今後のガンガイル王国からの支援が第一皇子派に流れてしまいます。奥様の肩に下がっているストールもガンガイル王国の製品で、本日招待した寮生の出身地の特産の布です。殿下もせっかく丸暗記した受け答えを無駄にするおつもりはないでしょう」
第二皇子は前かがみに浅く椅子に腰かけて股間を必死に隠しながら、準備を無駄にするわけにはいかないか、と重い口調で言った。
シロが白昼夢に選んだ日がぼくたちがロイヤルボックスに招待された日だったなんて、このまま第二皇子が外出したら全裸の第二皇子とぼくたちは競技会の観戦をしなければいけないのか!
“……ご主人様。さすがにそんな悪趣味なことはしません。第一皇子と第二皇子のどちらがまともかと比べられないほど、彼らは派閥の傀儡なのです。そのことを少しだけ確認するだけです”
受け答え用の言葉を丸暗記していた、という時点で第二皇子は決められたこと以外を話すと馬鹿丸出しになるからなのだろう。
そういえば、第一皇子も横柄でパッとしない印象だったな。
「いいですか、第一皇子が口を開く前に発言をして、あくまで殿下が主体になっているように印象付けることが大切です。重要な話は競技会の後、我々も立ち会ってしますから、殿下は寮長のみを誘い出していただければ十分です」
執事の言葉に第二皇子は大人しく頷いた。
第二皇子を直接コントロールしているのはこの執事のようだ。
従者がお茶のおかわりを注いでもカップは空なのに、第二皇子はこの状況に慣れてしまったのか自然な動作でないお茶を飲んだ。
それで喉が潤されるのならば、本物があってもなくても気にかけないのだろうか。
使用人の一人がやってきて第二皇子に目礼すると、執事の耳元で何か囁いて顔を上げると赤面していた。
「殿下。第一皇子は軍服を着用なさっているようです。お召し替えをして軍での地位も第一皇子に劣っていないことを示さなくてはなりません」
さっきまでなるようになれ、とでもいうかのようにないお茶を啜っていた第二皇子は、執事に耳打ちした使用人が顔を背けて赤面していることで、軍服に着替えたとしても使用人たちには全裸のまま外出するように見えるのでは、と気づいたようで声を大にして言った。
「この部屋にいる全員が私はこのまま外出してもかまわないと思うのか!」
テーブルを叩いて立ち上がった第二皇子はティーカップのソーサーを局部にあてがう配慮をみせて部屋の隅に控えていた女性従業員たちを見た。
顔を赤らめて下を向く女性従業員たちの反応に、第二皇子は確信したように何度も頷くと幼少期から使えている従者に向って言った。
「ほら、朝目覚めた時から訴えている通り、わたしは全裸ではないか!」
第二皇子の言葉に執事と夫人は何を言い出すのかと眉を顰めた。
「お前たちに見えているものが、従業員たちには見えていない。ああ、そうか。小さいオスカーが言っていたことはこういうことなのか。おい、そのお前が身につけているエプロンを貸してくれないか?」
第二皇子は年配の女性従業員に声を掛けてエプロンを身につけると、執事と夫人が顎を引いた。
「何をお考えなのですか!」
「いや、わたしはこの部屋にいる全ての女性に配慮するならこうして前を隠すのが正しい行動なのだ」
猥褻物をプラプラぶら下げているのを見せつけるより、裸エプロンでもいいから隠そうとした第二皇子の行為はこの場では適切だと思うけれど、真っ白な亜空間のソファーでのんびり座って見ていたぼくと魔獣たちはゲラゲラと声をあげて笑ってしまった。
「私が今まで気にかけていなかった人々の仕事の恩恵をわたしは享受できない呪いをかけられてる。それなので、私は今、全裸で朝食には皿しか出てこなかった。食べたふりをしたら満腹感を得られるのだから私に見えないだけでそこにあったのかもしれない。だが、わたしには見えないのだ。私の朝食は一体何だったのか、そこのお前、教えてくれないか?」
第二皇子に指をさされた女性従業員はおどおどと執事の機嫌を窺うように上目づかいに執事を見ると圧を感じて言い淀んだ。
「この離宮の主人は私だ。お前の一言で勤務態度に関係なく解雇されるような事には……いや、お前の勤務態度を私は知らない。何とでも理由付けができるのだな……」
第二皇子は執事を訝しげに睨みつけた。
「この離宮では従業員にろくな賄いも出していないのか?皆やけに痩せ細って血色が悪い」
「いえ、そのようなことはございません」
「それならなぜ、中年の女性従業員まで皆枯れ木のように細い腕をしているのだ?」
「皆、勤勉に己の職務を全うしているので余計な脂肪がないだけです」
ハハハハハ、と第二皇子は大げさに笑った。
「ならば母上は己の職務を全うして勤勉に働いていないからあんなに弛んでいるんだな!」
第二皇子の発言に夫人が眉を顰めた。
「使用人の健康状態を改善するのは執事の仕事だよな?私は今まで使用人の血色を気にも留めていなかったが、お前は把握しなければいけない立場にありながら見ようとしていなかった。いや、知っていてそれでもなお使用人たちを酷使しようとしていたのだろう。ああ、小さいオスカーが何を言っていたのかがようやくわかった。私がこの離宮の主人なのだから私に無断で君が解雇されることはない。私が今どんな姿をしているか率直に見たままを言ってくれないかい?」
怯えている女性従業員を宥めるように優しく問いかけると、困惑しつつも女性従業員は口を開いた。
「……殿下は全裸にメイドのエプロンを着用されています。今朝の朝食は大麦のポリッジを奥様だけお召し上がりになりましたが、殿下の皿は空でした」
女性従業員の言葉に他の使用人たちも頷いた。
「そうだろう。私はこんな事態を夢だと思わなかったのは、長い夢を見ていて、そっちが夢だったならよかったと思うほどひどかったからだ。競技会はガンガイル王国留学生チームが優勝し、東方連合国混合チームは準優勝ながらも小さいオスカーが実力で最優秀選手になる。ああ、今日の会談は第一皇子と同じ条件でしかガンガイル王国のオスカー寮長殿下は取引に応じないし、その後、残りの四人の皇子たちにも同様の対応しか彼はしない。……そうだ!小さいオスカーへの差し入れに食あたりを起こすようなものを送るなよ。諸外国の留学生たちに皇子たち全員が小さいオスカーに嫌がらせをしている、というか、皇族は互いに害しあっている事実を公表することになるだけだ」
止まらない第二皇子の未来予測?に執事と夫人は首を傾げた。
「まあ、これはまだ夢でよかった思うことの中でも序の口で、真昼間から帝都で闇魔法の魔術具が複数暴発して、帝都のいたるところで瘴気が湧く。これを最小限の被害に抑え込むのがガンガイル王国の留学生たちとその関係者で、暴発した魔術具を封印したのは、これまた聖地巡礼で教会都市の大聖堂にいたはずのガンガイル王国留学生たちが音より早く連れてきた教皇猊下が浄化と封印の雷を落とすのだ」
裸エプロンの第二皇子の話が荒唐無稽すぎて執事も夫人もいよいよ第二皇子の頭がおかしくなったのでは?という印象を深めただけだった。
「瘴気の発生源は教皇猊下が抑え込むのだが、瘴気が湧きやすくなってしまった状況を打破するために中央教会での地鎮祭を教皇猊下が取り仕切る。そこで七人の皇子が七大神の祠に魔力奉納をして帝都の護りの力を強めて地鎮祭成功の後押しをしたんだ」
「まさか!ありえないことです!七人の皇子が協力し合ったのですか!」
ようやく口を挟んだ執事に、第二皇子は不快そうな視線を向けた。
「なぜあり得ないのだ?私に第一皇子に出遅れるな、と言いながら出しゃばり過ぎるな、とお前はいつも言い続けていたじゃないか。どの皇子も足並みを揃えたら全員で魔力奉納をすることになるのはあり得ることだろう?」
裸エプロンの第二皇子が執事に詰め寄ると、尻は隠れていないので女性従業員たちが俯いた。
「……暗黙の了解で、第一皇子と第二皇子が前にでたら第三、第四皇子は一歩下がることになっています」
渋々答えた執事に第二皇子は首を横に振った。
「いや、第四、第六皇子が、現場にしれっと紛れ込んでいたぞ。貴族街で魔術具が暴発した際、いち早く軍の介入を指示したのは第一皇子で、出遅れないように私に分隊を指揮して直接現場に乗り込むようにと唆したお前だったら理由がわかるのかな?」
わかりかねます、と第二皇子を唆したといわれたことを否定せず執事は真顔で言った。
「ふん。なんでもわかっている顔をしているくせに、お前でもこの段階では派閥の瓦解を察することはできないか!」
ハハハハハ、と笑う第二皇子を夫人は呆気に取られて見ているが、執事は無表情ながらも黒目が怒りで揺れていた。
「……鞭の支配は恐ろしいな。この離宮にはお仕置き部屋がないのにもかかわらず、私はお前が顔色を変えずに怒るのが怖かった。いや、怖いと思う心さえ殺していた。だが、どちらが夢かわからない未来を見て考え方が変わった。お前の前でむき出しの尻を晒しているが、お前が鞭を手にしたら身体強化をかければいいだけだと気付いた。いや、私は娘しか生まれなかったことを心底では喜んでいたことにも気づいたよ」
第二皇子の唐突な告白に、幼少期に暴力的な躾が行なわれていたこと、そして夫人が男児を産んでいたら同じような躾がされたであろうことに気付いた夫人の喉が鳴った。
「帝王学を身につけるために必要な学びです」
執事は平然と言い切ったが、第二皇子が自分の意思で判断できなくなるほど強烈な躾が施されたのだろうということは想像に難くなかった。
「ふん、誰にとって必要なことだったか……おじい様か!お前はおじい様の犬だったのだな!……ああ、そういうことか!派閥を維持するためには国土が少し荒れている方が、ちょっとした支援をちらつかせるだけで領主たちは門下に入るからその方がおじい様には都合がいいのだな」
弱ったところに施しを加えれば少ない施しで大きな貸しを作ることができる、ということだろうが、それは飼い殺しではないのかな?
「ハハハハハ、そうか、そうか、合点がいった。なぜ支援してくれるガンガイル王国を陥れるように動かなければいけないのかと思ったら、おじい様より大きな恩をどの領地にも平等に施すガンガイル王国を失脚させなければおじい様は派閥の瓦解を止められないからなのか!」
第二皇子の言葉に眉一つ動かさない執事は笑い続ける第二皇子に、落ち着くように諭した。
「殿下にはお子様は姫君しかおられないので、皇太子候補として第一皇子に劣ります。殿下が皇太子に選抜されなくても殿下の地位を損ねないように足場を固めておくことが必要なのです」
「……いらないよ。そんなこと」
高笑いを止めた第二皇子は冷ややかな声で執事に言った。
「私は自分でものを判断することを避けてきたから苦手だけれど、できないわけではない。そして記憶力だけは抜群にいいのだ。私が第一皇子より大きく抜きんでるな、とお前たちが止めていたから魔法学校の試験では手を抜いた。まあ、手を抜いても首席になるように操作されていたな。ただ丸暗記するだけの教科なら今でも満点を出せるぞ。それに魔力量もそこそこ多い。今の魔力不足の帝都なら他の六人を圧倒的にねじ伏せる量の魔力奉納をすれば、ゆるぎない皇太子候補としての存在意義を示せる」
自力で皇太子候補としての存在価値を示せる、と豪語した第二皇子に幼いころから仕えていた従者が首を横に振った。
「残念でしたね、殿下。こちらが白昼夢で小さいオスカー殿下が大活躍したあなたが夢だと思っている方が現実ですよ」
シロの声になった従者の言葉に第二皇子が愕然とすると、白昼夢の亜空間が消えて公安の聴取室に戻っていた。




