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寮生たちの朝の習慣

 いつもなら早朝礼拝をするために日の出前に目覚めるのに日の出の鐘の音で目を覚ました。

「おはよう」

 ぼくが目を開けると顔を近づけていたウィルを押しのけて起き上がると、アーロンはすでに起きていたが小さいオスカー殿下はまだ寝ていた。

「早朝礼拝には出遅れたから朝風呂でも行こうかな」

 朝風呂、という言葉に目を覚ました小さいオスカー殿下はつなげたベッドに雑魚寝していた状況に、夢じゃなかったのか、と言った。

 早朝礼拝の時間帯が空いているから今のうちに風呂に行こうよ、と誘うと夢じゃなくて良かったと小さいオスカー殿下は呟いた。

 寝具とベッドを片付けて手早く部屋を元通りにして大浴場に行くと、寝坊して早朝礼拝に間に合わなかった寮生たちで結構混雑していた。

 サウナでは寮長と寮監とジェイ叔父さんとオーレンハイム卿が密談していた。

「皆さん朝が早いのですね」

「寝坊したから混雑しているし、この時間からオーレンハイム卿が寮にいるのは珍しいよ」

 アーロンの問いにウィルが答えた。

 仮面をつけたままサウナにいた、と小さいオスカー殿下はジェイ叔父さんの仮面が汗で落ちないことを面白がっていた。

 ぼくたちがジャグジーで寛いでいるとサウナから出た大人たちがキャアキャア言いながら水風呂に入っていた。

「大人になったらあれが気持ちいいと思えるようになるのでしょうか?」

 拷問のようにも見えるのに、と呟く小さいオスカー殿下に、ウィルが笑いながら言った。

「雪の中の露天風呂で温まった後、新雪に裸のまま飛び込んでみるのは一回だけならやりましたね」

 その場のノリで猿の楽園の露天風呂ではしゃいだことを思い出した。

「ガンガイル王国の冬は楽しそうですね」

 オスカー殿下の言葉に、猿の楽園は秘湯だから秘密にしてここはガンガイル王国での経験ということにしておこうと、暗黙の了解が働いたぼくとウィルと兄貴は頷いた。

 美肌の湯にやってきた寮長が、言いにくそうにぼくたちに切り出した。

「小さいオスカー殿下のお迎えの問い合わせがあったので朝食後に手配いたしました。本日、殿下は魔法学校を欠席にして王宮で事情聴取があるそうです」

 小さいオスカー殿下はそういうこともあるだろうと察していたようで、そうですか、と返答した。

「カイル君とウィリアム君とジョシュア君とボリス君とロブ君は公安で事情聴取だから、本来ならまだ大聖堂にいるはずだったメンバーをともかくとして、ジョシュア君も魔法学校は欠席してくれ。他の寮生も事情聴取されるけれど日程が決まっていないので心積もりだけでもしておいてくれ」

 浴室にいた寮生たちが、はい、と返事をした。

「同じことばかり繰り返し聞かれるからうんざりするだろうけれど頼むよ」

 ガンガイル王国内にいた時からたびたび騎士団から事情聴取をされることがあったぼくたちが、慣れているから大丈夫です、と返答すると、慣れているのか?と小さいオスカー殿下とアーロンがぼくたちのやらかしたことを想像して苦笑した。

「アーロン君も今日は魔法学校に行けないことを覚悟しておいた方がいいよ」

 オーレンハイム卿の言葉に、他人事じゃなかったのか、とアーロンも覚悟を決めた。

 いつ、どこで、誰に会い、どういったことが起こったか、それについてどう対処したかを押さえておけば大丈夫だ、と寮長は助言をした。

「昼過ぎまで事情聴取が続くことがないように念を押してきたから、長引いたら苦情を申し立てるよ。アーロン君も事情聴取の前後に鳩の魔術具を貸し出すから知らせてください。善意で行動したことなのにこちらに負担がかかり過ぎることがないようにするための交渉材料にします」

 寮長は先行するぼくたちの事情聴取の時間が長引けば、その後に続く寮生たちへの事情聴取の応対への交渉材料にするようだった。


 食堂で顔を合わせたデイジーとマリアも女子寮でのパジャマパーティーを満喫したような充実した笑顔だった。

 鮭の西京焼き定食を堪能したぼくたちは、この楽しかった時間が終わってしまう切なさが妙に愛おしく複雑な気分だった。

 ぼくたちはこのまま何事もなければあと三、四年帝国に滞在することになっている。

 でもそれは、飛び級していない中級魔法学校から留学した場合であって、上級魔法学校卒業相当で留学したぼくたちは本国から帰国要請あったらすぐに帰国することになるだろう。

 ガンガイル王国寮生たちが帝都で抜きんでて活躍したことで帝国側と軋轢が生じ緊急帰国しなければいけないことだってあり得る状況下では、これが最初で最後のお泊り会になるかもしれない。

 ガンガイル王国側の事情とそれぞれ違う事情を抱ているだろう小さいオスカー殿下とアーロンとマリアとデイジーも笑顔の中に複雑な胸中を抱えたような揺らいだ眼差しで、朝食を楽しんだ。


「オスカー殿下。お迎えに参上いたしました」

 離宮の従者と軍服の青年が寮の表玄関まで小さいオスカー殿下を迎えに来ると、夢のような時間に終わりが来たことを悟った小さいオスカー殿下は名残惜しむように振り返り、お世話になりました、と寮生たちに挨拶した。

 見送りに来た寮生たちやアーロンとマリアとデイジーも、楽しかったですね、と口々に言った。

 寂寥感の漂う表玄関に精霊たちが一列に整列して出現すると、迎えに来た離宮の従者と軍人が、あっと驚いた。

 寮生たちには精霊たちが導く方向が中庭に続いていたことから、日課である中庭での神々の像への魔力奉納が済んでいないことを思い出させた。

「殿下に中庭へご案内することを忘れていたことを精霊たちが指摘しているようですね」

 大きいオスカー寮長がそう言うと離宮の従者と軍人は目が点になったが、精霊たちを見慣れた小さいオスカー殿下の二人の護衛たちは、まだ何かイベントがあったのか、という程度の反応だった。

「独立自治を認められている当寮では独自の護りの結界を張ってあり、七大神の祠を模した神々の像や我が国で信仰の篤い精霊神の像が象徴として鎮座しています。通常でしたら毎朝、寮生たちが早朝礼拝と同時刻に魔力奉納をしているのですが、寮生たちは昨日の帝都の緊急事態に対応していた疲労からか今朝は寝坊して魔力奉納を怠っていました。魔力豊富なオスカー殿下が帰宅する前に中庭で魔力奉納をしてもらおうと精霊たちが催促しているようです」

 軍人は大きな溜息つくと額に手を当てた。

「いろいろ伺いたいことがたくさんありますが、時間が押しているので急いで中庭にオスカー殿下を案内してください」

 なぜ精霊たちが出現したのか?護りの結界とは何なのか?尋ねたいことがあっても、小さいオスカー殿下を宮殿に連れて行く時間が迫っているので、精霊たちの要求にだけ応えようと軍人は判断したようだ。

「オスカー殿下がオスカー殿下を案内するのね」

 軍人の言葉に揚げ足を取ったデイジーは、別れの時間が伸びたのだから楽しみましょう、と小さいオスカー殿下の手を引いた。

 最年少のお姫様の行動が微笑ましくて笑いが起こる中、移動した中庭に神々の像らしきものが見当たらないので、従者と軍人と小さいオスカー殿下の護衛たちは首を傾げた。

「七大神の像の全てに魔力奉納をしていただくのは厚かましいので、精霊神の像にだけお願いいたします」

「お世話になったお礼に全部の像に魔力奉納したいです!」

 大きいオスカー寮長の申し出に答えた小さいオスカー殿下に、ぼくたちは後方に控えている従者と軍人を見遣って時間がないことを無言で伝えた。

「我儘を言ってはいけませんでしたね」

「いえ、貴重な皇族の魔力なのですから我が寮で大量に頂戴することはできません」

 大きいオスカー寮長はもっともらしい理由を付けて小さいオスカー殿下の申し出を断った。

 ハンスのオレンジの木の香りと糸状に列をなす精霊たちに導かれて精霊神の像の前に来ると、小さいオスカー殿下は台座に鎮座しているまん丸い精霊神の像を見てフフっと笑った。

「神々のお姿を決めつけてしまわないために抽象的な形をしているのでしょうか?」

 個性的な像を前にして優等生のような回答をした小さいオスカー殿下の言葉に、貴族街の従業員宿にあるとんでもなく個性的な精霊神の像を思いだした寮生たちは吹き出すのを堪えた。

「大変すばらしいご推察ですが、ガンガイル王国の王族は今一つ自分たちで芸術作品を作り上げる素養がないので抽象化した、と私は考えていますよ。高貴な方にお見せできる場所ではないのですが、ビックリするような造形のものまでありますからね」

 大きいオスカー寮長の暴露に寮生たちは遠慮なく爆笑した。

「大事なのは見た目ではないということでしょうね」

 デイジーの言葉にぼくたちは頷いた。

 神に祈り魔力を捧げることが大切なのだ。

 小さいオスカー殿下が精霊神の像に魔力奉納をすると精霊たちは満足したかのように殿下の周囲をクルクルと回った後消え去った。

 名残惜しそうに精霊たちが消えた上空を見上げている小さいオスカー殿下はオレンジの香りに今気付いたかのようにたわわに実るハンスのオレンジの木を見た。

 毒を盛られるのが日常だった皇子が、領民の災いを全て引き受ける呪いをかけられた受難の子として生を受けたハンスの誕生を祝し芽吹いたオレンジの木の子孫の木を見上げている。

「このオレンジは帝都に留学する途中に立ち寄った町でいただいた奇跡のオレンジの種から育てたオレンジで、不思議なことに一年中花が咲いて実を付けるのです」

 ぼくは食べごろのオレンジの実をもいで小さいオスカー殿下に差し出した。

「ごく普通の一般市民の家庭に誕生したのに旧領主一族の血筋が入っていたがためにとんでもない受難にあった青年の誕生時に神々がささやかながら祝福して芽吹いたオレンジです。いままで安全な食事をとるために気を使われてきた小さいオスカー殿下にお分けするために帝都に根付いたかのように感じます。これも神々や精霊たちによるご縁の巡り合わせでしょう。お召し上がりになってください」

 ざっくりとしたぼくの説明を聞き入った小さいオスカー殿下の掌におさまったオレンジが一瞬だけ光った。

 小さいオスカー殿下の背後にいる従者と軍人と護衛たちには見えなかっただろうから、ぼくたちは何食わぬ顔を保ち、お土産用に籠を用意していくつかオレンジを収穫した。

 “……その手の中にあるオレンジはあなたが食べなさい”

 シロが精霊言語で伝えると小さいオスカー殿下は表情を変えることなく小さく頷いた。

 早くしろ、というかのような軍人の冷たい視線をものともせず、美味しいわ、とデイジーがその場で皮を剥いて食べ始めたので、小さいオスカー殿下も光ったオレンジの皮を剥いて食べ始めた。

「……美味しいです」

 小さいオスカー殿下が味に感動して涙ぐんでいるように周囲には見えたが、殿下は精霊たちからの贈り物のように光ったオレンジを今この場で食べることができたことに感動していた。

 離宮の従者は、小さいオスカー殿下が自らの手を汚してまで今オレンジを食べることを勧めたデイジーを睨んだが、あなたの分もありますよ、と無邪気な少女を装って従者にオレンジを手渡した。

 時間がない!と責めるように軍人が従者を睨むと一瞬惹かれながらも従者は、結構です、と断った。

 魔法の杖を一振りして果汁まみれになった小さいオスカー殿下とデイジーを清掃魔法で綺麗にすると、行きましょうか、と小さいオスカー殿下を馬車へと促した。

「また来てくださいね」

 寮生たちからそう声を掛けられると小さいオスカー殿下は笑顔で、はい、と答えて馬車に乗り込んだ。

「……私は天馬アリスに乗って帰りたいな」

 デイジーがぼそっと願望を呟くと、事情聴取が長引きますよ、とオスカー寮長は現実的な話をした。


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