広がる世界、消える未来
「広がるのじゃなくて、やり直すの?」
月白色の髪の上級精霊が肩をガックリと落としてあからさまに落ち込んでいる。
「広がるとはどういうことですか?」
ぼくの疑問に、どういうこと?と魔獣たちも首を傾げた。
「創造神が世界を創りかえられると聞けば、通常ならこの世界を構築するものが全て無になって新しい世界になると考えるだろうに、こいつは世界が拡張されると勘違いしていたようだ」
ワイルド上級精霊の言葉に、普通は広がると思うだろ!と月白色の髪の上級精霊は反論したが、ぼくたちは一斉に首を横に振った。
太陽柱で未来の可能性を見ることができるはずなのに、なんでそんな勘違いをしていたのだろう?
確認していなかったからだろうな、とうんざりするように肩を竦めたワイルド上級精霊や残念そうに首を横に振る魔獣たちの表情から、月白色の上級精霊以外の全員が同じ考えでいることがわかった。
「だって、今までは世界が広がっていたじゃないか!」
そう言った月白色の髪の上級精霊は映像付きの精霊言語で世界の成り立ちのダイジェストをぼくたちの脳内に送り込んだ。
七大神の誕生とともにできたこの世界は大聖堂島が空に浮かび上がっており、神々がふらりと立ち寄り、精霊たちと魔獣たちと人々が直接交流する場所だった。
人々は浮く石に乗って大聖堂島を行き来し、たくさんの供物を祭壇に祀って神々と精霊たちを喜ばせていた。
狩猟採取の時代がなく、すでに文明が出来上がった魔法の使える人々が移植されたような世界の始まりだった。
神に祈れば豊作が約束される地で精霊たちはどんどんと増え中級精霊、上級精霊が誕生し、人口も増加し人々は神々に祈り、土地の魔力は増加し、上級精霊は新たな神となり、神もまたどんどん増えていった。
人口過密になると神々は箱庭を広げ人々は教会を作りながら新天地を開拓していった。
広がる、というのは箱庭の面積が増えていったということなのか。
土地が広がると地方は都市国家として独立し、人間は争いだした。
開拓地の境界線、より肥沃な大地、時の権力者の覇権を広げるため、理由は様々だが、大小さまざまな戦争が起こった。
そんな中でも大聖堂と直結する護りの結界を維持する各地の教会は、空に浮かぶ大聖堂島と結界が繋がっている独自性で、都市国家とは切り離された独自の存在として発展していった。
空飛ぶ島の話はおとぎ話や神話だとされてはいるが、その他は古代史と概ね差がない映像を脳内で視聴しているぼくたちに、時折、ワイルド上級精霊と月白色の髪の上級精霊が神々の依頼を受けて地方の人々を助ける場面が入り込んでいる。
はいはい、月白色の髪の上級精霊の妄想ではなく、二人が親しくしていた時代があったのですね。
あれ、こんな大昔から教会関係者は男性ばかりだ。
ぼくの疑問に答えるように月白色の髪の上級精霊は女性聖職者の映像を流してくれた。
適齢期の女性には漏れなく配偶者を斡旋する仲人婆さんに縁談を勧められている。
教会内に妙齢の女性の影がないのは婚姻で離職してしまうからだったようだ。
男性聖職者も適齢期に結婚で教会を離れることがあっても、もともと人口比率的は男性が多いため教会に残り、禁欲を強いられたようだ。
出生率の男女比は六対四で男性が多いので、戦争や流行り病がなければ男性が余ってしまう。
土地の相続や商売を引き継ぐ見込みのない長男以下の男児はわんぱくなら自警団に、学が立つなら教会に押し込められた。
この時代でも緑の一族は魔力の多い女の子ばかり産まれていたので、有力者に嫁がせる娘を得られる、と緑の一族から嫁をもらえば一族は安泰といわれ始めていた。
当時のカカシが中級精霊と共に、跡継ぎの男児の誕生のためという名目で愛人を囲う不誠実な婚家から娘と孫を逃がしている。
「精霊と人間が近かったころなら、気に入った人間がいたら契約してやるのも吝かではなかった。あのころはよかったなんて言うと、人間の間では爺さん扱いされるんだろ?」
月白色の髪の上級精霊の言葉に、そう、お爺さんだよ、と魔獣たちはゲラゲラと笑った。
精霊たちが姿を隠すことなく人々の生活に馴染んでいる姿を見ると、確かにいい時代だったのだな、と考えてしまう。
精霊たちと共存する教会では十五歳から五十代までの男ばかりの組織に時折、魔力の多い女性が聖女として所属するだけで、その聖女も二十代半ばで引退し、稀に教会に残る聖女がいても禁欲の教会における禁断の恋に発展する例は稀だった。
聖女が教会に残る時は魔力不足が深刻な時ばかりで、教会関係者たちは過酷な環境下で精霊たちと仕事をしており、土地の浄化と結界の維持に死力を尽くしていた。
新規開拓で魔獣との生活圏の接近による折衝や、戦禍の復興、死霊系魔獣の退治と教会の仕事は多岐にわたっていた。
それでも、人々も精霊たちも楽しそうに暮らしていた。
この幸せな世界が一変する邪神の粛清の件の手前でワイルド上級精霊が威圧を放った。。
ぼくたちがうっかり見た内容を口に出してしまえば神罰が下る危険な場面は見ない方がいい、と判断したワイルド上級精霊が月白色の髪の上級精霊に警告したのだろう。
次に見せられた邪神が封印された後の世界の映像では、空に浮かんでいた大聖堂島が湖に落ちていた。
大聖堂島が浮かぶこの大きな湖は邪神が消滅させられた衝撃波でできたクレーターが湖になったように見える。
「賢い子だな。大聖堂島の真下に邪神の本体が封じられている」
ああ、あの大聖堂塔の地下深くに多数の結界で立体的にグルグル巻きになっている中心に邪神が封じられているのか!
ディーたちがせっせと世界中で封じていたのは邪神の眷属神の欠片だったようだ。
「いや、ディミトリーの指輪に封じられていたのは邪神本体の欠片を加工したものだった」
そう言ったワイルド上級精霊が送ってきた映像は邪神が封じられた際飛び散った欠片たちを上級精霊たちが人間と協力して地中深くに封じている姿だった。
あれ?
この人がガンガイル王国の建国王なのか!
そばにいる長身の青年が後に精霊神になる上級精霊なのかな?
「邪神と眷属神を封じた世界の土地を鎮めるため、東西南北にこの世界を護る核となる結界を作り東西南北の砦としてそこを守る王家がつくられた。その一つがガンガイル王家で、彼らはガンガイル王国の始祖とのちの精霊神だ」
ここからは近現代史として学んだことと相違なく、この歴史観があるのはガンガイル王国出身者だからであって、帝都の魔法学校の図書館の蔵書の内容とは異なっている。
ぼくが生まれたのがガンガイル王国でよかったな、としみじみと実感していると、月白色の髪の上級精霊が困ったように笑った。
「まったく、世界のバランスが狂っているのはガンガイル王国が北西部に位置しているからだろ!」
北の永久凍土に隣接している深淵の森を管理しているのはガンガイル王国の辺境伯領だが国際的にはガンガイル王国の国土として認められていない。
管理しているといっても北の砦を護る魔法陣が影響している範囲内、というだけで実行支配をしているわけではなく、ただ護りの魔力を負担しているだけなのだ。
ガンガイル王国が北の砦を護っているというわりに北西部に位置している歪みについて言及されてもぼくにはどうにもできないよ。
それにしても、幼少期に何も知らなかったからとはいえ、世界を支える砦を護る四人の実質の王の一人である辺境伯領主を叱責しちゃったんだよな、と恥じ入っていると月白色の髪の上級精霊が噴き出した。
「こういうヤンチャな子どもをよく見つけられたな!お主がかまいたくなるのもわかるよ」
ぼくの幼少期を確認したらしい月白色の髪の上級精霊は、ぼくの目の前まで瞬間移動し、ぼくの頬を両手で摘まんで引っ張った。
太陽柱で確認したぼくの幼少期に親しみを感じての行動なのだろうが、いきなり距離を詰められると反射的に逃げ腰の姿勢になってしまう。
うーん。
ワイルド上級精霊が月白色の髪の上級精霊を知人で留めておきたい気持ちがなんとなくわかる。
「下がれ、行動がうるさい。世界が拡張していく中でガンガイル王国の城が北西部に押し出されたのだから、それは神々の意思によるものだ。西の砦の一族がいまいち弱いからこうなったとも言えなくもない」
世界は広がるとは、箱庭の枠が広がるのではなく中心部から膨脹しているのか?
地球のような惑星の一地域に枠をはめた箱庭をイメージしていたのに、この星自体が拡張しているのなら重力とかどうなっているのだろう?
「異世界転生者は小難しいことを考えつくもんだな。広がるもんは広がるんだから、そういうものだろう?」
月白色の髪の上級精霊はぼくの髪をくしゃくしゃにする勢いで撫でまわした。
ワイルド上級精霊が睨みつけると、舌打ちしてぼくから一歩離れた。
「異世界転生者から学んだ知識で、この世界がこのまま拡張していくのならば南に広がるはずだろうと推測できるのだが、帝国軍の南方戦線が長引いて南部が疲弊した状態だから、当面、南に拡張することはないだろう」
南の拡張が進めば南の端は永久凍土の世界だ、とワイルド上級精霊が精霊言語で南極のイメージを送ると、月白色の髪の上級精霊とぼくの魔獣たちは、マジか!と幼稚園児のように驚いた。
地軸の傾きで春夏秋冬があるように反対側でも春夏秋冬があることを伝えると、カイルは頭がいいな、と月白色の髪の上級精霊に褒められた。
「お前も少しは頭を使えば、南方戦線が落ち着く前に邪神の欠片を人間たちが使用し始めたら、拡張して世界を整えるより、創造神がこの世界を丸ごと創りかえてしまわれることぐらい想像できるだろう?太陽柱にもその未来の映像があるぞ」
ワイルド上級精霊の言葉に眉を八の字にひそめた月白色の髪の上級精霊は、ああ、あった、と元気のない声で言った。
自分に都合の悪い未来は目に入らないタイプの精霊だったのか、月白色の髪の上級精霊は世界が消えてしまう未来は初見だったようで頭を抱えた。
「創りかえられてしまったら私も精霊素からやり直しではないか!」
「新しい世界を楽しみにするより、もう少しこの世界の続きを見てみたいだろう?」
月白色の髪の上級精霊はワイルド上級精霊を上目づかいに見て頷いた。
「だったら、この腐りきった教会組織から膿を出してやらねばなるまい」
「人間の手助けは極力したくないけれど、今回ばかりは仕方ないか」
やれやれ、と肩を竦めた月白色の髪の上級精霊は、応接テーブルの横に整列している枢機卿たちの頭を端から順に叩いた。
「こいつとこいつとこいつは、心根が腐っている。改善の余地はない。まあ、全員蹴落としてやりたいところだが上を挿げ替えるための首がないから、当面はこいつらを使おう。……いや、こいつは駄目だ。失脚してもらう」
月白色の髪の上級精霊は、西と南と大聖堂の枢機卿の額を小突いた後、大聖堂の枢機卿の頭を鷲掴みにした。
「簡単に失脚させるより、苦痛を繰り返す罰を与え続けて傀儡にしよう」
ワイルド上級精霊は美麗な微笑を浮かべながら言った。




